8・幼き竜は憧憬に満ちて。
「なあなあ、人間って言うのは、みんな先生みたいに細っこいのか?」
名をジュレルと言った幼体期の竜人族が、穢れのない無垢な目で聞く。
数名の子供に囲まれ他愛もない話を、そして時に僅か数十年ながら生きてきた中での人間の世界の話を聞かせてあげるのが、今のアスターシャのささやかな楽しみだ。
それを懐いてくれるのに加え、キラキラした目を向けられるのがたまらなく愛おしいのだ。
当然彼女を含む子供は全て、竜人族だ。
アスターシャが竜人族への刺激、興味を受けるのと同時に、子供は外の世界、とりわけ人間に興味を示さない訳がないのだ。だから、アスターシャ知りうる話や知識を彼らに伝えている。その所為か、いつの間にかアスターシャに付いたあだ名が『先生』だ。
「ロズタリアの騎士は、貴方たちと引けを取らないくらいに屈強です」
・・・少し盛った。
分厚い鎧を着込んだ成人男性の騎士でも、ドリューやグエルとは比べるまでもない。ただその国を想い、護る決意は負けていないつもりだ。
「ねえ、また何か教えてよ」
別の子供がアスターシャの裾を引きながら言う。彼らはまるで乾いた綿のように知識という名の水を吸収する。
人間の知識で彼らの好奇心が満たされ、興味が膨らんでいくのがまた嬉しい。
最初に教えたのはアスターシャ自身の名前で。
アスターシャの名前を地面に木の枝で刻む姿を、子供たちは興味深そうに覗き込んでいたのを思い出す。
不思議と地面に書いたアスターシャの名を、彼らは読めた。
彼らは人間の言語、文字を理解できる文化水準の高さを持ち、世間で言われている野蛮さなど微塵も窺えない。
「・・・でもさ、先生の書く文字って、どこかで見たことなかったっけ」
「ああ。そう言えば。オレも思ってた」
「ほら、山奥の遺跡だよ」
別の子供が言うには、そこは狩りに帯同させて貰った時、山の中で見つけた石造りの遺跡らしい。
神の地と歌われているグレイトピークは人間にとってまだまだ未開の地。それはこのノルダッドも同じで。
かつては人間が踏破どころか足を踏み入れることすら不可能な過酷さを残していて、今の時代もそれは変わらない。
この山に住むのは屈強な竜人族か、この過酷な環境に適応した獣ぐらいで。
その遺跡がどれほど前から存在するのかは知らないが、人間の足跡すら残すことが難しかった時代に、人間の文字が刻まれた遺跡?
大方彼らの勘違い、見間違いだとは思うが。
「ねえ、先生。その遺跡を見に行こうよ」
ジュレルがアスターシャの腕を取る。
「駄目です。私も当然ですが、貴方たちも軽はずみで外に出てはならない決まりのはずです」
子供が狩りに帯同するのは、武器の心得があり、大人の戦士がいることが条件だ。アスターシャではその資格には到底届かない。それでは、彼らに何かがあった時に守れない。もしかしたら、戦闘能力に関して言えばアスターシャよりも子供のほうがすでに格上かも知れないが。
「外に出たいのであればドリュー様にお願いしましょう」
グエルも、ドリューほどアスターシャに好意的ではないだろうが、子供がノルダットの領域外に出るのにいい顔はしないだろう。
「やだよ。ドリューのおっちゃんは堅苦しいし、グエルのおっちゃんがうんって言うわけないし」
・・・あのふたりも、子供に言わせれば『おっちゃん』か。アスターシャは苦笑する。
「だとしても、駄目です。それに街の入口には衛兵さんが護りの目を光らせています」
ノルダッドの外に出るには、そこを通るしかない。
前述のような獣などの脅威から街を守るために、登っては越えることは出来ない城壁で囲まれており、唯一の出入り口は衛兵が守護している。
ドリューにも引けを取らない巨体は、アスターシャが初めて見た時と変わらぬ威圧感を感じて。
