3・其処は人ならざる者の地。
「長旅ご苦労さん」
不意に横から声が掛けられ、アスターシャは声の方へと顔を向けた。
竜人族の顔はアスターシャにはまだ見分けがつかないが、ドリューにとっては顔見知りであるらしい。
「・・・その娘が例の人間かい?」
色とりどりの果実を背中の籠に詰めた竜人族が、アスターシャを見やる。
「ノーア。知り合いだ」
「知り合いとは連れないねぇ。一緒に戦った仲じゃないか。・・・グエル、あんたは相変わらずシケた顔をしているね」
あはは、とノーアは陽気に笑う。
ノーアは籠の中から果実をひとつ手に取ると、お裾分けと言わんばかりにアスターシャに向かって放り投げた。
「食い方はどっちかに教えてもらいな」
そう言いながら、ノーアは籠を背負い直すと、街の中に消えていった。
アスターシャの手に残ったのはカボルの実だった。
ドリューに連れられ、アスターシャは街を行く。
最初に思ったのは、その街並みも建物が大きいということ以外は、人間の世界と変わらないということ。喧騒や、生き物としての熱量がそこからは感じられる。
違うのは、見た目だけだ。
そこは王宮と呼ぶには小さく、屋敷と呼ぶには大きい。ドリュー曰く、ここがの王の住まう王宮らしい。
陽光の差す廊下を、靴底を鳴らしながら進み、やがて大きな間にたどり着く。
そこは王の間。ドリューのような戦士の威圧感を放つ竜人族を、玉座の左右に置いている。
「遠いところご苦労。ロズタリアの姫よ」
灰色の竜鱗を纏う、どこか気品すら感じられる佇まい。
「ここ、ノルダッドの王。ヴァンデラだ」
ヴァンデラと名乗る竜人族が、アスターシャを見つめる。
「積もる話はあるが、今は身体を休めてくれ。男、女関係なく、人間では巌しい道中だっただろう」
「お招きいただき、光栄ですわ」
半分は皮肉のつもりだ。
ヴァンデラの言う通り、アスターシャは今虚勢を張っている部分もある。竜人族相手とは言え、その地位は王だ。無様な姿は見せられない。
「ドリュー。用意した部屋にお姫様を案内してあげてくれ」
ドリューが首の動きだけでアスターシャを促す。
「・・・それにしても、よく似ている」
アスターシャがヴァンデラに背を向けた時、不意にそんな言葉が聞こえた。
「・・・今、何とおっしゃいましたか?」
ヴァンデラは、アスターシャの耳の良さに感嘆しつつ、どこか懐かしむような眼差しを差し向けた。
「いや、君からすれば曾祖母だったか。エルナ姫とは懇意にしていてね。・・・彼女の突然の死は残念でならなかった」
エルナはアスターシャとはもちろん面識はない。エルナは娘を産んだ後、事故で命を落としたと聞いたことがある。
「私は個人的に、非公式だが彼女の戴冠式にも招かれたこともある。・・・人前に姿を表すことはしなかったがね」
大手を降ってその姿を見せれば、混乱を招くからね、と。
ヴァンデラは次いで小さく息を吐き。
「君をここに招いた理由、今の話を含めて、後日話そうではないか。今は休むといい」
ロズタリアとノルダッドの交流は、ドモロが言うには500年前かららしいが、少なくともここ数十年の間にも存在したということになる。だが、疲労した身体と暖かくなった頭では、考えがまとまらない。今は素直に身体を休めたい。
アスターシャは、ドリューに連れられ王の間を後にしたのだった。
時は数刻を遡る。
ロズタリア城。王の私室。
「王!これは由々しき事態ですぞ!」
血相を変えて激昂するのは王の側近、ロッドランド大臣だ。
若き頃からこの城に仕え、国を支え、知を授け、王の右腕として奔走してきたロズタリアの賢人だ。
「・・・落ち着くのだ、大臣」
