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月下の狐、涙する幽鬼――新釈・聊斎志異と、物語のその先へ  作者: 光闇居士


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〇壱三 偷桃(天の桃を偸む)

挿絵(By みてみん)

『登天の蜘蛛』

少年の姿が消え入る雲の上には、そこには何も描かれていない。しかし、この何もない空間こそが、天の無限性、西王母の桃園という神秘、そしてこの先に待ち受ける運命の不可知性を、何よりも雄弁に物語っている。見る者はこの余白に、自らの想像で桃源郷を思い描き、あるいは少年の安否を気遣い、息を呑むのである。


【しおの】

私がまだ幼かった頃、郡の試験を受けに街を訪れたことがある。季節は折しも春節のころ。古くからの慣わしで、試験の前日には、町中の商人たちが趣向を凝らした彩り豊かな楼閣を飾り、賑やかな楽隊を従えてお役所の前に集うのだった。これを「春を寿ぐ催し」とでも呼ぶのだろうか。私は友人に誘われるまま、その物見遊山に出かけた。

通りは人で埋め尽くされ、まるで人の壁の間を進むかのようであった。広間の上には、四人のお役人様が揃いの赤い衣をまとい、東西に向かい合って座している。子供であった私には、彼らがどのような役職にあるのか見当もつかなかったが、ただ人々のどよめきと、けたたましい楽の音が、今も耳の奥に残っている。

その喧騒のさなか、ふと一人の男が、髪を振り乱した幼子を連れて広間へ上がってきた。荷を担いだ彼は、何かを懸命に申し立てているようだったが、周りの騒がしさに遮られ、その声は私の耳には届かない。しかし、広間の上からは、どっと笑い声が起こった。

やがて、青い衣の役人が進み出て、男に大声で芸を見せるよう命じた。男は恭しくそれを受け、「して、どのような芸をご覧にいれましょうか」と問いかける。お役人様たちは顔を見合わせ、何事か囁き合っている。しばらくして、先ほどの役人が男のもとへ下りてきて、得意な芸は何かと尋ねた。

男は答えた。「私は、天と地を入れ替える術を心得ております」

役人がその言葉を伝えると、お役人様たちはまたしばし相談し、再び下りてきた役人は、男にこう命じたのだった。「ならば、今すぐ桃の実を一つ、ここに持ってまいれ」

男は承知の声を上げると、おもむろに自分の衣を箱の上に広げ、わざとらしく困り果てた顔で言った。

「お役人様方も、ご無理を仰せられる。まだ固い氷も解けきらぬこの季節、いずこに桃の実がありましょう。さりとて、御前の方々のご命令とあれば、背くわけにもまいりませぬ。さて、どうしたものか」

すると、傍らの息子が口を挟んだ。「父上、一度お受けしたではありませぬか。今さら辞退はできますまい」

男はしばし腕を組み、深く考え込んでいたが、やがてぽんと膝を打ち、言った。「そうか、分かったぞ。春先の雪深いこの人の世に、桃などあるはずがない。なれば、西王母様の桃園に赴くほかあるまい。あそこならば、四季を通じて花が咲き、いつでも果実が実っているはずだ。天から一つ、拝借してまいろう」

息子は目を丸くした。「なんと。天に梯子でも掛けて登るおつもりですか」

父は「術がある」とだけ答えた。

彼は箱を開けると、中から数十丈はあろうかという縄の束を取り出した。その端を整え、おもむろに空へ向かって投げつける。するとどうだろう。縄はまるで天の見えぬ何かに引っかかったかのように、ぴんと張り詰め、宙にまっすぐと垂れ下がったのだ。

男が手元の縄を繰り出すにつれて、その先端はぐんぐんと天高く伸びていき、やがて淡い雲の間に吸い込まれるようにして見えなくなった。手元の縄が尽きると、男は息子を呼び寄せた。

「息子よ、来たれ。わしはもう年老いて体が重い。お前が行ってくれぬか」

そう言って縄を息子に手渡し、「これにつかまって登るのだ」と促す。

息子は縄を受け取ったものの、不安げな顔で父を見上げ、恨みがましく言った。「父上もひどくお年を召されたか。このような細い縄一本を頼りに、遥か天の高みまで登れとは。もし途中で切れたなら、私の骨はどこへ散ることになりましょう」

父は息子の背を強く叩き、諭すように言った。「もう後には引けぬのだ。頼む、行ってくれ。決して無駄骨は折らせぬ。もし桃を首尾よく盗んでこれたなら、百金もの褒美は間違いなし。さすれば、お前に美しい嫁を迎えてやろう」

