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月下の狐、涙する幽鬼――新釈・聊斎志異と、物語のその先へ  作者: 光闇居士


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13/23

〇壱二 王六郎(おうろくろう)

挿絵(By みてみん)

『河辺の慈心』

二人を隔てる空間こそが、真髄です。そこには、言葉にならないほどの深い沈黙と、互いの選択を静かに受け入れ合う、絶対的な信頼が満ちています。聞こえるのは、微かに響く、河のせせらぎの音ばかり。


【しおの】

河畔の漁師と水底の魂

の町の北のはずれに、きょという名の漁師が暮らしておりました。夜ごと、彼は徳利を片手に河へと足を運び、月影を肴に杯を傾けながら網を打つのを常としておりました。

そして、杯を満たすたび、まずは大地を湿らせるように酒をひとすじ注ぎ、こう祈りを捧げるのです。

「この河で儚く命を落とした魂たちよ、まあ、一杯どうだ」

不思議なことに、他の漁師たちの籠が空っぽの日でさえ、許の籠だけはいつもずっしりと重かったのでございます。

そんなある夜のこと。許がいつものように独り静かに杯を重ねていると、どこからともなく若い男が現れ、その周りを当てもなく歩いております。許が「どうだ、一杯やらんか」と声をかけると、男はにこやかに頷き、二人は言葉少なげに酒を酌み交わしました。

しかし、どうしたことか、その晩は一匹の魚も網にかからず、許はすっかり肩を落としておりました。

すると男はすっくと立ち上がり、「よろしければ、私が下流で魚を追い立ててまいりましょう」と告げると、かき消すようにその姿をくらませたのです。

しばしの後、戻ってきた男が「さあ、魚たちが参りました」と微笑むやいなや、水面からぴちゃぴちゃと魚の跳ねる音が聞こえてまいります。網を引き上げてみれば、いずれも一尺はあろうかという見事な魚が何匹もかかっておりました。許は歓喜し、幾度も礼を言いました。獲れた魚を分けようとしましたが、男は静かに首を振るばかりです。

男は言いました。「いつも結構なお酒を分けていただいているのですから、これしきのことはお気になさいますな。もしお嫌でなければ、これからもこうしてお会いできれば嬉しいのですが」

許は首を傾げます。「今宵が初めてではないか。どうして“いつも”などと申される。だが、そなたさえ良ければ、これほど嬉しいことはない。ただ、私には何ももてなせるものがないのが心苦しいばかりだ」。

名を尋ねると、男は「姓は王と申します。あざなはございません。どうか、王六郎おうろくろうとお呼びください」と答え、静かにその場を立ち去りました。

次の日、許は魚を売り、また酒を仕入れました。夕暮れに河岸へ赴くと、かの若者はすでにそこにあり、二人は楽しげに杯を重ねるのでした。そして、酒が数巡するたびに、六郎はそっと許のために魚を追い立ててくれるのでした。


釣り糸の先の約束

そんな穏やかな日々が、半年ほど流れた頃でございましょうか。ある夜、六郎がふと、悲しげな面持ちで口を開きました。

「あなたと出会ってからというもの、そのお心遣いは身内以上のものと感じておりました。なれど、もうすぐお別れの時が来てしまうのです」

その声は、寂しさに震えているようでした。許が驚いて訳を問うと、六郎はしばし言い淀んだ末、ついに重い口を開きました。

「あなたほどのお方になら、打ち明けても驚かれはしないでしょう。この別れに際し、ありのままをお話しいたします。……実は、私は鬼なのです。生前は酒をこよなく愛し、ある日、酔ってこの河に身を落とし、以来ここで幾年も過ごしてまいりました。あなたが他の誰よりも多くの魚を得られたのは、何を隠そう、私が密かにお手伝いをしていたから。あなたが捧げてくださる酒への、ささやかな恩返しでございました。そして明日、私の罪の定めが終わり、身代わりとなる者が見つかれば、私はようやくこの世を去り、新たな生を得ることができるのです。あなたと共に過ごせるのは、今宵が最後。そう思うと、悲しくてなりませぬ」

