〇壱四 種梨(なしを植える)
とある村から来た男が、市の賑わいの中で梨を商っておりました。男の荷車に積まれた梨は、それはもう見事なもので、芳しい香りをあたりに漂わせ、蜜のように甘いと評判でした。それゆえ、値もなかなかに張るものでした。
そこへ、一人の道士がふらりとやって来ました。頭には破れた頭巾をいただき、身にはぼろぼろの衣をまとったその老人は、男の荷車の前で静かに手を合わせ、施しを乞いました。村の男は、虫を追い払うように「しっ、しっ」と手を振りますが、道士はそこを動こうとしません。男はついに堪忍袋の緒が切れ、口汚く罵り始めたのです。
すると、道士は穏やかに言いました。
「そなたの荷車には、梨が百と積まれておるでしょうな。この老いぼれが、ただ一つお恵みを乞うたところで、そなたにどれほどの損がありましょう。なぜ、そうまでして怒られるのか」
周りで見物していた人々は、傷物の一つでもくれてやればよかろうと口添えしましたが、男は頑として首を縦に振りません。
その時、近くの店で働いていた小僧が、あまりの騒がしさに耐えかねたのでしょう、懐から銭を取り出して梨を一つ買い求め、道士にそっと手渡しました。
道士は恭しくそれを受け取ると、小僧に礼を述べ、集まった人々に向かってにこやかに言いました。
「出家の身は、物惜しみの心を持ちませぬ。わしにも良い梨がございますゆえ、皆様にご賞味いただきましょう」
すると、誰かが尋ねます。
「ご自分で召し上がらないのですか」
道士は答えました。
「わしが欲しかったのは、なによりこの梨の種でしてな」
そう言うと道士は、手にした梨をしゃりしゃりと音を立ててすっかり平らげ、掌に残った種を見つめました。そして、肩から下げていた小さな鍬をすっと取り出すと、地面に浅い穴を掘り、その種をそっと埋めて土を被せました。続いて、市の人々に向かい、湯を一杯いただけぬだろうかと所望します。
物好きな者たちが、道端の店から湯気の立つ湯を運んでくると、道士はそれを受け取り、種を埋めた場所へとしずしずと注ぎかけました。
市にいた誰もが固唾をのんで見守る、その眼差しが一斉に注がれる中で、奇跡は起こりました。
土の中から柔らかな双葉が顔を出し、それが、まるで時が早送りされるかのように、ぐんぐんと伸びてゆくのです。瞬く間にそれは若木となり、天に向かって枝を広げ、青々とした葉を豊かに茂らせました。かと思うと、その枝という枝に、雪のような白い花が一斉に咲き誇り、甘い香りが風に乗ってあたりに満ち満ちます。そして、その花びらがはらりと散った跡には、青く小さな実が顔をのぞかせ、それがみるみるうちに膨らみ、美しい黄みを帯びていったのです。やがて、たわわに実った大きな梨が、木全体を埋め尽くさんばかりに枝をしならせました。その芳香たるや、格別なものでした。
道士はひらりとその木に登ると、次々と梨をもぎ取っては、下で待ち構える人々に惜しげもなく分け与えます。あっという間に、木に実った梨はすべて人々の手に渡りました。
仕事を終えた道士は、今度はまた鍬を手に取り、その梨の木を根元から切り始めます。乾いた音が市に小気味よく響き渡り、やがて木はゆっくりと倒れました。道士は、葉のついたその木を肩に担ぐと、満足げに頷き、悠然とした足取りで去って行きました。
さて、この不思議な術が繰り広げられる間、あの梨売りの男も、人垣の中に混じって、首を長く伸ばし、我を忘れ、その摩訶不思議な光景にただただ見入っていたのです。己の商売のことなど、とうに頭から消え失せておりました。
道士が立ち去った後、はっと我に返り己の荷車に目をやった男は、しばし言葉を失いました。あれほど山と積まれていたはずの梨が、影も形もなくなっていたのです。
男はようやく悟りました。先ほど道士が人々に振る舞っていたあの見事な梨こそ、すべて己の荷車にあった梨であったのだと。
