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月下の狐、涙する幽鬼――新釈・聊斎志異と、物語のその先へ  作者: 光闇居士


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〇壱五 仙道:労山道士(ろうざんどうし)

挿絵(By みてみん)

『月影の宴』

道士と客人、そして弟子たちの輪郭を、ぼんやりと、しかし確かに浮かび上がらせている。


【しおの】

序章:労山への旅路

とある里に、王家の七番目の息子として生を受けた男がいた。旧家の出でありながら、若くして俗世を厭い、仙道の世界に焦がれては修行の道を志していた。かの労山には仙人が多く棲まうと聞き、彼は質素な荷を一つ背負い、故郷を後にした。

険しい山道を分け入った先、霧の立ち込める頂に、ひっそりと佇むやしろを見つけた。中では一人の道士が、がまの葉で編んだ座具の上で静かに座している。長く伸びた白髪は襟元まで垂れているが、その顔つきは俗世を離れた清らかさと、測り知れぬ気風を漂わせていた。

王生は深く一礼し、言葉を交わすうちに、その理の深遠さに心を打たれた。彼はその場で道士に弟子入りを願い出た。

道士は静かに目を開き、言った。

「そなたは安楽に育ったゆえ、気骨に欠けるように見える。この山の厳しい修行に、耐えることはできまい」

王生はためらうことなく答えた。

「いかなる苦行にも、耐えてみせます」

道士の弟子は数多く、夕暮れともなれば、皆それぞれの務めを終えて観へと戻ってくる。王生は一人ひとりに丁寧に頭を下げ、その日から、この観で暮らすことを許された。


仙術:月影の宴

夜も明けきらぬ薄闇の中、道士は王生を呼びつけ、一振りの斧を与えると、兄弟子らと共に山で薪を採ってくるよう命じた。王生は、はい、と恭しく返事をし、その教えに従った。

しかし、ひと月が過ぎる頃には、彼の手足に硬い豆がいくつもでき、その痛みに耐えかねるようになった。彼の心には、密かに故郷へ帰りたいという思いが芽生え始めていた。

ある日の夕暮れ、王生が観に戻ると、師が二人の客人と酒を酌み交わしていた。あたりはとっぷりと日が暮れているというのに、部屋には灯り一つない。すると師は、一枚の紙を月の形に切り抜き、ぴたりと壁に貼り付けた。たちまち、その紙はまばゆい光を放ち始め、まるで満月が昇ったかのように部屋の隅々まで明るく照らし出した。弟子たちは皆、その不思議な光景に驚き、興奮してその周りを駆け回った。

客人の一人が言った。

「この良き宵、この楽しみを我らだけで分かち合うのはあまりに惜しい」

そう言うと、卓上の酒壺を手に取り、弟子たちに酒を注ぎ始めた。そして、こう勧めたのだ。

「さあ、この良き夜だ。遠慮はいらぬ、存分に味わうがよい」

王生は心の中で思った。「我らは七、八人もいる。この小さな壺の酒で、皆に行き渡るものだろうか」

弟子たちは先を争うように己が盃を差し出し、なみなみと注がれた酒を呷った。誰もが壺の酒が尽きるのを心配したが、不思議なことに、いくら注いでも酒は一向に減る気配がない。王生は、その奇跡を目の当たりにし、ただ静かに驚嘆するばかりであった。


幻影:月からの舞姫と壁抜けの術

やがて、もう一人の客人が口を開いた。

「月光を賜りながら、ただ黙って杯を傾けるだけでは興が乗らぬ。月の仙女、嫦娥じょうがをここに呼び、舞を披露させようではないか」

客人は卓上から箸を一本取ると、それを壁の月影に向かってひらりと投げた。すると、光の中から一人のたおやかな美人が現れた。最初は一尺にも満たない小さな姿だったが、ふわりと地に降り立つと、見る間に人の背丈ほどになった。柳のようにしなやかな腰、白鳥のように美しい首を持つその娘は、虹色の衣をひるがえし、夢幻の舞を舞い始めた。

そして、透き通るような声で歌を詠んだ。

— 仙なる君よ、あなたは天上へ帰られたのか。それとも、私をこの広寒宮(月の宮殿)にひとり閉じ込めるというのか —

その歌声は清らかに澄み渡り、まるでしょうの笛の音のように、聞く者の心に染み入った。歌い終えると、娘はくるりと身を翻し、舞いながら卓上へと飛び上がった。そして、皆が瞬きをする間に、元の箸の姿に戻っていた。