それを聞き、許は一瞬、背筋が凍る思いがいたしました。しかし、これまでの親しい交わりが、恐怖を打ち消してくれます。むしろ許の方が悲しみに暮れ、杯を差し出しながら言いました。

「六郎、さあ、この一杯を。嘆くことはない。別れは寂しいが、そなたが罪の鎖から解き放たれ、新たな生へと旅立つのだ。これはむしろ、祝うべきことではないか。悲しむのは筋違いというものだ」

そうして二人は夜が更けるのも忘れ、酒を酌み交わしました。やがて許が尋ねます。「その、身代わりになる者とは、いったい誰なのだ」。

六郎は静かに答えました。「明日、あなたご自身がこの河辺で見ていればお分かりになりましょう。正午、河を渡ろうとして溺れる女が、私の身代わりとなるはずなのです」

夜明けを告げる鶏の声が聞こえ始めると、六郎は涙ながらに別れの言葉を述べました。

明くる日、許は六郎の言葉が真か確かめようと、じっと河のほとりを見守っておりました。

果たして昼時、一人の女が赤子を腕に抱いて河を渡ろうとしましたが、足を滑らせ、渦巻く流れにのまれてしまいます。赤子だけはかろうじて岸辺に投げ出され、小さな手足をばたつかせながら泣き叫ぶばかり。女は何度も水面に顔を出し、また沈み、もがき苦しんでおりましたが、ふいに、まるで何かに押し上げられるようにして、ずぶ濡れのまま岸へとたどり着いたのです。しばし息を整えると、女は泣きじゃくる赤子を抱き上げ、よろよろと去って行きました。

女が溺れかけていた時、許は哀れに思い、助けに飛び込もうかと一瞬ためらいました。しかし、あれこそが六郎の身代わりなのだと思い直し、足を止めます。ところが、女が自力で岸に上がったものですから、六郎の言葉は当たらなかったのかと、許は訝しんだのでした。

その日の夕暮れ、許がいつものように網を打っていると、見慣れた若者の姿がそこにありました。

「またお会いできましたな。もう、別れの話はいたしますまい」と六郎は微笑みます。

許が訳を尋ねると、六郎は静かに語り始めました。「あの女が、確かに私の身代わりとなるはずでした。しかし、その腕に抱かれた赤子を見るにつけ、哀れでならなくなったのです。母を奪えば、この子の命も危うくなる。二つの命を犠牲にすることは、私にはできませんでした。ですから、私は彼女を岸へと押し返したのです。次なる機会がいつ訪れるかは分かりませぬ。これもまた、あなたと私の縁が、まだ尽きていなかったということなのでしょう」

許は心から感嘆し、「その慈悲の心は、必ずや天帝の知るところとなりましょう」と答えました。

こうして二人の夜ごとの語らいは、以前にも増して続いていったのでございます。


祠に宿りし友誼

それから幾日か過ぎた夜、六郎がまたしても別れを切り出しました。許は、また身代わりが見つかったのかと胸を痛めます。

しかし、六郎は首を横に振りました。「いえ、そうではございません。先日の、私のほんのわずかな憐れみの心が、思いがけず天帝に届いたのです。この度、私は招遠県の鄔鎮という村の土地神を拝命いたしました。明日にはもう、任地へと旅立ちます。もし、この古き友誼を忘れず、遠い道のりも厭わぬとおっしゃってくださるなら、どうか一度、私を訪ねてはいただけませんか」

許は心から祝いの言葉を述べました。「そなたのような清らかな心を持つ者が神となるのは、我々にとっても大きな喜びだ。しかし、人界と神域とでは道が隔てられている。たとえ私がその地を訪ねたとしても、どうすればそなたに会えるというのだ」