そんなアスターシャの心配を他所に、ジュレルはいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「隠し通路があるんだ。それを使えば外に出られる。バレないようにちょっとずつ掘ったんだ」
自慢気にジュレルは言う。
聞けば街の外れの片隅に、木々で囲まれ死角になっている場所に掘ったのだと言う。今は塞いでいるそこが、入口以外を使って外に出る方法らしい。
とは言え、アスターシャもこの街に置いて貰ってる以上、この街のルールを守らねばならない。
「この街を出ることはなりません」
年齢では遥かに下回るアスターシャだが、自分を慕う彼らのために導き手である姿勢を取るべきだ。当然、危険な目に合わせるわけには行かない。
「ええー。先生になんて書いてあるか教えてもらいたいんだよ」
その遺跡とやらに文字は書いてあるらしいが、流石に読めないようで。
「人間の言葉や文字に興味がお有りでしたら、今度手紙にて私の国から持ってこさせるようにします」
アスターシャの部屋には、主を待つ本棚が暇を持て余しているはずだ。それが彼らのためになるのなら、それも嬉しい。
だが、アスターシャの言葉に子供は納得した様子ではない。
「そうじゃないんだよ!先生の分からず屋!」
ジュレルは立ち上がり、憤慨の表情を浮かべつつ街の中へ消えてった。
アスターシャはジュレルの立ち去った方へと視線を向けつつ、溜息を吐いた。
子供との会話は難しい。
ロズタリアではアスターシャと接していたのは全てが年上で、同年代の子どもと接する機会がなかった。
アスターシャは勉学に励み、武芸を身につけようとひたすらに剣を振る毎日だった。
話が合わないと言うよりも、アスターシャにとって、その子供ですら将来護るべき存在ととっていたのだ。
「ジュレルも、もっと先生と仲良くなりたいんだと思う」
別の子供の竜人族が言う。その気持ちと想いはジュレルだけではなく、今ここにいるみんなから感じられる。アスターシャはその想いに応えたい。でも、危険に晒すこととは別だ。
「人間の世界じゃ、僕たちは嫌われているんでしょ?」
切なく、悲しみに似た瞳がアスターシャに向けられる。
竜人族だろうが、子供は純粋で、アスターシャと仲良くなりたいと慕う気持ちは嬉しい。そこには恐らく人間が竜人族に恐れの感情を抱くような気持ちがまだ希薄なのだろう。だからこそ、こんなにも近しく触れ合える。
アスターシャは、その問いに否定も肯定もすぐに返すことができなかった。
ロッドランド大臣はその最たる例で。
竜人族に襲われた過去があると聞いたことがある。今考えたらもしかしたらそれは規格外で、言葉の通じない、避けられない事態だったのかも知れない。
人間だって、全員が善人とは限らない。
アスターシャは、不安に揺れる子供の頭を優しく撫でた。
冷たくも硬質の鱗の肌。でも、それが何なのだろうか。不安に心が引き裂かれそうになる気持ちは、人間と変わりない。
「大丈夫です。私はこの国を含めて、竜人族のことが大好きになりました」
子供は目を細め、嬉しそうに笑う。願わくば、自分のような気持ちの人間がひとりでも多く増えますように、と。
マリエッタは額に汗を滲ませつつも、それでいて冷静に作業を続ける。
主が居なくても、部屋の清掃は欠かさない。
いつ戻ってきてもいいように、それが例え1年後だろうと綺麗な部屋を保ち続けなければならない。それが、メイドである自分の仕事だと思っている。
ロズタリアの太陽とも言えるアスターシャの去った城は、それこそ火の消えた部屋のように暗く。
父親であるロズタリア王の心境はいかほどか。それを私たちメイドたちが推し量ることは叶わぬが、同じ気持ちではあるつもりだ。
身体を押しつぶされそうになる竜人族にもひるまず、相手国に乗り込む姫様の胆力に感服する。そして、その姿はある意味この国の将来を任せるに値する器を見ているようで。
