18・そして竜は従者と成る。
とりあえず、ひとまずの区切りです。
本来はこのあたりで完結、といきたかったのですが、どうしても書きたいシーンがあり、それは入れられませんでした。
それは最後の最後、アスターシャとドリューの旅の終わりの後の話。
続くかどうかは、・・・どうでしょう(笑)。
アルガス・ロッドランドはついに最後まで竜人族への謝罪の言葉を放つこと無く、この世を去った。
彼の亡骸はロッドランドの故郷に埋葬しようとするも、そこは既に廃村となっておりそれは叶わなかった。
遺体はロズタリアに送られ、ロッドランドが企てた一連の陰謀と共に、それは王家にも詳らになった。
王は側近の死と企みに、無念とショックを同時に噛み締め、娘の無事に胸を撫で下ろした。
マリエッタもまた、アスターシャの無事を心から喜び、また一緒に城内でお世話をできると歓喜に足を踊らせていた。
だが、アスターシャのとった選択はロズタリアへの帰還ではなく、ノルダッドに残ることだった。
アスターシャを狙う者がいなくなった今、その隠れ蓑として使っていたノルダッドに留まる理由はない。
だが、ロッドランドがしてきた罪。
竜人族への被害を鑑みると、はいそうですかと素直にロズタリアに戻ることは出来なかった。
街の復興。物理的だけでなく、心を傷つけた子供たち。それを癒やす手伝いを、僅かな力でもしたいと思っているのだ。
ヴァンデラはアスターシャの意見を尊重し、その後の行動に自由を与えた。ロズタリア王も、娘の決意と思いを汲んだ。
最初の約束である一年間。それもまだ半年はある。それまでは、ここで過ごす決意を固めた。
微力ながら、怪我をした竜人族の介抱。街の掃除。手伝えることならば何でも請け負った。
そんな日々は、忙しい時間と共にあっという間に過ぎていった。
そこで起きることは、喜ばしいことだけではない。
それを聞いた時、アスターシャは自責の念に囚われた。
街を一望できる、ドリューが気と身体を休める場所と言っていた場所で、それは聞かされた。
「ノルダッドの、戦士を辞める?」
ドリューの口からその言葉を聞いた時、アスターシャはそれが自分が少なからず関わったいるからなのだと、責めた。
「元より俺は剣を振るうのは嫌だった。その任から開放されるのなら、それでもいい」
と、あくまでもドリューは深刻さの欠片もなく、言う。
原因は、ロッドランドとの戦いの最中だ。
硬質の鱗すら貫くロッドランドの魔導により、貫かれた傷が原因だ。
貫通した熱は、ドリューの炎を生む灼火器官を損傷させ、摘出の手術を受けた。つまり、今のドリューは炎を吐くことは叶わず、すなわち灼甲の使用することも出来ない。
それは外敵から王や街を守る戦士としては致命的な欠陥となる。
著しく戦闘能力を欠いた戦士がいる道理はない。
「俺ははじめから騎士に思い入れなどないからな。戦わないでいるのなら、それに越したことはない」
今でもドリューの胸には、ロッドランドに貫かれた穴の傷。無数の傷が残る。
「・・・ノルダッドから、去るおつもりですか?」
「それも考えている。・・・故郷には帰れんがな」
以前言っていた。ドリューは住んでいた場所から腕を買われ、ここへ来た。
故郷の者からすれば、里を捨てた彼は裏切り者だと、も。
思い返せば、アスターシャはドリューのことを知らない。その故郷で何があったのか。
寡黙なドリューからそれを知る術は、ない。
「・・・私に、何かできることはありませんか?」
こんなに傷ついて。力を失い。
全て、自分の弱さが招いたことだったら。
謝罪してもしきれない。
「・・・何か罪の意識があるだとしても、それはお前の気に止むことではない」
ドリューの背中に添えた指先は、鱗の冷たさ。傷跡は、今貫かれたかと錯覚するくらいに、熱い。
あらゆるものを守ってきた、大きい背中。
「・・・アスターシャ?」
ドリューの背中に、アスターシャは頬を付け、体温を感じる。冷たい鱗の向こうには確かに血が流れ、温かい。
自分はこんな身体に守られてきたのに、私は何もできていない。彼か力を奪い去っただけだ。
その時。