「ただ、おいでくださればよいのです。何もご心配には及びません」

六郎はそう幾度も繰り返し、名残を惜しむように去っていきました。

家に戻った許は、すぐさま東への旅支度を始めました。妻は呆れて笑います。「まあ、何百里も離れた土地ではありませんか。たとえ辿り着いたところで、土でできた神様の人形とお話などできるはずもございませんのに」。しかし許は妻の言葉に耳を貸すことなく、ついに招遠の地を踏んだのでした。

里人に道を尋ねると、鄔鎮という村は確かにありました。村の宿屋に荷を解き、土地神様の祠のありかを尋ねると、主人は目を丸くして許を見つめます。

「もしや、お客さまは許様ではございませんか」

許が頷くと、主人はさらに、「そして、ご出身は淄川で…?」と問いかけます。許が再び頷くやいなや、主人は何も言わずに表へと駆け出して行きました。

ほどなくして、主人に連れられ、子供を抱いた男や、戸口からこちらを覗き込む女たち、果ては壁のように人だかりができております。主人は許に向き直り、興奮した面持ちで告げました。「幾夜か前の夢枕に土地神様がお立ちになりまして、『もうすぐ淄川から許という名の友が来る。その旅の労をねぎらってやるように』とのお告げがございました。村中でお待ち申し上げておりました」

許もこれには驚きを隠せません。すぐさま祠へと向かい、酒を捧げて祈りを捧げました。

「六郎よ、君と別れてからというもの、片時も忘れたことはなかった。遠い日の約束を果たすべく、こうしてやって来たぞ。夢でお告げを授け、村の人々に私のことを知らせてくれたそうだね。心より礼を言う。粗末なものだが、この一杯を、あの河のほとりで酌み交わした時のように、受けてはくれまいか」

祈りを終え、紙銭をくべると、にわかに祭壇の後ろから風が巻き起こり、しばらく渦を巻いたかと思うと、静かに消えていきました。

その夜、許の夢枕に六郎が立ちました。その姿は威儀を正した立派な衣冠をまとい、もはや河辺で会っていた頃の面影はありません。六郎は深く頭を下げて言いました。

「遠い道のりをよくぞお越しくださいました。嬉しさに、ただ涙がこぼれます。なれど、私はまだ神として未熟な身ゆえ、こうして夢の中でお会いすることしかできませぬ。すぐ近くにおられるのに、何とももどかしい限りです。宿の主人に、ささやかながら心ばかりの品を用意させました。昔のよしみと思って、どうぞお納めください。そして、あなたが故郷へお発ちになる日には、必ずお見送りをいたしましょう」

許は数日の間、村に滞在し、いよいよ故郷へ帰ることにしました。村人たちは名残を惜しんで引き止め、朝に夕に手厚くもてなしてくれます。許が固辞して旅立とうとすると、村の人々は先を競うように土産や餞別を差し出し、半日もせぬうちに許の荷物は一杯になりました。大人から子供まで村中の者たちが集い、村のはずれまで許を見送ってくれたのです。

その時、にわかに強い辻風が巻き起こり、まるで意思があるかのように許の後を十里あまりもついてくるではございませんか。許は風に向かって二度、深く頭を下げました。

「六郎よ、達者でな。もう、そんなに遠くまで送ってはくれずともよい。慈悲深いそなたのことだ。きっとこの地を豊かで幸多き場所にするだろう。この私が改めて言うまでもないことだ」

すると辻風は、許の周りを名残惜しそうにひとめぐりし、やがて静かに去って行きました。その不思議な光景に、村人たちもただ感嘆の息を漏らしながら引き返していったのでした。

故郷へ戻った許は、六郎からの贈り物を元手に暮らしを立て、二度と漁に出ることはありませんでした。後日、招遠を訪れた者から聞いた話では、かの土地神様の霊験はあらたかで、村はたいそう栄えているとのこと。また、一説によれば、この神様は章丘の石坑荘という村の土地神だとも伝えられておりますが、今となってはどちらが真であるか、知る由もございません。