息子は意を決したのか、ついに縄をその手に掴んだ。そして、くるくると体を回転させながら、蜘蛛が糸を伝うがごとく、巧みに登り始める。手で縄を手繰り、足で縄を蹴るその姿は、次第に小さくなり、やがて父の縄と同じように、雲の彼方へと消えていった。

どれほどの時が流れただろうか。空からことりと、何かが落ちてきた。見れば、それは茶碗ほどもある見事な桃の実であった。

奇術師は満面の笑みを浮かべ、それを拾い上げると、広間のお役人様方へ恭しく献上した。彼らはそれを手に取り、代わる代わる眺めていたが、本物か幻か、とんと見分けがつかぬ様子であった。

その時である。天に伸びていた縄が、するりと地上に落ちてきたではないか。奇術師は血相を変えて叫んだ。「しまった! 天の誰かがわしの縄を切ってしまった。これでは、あの子が……!」

その言葉が終わらぬうちに、再び空から何かが落ちてきた。よく見れば、それは紛れもなく、先ほど登っていった息子の首であった。

父はそれを両手で捧げ持ち、泣き叫んだ。「ああ、桃園の番人に見つかったのだ。桃を盗んだ罰だ。わが子が、わが子が終わってしまった!」

悲劇はそれで終わらなかった。ほどなくして片足が、そして次々と手や足、胴体が、ばらばらになって落ちてくる。天にはもう、息子のものは何も残されてはいなかった。

男は深い悲しみに打ちひしがれながらも、我が子の亡骸を一つ一つ丁寧に拾い集め、箱の中へと納めていく。蓋を閉めると、彼は言った。

「わしには、この子一人しかおりませんでした。来る日も来る日も、わしに従って南へ北へと旅をしてくれたというのに。お役人様からの厳しいご命令ゆえ、このような無残なことになってしまいました。この子を背負い、弔ってやらねばなりませぬ」

男は広間へ上がると、深くひざまずいて訴えた。

「一つの桃のために、わが子を失いました。この哀れな親に、せめて埋葬の費用をお恵みくださいませ。このご恩は、決して忘れませぬ」

座にいたお役人様方は、このあまりの出来事に驚き、深く同情したのだろう。それぞれが懐から金銭を取り出し、男に与えた。男はそれを受け取ると、しっかりと腰に巻きつけ、今しがた亡骸を納めた箱の蓋を、力強く叩いて叫んだ。

八八児パーパーアルよ、いつまでそうしている! 早く出てきて、皆様から賜ったお恵みにお礼を申し上げるのだ!」

すると、どうだろう。箱の蓋が内から押し上げられ、蓬髪の子供がひょっこりと顔を出した。それは、まさしく彼の息子であった。少年は北に向かって深く頭を下げ、にこりと笑った。

その術のあまりの鮮やかさと奇抜さに、私は言葉を失った。この出来事は、今なお私の脳裏に深く焼き付いている。後になって、白蓮教という者たちがこの種の術を使うと聞いたことがある。あの日の奇術師も、あるいはその一派の者だったのかもしれない。

物語の深掘り:「偷桃」の幻術と人間

この物語は、単なる奇術の話に留まらず、読む者の心に「不思議さ」「人情味」「面白さ」「恐怖」といった、相反する感情を同時に呼び起こす、巧みな構造を持っています。


1. 不思議さと人情味の交錯

この物語の核は、超自然的な「不思議さ」と、誰もが共感できる生々しい「人情味」が、一本の縄のように綯い交ぜになっている点にあります。

 不思議さ: 天に消える縄、雲の上にあるという西王母の桃園、そして何より、バラバラになった人間が蘇るという結末。これらは全て、現実の法則を超越した「幻術」の神秘性であり、読者を非日常の世界へと一気に引き込みます。春まだ浅い地上と、常春である天上との対比も、この世ならざる世界への憧憬を掻き立てます。

 人情味: この壮大な幻術のすぐ隣には、非常に人間臭い親子の姿が描かれています。

「美しい嫁を娶ってやろう」と物で釣って危険な役目をさせようとする父親。

「途中で切れたらどうするのですか」と本音で文句を言う息子。

我が子が(幻術と分かっていても)無残な姿になった時の、父親の慟哭と嘆き。

その悲痛な姿に同情し、金銭を与えてしまうお役人たち。

これらのやり取りは、まるで庶民の暮らしを切り取った人情劇のようです。この普遍的な親子の情愛や人間の弱さが描かれているからこそ、荒唐無稽な「不思議さ」にリアリティが生まれ、読者は物語に深く感情移入するのです。


