14・黒い悪意、襲来する。
その本の内容は、この地に降り立ったかつての竜人族と、人間の男の出会いが記されていた。
「その話の中に出てくる竜人族は、我々の仲間。人間も、君の遥か遠い祖先だ」
アスターシャのページを摘む指が震えている。
「『約束の地』に刻まれていた文言は、実はさして重要ではない。あれは、その男に文字を教わり、刻んだ勉学の跡だ」
竜人族がこの本の示す通り、言葉を持たない種族だったのにもかかわらず、彼らが人間の言葉を発する理由。
長い時を掛け、文字、言葉を会得し、交流を図れるまでに進化した。壁や石碑に刻まれた文字hあ、それの努力の跡だったのだ。
「我々が貴方たちロズタリアに感じている恩義は、これだ」
荒ぶり、戦うことでしか他者と交わることをせず、命を刈り取ることを業とする種族で終わらなかったのは、彼の男の助力があったからだ。
「・・・しかし、あなたたちは、私たちロズタリアこそが竜人族に恩、借りがあるとおっしゃいました」
だからこそアスターシャはこのノルダッドに連れてこられた。恩義を返すまでの担保として。
ヴァンデラは指先をひとつ立てる。
「ここからが本題だ」
今までにない雰囲気に、アスターシャは息を飲む。
「数ヶ月前、君の父からの打診があった」
「・・・お父様が?」
ヴァンデラは僅かに首を縦に動かし、
「『我が娘が何者かに狙われている。その正体と目的が判明するまで、娘の身柄を匿ってほしい』、と」
その告白に、アスターシャは驚きを隠せず、表情を曇らせる。
「私の、危機?」
真っ先に、先日の黒尽くめの襲来が思い浮かぶ。ドリューも、その刃こそドリューに向かっていたものの、その実はアスターシャを見ていた、と言っていた。
「娘を想う親の憂いと思ったが、私もロズタリアを襲った過去の事例を思い返せば、ないこともないと感じていた」
「・・・どういう、ことですか」
ヴァンデラは目を伏せ、過去を回顧する。
「君の祖母であるエルナ姫が事故で亡くなったこと、君を産んだ直後に君の母も亡くなった。父親としては、君の安否を心配しないはずはないだろう」
立て続けに起きた悲劇。それは偶発的なものであるのか。
ましてや、アスターシャはいずれ王の座に就くための旅に出る身、とヴァンデラが言う。
「君の不安を煽るまいと黙っていたらしいが、君を遠間から監視するように見つめる目を見たと証言している者もいたらしい」
・・・まったく気が付かなかった。
「我々は、竜人族への恩義を返してもらうという名目で、君をこのノルダッドに呼んだ。原因が究明するまで守るために、ね」
「でも、お祖母様は事故死で、お母様も病気で・・・!」
そこに誰かの手が介在しているとでも?
「直接の原因はね。だが、事実など誰にもわからないさ。わかっていることは、狙う、狙わないかかわらず、君を見る何者かの目があるということだけだ」
「・・・それだけのことで、私たちのことを助けてくれるのですか?」
アスターシャを狙う目は、確定したものではなかったはずだ。
「・・・かつて、ロズタリアが危機に瀕し、竜人族の力を借り魔族を追い払ったという話は?」
「ありもしない作り話だよ。いつか、こんな日が来るだろうと、『彼』が仕込んでおいた、嘘だろう」
最初の竜人族と繋がったその男は、そこまでのことを考えていたというのだろうか?