道士と二人の客人は、それを見て声を上げて笑った。

またしばらくして、客人の一人が言った。

「今宵は実に楽しかったが、もう酔いが回ってしまった。よろしければ、あの月宮にて送別の宴を開いてはくれぬか」

三人がすっと席を立つと、その身体は次第に透き通り、壁の月影の中へと吸い込まれていった。弟子たちが目を凝らすと、三人は月の中で酒を酌み交わしており、その髭や眉の一本一本まで、まるで鏡に映る影のようにくっきりと見えた。

やがて、月影は徐々に光を失い、闇が戻ってきた。一人の弟子が蝋燭に火を灯して部屋に入ると、そこには道士がただ一人静かに座しているだけで、客人の姿はどこにもなかった。卓上には肴も果物も残されたままで、壁に貼られた月は、ただの丸い紙切れに戻っていた。

道士は弟子たちに尋ねた。

「酒は足りたか」

弟子たちは答えた。「はい、十分にいただきました」

「そうか。ならば早く休むがよい。明日の薪採りに差し支えてはならぬぞ」

弟子たちは皆、承知いたしました、と答えて静かに部屋を退出した。


欲望:三ヶ月の苦行と道の拒絶

この夜の奇術にすっかり心を奪われた王生は、故郷へ帰りたいという気持ちも消え失せていた。

しかし、さらにひと月が過ぎても、薪採りの苦行は変わらず、道士は一向に術を授けてくれる気配がない。ついに王生は耐えきれなくなり、師の前に進み出て、いとまごいを申し出た。

「私は、仙師の教えを請うために、数百里の彼方から参りました。たとえ不老長生の術は得られずとも、何か一つでも小さな技を授かれば、この修行の日々も慰められます。しかし、早朝から夕暮れまで薪を採るばかりで、故郷にいた頃には知らなかった苦労ばかり。もう、私には耐えられません」

道士は静かに笑って言った。

「だから言うたではないか。そなたにこの苦行は務まらぬと。やはり、私の思った通りであったな。明日の朝、故郷へ帰るがよい」

王生は食い下がった。

「これほど長くお仕えいたしました。師よ、どうか、ほんの小さな術でもお授けください。そうすれば、ここまで来た甲斐があったというものです」

「して、どのような術を望むのだ」と道士は尋ねた。

「常々、師が壁や塀をまるで無いかのように通り抜けられるのを見ておりました。どうか、その術をお授けください。私には、それだけで十分でございます」

道士は再び笑い、それを許した。そして、壁を通り抜けるための秘訣を授け、自ら呪文を唱え終えると、「さあ、入れ」と命じた。王生は壁を前にして、恐ろしくて動けない。道士は重ねて言った。「案ずるな。試してみるがよい」

王生は言われた通り、おそるおそる壁へと進んだが、案の定、固い壁に阻まれてしまった。

道士は言った。

「頭を下げ、心を無にせよ。そして、ためらわず一気に駆け抜けるのだ。躊躇してはならぬ」

王生は教えに従い、壁から数歩下がると、勢いをつけて走り出した。壁にぶつかると思った瞬間、その身体はまるで霧の中を通り抜けるかのように、すっと向こう側へ抜けていた。振り返ると、確かに自分は壁の外にいる。王生は歓喜し、観に戻って師に深く礼を述べた。

道士は言った。

「里へ帰ったら、常に身を清め、心を慎むことだ。さもなくば、その術はたちまち効力を失うであろう」

そう言って、王生に旅費を与え、故郷へと送り出した。


結末:硬い壁にぶつかる夢

家に帰った王生は、仙術を会得したと吹聴し、いかなる固い壁も自分を隔てることはできないと自慢した。妻がそれを信じようとしないので、王生は道士に教わった通り、壁から数尺離れて助走をつけ、意気揚々と壁に突進した。

しかし、彼の頭は鈍い音と共に硬い壁に激突し、その場に崩れ落ちた。妻が慌てて駆け寄り、抱き起こして見ると、夫の額には、見る間に大きなこぶが一つ、不格好に盛り上がっていた。

妻が呆れて彼を笑うと、王生は恥ずかしさと腹立たしさで顔を真っ赤にし、あの無慈悲な老道士を罵るばかりであった。

________________________________________

異史氏(作者・蒲松齢)は言う。

この話を聞いて、大笑いせぬ者はいないだろう。だが、世を見渡せば、この王生のような人間は、決して少なくないのである。

今も、己が抱える病の根の深さを喜ぶ一方で、良薬や治療を恐れる愚か者がいる。すると、そこへ権力者の腫れ物を舐めては膿を吸うような輩が現れ、「思うがままに振る舞える術があります」と囁き、その歓心を買おうとする。そして、こう言って欺くのだ。「この術さえあれば、世に妨げるものなど何一つない。どこへ行こうと、あなたの意のままです」と。

