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5・彼女は其処で温もりを求むる。

 聞けば、竜人族(ドラング)は人間とはまるで比べ物にならないくらいに代謝を起こさない生物であるらしい。  

 体温も自分自身である程度のコントロールを出来るらしく、人間で言う暖を取る意味での風呂も必要がないとのこと。なので、普段は水浴び程度で済ませるのが主だという。

 ただ、アスターシャはやはり風呂には入りたい。 

 ドリューの言う温かい湯の湧き出るポイントを目指し、再びノルダットを出てしばらくすると、涼やかな空気が頬を撫でる。

 開けた場所は岩肌から細かい砂利に変わり、その先には青い清流が伸びている。思わずアスターシャは感嘆の声を上げる。

 手で冷たい水をすくい上げると、透き通るような水面の向こう側が、くっきりと手のひらを映し出す。

 手や顔を洗う程度ならこれでいいだろう。ただ、水温は思ったよりも冷たい。ここに全身を預けるとなると、簡単ではないだろう。

「温かいお湯の張った浴槽の用意は・・・出来ませんよね」

 浴槽を造り、そこに水を張り、沸かすだけの機能を設備するとなると手間だろう。ワガママを言っているのは分かっている。水温と羞恥を自らの身体の汚れを落としたいという欲と天秤を掛けた時、まだ丁度良い妥協点には至っていない。

 ドリューは周囲を見回し、ある方向で指を差す。

「少し行ったところに、温かい湯が湧き出ているポイントがある」

 その言葉に、アスターシャは一筋の希望を見た気がした。

 アスターシャはふたつ返事でそこへの案内をお願いする。ドリューに連れられ、少し上流へと靴底が砂利を鳴らしながら歩く。

 流れる水にこそ変化は見られないが、本流から外れた流れの行き着く溜まりは、見た目だけでは違いはわからない。

 柔らかな水面に指を入れて見ると、成程温かい。肌を浸しても震わせる冷たさは感じられない。むしろ、身体が欲する温もりがそこにはある。

 人が入るために整備されているわけではく、そこはただのお湯の吹き溜まりで、直径は約2、3メートルと手狭だ。ただ、こうなるとこの湯の塊に身を沈めたい欲に駆られる。

 済んだ空気と、静かな光景。ここでアスターシャは覚悟を決めた。

「あの、ドリュー様。私、ここで湯浴みをしていきます」

「そうか」

 と、ドリューは短く答えただけで、傍らの岩肌に腰を掛けた。

 言葉の意味が分からないわけではないだろう。

「あ、あの」

 そこに居られるのは、非情に困るのだが。

「君はこの国への客人だ。何かがあっては遅いのでな」

 その言葉と行動は、警護の意であろう。ただ、今はそういうことではないのだ。

「外で衣服を脱ぐ覚悟が決まったというのに、そこに殿方が居るのは耐えられません!」

 アスターシャは顔を真っ赤させながら絶叫。声が周囲に反響する。どこかで鳥が飛び立ったような気がした。

 ドリューはそんなアスターシャの困惑の原因が分かっていないのか、表情は変わらない。

 だが、流石に真紅に染めた顔と、身を捩る姿でああ、と得心したように頷いた。

「君は異性の側で裸になり、入浴する姿を見られたくないのだな」

 分かっているのなら、察して欲しい。

「安心しろ。我ら竜人族(ドラング)は人間とは美的感覚がまるで違う。人間の裸を見たところで、我らの感情は何ひとつとして揺れ動いたりはしない」

 人間相手に興奮しないと言いたいのだろうが、現にアスターシャは恥ずかしい。

 確かに、目を離せば何があるかはわからない。『規格外』という例も見た。

 アスターシャは小さく息を吐き、諦めにも似た表情でドリューを見る。

 決意を込めた目と、指先を遥か遠くヘ差し。

「ドリュー様はここよりあそこまで離れ、決してこちらを見ることを許しません!耳も塞いで、水の流れる音ですら拾うことを禁じます!」

 自分が無茶なことを言っているのは分かっている。

 胸元を庇いつつ、少し睨むような目つきでアスターシャはドリューを見る。 その表情にドリューは軽く溜息を吐き、今しがたアスターシャが指を差した方向へと歩き出した。そして、側の岩に腰を降ろす。腰に察した剣を鞘ごと地に突き立て、柄の先端に両の手を乗せ、守護者のようにその身を落ち着けた。アスターシャからは、その背中しか見えないし、ドリューの視線は明後日の方向へと向いている。

 アスターシャは石像のように微動だにしないドリューの背中と周囲に警戒しつつ、今一度込めた覚悟と共に、自分の衣服に手を掛けた。

 衣擦れの音を、この距離でもなるべく立てないよう。

 アスターシャは王家の人間として、どこに出しても恥ずかしくないよう、幼い頃から礼儀作法や教養を教えられてきたが、その胸の奥では、本に描かれる冒険譚や英雄の逸話に心を踊らせている面も併せ持っている。それはいずれ来る世界への旅立ちへの憧れ。ただ、お行儀がいいだけの性格ではないことも自覚している。ただ、だからと言って何処でも裸になれる奔放さを持っている訳では無い。当然、見られて恥ずかしい、はしたないという感情はある。