ぱき、と何かが弾ける小さな音が聞こえた。
その音に驚き、アスターシャは思わず身体を跳ねさせる。
「うわわっ!」
「ぎゃっ」
草むらから悲鳴と共に小さな影が雪崩込み。
「あ、貴方達」
ジュレルを筆頭とする子供たちが、姿を重なり現われた。
「ほら、いいところだったのに!」
「お前が押すからだろ!」
「ドリューと先生、仲良し!」
嬉しそうに騒ぎ立てる子供とは別に、何故かジュレルは不機嫌そうで。
「ドリューのおっちゃんと先生は年が離れすぎているから無理だと思うぞ!」
どうやら子供たちはここでドリューとアスターシャが逢瀬を重ねていると勘違いをしているようで。
「俺と彼女は種族も違う。美的感覚もかけ離れている」
以前、そんな言葉を聞いたっけ。アスターシャの裸を見ても何も感情が振れることはないと。・・・もはや懐かしい出来事に感じる。
「今の時代、そんなことを言うのは時代遅れよ!」
ませた子供が、小さな胸を張って講釈を垂れる。
「種族も年齢も超えた男女の交わり。素敵じゃない!」
その子供は目を輝かせる。
ドリューも言っていた通り、竜人族と人間はお互いの審美眼はかけ離れたものであり、人間の女であるアスターシャは『そういう』対象では全くないのであろう。
命を賭してまで守ったのは、戦士である誇りから。王に命じられた使命感によってもたらしたものに過ぎない。
弱き者を守る。
それは時代が変わろうとも連綿と続く、竜人族の持つ仲間と繋がる気持ちが見せた幻影なのかも知れない。
深夜。
天には丸い月が浮かび、照らされた雲の形がはっきりと見て取れる。
静かな風が吹く中、隻眼が現れた影に鋭い視線を送る。
「・・・来たか」
背負った大剣を杖代わりに、グエルは腰掛けた足を持ち上げる。
現れたのは、ドリューだ。
「なんで呼び出されたか、わかるよな」
ドリューの腰元にも、鞘に収まった剣が下げられている。
武会に使用する、石舞台。
普段、研鑽を積んだ戦士が剣を交える場所。
ドリューとグエルも、何度も死線を交えてきた。
「お前に完全に力で勝ったと言わしめなければ、こっちはスッキリしねえんだ」
薄々、グエルもドリューがノルダッドを去ることを察している。
ドリューは無言で剣を抜く。彼も、そのつもりでここに来た。
他の地から突如やってきたドリュー。
グエルは、そいつが誰であろうと自分の強さに揺るぎはなかった。
だが世界の広さを知った。
まるで死を恐れていないかのごとく、ドリューは剣を振るう。
規格外に向ける刃に躊躇いはない。
自分という核のない、人形のように思えた。
だが、違う。
そこにはグエルには計り知れない彼なりの信念があって。それを曲げることなく剣を振り続けているだけだったのだ。だからドリューは強かったのだ。
「ここで俺に斬り伏せられてるようであれば、外の世界に出ても野垂れ死ぬだけだ!」
不器用な男による、手荒な送別。
でなければ、かつてグエルも身を挺してまでドリューを庇ったりしなかった。いや、そのときにはもう、ドリューを認めていたのかも知れない。
アスターシャのために命を張るその姿に、竜の戦士の誇りを見た。
月光が照らす舞台上に、赤い火花が咲く。それは自分たちの能力を著しく下げるはずなのに。
なぜだろうか。全然血が滾る。剣を打ち合わせることがこんなに楽しいと感じたことはない。
本来は、会場に観客を入れ、生と死の間で振るう剣舞を目の当たりにさせる。
この命を奪うやり取りの上、守られているのだと。
何度目かの剣の交錯。
「・・・相変わらず、死角を狙わねぇ。フザけた剣だ!」
潰れた目の影を決して突かない。その甘い騎士道とも言える矜持は、外の世界では命取りになる考え方だ。
「なら、俺はてめえの胸を狙っても、文句は言うなよ!」
灼甲を失ったドリューは、これまで以上に剣の動きを見極め、その速度を追わなければ死に繋がる。
愉しそうに、グエルは剣を振り切り。
ドリューはそれを受け、弾く。
「そんなんで、外の世界でやっていけるのかよ!」
「剣を振るうことだけが、竜人族の仕事ではない!」
「俺達は、戦いしかない世界で生まれた生粋の武人だ!戦うことを忘れて生きてはいけねえ!」