初めのうち、その術はわずかながら効き目があるのかもしれない。しかし、やがて彼は、天下のすべてがこの術で思い通りになると思い込んでしまう。その愚かな勢いは、自らの頭を硬い壁に打ち付けて倒れるその時まで、止まることはないのである。

物語の深掘り:奇術、人情、そして人間の愚かさ

この物語は、幻想的な奇術と、極めて人間的な感情が巧みに織り交ぜられている点に、その面白さの神髄があります。


不思議さと幻想の情景

物語前半の「月影の宴」は、この作品の幻想美が凝縮された場面です。

 紙の月: 紙切れが満月となり、闇を照らすという発想は、無から有を生み出す仙術の神秘性を象徴しています。それは物理法則を超えた、詩的で絵画的な奇跡です。

 尽きぬ酒壺: 無限に湧き出る酒は、仙人たちの世界の豊かさと、俗世の限界からの解放を暗示します。弟子たちが驚きながらもその恩恵に浴する姿は、非日常への憧れをかき立てます。

 箸の舞姫: 無生物が命を吹き込まれ、美しくも儚い舞を披露する場面は、夢と現実の境界を曖昧にします。彼女の歌「私を月の宮殿に閉じ込めるのか」という一節は、幻影であるがゆえの哀愁を感じさせ、物語に深い余韻を残します。

 月への入室: 仙人たちが自ら描いた月の中へ入っていく様は、彼らがこの世界の理の外側にいる存在であることを決定的に示します。弟子たちには、まるで鏡の向こうの出来事のようにしか見えない、隔絶された世界の光景です。


恐怖心:静かなる超越者の視点

直接的な恐怖はありませんが、道士の底知れなさに一種の畏怖を感じさせます。彼は王生の未熟さを最初から完全に見抜いています。術を授ける際も、その後の失敗も、全て彼の掌の上であったかのようです。人間を弄ぶわけでもなく、ただ自然の理として「そうなるべくしてなった」と静観しているかのような態度は、人間には計り知れない超越者の視点であり、そこに一種の恐ろしさが潜んでいます。


人情味と滑稽さ

仙術の華やかさとは対照的に、主人公・王生の姿は驚くほど人間臭く描かれています。

 憧れと挫折: 仙人への漠然とした憧れで入門するものの、地味で辛い薪採りの日々に耐えきれず、すぐに心が折れてしまう姿は、多くの人が共感できる弱さでしょう。「家にいた時には知らなかったこの苦行ばかり」という彼の本音は、理想と現実のギャップに苦しむ我々の姿そのものです。

 欲望の矮小さ: 不老長生という大きな目標を忘れ、「壁抜け」という手っ取り早く見栄えのする小手先の術を欲しがる点に、彼の人としての器の小ささが表れています。

 喜劇的な結末: 物語の最後、仙術を自慢げに披露しようとして壁に激突し、妻に笑われる場面は、荘厳な奇術譚から一転して、見事なまでに滑稽なドタバタ喜劇へと着地します。この落差こそが、この物語を単なる教訓話で終わらせない、エンターテイメントとしての魅力となっています。


痛烈な皮肉

物語の締めくくりに置かれた作者(異史氏)の言葉は、この物語を単なる昔話から、鋭い社会風刺へと昇華させています。王生の個人的な失敗を、世にはびこる権力者やそれに媚びへつらう者たちの愚かさに重ね合わせることで、読者は自らの周囲、あるいは自分自身の内面にも「王生」が存在することに気づかされます。本質を理解せず、小手先の技術や権威に頼って万能感を抱き、やがて「硬い壁(現実)」にぶつかって破滅する人間の姿は、時代を超えて普遍的な真理を突いています。

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文化的比較:似たような物語の世界

王生の物語は、世界中の神話や民話に見られる普遍的なテーマを持っています。

 日本文化:

久米仙人くめのせんにんの失墜: 空を飛ぶ術を得た久米仙人が、川で洗濯をする若い女性の美しい脚に見とれて神通力を失い、墜落するという伝説があります。「俗世への欲望」によって修行の成果を台無しにする点で、王生の失敗と通底しています。

天狗の神隠しと半可通なまかじり: 日本の説話では、山伏などが慢心から天狗になる、あるいは天狗に化かされる話が多くあります。中途半端な知識や修行で悟った気になり、結局は失敗する「半可通」を笑う物語は、落語の『味噌豆』などにも見られ、王生のキャラクター造形と非常に近いものがあります。