「蛮族共に姫を連れ去られ、冷静を保つことなど、できるはずがございません!」
竜の姿をした異国人に、幼き頃から世話をしてきたアスターシャを、古来からの約束事だからと無遠慮にも連れ去ったのだ。
「滅多なことは言うものではない。彼らもアスターシャに危害を加えるつもりはないだろう。これはかつての借りを今まで返していなかった我らの落ち度だ」
「それにしては、仁義のかけらもない横暴!」
竜人族の要求は、一国の国庫にも等しい金額の支払い。それは国を破壊する行為だ。
「・・・アスターシャの身柄の返還の条件は、借金の全額返済。またはアスターシャのノルダッドへの1年間の常駐。1年経った時点で借金が残っていても、そのときはアスターシャをロズタリアへ返してくれることを約束してくれた」
「何か、裏があるように思えてなりません。だったらなぜ、わざわざ姫をノルダッドに呼び寄せる条件を付けたのでしょう」
大臣は、皺に塗れた顔のヒゲに手を触れ、虚空を睨む。
「姫に危害を加えない保証はありません。一国も早く姫を救出する手立てを騎士団で練りましょうぞ」
「・・・今我々がするべきは、竜人族への儀を返すことだ」
あくまで冷静なロズタリア王に、大臣は納得がいかないものと不可解な違和感を感じながら、王の提言に首を重々しく縦に振ることしか出来ないのであった。
溶けるような疲労感と微睡みに身を沈みこませた夜が明け、アスターシャは目を覚ました。
いつもとは違う光景が視界の中を塗り替えたのを、ここは自分の部屋ではないのだと改めて思った。
ベッドと窓しかない簡素な部屋。
部屋の雰囲気も目覚めの気分もまるで違うが、窓から差し込む陽光だけは、どこにいても変わらないものだと思えた。
これからの身の振り方。
曾祖母のことを知っているであろうノルダッドの王。
そして自分をここへ呼んだ理由。
知りたいことは山程ある。
身に纏った竜人族式の簡素な衣服はアスターシャにとっては大きく、簡単に彼女のサイズへと仕立ててくれた。
唯一の出入り口である扉のノブに手を掛け、引く。
「ひゃあっ!?」
アスターシャは小さく悲鳴を上げた。目の前を大きな影が覆っていたからだ。
緑色の鱗のドリューが目と鼻の先にいたからだ。
「ど、ドリュー様っ?」
近くに立つとその巨体がよく分かる。アスターシャの視線からは、ドリューの胸元にも届かない。
「遅いお目覚めだな。何度かノックをした」
その言葉に、アスターシャは部屋を見返し、窓ガラスへと視線を向けた。
「・・・今、時間はどれくらいですの」
震える声で、アスターシャは問いかける。
「朝食に呼んだつもりなのだがな、今は昼時だ」
アスターシャは青ざめる。
病気の時を除けば、目覚める時間は朝食の時間を跨いだことのなかったアスターシャは、軽い目眩と衝撃を受けた。恐らく生まれて初めて寝坊と言うものを体験した。長旅で疲れていたとはいえ、何たる失態。
「目が覚めたのなら、行くぞ」
ドリューが踵を返し、付いてくるよう促す。
「・・・どこへ、ですか?」
「食事だ」
それだけ言うと、ドリューは先を行ってしまう。アスターシャはその後を慌てて追うのであった。
最初に奇妙に思ったのは、アスターシャの姿に目が向くことはあっても、そこにあからさまな感情がないという点だ。
人間が竜人族に物珍しさから来る畏怖を向けるのとは違い、さも当たり前かのように、アスターシャの城への闊歩が許されている。
人間とは違い、竜人族はそんなことすら気にしない気風なのだろうか。そもそも、相手にするまででもない存在だと思っているのか。
アスターシャが連れられた部屋には何人かの竜人族がまばらにいた。
「食堂だ」
アスターシャの疑問を察したドリューが答えてくれた。