「人間に対し、我々が英雄視されるような状況にしたかったのだろう。我々としては、そこまでの高望みはしていなかったのだがね。・・・今の時代でも、そこまでの改善はされなかったが」
今も竜人族と人間の関係がそこまで深い仲になっているかと問われたら、そうではないからだ。
「・・・だが、先日の襲撃者の件で奴も尻尾を出し始めた」
アスターシャ、ドリュー。どちらを狙っているにせよ、確実にそこには相手を死に至らしめるような意識があって。
「安心して欲しい。そのために我々がいる。必ず守り抜いて見せるさ」
アスターシャの表情は晴れない。
「・・・そのために、誰かが傷つくなんて、耐えられません」
闇夜に閃く刃がドリューの肌を捉え、滲む鮮血。
「やはり貴方は優しい、な」
その懐かしむようなヴァンデラの目は、アスターシャの祖母と重ねているのだろうか。
「だからこそ、子供たちも君に心を許している。君は自責の念を負いすぎている。その心根は、誇るべきだ」
不思議とそのヴァンデラの言葉は、すっと胸に染み渡る。穢れのない子供たちの笑顔と共に胸に染み渡る。
「貴方は今まで通り、過ごしてもらいたい、国を出ることはまだ勘弁してもらいたいがね」
と、ヴァンデラは意地の悪い笑みを浮かべたのだった。
それから数日の時が流れた。
血相を変えた兵士が城に飛び込んできたのはその時で。
「王!人間の一団がこのノルダッドへ!・・・あの黒尽くめの姿も確認されています!」
「・・・来たか」
言いながら、ヴァンデラは玉座から腰を上げる。
「姫の守りを固めろ。私は新たな客人を出迎える」
そう言いながら、ヴァンデラは王の間を後にする。
にわかに騒がしくなる王宮内。
今しがたも竜人族の兵士にアスターシャに部屋の中へ留まるように促されて。理由を聞いてもその兵士は険しい顔をしたまますぐに駆け出して行ってしまった。
部屋の中にいても感じる嫌な空気の中、アスターシャはその竜の戦士の背を見送る。
また、誰かの迷惑になるかも知れない。
アスターシャはヴァンデラの言葉を思い出す。
このまま黙って部屋の中に閉じこもっていることは出来なかった。
「何の用かね。随分と物騒な仲間を引き連れて」
ノルダッドの入口の門に、妙齢の男性が立っている。
背後には黒尽くめに身を包んだ影。その数、両手の指で数えほど。
「こちらにいらっしゃる、我が国の姫を引き取りに来た。有り体に言えば、遊びは終わりです」
ロッドランド大臣の口元が、僅かに歪む。
「その割には、後ろにいる人間はロズタリアの騎士には微塵も見えませんがね」
ロズタリアの騎士も、まだ竜人族の存在に戸惑いは見せるものの、悪戯に殺意を垂れ漏らす存在ではない。アスターシャの信じる、誇り高いものであるはずだ。
鋭く、警戒の交じる目で、ヴァンデラが物々しい殺気を放つ黒尽くめの集団を見る。
「聞いているぞ。闇の世界に名を馳せる、暗殺集団『黒套』」
「わかっているのなら話は早い。怪我をする前に姫を引き渡しなさい」
「・・・嫌だといったら?」
ヴァンデラの言葉に、ロッドランドは口元を僅かに釣り上げ、
「この世に必要のない存在の消滅が、早まるだけだ」
その口の端に、邪悪な笑みを浮かべた。
廊下を駆けるアスターシャの耳に、悲鳴が届く。
その理由は、竜人族の戦士が黒尽くめと刃を交えていたからだ。
「・・・これは、一体?」
あの夜見た、全身を黒で包んだ影と竜人族が剣を抜き、戦っている。
竜人族の剣は重く、強い。だが、黒尽くめの剣はそれより疾い。
一太刀の間に、竜人族の戦士が斬り伏せられ、野太い悲鳴とともに地面に倒れ込んだ。
戸惑いの声を漏らすアスターシャに、別の黒尽くめが気付いた。
その姿が掻き消えるほどの速度で、アスターシャの背後に回り込む。それにアスターシャが気付いた時には、背後からの気配に口元を塞がれ、腕を早業の如く掴まれ。
それに抵抗しようと身をよじった瞬間に、足元が浮遊する感覚。
アスターシャの身体を拘束したまま、黒尽くめに持ち上げられる瞬間。
アスターシャの手の戒めが何故か解け、ざあっ、と地滑りを起こしながら黒尽くめが間合いを取る。
早鐘のように鳴り、動く心臓と鼓動の中、瞬時に周囲の状況を見ると、アスターシャを覆うような影が見える。
「・・・ドリュー、様」
現れた竜の戦士に、黒頭巾を僅かに覗く目の色が変わった。
剣を構え、殺意を隠そうともせず。
それに呼応するように、ドリューも無骨な剣を引き抜いた。
両者、息を整える間もなく、弾けるように、駆ける。