さらに目を凝らすと、荷車を引くための一本の担ぎ棒が、根元からすっぱりと断ち切られているではありませんか。その切り口は、まだ真新しいものでした。怒りに体を震わせ、男は道士が消えた方へと駆け出しました。道の角を曲がると、果たして、そこには無残に切り取られた担ぎ棒が打ち捨てられておりました。
道士が切り倒し、担いでいったあの梨の木が、まさか己の荷車の担ぎ棒であったとは。男がそのことに気づいた時、道士の姿はすでにどこにも見当たりません。その見事なからくりに、市の者たちはどっと笑いの渦に包まれたのでした。
異史氏(作者)は記す。
かの梨売りは、目先の損得に心を奪われ、まこと愚かで滑稽な男であった。市中の人々の笑いものとなったのも、当然の報いであろう。
目を世間に転じてみれば、富裕を誇る者たちの中に、これと似た姿をしばしば見かける。親しい友がわずかな米を借りに来たとて、「これは我が家の数日分の糧だ」と勘定し、眉をひそめる。苦しむ者を見ても、手を差し伸べるどころか、「それは何人分の食い扶持か」と胸算用をして、冷たく背を向ける。甚だしい者になれば、肉親の間でさえ、銭一枚をめぐって骨肉の争いを繰り広げる始末だ。
しかし、そのような彼らも、ひとたび己の欲望のためとなれば、財を湯水のように使い、いざ我が身に危険が迫れば、命惜しさに大金を投げ出すことを厭わない。
このような例は、枚挙にいとまがない。されば、この梨売りの男一人の愚かさを、誰が笑うことができようか。
この不思議で教訓に満ちた物語「種を蒔く梨」について、いくつかの側面から深く掘り下げてみましょう。
1. 物語の魅力:不思議さ、人情、面白さ、そして潜む恐怖
この物語は、短い中に様々な感情を呼び起こす魅力が凝縮されています。
不思議さ(奇跡と幻術)
最も強烈な魅力は、道士が繰り広げる仙術の「不思議さ」です。種を蒔いた瞬間から、芽吹き、成長し、花を咲かせ、実を結ぶまでの一連の流れが、まるで映像を見ているかのように展開されます。常識的な時間の流れを完全に無視したこの光景は、読者を現実から引き離し、物語の世界へ一気に引き込む力を持っています。これは単なる手品ではなく、自然の摂理すら意のままに操るかのような、神仙の世界を垣間見せる奇跡です。
人情味あふれる場面
物語の転換点であり、唯一の救いとも言えるのが、騒ぎに見かねた店先の小僧が、自らの懐から銭を出して梨を買い、道士に渡す場面です。強欲で頑なな梨売りと、彼を囃し立てるだけの野次馬たちの中で、この小僧のささやかな善意と共感性は、人間性の輝きとして際立っています。彼のこの一つの行動がなければ、道士の不思議な術は披露されなかったかもしれません。この行為が、物語に温かい人情味を与えています。
面白さ(風刺とカタルシス)
物語の面白さは、見事な「オチ」に集約されています。あれほど人々を魅了した奇跡の梨の木が、実は強欲な男が商売道具として大切にしていた荷車の担ぎ棒だったという種明かしは、非常に風刺が効いています。男は、自らの財産(梨)を守ることに固執するあまり、それ以上に大切な土台(担ぎ棒)が目の前で木に変えられ、切り倒されるという滑稽な状況に気づきません。最後に市の人々が大笑いする場面は、強欲な者への痛烈な皮肉であり、読者に一種の爽快感を与えてくれます。
潜む恐怖心
華やかな奇術の裏には、静かな「恐怖」も潜んでいます。この道士は、ただの物乞いではありません。彼は人の所有物を、持ち主の認識しないうちに全く別のものに変容させ、それを衆人の前で破壊してみせる力を持っています。もし彼が悪意を持てば、人の財産や、あるいは命さえも同じように操れるのではないか、という底知れない畏怖を感じさせます。自分の信じている現実が、目の前でいとも容易く覆されるという体験は、根源的な不安と恐怖を掻き立てるのです。