わらしべ長者との対比: 一本の藁から幸運を掴んでいく「わらしべ長者」が、謙虚さと誠実さによって成功するのに対し、王生は傲慢さと性急さによって失敗します。両者は、日本の昔話における成功と失敗の典型的なパターンと言えるでしょう。

 他の異国文化:

ギリシャ神話のイカロス: 蝋で固めた翼で空を飛んだイカロスが、父の忠告を破って太陽に近づきすぎ、翼が溶けて墜落する物語です。「忠告を破る」「身の程を知らない」「能力を過信する」という要素が、王生の物語と完全に一致します。

ゲーテの詩『魔法使いの弟子』: 師匠の留守中に覚えたての魔法で箒に水汲みをさせた弟子が、魔法を止める呪文を知らなかったために大洪水を起こしてしまう話です。自分の能力を制御できずに破綻をきたすという点で、王生の失敗とテーマを共有しています。

錬金術の物語: ヨーロッパの錬金術師の物語には、賢者の石を求めて修行するも、欲望に目がくらんで偽物をつかまされたり、実験に失敗したりする話が多くあります。真理の探究には、技術だけでなく精神の純粋さが求められるという教訓は、この物語と深く共鳴します。

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物語のその先へ:後日談と別の結末

この物語の結末は、想像をかき立てる余地を多く残しています。

考えられる後日談

 1.改心の道: 頭のこぶと心の傷を負った王生は、己の愚かさを深く恥じ入ります。道士の「身を清め、慎みを守るように」という言葉の真意を悟り、全ての見栄や欲望を捨てて、再び労山を目指します。今度は術を求めず、ただ黙々と薪を割り、水を汲む日々を何十年も続けます。ある雪の夜、彼が観の壁を掃除していると、その身体は意図せずして、すっと壁を通り抜けていました。しかし、その時、彼の心には何の喜びも驚きもありませんでした。

 2.歪んだ復讐者: 王生は道士に騙されたと逆恨みし、詐欺師となります。彼は中途半端な知識で奇術まがいのことをして人々を騙し、「労山の仙術」と偽って金儲けを始めます。しかしある日、彼の前に現れた客が、壁に貼った一枚の絵の中に彼を閉じ込めてしまいます。その客こそ、姿を変えたあの道士でした。


さらなる意外な結末

 1.究極の試験: 王生が妻の前で壁に突進し、激突して倒れます。しかし、彼が目を開けると、そこは労山の観の中でした。目の前には微笑む道士がいます。「俗世への未練、人に見せびらかしたいという功名心。それら全てをあの壁にぶつけ、砕け散らせることが、最後の修行であった」。壁抜けの術とは、物理的な壁ではなく、己の心の中にある壁を打ち破るための術だったのです。

 2.妻の正体: 王生が額にこぶを作り、道士への悪態をついていると、妻は静かにため息をつきます。そして、夫の目の前で、何のためらいもなく壁をすり抜け、向こう側から振り返って言います。「あなた様には、まだ早かったようですわ」。彼女こそ、道士が王生の俗念を試すために遣わした仙女(あるいは、あの舞姫)だったのです。王生の修行は、家に戻ってからも続いていました。


滑稽なる求道者:王生の純粋と愚かさ

この物語の主人公、王生の人物像は非常に興味深いものです。彼は決して悪人ではありません。むしろ、その動機は「仙人になりたい」という一点において、驚くほど純粋です。彼は富や名声を求めて労山に来たわけではなく、ただひたすらに、俗世を超越した存在になることだけを夢見ていました。この一点集中の情熱こそが、彼を数百里の旅へと突き動かした原動力です。

しかし、彼の最大の欠点は、「過程」を耐え忍ぶことができないという点にあります。

 憧れと現実の乖離: 彼は仙人の持つ「結果(=神通力)」にのみ憧れ、そこに至るための「原因(=地道で厳しい修行)」を軽視していました。薪採りのような単調で肉体を酷使する労働は、彼の思い描く華麗な仙道の世界とはかけ離れていたのです。

 性急な心: わずか数ヶ月で「何も教えてくれない」と不満を漏らす姿は、現代の我々がすぐに結果を求めてしまう性急さとも重なります。真理の探究が、数十年、あるいは生涯をかけるものであることを、彼は理解できませんでした。