 それは、人生で一度もしたことのない背徳的な行為。

 誰かの視線がそれを捉えたのなら、絵画のような美しさに見惚れていたであろう。未だ、家族と一部のメイド以外にその裸身を瞳の中に収めた者はいない。

 水に濡れないよう、髪の毛を軽く束ねる。まとまった状態ですら、絡まることのない滑らかさを宿していて。

 しなやかな、それでいて程よく引き締まった御御足が水面に触れる。

 温かい感触。足先から伝わる温もり。それはたった数日なのに懐かしい感触のような気がして。

 湯を通り抜けた先には、足の裏に伝わる硬質。敷き詰められた石の海に両足を着け、それだけでも洗われる温もりの中に、ゆっくりと身体を沈める。石の地面に尻を落とすと、包み込む安心感に身を委ねる。

 湯を手ですくう。その小さな水面には、陽の光に照らされた空の色が映る。

「・・・ふう」

 湯で温まった息が、宙に吐き出される。それと同時に、自分では気づかないようなストレスが溶け出した気がした。

 それでさらに顔を洗うと、感じるのは清廉な気持ちと、身体中の血生臭さや、土埃が洗い流される感覚。

 誰かに教えて貰ったことだが、風呂は身体を清める命の洗濯なのだと言う。そんな風呂の時間は、今まで欠かしたことはない。

 時間にして僅か一泊。いつも通りのその時間が、かけがえのないものだと改めて思い知った。

 アスターシャは息を一息吸うと、何を思ったかお湯の中に頭ごと身を沈める。城でははしたなくて、やろうとも思わない行為だ。開放的な環境がそうさせたのか。

 頭が弾ける水面を突き抜け、流れる金糸が姿を表す。髪の隙間から滴る雫は、天上の住人が流した涙かのように神々しい。今まで感じたことのない極上の甘露のような、快楽にも似た感情。

 このまま湯に浸かり、髪から蜜が溶け出してしまう感覚を覚え始めた時、アスターシャは恐ろしいことに気がついた。

 意を決し、アスターシャは遠くのドリューに向かって叫んだ。

「ドリュー様!あ、こちらは振り返ってはなりません!」

 アスターシャの声を受け止めた背中が、それには気づきつつも、その身を動かすことなく応えた。

 アスターシャは自分の失念を恥じ、ある意味緊急事態の脱出を図るため、恥を偲んで、言う。

「・・・身体を拭くものを用立てていただくことは、可能ですか?」

 脱いだ衣服で拭く覚悟はまだない。それは本末転倒になりそうな感覚に思えて。

 ドリューは立ち上がり、その行き先をこちらに定める。アスターシャは思わず肩まで湯に浸かり、身をこわばらせた。

 だが、そのドリューの姿にある意味で安堵と誠実さを見た。

 目を伏せたままのドリューが、腰を巻く布を外し近づいてくる。

「今はこれで我慢してくれないか」

 それh砂利の上に広げると、小柄なアスターシャを丸々包めるくらいの大きさはある。

 白く、丈夫そうな繊維で編み込んだそれは、ドリューの腰に巻かれている布だ。

 森での探索の時、吹き出す血漿を浴び、それは赤い飛沫で跡を描いたが、城に帰った時に変えたのか、真新しい布だ。

 躊躇いがないわけではでは無い。

 竜人族(ドラング)とは言え、殿方の身に着けていた布で濡れた身体を拭くという、今までの体験することはなかった。そして、これからもありえないであろう行為。決してドリューが身につけていた布が嫌なのではなく。

 誰に弁明するつもりなのか。

 アスターシャは手にした布を凝視しつつ、決して湯のせいだけではない、茹で上がりそうな身体の中で葛藤を渦巻かせる。

 すでにドリューはアスターシャから再び距離を取り、先程までと同じ格好で身体を落ち着かせていた。

・・・これ以上、ドリューを待たせるわけにもいくまい。

 アスターシャは覚悟を決め、岩の浴槽から立ち上がり、生まれたままの姿を自然の中に顕現させる。

 火照る身体は、吹き抜ける風でもまだ冷めることはないだろう。

 ドリューから渡された布で身体を包むと、肌の上を纏う雫がみるみるうちに吸い込まれていく感覚がして、アスターシャは目を見張った。だがそれと同時に、別のものまで吸い込まれていく気がして、湯の中に入った以上に身体の熱さで昂ぶったのだった。


 さっぱりと身を清めたアスターシャは、ノルダッドに帰還。だが、それと引き換えになにか大切なものを失った気もした。

 結局のところ。

 いくら服を纏い鎧で身を固めようと、下着も履かずにいることがこんなにも不安を掻き立てることを知った。

 風呂は、心の不浄を洗い流す行為だが、それ以上の疲労を持って帰ってしまっていた。

 今回の件で不便に思ったのか、ドリューは新しい浴槽と風呂場を造るとヴァンデラに陳情すると約束してくれた。  

 それをアスターシャは待ち遠しく思うのであった。

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