________________________________________

異史氏、曰く

異史氏(作者、蒲松齢)は記す。

高い地位を得ても、かつての貧しい時代の友誼を忘れない。これこそ、王六郎が神として祀られるに至った所以であろう。

翻って今の世を見れば、立派な馬車を乗り回すお偉方が、かつて共に粗末な笠を被っていた旧友に気づくことなど、果たしてあるのだろうか。

私の故郷に、世に埋もれた貧しい書生がいた。彼には幼なじみがおり、その男は太守という立派な官職に就いていた。きっと助けになってくれるだろうと信じ、なけなしの金をかき集めて千里の道を訪ねたが、その期待は無残にも裏切られた。彼はとうとう土産物も、乗ってきた馬さえも売り払い、ほうほうの体で故郷へ戻ったという。それを聞いた彼の従弟が、からかい半分にこんな詩を詠んだ。

「今月は、兄上様のお成りだ。貂の毛皮の帽子を脱ぎ捨てて、立派な傘も畳んだまま。馬は痩せてロバとなり、威勢の良かった長靴も鳴りを潜める」

これを思うと、まことに笑うに笑えぬ話ではないか。


『王六郎』の物語が持つ多面的な魅力を深く掘り下げてみましょう。


1. 物語の深掘り:不思議さ、人情、面白さ、そして恐怖

この物語は、短い中に様々な感情の機微を織り込んでいます。

 不思議さと人情味:

物語の根幹にあるのは、「鬼(幽霊)と人間の友情」という超自然的な設定です。溺れ死んだ魂である六郎が、許の供養に感謝して魚を追い立てる。この時点で既に不思議な現象ですが、物語はそれを怪奇譚としてではなく、温かい人情物語として描きます。許が六郎の正体を知っても恐れず、むしろ彼の「転生」を祝おうとする場面は、種族や生死の境界を超えた深い絆を象徴しています。六郎が土地神になった後、夢を通じて村人に許のもてなしを頼む律儀さも、この物語の人情味を際立たせています。

 面白さ:

面白さの核は、利害関係から始まった二人の関係が、真の友情へと昇華していくプロセスにあります。最初は「酒の供養」と「漁の便宜」というギブアンドテイクの関係でした。しかし、半年も経つうちに、それは互いを気遣い、別れを惜しむかけがえのない間柄へと変化します。また、神様になった六郎が、昔の友人を大歓迎し、村人総出で盛大にもてなす様子は、どこか微笑ましく、一種の「世俗的な神様」の姿がユーモラスに描かれています。

 恐怖心をあおられる場面:

物語全体が温かい雰囲気に包まれているため、直接的な恐怖は少ないですが、根源的な恐怖が巧みに配置されています。

 正体の告白: 六郎が「実は私は鬼です」と打ち明ける場面。親しく酒を酌み交わした相手が、人ならざる者だったと知る瞬間は、背筋に冷たいものが走る瞬間です。

 身代わりの儀式: 「明日の正午、河を渡ろうとして溺れる女が、私の代わりとなる」という六郎の言葉は、冷徹な自然の摂理、あるいは霊界の掟の恐ろしさを感じさせます。許が、溺れる女を助けようか迷いながらも、「六郎の身代わりだ」と思いとどまる葛藤は、読者に倫理的な問いを突きつけ、静かな恐怖を呼び起こします。


2. 文化的比較:日本や異文化との響き合い

このような「人ならざる者との交流譚」は、世界中の文化に見られます。

 日本文化との類似:

日本には「異類婚姻譚いいるいこんいんたん」や「異類報恩譚いいるいほうおんたん」と呼ばれる物語群があり、「王六郎」と非常に親和性が高いです。

『鶴の恩返し』: 助けられた鶴が人間(女性)の姿で現れ、恩を返す物語。正体を知られてしまうことで別れが訪れる点も共通しています。

『浦島太郎』: 亀(異界の使い)を助けたことで竜宮城に招かれる物語。異界の者との交流と、その後の別れの切なさが描かれます。

水神・河童信仰: 日本では、水辺には神や妖怪が住まうと考えられてきました。河童が相撲好きで人間と交流したり、水神が豊漁をもたらしたりするなど、水辺の存在と人間との関わりを描く話は無数にあり、「王六郎」の舞台設定と通底します。

 異国文化との比較:

西洋の精霊・妖精譚: スコットランドのケルピー(人を水中に引きずり込む馬の姿の精霊)や、ヨーロッパのウンディーネ(水の精霊)など、水辺の存在は多くの場合、人間にとって危険で魅惑的な存在として描かれます。「王六郎」のように、穏やかで道徳的な友情を育む物語は比較的珍しいと言えるでしょう。

ギリシャ神話『バウキスとピレモン』: 神が旅人に姿を変え、人間のもてなしの心を試す物語。貧しいながらも心から歓待した老夫婦が神に祝福される点で、「分け隔てなく酒を供養した許が報われる」という構造に類似性が見られます。

悪魔との契約: 西洋の「ファウスト伝説」などでは、悪魔との契約は魂を代償とする危険な取引として描かれます。「王六郎」の友情が、見返りを求めない純粋な心の交流として描かれている点と、非常に対照的です。


3. その後の物語:後日談と意外な結末

この物語の続きを想像すると、さらに世界が広がります。

 考えられる後日談:

許が天寿を全うした夜、彼の夢枕に再び六郎が現れます。「友よ、長らくご苦労だった。さあ、こちらへ来なさい」。許の魂は六郎に導かれ、鄔鎮の祠で彼の補佐役となり、二人の友情は神域で永遠に続くことになります。そして、許の子孫が鄔鎮を訪れるたびに、祠の周りには不思議な辻風が吹き、彼ら一族を末永く見守り続けたと言われています。

 さらなる意外な結末:

許が亡くなって数十年後。かつて六郎に命を救われた赤子は、立派な青年に成長し、大きな功績を挙げて国の宰相にまで出世しました。ある日、彼は国内の神々を祀る大規模な祭祀を執り行います。そのリストの末尾に、招遠県の片田舎にある小さな土地神「王六郎」の名があるのを見つけ、彼は不思議な縁を感じます。

彼は自ら鄔鎮を訪れ、祠の前で深く頭を下げました。その瞬間、彼の脳裏に、幼い頃に母と河で溺れかけ、温かい何かに岸へと押し上げられた記憶が鮮やかに蘇ります。

「……私を救ってくださったのは、あなたでしたか」

宰相は涙ながらに感謝し、国費を投じて鄔鎮の祠を壮麗なものに建て替えました。六郎の神徳は国中に知れ渡り、彼は一躍、国を守護する偉大な神として祀られることになります。かつて六郎が母子の命を救った一瞬の慈悲が、巡り巡って、彼自身を遥かに高みへと引き上げたのでした。それは、許も知らなかった、もう一つの恩返しの物語だったのです。


 また、今回はいい機会に中華圏の神話や伝承における「土地神」という存在を、その神としての階級や権能、そして人間社会の官僚制度との深い関わりに焦点を当てて、掘り下げてみましょう。

天界の官僚機構における「土地神」の位置づけ

中華圏の神々の世界(天界)は、単なる神話上の存在の集まりではなく、人間社会の王朝システムをそっくり天に投影した、巨大な官僚機構として構築されています。その頂点には天帝(玉皇大帝など)が君臨し、その下に各部門を司る大臣(雷公・電母など)や、地方を治める長官たちがピラミッド型の階級社会を形成しています。