この「純粋な動機」と「性急で怠惰な性格」という矛盾が、王生というキャラクターに人間的な深みを与え、彼の行動を滑稽なものにしています。


「壁抜けの術」に隠された真意

王生が最終的に求めた「壁抜けの術」は、この物語において極めて象徴的な意味を持ちます。

彼がこの術に惹かれたのは、それが最も視覚的に「仙人らしい」奇跡に見えたからです。物理的な障害物をものともしない姿は、彼がなりたかった理想の姿そのものでした。

しかし、道士がこの術を授けたのには、もっと深い意図があったと考えられます。道士が教えた秘訣を思い出してみましょう。

 1.「頭を下げ、ためらわずに一気に飛び込むのだ」: これは物理的な動作の指示であると同時に、精神的な教えでもあります。「頭を下げる」とは謙虚さの象"徴であり、「ためらわずに飛び込む」とは信じる心と覚悟を意味します。

 2.「身を清め、慎みを守るように。さもなければ、この術は効力を失うだろう」: これが決定的な条件です。この術は、単なるテクニックではなく、術者の心のあり方と直結しているのです。心が不純であれば、術はたちまち力を失う。

つまり、「壁抜けの術」とは、物理的な壁ではなく、「自己の欲望や傲慢さという心の壁」を打ち破るための修行だったのです。道士は王生に最後のチャンスを与えました。もし彼が家に帰ってから、己を戒め、謙虚な心を持ち続けていれば、術は使えたかもしれません。

しかし、王生は家に帰るなり、自慢したい、妻を驚かせたいという虚栄心の塊となりました。その瞬間に、彼の心は不純になり、術の効力は失われたのです。彼が激突したのは物理的な壁であると同時に、「虚栄心」という、彼自身が作り出した越えられない壁でした。


夫婦の情景:当時の社会と妻の「老婆心」

この物語の結末を、単なる「愚かな夫を妻が笑う」という喜劇で終わらせるのは、あまりにも表層的です。当時の社会背景と、妻の行動を深く読み解くと、そこには夫婦の情愛が見えてきます。

 当時の男女の立場: 物語が書かれた時代、家庭において夫の権威は絶対的なものでした。妻が夫を公然と嘲笑することは、通常では考えにくい行為です。王生の妻が彼をからかうことができたのは、それが「家庭内」というプライベートな空間であり、かつ、夫の行動があまりにも愚かで常軌を逸していたからです。

 見捨てない妻の姿: ここで最も重要なのは、妻の行動です。彼女は夫を笑いながらも、「慌てて彼を助け起こして」います。彼女は、倒れてこぶを作った愚かな夫を見捨てません。呆れながらも、心配し、介抱しているのです。この行動こそが、彼女の「老婆心ろうばしん」、つまり、口うるさく言いながらも相手を深く心配する心根の表れです。

彼女の心境を想像してみましょう。何ヶ月も家を空け、仙人修行などという現実離れした夢を追っていた夫が、自慢げに帰ってきたかと思えば、目の前で壁に激突して倒れる。その光景は、滑稽であると同時に、哀れでもあります。

彼女の笑いは、純粋な嘲笑というよりも、「まあ、この人は本当にしょうがない人ね」という、長年連れ添った夫のどうしようもない性格への諦観と、それでも見捨てられない愛情が入り混じった、複雑な感情の表れではないでしょうか。


心温まる物語としての再解釈

この視点に立つと、物語の結末は全く違う様相を呈します。

王生は、労山で真の仙術を学ぶことはできませんでした。しかし彼は、故郷に帰り、硬い壁に頭をぶつけるという痛烈な失敗を通して、もっと大切なものを再発見するのです。

それは、「現実の世界」と「自分を支えてくれる存在」です。

彼が追い求めた非現実的な仙術は、彼を助けてはくれませんでした。彼が倒れた時に手を差し伸べてくれたのは、超越的な力を持つ仙人ではなく、彼が置き去りにしてきたはずの、現実を生きる妻でした。

額にできた大きなこぶは、彼の愚かさの象徴であると同時に、「目が覚めた」証でもあります。この失敗をきっかけに、王生がようやく地に足をつけ、妻と共に現実の世界を生きていくことを決意したのだとすれば、この物語は、一人の男が遠回りの末に本当に大切なものを見つける、心温まる成長物語として読み解くことができるのです。

道士は王生を突き放したのではなく、彼が学ぶべき本当の場所が、仙人の住まう山の上ではなく、妻の待つ我が家であることを、静かに示唆していたのかもしれません。彼にとっての本当の「タオ」は、妻と共に歩む人生そのものだったのです。


挿絵(By みてみん)

『俗世の壁、支える手』

天上の夢破れた男と、地上の愛でそれを受け止める女の姿を、静かに、そしてどこか微笑ましく描き出している。王生が越えられなかった壁の向こうには仙境はなかったが、彼が倒れたこちら側には、確かな情けがあった。

額の瘤の痛みと、妻の眼差しの温かさ。

その両方を感じながら、王生の本当の「道」が、今、この場所から始まろうとしている。


【しおの】


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