6・武の研鑽は命を賭して。
「ひえええっ!?」
耳を突く金属音と共に、激しく打ち合う鋼が大きな火花を生む。
青ざめた顔のアスターシャは思わず目を覆い、目の前の狂気から逃避する。
大きな石畳を敷き詰めた舞台には、ふたりの竜人族が対峙し、踊っている。
ひとりはグエル。もうひとりはドリューだ。
「こ、これは一体何をやっているんですの!?」
ドリューが稽古の時間だとノルダッド城の中庭に設えてある稽古場に向かうのを知り、アスターシャは興味本位で付いていく。
竜人族の剣の修業が見れる、と好奇心が首をもたげた。自分も未熟ながら剣を振るう身である。
だが、そこで行われていたのはアスターシャの想像を絶する光景で。
ドリュー、グエル以外にも、別の稽古場でも二人一組で武器を携え剣を交える姿が見える、はずだった。
剣を模しているものの、それは練習用なのか刃を潰した刀身。
だが。
その振るうスピードは凄まじく、まるで相手を撃ち殺すが如く剣速。
「ぐぎゃっ!」
別の舞踏場で剣を合わせている片割れが、鉄塊が頭部に激突し、吹き飛んだ。
「武会では当たり前の光景ぞ」
「・・・『武会』?」
アスターシャの疑問に、ドモロは笑いを噛み殺すように身体を震わせた。こんな状況でよく笑っていられるものだと正直思う。
「我ら竜人族の戦闘能力を磨き、高める実践形式の稽古法じゃ」
・・・これが、稽古?血を吹き出し、地面に倒れているではないか。
「その特徴は、決して手を緩めず、本気で武器を振るうこと」
「そんなことをしたら、怪我どころか・・・!」
実際、頭を陥没させた竜人族を、別の竜人族が担ぎ上げ、舞台から降ろしているところだった。
怪我で済むだろうか。最悪の事態が起きない保証もない。
いくら竜人族の身体が硬質の鱗で包まれ、堅固な防御力を有しているとは言え。彼らの武器は、大きな体躯に合わせ、大きい。その腕力と巨大な武器で殴られたら・・・。人間などひとたまりもない。
「むしろ、相手を叩き殺す前提で振るう。この程度で命を落としていては、竜人族の戦士など務まらんからな」
信じられない。相手の生命を殺める前提の稽古など、あり得ない。
烈風のようなグエルの斬撃は、ドリューは軽い身のこなしで躱し、剣で受ける。
ドリューの太刀筋は針の穴を通すような正確無比な斬撃で。対するグエルは全てを砕かんばかりの力が籠もる、まるで対象的な攻撃だった。
終わらない剣の乱舞。
それに目を奪われているのはアスターシャだけでなく、石の舞台外の竜人族の目すらも釘付けにする。
的確に急所を狙うドリューの攻撃を、グエルは本能かのような動きで受け止め。
荒ぶるグエルの一撃を、しなやかな動きのドリューがいなす。
爆ぜる火花が、剣撃の打ち合いの激しさを物語る。
「儂らの力は仲間を護ることもそうだが、同時に同族を葬るための葬送の剣でもある」
ドモロの言葉に、アスターシャは視線を舞台から傍らの老竜人へと向ける。
「・・・規格外に遭遇したそうじゃの」
森で出くわした、竜人族の姿をしていながら『そう』ではない存在。それをドリューは竜人族に成れなかった者、と言った。
自我を失い、言葉の通じることのない規格外は、切り捨てるしか手段がないとも。
「せめて苦しまずに一撃で。躊躇いは剣筋を鈍らせる。それこそが儂らの領域にまでたどり着けなかった、彼らへのせめてもの手向け」
規格外に刃を向けたドリューの表情を、アスターシャは覚えている。あの時、亡骸を地に埋める時に零した言葉の意味は、そういうことだったのだ。
この武会で磨き上げる力の意味。
それは、国を護る力とは別の側面を持つ。
武会で同族に刃を向けること。規格外とは言え、同族に手をかけること。
もしかしたら、このことこそが、竜人族に人間が抱く気持ちの正体なのかも知れない。
その意味を知ったアスターシャは、それが誤解だとはわかる。ただ、この一步間違えば死に直結する修行法を、他の人間が野蛮と思わないことが可能だろうか。
「おい!手前ぇ!やる気があるか!」
そんな怒号でアスターシャの意識が引き戻された。
声の主はグエルだ。
苛立ちを隠そうともせず、潰れた剣の先をドリューへと差し向ける。
ドリューとグエルの剣の腕は、素人目から見ても拮抗しているように思えた。両者の剣がどちらにも届かないのは、ある意味お互いの剣の腕が高みにあることを示している。
そのグエルの態度に、ドモロが深い溜息を吐いた。
「グエルはドリューをライバル視している節があるでの。剣の腕は互角に等しいが、グエルはドリューが本気で戦っていないことを不満に思っている」
あれで、本気ではない?