一太刀目の刃が交錯した瞬間。あの夜にも見た両者の鋼が軋み、咲く火花を太陽の元でも生み出す。
変わらぬ相手を殺めるためだけの斬撃。黒尽くめの攻撃は、目の前のドリューを斬り伏せるのに何の躊躇いも見せていない。
それを、ドリューは受ける剣舞で、いなす。
穴も隙もない、雨粒のような剣の嵐。
その乱舞のなか、ドリューの剣が一閃。
それを受ける黒尽くめの身体が僅かに揺れ、剣を持つ手が構えを維持できなくなった。
ドリューには、その僅かな隙で十分だった。
どっ。
鈍く、重厚な音。
それが、ドリューの剣を持たない反対の手を握り込んだ先端が、黒尽くめを捉えた。
吹き飛び、地面に叩きつけられる黒い塊。地面から吹き出た砂煙がその威力を物語る。
電光石火の刹那。
先ほどまで一糸も乱れぬ剣の嵐を産んでいた黒尽くめは、一瞬でその動きを止めた。
「・・・日が見えていれば、どうということはない」
にべもなく言うと、ドリューは手早い動きで気絶している黒尽くめを縛り上げる。
その最中、ドリューはアスターシャに厳しい目を向ける。
「部屋で大人しくしていろと言われたはずだと思うが?」
それを黙って従えないくらいに王宮内がざわめいていたのもある。
「・・・一体、何が起きているのですか?」
「嫌な予感が現実になった。今までにない危機がこの国を襲っている」
それが、自分を端にするものなら。アスターシャの身体は震え、動けなくなる。
「君に非はない。・・・部屋に戻っていろ」
アスターシャは勇気を絞り出し足を振るい立たせた。
「私も無関係でないのなら、逃げてはいけないと思います」
その決意が揺るがぬものであるのは、ドリューも承知なのだろう。明らかにその顔は表情を変えたが、何も言わなかった。
「・・・子供は?」
「他の仲間が安全な場所に退避させてある」
それを聞いて、アスターシャは安心した。
いや、安心などまだ出来るはずもない。
あちこちで剣の噛み合う音が聞こえているのだ。黒尽くめの襲来を、竜人族の戦士が応戦している。
無論、竜人族が黒尽くめに襲われる理由など、思いつかない。
アスターシャは、ドリューに守られながら目的の場所、騒動の中心へと向かった。
アスターシャは信じられない目で、何かが頭の中から崩れ落ちるのを堪えながら、その光景をかろうじて目の中に収めている。
そこにいたのは見知った顔で。幼い頃からお世話になり、頼りにし、国のために尽力し、身を粉にし、いつも自分に笑いかけていた、仲間。
ある意味、もうひとりの親と呼べる人間だ。
「ロッドランド大臣」
その、見知った顔がノルダッドにいるのもさることながら、その壮絶な光景は、アスターシャは目の前の人物が本当に自分の記憶の中の影と一致しているのか、それすら疑わしい。
「おお、姫。お迎えに上がりました」
いくつもの竜人族が、地面に倒れ伏せている。
貫かれ、裂かれ、斬られ。
鮮血が地を汚し、建物の外壁こびりつき。嫌な匂いが鼻を突く。
見覚えのある顔が、息も絶え絶えに背を地面に預けていて。
その光景に、ドリューも目を見開き、絶句している。
「・・・一対一の戦闘なら、我らが遅れを取るはずはない。ましてや明るいうちの戦闘では」
「・・・気をつけろ、その人間、相当な魔術の使い手のようだ」
砕けた建物の中から、身体を傷だらけにしたヴァンデラが現れる。
「王!」
ドリューが駆け付け、その身体を支える。その支えた手がみるみるうちに、血で溢れる。それと比例するように滲む、ドリューの怒りの表情。
飛び出しそうになるドリューの肩を、ヴァンデラが抑える。
「・・・貴方は、本当にロッドランド大臣なのですか?」
アスターシャが震える声で、聞く。
なぜ、こんな凄惨な光景を目の前にして、そんな笑顔を浮かべていられる?
ロッドランドは魔術、法術、精霊術に長けた、知の賢人だ。その知識で何十年とロズタリアを支えてきた、ロズタリア王の最側近。
若き日のロッドランドは、その潤沢な知識で、幾重にも降りかかる困難も乗り越えてきた。
怪我をした者の治療など、救護隊が来る前にその術で癒やしてみせる。唯一治せないのは死であると自他ともに認めていた。
なのに、倒れる竜人族を治しもせず。あまつさえ、その類まれなる才能を傷付ける道具にした?
なぜ?
わからない。
あんなに優しかったロッドランドが。
「そうですよ?幼き頃から貴方の側におりました、アルガス・ロッドランドにございます」
まるであの頃と同じように、ひとりで部屋で本を呼んでいた自分を慰めるような、優しい笑顔。
それが今は邪悪で、醜悪に映った。