鼻を突く、いい匂い。
ここでもまるでアスターシャの存在が無かったかのように、無視しているわけではないのだろうが、視線をくれる者はいない。
その原因のひとつは、テーブルに乗った食事に意識を向けているのもあるのだろう。
皿の上にほぼほぼ調理前のような巨大な肉の塊が乗っているのには、流石に目を剥いた。
テーブルの一画にアスターシャを座らせ、ドリューは部屋の奥へと向かって行った。
肩身が狭いかのように、膝の上に手を乗せ時間が過ぎるのを待つ。
「お嬢さんが外から来たとかいう人間か」
声を掛けてきた竜人族に反射的に身体を震わせてしまう。
「ここのメシは美味いぞ」
そう言いながら、その竜人族は陽気に笑いながら去っていった。
入れ替わるようにドリューが戻って来る。その手に皿を乗せて。
それをアスターシャの目の前に置く。内心ホッとした。あの山のような肉の塊を差し出されたらどうしようかと思っていたところだ。
それを数分の一サイズに縮尺した、焼いた肉の香ばしい香りが食欲をそそる。
対するドリューの皿は、先程の目を疑いたくなるような山盛りでは無かったものの、アスターシャと比べれば天と地くらいの隔たりがある大きさだ。
アスターシャは密かに心が高鳴っていた。
王宮の、まるで芸術品のような料理も確かに美味しいが、冒険譚に出てくるような野性味溢れる食事という物に憧れがあったのは事実で。
添えられたナイフとフォークで切り崩しに掛かっているドリューに習い、アスターシャも左右に武器を装備する。
剣先で触れただけで引き裂かれる柔らかさとは違い、力を押し込め割り裂く行為は、アスターシャの感じたことのない感触だ。
一口大に切り分けた肉に纏うソースですら、いい意味で気品とはかけ離れた色をしている。マリエッタなどは、それを舐めるのですら躊躇いそうだ。
アスターシャはフォークの先端に肉を差し込み、それを口の中へと運ぶ。
焼け付く肉感はナイフの刀身で感じるよりは柔らかく。香辛料を効かせた味付けは繊細を飛び越えて力強く。
「うん。美味しいですわ!」
お世辞抜きでそう思う。毎日料理を作ってくれた給仕長には申し訳ないが、これくらい食べごたえがある方が、アスターシャは好みなのかも知れない。
ドリューの皿の上には肉しか乗っていないことから竜人族の食生活は肉食らしいが、アスターシャの皿には彩り良い野菜を乗せていてくれていた。
カボル同様、見たことのない果実で口の中を清涼感で満たし、皿の上を綺麗に終わらせた。
食器を片付けるという行為も、城にいては体験し得なかったことだ。厨房の奥でそれこそ大剣のような包丁で骨ごと肉塊を切断するシェフですら、屈強な戦士に見える。
食堂を後にして、ふたりが向かったのは王の間だった。
「随分遅いお目覚めだな、お姫様」
意地悪っぽく、竜人族の王は口に笑みを形作って見せた。
「こちらの食事はどうだったかね。お口に合えば幸いだ」
「とても美味しゅうございましたわ」
それは嘘偽りない本音だ。思い出すだけで、あの香ばしい香りと肉肉しい脂の味が漂ってくるようだ。
「結構」
ヴァンデラは、満足そうに頷いた。
「それで、私はここで何をすれば良いのでしょう。ここに連れてこられた理由は?」
アスターシャが知りたいのはそこだ。
老竜人族のドモロは役金返済までの担保だと言った。担保の名を借りた人質だと言う者もいた。
だが、ヴァンデラから発せられた言葉意外な物で。
「別に。この国を大きく出なければ、貴方はある程度自由の身だ」
それを守れば、その動きを制限されることは無いと言う。
そして続ける。
「あえて望むのであれば、貴方にはこの国に触れ、ロズタリアに戻った時にここで見聞きしたことをぜひ伝聞してほしいと私は思う」