この壮大な「天界の官僚システム」において、「土地神」は最も末端であり、最も民衆に近い地方官吏に相当します。

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土地神の身分と管轄権:現場の役人としての姿

1. 身分:下級神にして最前線

土地神は、神々のヒエラルキーの中では下級の神です。上司には、より広域を管轄する**「城隍神じょうこうしん」がいます。城隍神が「県の知事」や「市長」だとすれば、土地神は「村長」「町内会長」「派出所の巡査」**といった、非常に狭い範囲を担当する現場の役人です。

『王六郎』の物語で、六郎が「招遠県の鄔鎮の土地神」に任命されたのは、まさにこの限定的な管轄区を持つ一人の役人として「採用」されたことを意味します。彼が「まだ低い神職に就いたばかり」と謙遜するのも、この階級制度を反映したものです。

2. 任命プロセス:徳を積んだ魂の「公務員採用」

土地神になるのは、多くの場合、生前に徳を積んだり、地域に貢献したりした人間の魂です。王六郎が、身代わりを犠牲にする非情な掟よりも、赤子を救う「惻隠の情」という人間的な徳を優先した結果、その功績が天帝に認められ、土地神に任命されました。これは、彼の善行が「公務員(神)登用試験」の評価基準を満たしたと解釈できます。まさに、死後の世界での就職と言えるでしょう。

3. 管轄権と職務内容:地域密着型のマルチタスク

土地神の職務は多岐にわたりますが、すべてその狭い管轄区内に限定されます。

 戸籍管理と善悪の記録: 土地神の最も重要な仕事の一つが、担当地域の住民一人ひとりの善行と悪行を記録し、定期的に上司である城隍神に報告することです。この報告書は、さらに上の神々へと送られ、最終的にその人間の死後の処遇や運命を決定する際の重要な資料となります。まさに、魂の戸籍を管理する書記官の役割です。

 治安維持と悪霊の監視: 管轄区内の悪霊や妖怪が住民に害をなさないか監視し、小さな問題であれば自ら退治します。手に負えない強大な敵が現れた場合は、すぐに上級神に救援を要請します。これは地方の警察官の役割そのものです。

 豊穣と繁栄の守護: 地域の土地を守り、農業の豊作や商売の繁盛、住民の安全と健康を見守ります。人々が土地神に祈りを捧げるのは、この最も身近なご利益を期待しているからです。

 魂の案内役: 住民が亡くなった際、その魂が迷わぬよう、最初に迎えに来て冥界の入り口、すなわち城隍神の役所まで案内するのも土地神の役目です。冥界へと続く手続きの最初の窓口担当者と言えます。


人間社会の官僚制度との鏡像関係

このように、土地神のシステムは、人間社会の官僚制度と驚くほど酷似しています。

 昇進と降格: 土地神も、人間世界の役人と同じように昇進・降格があります。管轄区を非常に良く治め、住民から厚く信仰されるなど、大きな功績を上げれば、より地位の高い城隍神などに「栄転」することがあります。逆に、職務怠慢であったり、悪事を働いたりすれば、天帝によって「罷免」されることもあります。

 陳情と賄賂: 民衆は、役所に陳情するように、土地神の祠に祈りを捧げます。時には、より手厚い供え物(一種の賄賂)をして、特別な願いを聞き届けてもらおうとすることさえあります。神と人間との関係が、役人と民との関係に重ね合わされているのです。

なぜこのような世界観が生まれたのか。それは、古代中国の人々が、自分たちの社会の仕組みこそが宇宙の秩序であると考えたからです。皇帝が地上を治めるように、天帝が天を治める。県令が県を治めるように、城隍神が地域を治める。そして、村長が村の隅々まで目を配るように、土地神が我々のすぐそばで、日々の暮らしを見守っていてほしい。


土地神という存在は、そうした民衆の切実な願いが投影された、最も人間味あふれる神なのです。『王六郎』の物語は、単なる怪奇譚ではなく、徳を積んだ魂が天界の官僚システムに組み込まれていく「立身出世物語」として読むことで、その面白さと深みが一層増すことでしょう。

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