「それだけではないと、道を探すための旅だ!」
きっと。戦いだけではない。
竜人族がこの世界に来た意味。人間と関わり、言葉を手に入れた祖が示した世界。
それはかつての竜人族と、かつてのロズタリアの王が結びついたように。
きっと、それだけ意味があることなのだと、ドリューは思う。
剣の乱打音はその晩、夜が明けるまで永劫に続いたという。
3年が過ぎた。
その時は、長いようで短い。
竜人族にとっては僅かな時間でも、人間にとっては容姿も、心も、生き方も変わるほどの時間だった。
今、ドリューが振るうのは剣ではない。
ノルダッドを離れ、おめおめと帰ってきたドリューを、かつての仲間は彼を受け入れ、ノルダッドとは違う標高の山に住まいを構えていた。
ノルダッドとは遥かに規模も違う。
のどかな空気がそこにはあった。
今、ドリューが振るうのは剣ではない。剣を鍬に持ち替え、田畑を耕し、作った野菜で生計を立てている。
今日も、青空が雲を流している。
竜人族が山間に居を構えるのは、かつての記憶を本能的に体現しているからなのではと、たまに思う。少しでも、元の世界に近づくように。
「おーい。ドリュー!」
鍬を土の中に突き刺した時、遠くから呼ぶ声が聞こえる。
同じく鍬を肩に担いだ竜人族の男だ。その表情は、何故か困惑したものを浮かべていて。
「お前にお客さんだぞ!」
・・・こんな辺境の地に?
不可解なものを感じながら、ドリューは鍬を降ろした。
3年の月日は、確実にその姿を変える。
目の前の少女はドリューにとって昨日の記憶の中の少女のままのようで、確かに違う。
少女は少し気恥ずかしそうに、その頬を染める。
「・・・お久しぶりですね、ドリュー様」
幼かった面影は遠くに。
透けるような蜂蜜色の金糸は、あの頃よりも輝きを増し。束ねた髪の房は、天に掛かる月よりも輝いて見え。
「・・・あ、ああ」
ドリューは思わず言葉を詰まらせ、気のない返事を返すので精一杯だった。
思えば人間の成長を始めて感じた。
背も、伸びた。身体付きも変わった。
その姿は一端の戦士のような軽装鎧に身を包み、腰にはあの時見たものと同じ剣を下げて。
そして。
美しくなった。
竜人族の美意識は、人間とはまるで異なるもののはずなのに。寝食を共にした僅かな間でその美的感覚をも変えられたのか。
目の前の少女は、いや、もう少女と呼ぶには憚られる程に成長した彼女は、小首を傾げ黙りこくっているドリューに疑問の表情を投げかけた。
「・・・ドリュー様?」
その声に意識を引き戻され、ドリューは目の前の彼女に焦点を正す。
「・・・久しぶり、でいいんだったな。アスターシャ」
彼女、アスターシャは薄い微笑みでドリューの問いに答えたのだった。
テーブルを挟んで向こう側にアスターシャ。
木をくり抜いたカップに、温かい湯気が張る。
薄緑色の、香り高いハーブティー。
それを優雅な仕草で口元に運ぶ彼女は、さすが一国の姫といった様子。
その一連を窓の向こうから無数の竜人族が様子を見るためか、顔をのぞかせている。
誰だ。
昔ドリューが世話になった国にいた人間らしい。
ドリューも隅に置けないな。
そんな薄い声が壁の向こうから聞こえてくる。
「・・・よくこんなところまで辿り着けたものだ」
ノルダッドとは別の過酷さがこの地にはある。
何よりここはロズタリア、ノルダッドからも海を隔てた僻地にあるからだ。
見た所、お供の人間も見受けられない。
「ノルダッドからの3年で、自分なりに強くなったつもりです」
ドリューがアスターシャの1年の期限を待つ間もなく、彼はノルダッドを去り。
1年の期間の終わりを迎え、アスターシャは深い決意でロズタリアに戻った。
ごっこ、ではく、真似事でも無く。
アスターシャは本格的に剣の修行に従事した。
己を磨くため、強くなるため。
旅の過酷さに負けないよう。くじけぬよう。何より、過去の自分に負けないように。
もう、震えて見ているだけの女ではないつもりだ。
奇しくも城にはロッドランドが遺した魔術書が無数にあって。