さっきの食事からして、アスターシャには新鮮な出来事だ。そして、竜人族は人間など食わない、と。
「我らの気質もあるのかも知れんが、外の世界には我らのことを誤解しているような節がある。正しき情報を、世界を感じてほしいと貴方には望む」
一方的に竜人族に恐怖を感じていたのは人間の方で。
彼らは一度も力を振るいアスターシャをノルダッドに連れてきたわけではない。
ロッドランド大臣を初め、国を護る意識か、剣を持つ衛兵はその姿に威圧感や恐怖を感じていたのだろう。曰く、粗暴な蛮族。力により他種族をねじ伏せる。確かに初め、その姿に驚きを感じなかった訳では無い。ただ、短い時間ながらもそこから見受けられたのは、彼らも姿が違うだけで人間と同じ心根を持つということ。
食事をし、それを美味しいと感じる同じ感覚を持っている。暴虐のかけらは、少なくとも感じられなかった。
「分かりました。ロズタリアへ戻った際には、皆に伝えることを私の仕事としましょう」
アスターシャのその言葉に、ヴァンデラは満足そうに頷いた。
そして、ヴァンデラはもうひとつアスターシャが気にしていることを口にした。
「昨日の話と重複するが、私はエルナ姫とは親しい間柄だった。彼女は見た目や種族間での色眼鏡を持たない、真の意味で心根の優しい女性だった」
アスターシャは、彼女の存在を色褪せた写真でしか見たことはない。喋り方も、何もかも知らない。
「彼女は跡継ぎを産んだ後、外遊先に向かう際に命を落としたと聞く」
ヴァンデラの顔が無念で滲む。
「何処の誰かは知らないが、彼女の死に我ら竜人族が関わっているとのたまった」
エルナの死の原因は、乗った馬車が崖からの滑落によるものだ。
落石と、崖の崩落が重なったことによる不幸な事故だ。だが、それすらも竜人族の仕業だという噂が流れたのだ。
「誓って、我らはエルナ姫の死に関わってはいない」
「・・・もしかして、私をここへ呼んだのは、それを是正するためですか?」
「それだけではないがな。・・・ただ、どうしてかな。昨日貴方の顔を見るまでは、エルナの名は出すまいと思っていた」
そう言葉を漏らすヴァンデラの目は、アスターシャのさらに奥の、誰かを見ているような気がした。
「話のところ済まない」
すっ、と後ろで座し続けていたドリューは、僅かの会話の間に割り込んだ。
「俺は今から狩りに出る。ここでお暇させてもらう」
「狩り、ですの?」
「さっき貴殿が食べた物もそうだ。我らは人間のように食肉を育てて生きているわけでは無いからな」
ここでアスターシャは閃いた。
「私もお供してよろしいですか?」
その言葉にドリューは表情を変える。
「今日からここで過ごすのですもの。自分の食い扶持くらいは自分で確保いたしませんと」
「ははは。いい心がけじゃないか。連れて行ってはどうだ、ドリュー」
ヴァンデラに対しても、ドリューは不満顔を崩さない。役にも立ちそうにない人間の小娘を連れて行くのは本意ではない。そんな表情だ。
「ヴァンデラ王の言う、竜人族の世界をこの目に収めさせる好機では無いでしょうか。皆様の生活をこの目で見ていきたいのです」
竜人族も食事を取る。そのための狩りだ。
「外の世界は危険です。素人の、ましてや人間の女には酷だと思われますが」
ここに来るだけで息を上げていたのを忘れているのか。そんな表情だ。
「私を連れて行かないのは、竜人族の生活の見聞を希望する王の意見に反することだと思いますが?」
アスターシャはにこりと笑顔を浮かべて、言った。
「・・・王のご意思とあれば」
ドリューは渋々、と言った様子で目を伏せるのであった。