2. 類似する物語:日本と異文化の比較
このような「奇跡」と「因果応報」をテーマにした物語は、世界中の文化に見出すことができます。
日本文化との共通点
『わらしべ長者』: 一本の藁から始まる物々交換が、最終的に大きな富をもたらす物語です。ささやかな善意や巡り合わせが奇跡的な結果を生む点で構造が似ています。
『花さかじいさん』: 枯れ木に花を咲かせるという奇跡的な現象が直接的に共通しています。また、正直で心優しい者が報われ、欲深い者が罰を受けるという、善悪の対比と因果応報のテーマも全く同じです。
天狗や仙人の説話: 日本の昔話には、超人的な力を持つ山伏や天狗が登場し、傲慢な人間を懲らしめたり、試したりする物語が数多く存在します。その不思議な術は、この道士の力と通じるものがあります。
異文化との共通点
イエスの奇跡(キリスト教文化圏): 新約聖書に登場する「パンと魚を増やす奇跡」は、限られた食料を大勢の人々に分け与えるという点で、道士が梨を分け与える場面とモチーフが重なります。ただし、こちらは懲罰よりも救済の意味合いが強い奇跡です。
『千夜一夜物語』: 魔法のランプから現れるジン(魔人)や魔法使いが、現実離れした奇跡や幻術で人々を翻弄します。無から有を生み出したり、物を変身させたりする不思議な力は、この物語の世界観と非常に近しいものがあります。
トリックスターの神話(北欧神話など): 北欧神話のロキのように、神々や人間を幻術でからかったり、秩序をかき乱したりする「トリックスター(いたずら者)」の存在は、善悪を超えた次元で不思議な力を振るう道士のキャラクターと通底しています。
3. その後の物語:考えられる後日談と別の結末
この物語の続きを想像するならば、いくつかの道筋が考えられます。
考えられる後日談
梨売りの改心: この一件で心底懲りた梨売りの男は、物惜しみの心を改めます。彼は、あの担ぎ棒の切れ端を大切に持ち帰り、庭に植えました。すると、それは普通の梨の木として育ちましたが、毎年、困っている人にその実を分け与えるたびに、翌年は倍の実がなる不思議な木となりました。男は「分け与える翁」として村の人気者になり、本当の豊かさとは何かを知りながら穏やかな余生を過ごしました。
小僧の旅立ち: 道士は、実はあの心優しい小僧の資質を見抜いていました。数日後、道士は再び小僧の前に現れ、「おぬしには物事の真理を見抜く目がある」と告げ、弟子として共に旅をしないかと誘います。小僧は道士と共に世を巡り、多くの不思議な術を学びながら、人々を助け、時に戒める存在へと成長していきます。
さらなる意外な結末
全ては幻だった結末: 梨売りの男が、切り捨てられた担ぎ棒を拾い上げ、怒りと悔しさに打ち震えながら荷車に戻ると、そこには、山と積まれた梨が一つも減らずに残っていました。担ぎ棒も、折れてはいません。しかし、男の手の中には、確かに甘い梨の香りがする木の破片が握られていました。道士は彼の財産を奪ったのではなく、彼の強欲な心に直接、忘れられない幻を見せただけだったのです。男はその場にへたり込み、己の心の貧しさを悟るのでした。
梨の木の正体: 男が道士を追いかけて角を曲がると、そこに道士の姿はなく、ただ一本の若々しい梨の木が根付いていました。その木は、男が来るのを待っていたかのように、一つの実だけを枝から静かに落とします。男がそれを拾い上げると、それは今まで見たこともないほど見事な梨でした。男は、道士があの担ぎ棒を、本物の「命ある木」として再生させてくれたことに気づきます。それは懲罰ではなく、無機質な棒に命を与え、分け与えることの喜びを教えるための、道士からの贈り物だったのです。