2. 面白さと恐怖の綱渡り

物語は、観客(読者)を巧みに楽しませると同時に、背筋が凍るような恐怖をもたらします。

 面白さ: 絶体絶命の要求に対し、「天から盗んでくる」という奇想天外な解決策を提示する場面のワクワク感。そして、全てが計算され尽くしたトリックであったことが明かされる最後のどんでん返しは、見事なエンターテインメントと言えます。「八八児よ、出てこい!」の一言で悲劇が喜劇に転換するカタルシスは、この物語の大きな魅力です。

 恐怖心: この物語の恐怖は、少年がバラバラになって落ちてくる、その描写の容赦のなさにあります。頭、片足、手足、胴体と、時間をかけて一つずつ落下してくる様は、凄惨であり、読者は父親と共に本物の悲劇を体験します。「天の番人に見つかったのだ」という父親の叫びは、見えざる存在への根源的な恐怖を煽ります。一度この凄惨なイメージを脳裏に焼き付けられた後では、たとえ少年が生き返ったとしても、純粋な喜劇として楽しむことはできず、どこか不気味な余韻が心に残るのです。


3. 文化を超えた奇術譚:日本と世界における共鳴

この「天に縄を伸ばして登る」というモチーフは、驚くほど広く、他の文化圏にも見られます。

 日本文化との類似:

芥川龍之介の『蜘蛛の糸』: お釈迦様が地獄のカンダタを救うために垂らす一本の蜘蛛の糸。天と地を一本の糸(縄)が結ぶという視覚的イメージは酷似しています。ただし、「偷桃」が人間の「術」であるのに対し、『蜘蛛の糸』は仏の「慈悲」と人間の「業」を描く宗教的な物語であり、テーマは異なります。

忍術の幻術: 忍者が使うとされる幻術や遁術のイメージにも通じます。ありえないものを見せ、人々を惑わすという点で、この奇術師はまるで伝説の忍者のようです。

 異国文化との酷似:

インドのロープトリック (The Indian Rope Trick): この物語と最も強く結びついているのが、世界的に有名なインドの大道芸「ロープトリック」の伝説です。その内容は、「何もない空中に投げた縄が硬直して垂直に立ち、少年がそれを登って見えなくなる。その後、少年はバラバラになって落ちてくるが、師である芸人が籠などの中で少年を復活させる」というもので、「偷桃」の筋書きとほぼ完全に一致します。この伝説は古くから存在し、シルクロードなどを通じて中国へ伝わり、この物語の原型となった可能性が非常に高いと考えられます。


4. 考えられる後日談:術の果てにあるもの

もしこの物語に続きがあるとしたら、いくつかの展開が考えられます。

 人情話としての続き: 親子は得たお金で、父親が約束した通り息子の嫁を探す旅に出ます。しかし、あの日の奇術の噂が広まり、彼らのもとには更なる権力者から「竜の肝を持ってこい」「不死の薬を盗んでこい」といった、より危険で非道な要求が舞い込むようになります。父子は、人々の喝采を浴びる幻術師として生きるか、全てを捨てて平穏な暮らしを選ぶかの選択を迫られるのです。

 ダークファンタジーとしての続き: 実は、あの術は単なる幻術ではありませんでした。箱の中で息子を「再生」させるたびに、親子の寿命、あるいは魂の一部が代償として失われていました。父親はそれに気づきながらも、生きるために術を使い続けるしかありません。息子もまた、自分の体が時折、人間ではない「何か」に変わりつつあることに気づき始め、父子の間には静かな狂気が満ちていきます。


5. さらなる意外な結末:幻術の真実

物語を全く異なる形で結ぶとしたら、以下のような可能性も考えられます。

 悲劇としての結末: 術は本当に失敗していました。落ちてきたのは、紛れもなく息子の亡骸。父親の悲嘆も本物でした。しかし、彼は極限の悲しみの中で、これを最後の「芸」に昇華させることを決意します。涙を流しながらも、観客の前では完璧な奇術師を演じきり、息子の亡骸が入った箱を叩いて「出てこい!」と叫ぶのです。もちろん、息子は出てきません。しかし、彼の迫真の演技に、お役人たちは「見事な術であった」と勘違いし、金銭を与えるのです。父親は金を受け取り、亡骸の入った重い箱を背負い、誰にも見られずに一人、夜の闇に消えていきます。

 ホラーとしての結末: 箱から出てきた息子は、お役人たちにお礼を言った後、無邪気な顔で父親にこう囁きます。「父上、天の上はとても寒うございました。それに、縄を切った番人様は、あそこに座っておられるお役人様と、そっくり同じ顔をしておりました」。その言葉に、その場にいた全員が凍りつきます。実は役人の中に、この世ならざる存在が紛れ込んでいたのです。賑わいの場は、一瞬にして静かな恐怖に支配されます。