だが、心配なのは言うまでもなく今のアスターシャだ。
虐げられていないだろうか。ひもじい思いをしていないだろうか。
何より寂しくないだろうか。
アスターシャのことを思うと、マリエッタは胸が張り裂けそうになる。
汚れた水の張ったバケツを排水する。
アスターシャがいなくなっても、空に産前と輝く太陽は平等に光をくれる。それが暗くなった心を照らすことはなかったが。
掃除の後片付けをしている時、マリエッタはふと人の気配を感じた。
見上げる視線の先に、廊下を歩くロッドランド大臣が見える。
王以上に大臣は忙しそうだ。
ただのメイドには王政に関わる人間の苦労は測りかねるものではある。ただ、姫がいなくなった寂しさは、この城に住む者ならば平等に訪れているはずだ。それはロッドランドも例外ではないだろう。
廊下の窓の向こう側に見える大臣は早足で慌ただしそうにしていた。
奇妙に思ったのが、その顔は口元が釣り上がり、喜びに見えていたことだった。
「先生!先生っ!」
アスターシャが朝の日課にしている剣の素振りの最中の出来事だ。
竜人族の子供が数名、血相を変えて飛び込んで来たのは次の日で。
身体を動かしたことによる汗を拭いながら、腕を引く彼らの力強さが異常事態を告げていて。
「ど、どうなされたのですかっ?」
「ジュレルがいなくなった!」
その言葉で、アスターシャはすぐに昨日のことを思い浮かべた。ノルダッドの外にあるとかいう、遺跡の話を。
「きっと遺跡に行ったんだよ!」
どうやら彼らも考えは一緒のようで。
そこには竜人族の文字と人間の文字が混合されている不可思議な遺跡。
そこへ行くには当然、この街を出なければならない訳で。
今のアスターシャにはそれを許されておらず、地の利に不慣れな人間よりも、ドリューやグエルを頼った方がいいのは自明の理。
だが、それと反するように彼らが自分を頼ってくれることに、場違いな喜びを感じているのも確かで。
「ドリュー様達に知らせた方が良いのでは」
その言葉に、数人の子供が宮殿の方へと走っていった。
アスターシャの出る幕はない。大人の竜人族に任せるべきだ。その方が安心で、安全だ。
そんな気持ちとは裏腹に、アスターシャの身体はじっとはしていられない衝動に突き動かされていた。
竜人族の戦士よりも先に自分を頼ってくれたこと。ジュレルの言葉を軽んじて向き合わなかったこと。
色々な思いがアスターシャの旨を渦巻く。
「・・・昨日ジュレルさんが言っていた場所に案内していただけませんか?」
剣を鞘に収めながら、アスターシャは不安そうな顔をする子供たちにそう告げた。
ノルダッドはその広大な街を囲むように強固な石壁で覆われている。
子供はもちろん、大人だろうがよじ登ろうとすることも叶わない絶壁だ。それはある意味ここと外世界を隔絶するような壁にも思えて。
ジュレルの掘ったという穴はなるほど、その外壁近くの真下にあり、木の板で塞がれていた。
木の板をどけると、そこにはジュレルの言う通り、人ひとりが通れるほどの穴が穿ってあった。
その穴を見つめ、心配そうな表情の他の子供。
彼らを救うと思い上がっているわけではない。ただ、その悲しい顔を見るのは心苦しく、我慢がならないのだ。
「ここからその遺跡へは、どれくらいの距離で、何処にあるのですか?」
そのアスターシャの言葉に、子供たちは驚きの表情を浮かべた。そして、その言葉の意味も理解している。
もし『規格外』にでも遭遇すれば、アスターシャに敵う道理はない。
腰に携えた細身の剣では、自衛にもならないだろう。
「誰かがここへ来たならば、私は先行したとお伝え下さい」
涙を浮かべてアスターシャの腕を掴み止める子供の手を振り切り、服も汚れることも厭わず穴に足を滑らせ、潜り込む。
穴の奥は陽の光の届かない薄暗い闇で覆われており、アスターシャの今の心の中のように思えた。