グエルの剣は、明らかな殺気が込められている。ドリューはそれに準ずる力強さがある。
「グエルの左目が潰れておるじゃろう」
ドモロが、自分の左目を指を差して説明する。縦の傷跡で塞がった左目は、グエルを象徴する特徴だ。
「あれは、かつての戦でグエルがドリューを庇って受けた傷じゃ。もっとも、グエルはそれを認めてはおらんがな」
自分の慢心、不遜が招いた傷だと嘯いておる、と。ほほ、とドモロは呆れたように笑ってみせた。
対するグエルの怒りは収まらない。
「おまけに死角を突かない戦い方だと?オレも舐められたもんだぜ。それをせずとも勝てると思っていやがる!」
グエルの剣筋は、眼前の物を叩き壊し切り開くような必殺の一撃。ドリューは正確無比な剣の動きは、柔軟なしなやかさを併せ持つ。
「そんなつもりはない。お前は俺よりも優れた竜人族だ」
その言葉に、グエルの表情が変わった。
怒涛の斬撃が再開される。激しい火花と衝撃波を飛ばし、両者の剣が交錯する。
肉薄するグエルの表情は怒りに満ちている。それは憎悪にも近い。
「じゃあ、何故オレの剣は手前ぇに届かないッ!」
グエルが吠え、並の竜人族が構える剣ならばそれごと断ち砕き、その先の身体など容易に血まみれにしているような斬撃。
ドリューは刀身でそれを受け止める。僅かにしならせた腕の動きで、凶悪な一撃を相殺する。
グエルの殺気が一回り膨れ上がる。触れれば切り裂きそうな空気を纏い、剣を持つ手に力が迸る。
鎧を押し上げるように筋肉が隆起し、目に捉えられないほどの凄まじいうねりがグエルの剣から伝わる。
弾ける火花と共に、両者の刃が離れ、血走った目でグエルは手にした刃を切り返す。
今までを遥かに上回る速度と力の乗った斬撃が放たれ。それをドリューが再度受けるが。
がきぃんっ!
凄まじい衝撃は、弾いたドリューの剣を防御の型に戻すことを許さず。
ドリューの目が見開かれる。グエルの歪む口元。
アスターシャは思わず手で顔を覆った。
刀身が、まるでその速度で熱を持ったかのように、うねる。
最悪の光景が思い起こされる。
ドリューの首元に迫る鉄塊。
だが、周囲は血には染まらなかった。
代わりに眩い閃光が吐き出され、凄まじい白煙と熱風が石の舞台の中心から吹き出した。
聞こえたのは刃物が何かを寸断する音などではなく、なにか重量感のある硬質のものが地面を打ち付ける音だった。
白煙が空気に乗り、晴れてゆく。
石の舞台に転がる、不可解な形をした金属片。僅かに熱を持ち、仄かな煙を宿している。
「・・・ち」
グエルの舌打ちが聞こえた。
アスターシャは信じられないものを見た。
グエルの剣は確かにドリューの首元に差し向けられている。だが、何故かその剣の先がない。何か、強い力で絞られたように刀身がねじり切れている。
そして。
ドリューの首元から上半身にかけて。
身に纏った鎧が弾け飛び、その鱗が露わに放っている。問題はそこではない。
緑色の鱗が、本当に熱を持ったかのように赤色に染まっている。炎で熱せられたかのように、蒸気のように白い煙を漂わせている。
グエルはつまらない物を見るような目でドリューを一瞥すると、刃の先端が溶解した剣の残骸を放り投げた。
「・・・興醒めだ」
そして、戦意と興味を失ったかのような顔で石の舞台から立ち去った。
「灼甲の使用を確認。この勝負、グエルの勝ちとする」
ドモロが宣言する。そして、戸惑いを残すアスターシャの方へと振り返り、
「武会では剣技以外の能力使用を禁じておる。今ドリューが使ったのは竜人族に備わっている能力のひとつ。灼甲じゃ」
「・・・パラストル?」
その言葉を聞いても、疑問は晴れない。
「儂ら竜人族は体内に熱を溜め込む器官を内包する。竜の、火を拭く名残じゃ」
伝承では、竜はその一息で街ひとつ分の森を消失させるほどの炎を吐く。その器官を竜人族は受け継いでいる。