また、物語の結び画竜点睛とも言える「白蓮教」への言及について、その背景と作者の巧みな意図を深く検証してみましょう。

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白蓮教の存在と作者の意図

この一文は、物語の余韻を決定づける、極めて重要かつ巧妙な仕掛けです。これを理解するためには、まず当時の「白蓮教」がどのような存在であったかを知る必要があります。


一. 白蓮教とは:時代の影に潜む異端の集団

白蓮教びゃくれんきょうは、単なる一つの宗教団体ではありません。その歴史は古く、南宋時代に起源を持ちますが、特にこの物語の舞台である明代・清代において、その存在は極めて特殊な意味を持っていました。

 立ち位置と存在:

秘密結社: 白蓮教は、公然と活動する教団ではなく、地下に潜伏する秘密結社でした。その教義は、弥勒菩薩みろくぼさつが降臨して人々を救済するという終末論的な思想を核とし、仏教、道教、マニ教などの要素が混じり合った、いわば「異端」の民間信仰でした。

民衆の受け皿: 彼らは、重税や貧困に苦しむ農民や社会の最下層の人々の間に深く浸透しました。現世での救いを約束し、信者同士の強固な連帯を説く教えは、為政者に見捨てられた民衆にとって大きな魅力でした。

反体制の象徴: その強い結束力と終末思想は、しばしば大規模な農民反乱の温床となりました。時の権力者から見れば、白蓮教は社会秩序を根底から揺るがしかねない、最も危険な「邪教じゃきょう」であり、国家転覆を企む反乱分子の集まりでした。歴代王朝は、白蓮教に対して徹底的な弾圧を加えています。

妖術・幻術の使い手: 民間において、白蓮教の信者たちは、不思議な術(妖術・幻術)を使い、おふだによって病を治したり、刀や槍でも傷つかない不死身の体を得たりすると広く信じられていました。彼らは、ただの宗教家や反乱者ではなく、人知を超えた力を持つ、畏怖の対象でもあったのです。


二. 作者の意図:一文が物語を反転させる

物語の語り手が、最後に「あの奇術師もその一派の末裔であったのだろうか」と、さらりと付け加える。この一見すると何気ない推測に、作者の恐るべき筆力が隠されています。

 1.「驚嘆」から「戦慄」への転換:

物語は、それまで「なんと見事な奇術だろう」という驚きと感動で満たされていました。しかし、「白蓮教」という名が出た瞬間、その空気は一変します。読者の脳裏には、反乱、妖術、弾圧といった、血なまぐさく不穏なイメージが瞬時に喚起されます。奇術師の芸は、もはや単なる大道芸ではなく、体制を脅かす危険な「術」へとその意味合いを変えるのです。楽しい見世物が、一転して社会の闇を垣間見る恐ろしい体験へと変わります。

 2.奇術師の人物像の深化:

この一文によって、奇術師はただの子煩悩な貧しい芸人ではなくなります。彼は、国家から追われる危険な秘密結社の一員かもしれない、という可能性が生まれます。そう考えると、彼の行動一つ一つが別の意味を帯びてきます。

お役人への挑戦: 彼の芸は、単に役人を喜ばせるためだったのでしょうか。それとも、権力者の前で、あえて人知を超えた力を見せつけ、その権威を嘲笑うという、反骨精神の表れだったのでしょうか。

金銭の要求: 彼が役人から金銭を得た行為は、生活費を稼ぐためだけでなく、腐敗した権力者から民衆の富を「奪い返す」という、象徴的な意味を持っていたのかもしれません。

 3.物語に現実的な「危うさ」を与える:

作者は、この物語を単なる絵空事のファンタジーで終わらせませんでした。「白蓮教」という、当時の読者にとって極めてリアルで生々しい固有名詞を持ち出すことで、この fantastical な物語を、自分たちが生きる現実世界と地続きのものとして感じさせたのです。語り手の「…と聞いたことがある」という伝聞の形は、噂話のような信憑性を生み出し、「もしかしたら、我々の隣にもあのような術を使う者がいるのかもしれない」という、背筋の凍るようなリアリティを読者に与えます。

結論として、作者の意図は、物語の最後に「白蓮教」という爆弾を投下することで、読者がそれまで抱いていた物語への印象を180度反転させることにあります。

楽しい奇術譚は、社会の深淵を覗き込む不穏な物語へと変貌し、愛すべき奇術師の親子は、体制を覆すかもしれない恐るべき革命家の影をまといます。読者は、口の中に残る甘い菓子の味が、突如として苦い毒の味に変わるような感覚を覚え、物語の世界から現実に戻った後も、その強烈な余韻から逃れることができなくなるのです。これこそが、怪異譚の名手である作者・蒲松齢ほしょうれいの真骨頂と言えるでしょう。


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