エルナ、ローザ。そしてアスターシャへの愛の言葉と共に。
様々な魔導をも習得した。旅をするには困らないほどの知識も身につけ。
人間は成長をする生き物だ。
苦難や迷いを越え、己を高める。・・・親しい人間との別れもその糧になり。
美しく成長し、あの頃の幼さと、か弱さは見えない。そこに海を、山をひとりで越える強さを見た。
「私が貴方に会いに来たのは、お願いがあったからです」
アスターシャはその端麗な顔をぐい、と迫らせ。
「私の世界を回る旅に、ドリュー様に同行して戴きたいのです」
ロズタリア王家に受け継がれる仕来り。
王としてふさわしい器を磨くための、見識を広げる旅。
ローザ、そして名も知らぬ竜人族と繋がった、かつてのロズタリアの王のように。
そして、アスターシャにもその仕来りは受け継がれていて。それはロッドランドの意思とは反するもので。
「私はこの旅、ロズタリアの仕来りにはきっと意味があるのだと思うのです。私のずーっと昔のお祖父様と、ドリュー様のずーっと昔のお仲間が出会ったのも、運命だと」
それは、ただの偶然と切り捨てるには、あまりにも両者の運命を捻じ曲げ、変えた。
「その旅に、ドリュー様についていただきたいのです」
いつか、ノルダッドでアスターシャが言っていた。いつかドリューの生まれ里に行きたいと。そして、その時にはドリューを従者にすると。
順番も何もかもあべこべだ。彼女はひとりでここまで来れる程に成長した、自分がアスターシャ後ろに付いて回るまでもなく、強くなった。
「君の従者を、俺にやれと言いたいのか」
「はい!」
何の躊躇いもなく、屈託なく。
頼りにしてくれることは、正直嬉しくない訳が無い。元とは言え、それは戦士に身を置いていたドリューには誉れな言葉だ。
「俺は、竜人族の戦士の根幹を成す、灼火器官を失った」
火も吐けない。それを利用した防御手段も取れない。強さに関して言えば、全盛期の自分を優に下回る。剣を鍬に持ち替えてから修行も怠っている。
「いざという時も、君を守れないかも知れない」
アスターシャは意地悪そうに微笑み、胸を張る。
「その時は、私が守って差し上げます」
かつての彼女なら、絶対に出ない言葉だった。
それが竜人族の逆鱗に触れるような生意気な言い方ならば、その言葉を真に受けることはなかっただろう。
彼女は竜人族が傷ついたことを心底恥じ、心を痛めていた。
その強い言葉は、今度は自分の番だと言っているようで。
・・・また、俺に仲間を裏切れと?
勝手に出ていった自分を、彼らは再び迎え入れてくれて感謝しかない。彼らを置いていくのが、ドリューは心残りで。
「ドリュー様も、旅を通じて強くなればいいのです。お互いに強くなりましょう。これは、そのための旅です」
・・・言うようになった。
その言葉は、確実にドリューの今はな胸の中の火を灯してくるようで。
「私には夢があります」
突如、アスターシャはそんな言葉を口にした。
「私は、この世にいる全ての竜人族と会いたいのです」
真っ直ぐで穢れのない瞳。それは揺るぎなく、逞しい。
今でも全ての竜人族が人間に友好的な訳では無い。歴史がそれを証明している。アスターシャはある意味運が良かっただけだ。
そして、その夢の先には黄金色の鱗の一族もいる。
彼らと出会った時、彼女は冷静でいられるだろうか。愛する親族にも近しい人間を深い闇に落とした、竜人族を。
・・・大丈夫だろう。
だとすれば、全ての竜人族に会いたいなどと言うはずもない。
ドリューは籍から立ち上がる。
「・・・ドリュー様?」
「この地を去る許しを村長に進言しなきゃならん」
その言葉を聞き、アスターシャその顔に花のような笑みを浮かべた。
「ならば話は早いです!」
アスターシャもドリューに続き立ち上がり、
「私も行きますので、許しを貰いに参りましょう!」
押し出すようにドリューの背中を押しながら、アスターシャの手が扉へと追いやる。
その腕は、かつての細く頼りないものではなく、むしろ頼もしいものに感じた。
「宜しくお願いしますね!ドリュー様!」
先走るその言葉に、ドリューは困った顔で応えるのであった。