「その器官が発する熱と、鱗から放たれる超微量の粒子を、筋肉を収縮させる振動で反応させ瞬間的に高温高熱の衝撃波を放つ。今のはグエルの斬撃に合わせ、同意力の爆発を放ち、威力を相殺せたのじゃ」
本来は灼火器官と呼ばれるそこに任意で火を焚べ、体内の熱を上げ、筋肉の活性化、戦闘能力の上昇と維持を主な目的とする。
失格なのは、あくまで武会は己の剣技の研鑽を目的とする会であるからだ、とドモロは言う。
ただ、その灼甲を使わなければ、ドリューの首は最悪身体から別れを告げ、それでなくても悲惨な事態になってていただろう。
「まあ、グエルもドリューの能力と実力を熟知しているからこそ。あの程度の斬撃も灼甲で防ぐのも折込済みなのであろう」
「・・・ドリュー様とグエル様は、仲がよろしくないようにお見受けしますが」
初めて合った時から感じた、ドリューとグエルの間に流れていた違和感。例えばそれが不和だとしても、 修行とは言えあそこまで殺意を込めた刃を向けられるであろうか。
「奴らはこのノルダッドでも1、2を争う腕利きじゃ。それがこの国の堅固さを現しておる。そして、力を合わさねばそれが務まらんこともわかっているのであろう」
まったく、ややこしいことだで。とドモロは乾いた笑いを漏らす。
「あ奴らはいつもは反りの合わない反発する磁石のようじゃが、その分、力を合わせた時ほど頼もしいことはない。いつもそうしていてくれれば、この老体も安心できるのじゃがのう」
同じ目的。例えば国を仇なす者に対してならば、手を合わせることもあるのだろう。
ドリューは弾き切れた剣の先端を広い上げながら、首の動きを確かめるように動かす。すでにその鱗の色は、元の緑色に戻っている。側の竜人族に剣の破片を預け、ドリューはアスターシャの元へと近づいてくる。
「お主ほどの腕ならば、あの剣の動きを追えぬわけではあるまいて」
灼甲を使うまでもないだろうと、暗に言っているのだろう。
「グエルの強さは、俺を遥かに超えている。灼甲を使わなければ危うかった」
ドリューの答えにドモロは目元に指を這わせ、呆れたように嘆息。
「お主のその態度がグエルのプライドに火を注いでいるのが解らんのか」
「買いかぶりすぎだ。俺はあんたに祭り上げられて今の地位にいるに過ぎない。そうでなければ、俺は今頃悠々自適に暮らしていた。・・・仲間に刃を向けることもなかっただろうさ」
嫌味な奴じゃのう、とドモロ。
「・・・少し、休んでくる」
そう言って、ドリューは稽古場を後にした。
「灼甲の爆発反応を故意に起こす行為は、強靭な身体だろうと凄まじい負荷をかける」
ドモロがそんなセリフ言う間も、アスターシャは心配の目を、去っていった竜人族の背中を追っていた。
「ドリューはもともとノルダッドの生まれではなかった。とある山間の他所の集落に住んでいたが、我らの目に止まり、引き上げた。その剣術は確かなもので、我らの王の守護に値するものだった」
ドリューの去っていった方向に視線を向けながら、ドモロは語る。
「グエルはそのことが気に食わないのだろうな。他所から来たドリューが、ノルダッドで確固たる地位を築き上げていることに。天才肌のドリューに対し、グエルは死にものぐるいの修行明け暮れ、その力と地位を手に入れた」
ドリューの戦い方は冷静で、どこか人間の騎士にも通じる剣運び。グエルは荒々しく、型もあったものではない力任せな動きだ。だから、竜人族イメージ的にはグエルの方が合っているのだろう。
「直近の武会での成績はグエルの勝ち越しじゃが、それはやつの納得出来るものではないようだがな」
あの刹那的な戦いが、過去に何度も行われていると言うのか。
アスターシャはこの戦いで、竜人族の超人的な力の根源を見た気がした。




