12・竜の国を覆う黒い陰りは。
アスターシャとドリューが謎の黒尽くめに襲われた次の朝。
ノルダッドの王宮、会議の間。
そこには当事者であるふたりの他に、ヴァンデラ、グエル、ドモロ。他にも数名の竜人族が顔を突き合わせていた。
「お前がいながらみすみす侵入者を取り逃がすなんてな。夜目が効かなかったなんて言い訳なら聞かねえぞ。不名誉な傷まで置き土産にもらったときた」
忌々しそうに吐き捨てるのはグエル。
「そ、それは。私を守ろうとして」
ドリューは、背後に追いやるアスターシャを庇いながら剣を構えた。相手を斬り伏せる戦いではなく、アスターシャを守る戦い方をした。
緊迫しかける空気を、ほほ、と柔和なドモロの笑い声で押し出される。
「それにしても、あんな夜中にふたりして中庭なぞに。もしかしたら、デートかな」
その言葉に、アスターシャの顔が瞬時に赤く染まる。
「い、い、いえ!あのそれは」
デートよりも口にするのも憚れる理由を、この場で言うわけにはいかない。
「それはともかく」
そんなアスターシャの戸惑いを切り、ドモロがその場にいる者で囲むテーブルの上に視線を向ける。
それは、一片の金属片。
黒尽くめがドリューに放った斬撃を、灼甲にて捻り折った剣の残骸。
それをグエルが指で摘み上げる。
「これは俺達竜人族では鋳造出来ない。悔しいが、高い技術が使われている。・・・すなわち人間の」
竜人族の用いる武器は、武器の形の型に溶かした金属を流し込み、量産する方法が主だ。
元より戦闘能力の強い竜人族にとって、武器は己の手を煩わせずに攻撃できる手段でしかなく。使い捨ての気風が強く、その武器は質よりも量を重んじる。
対するこの剣は、その残骸の刀身ですら触れれば切り裂きそうな光を放ち、質の高さが伺える。
「わかるか?何が目的かは知らんが、少なくともお前たちを襲ったのは、人間、ということになる」
こんな形も良く、殺傷能力の高い剣を生み出せるのは人間しかいない。
その言葉と事実は竜人族に、僅かに燻る人間への不信感を大きくさせるものには十分なもので。
このノルダッドに無礼にも足を踏み入れ、竜人族に刃を向けた。
「そして何より、このグレートピークの過酷な環境を乗り越え、ノルダッドに辿り着けるほどの強靭な肉体を持つ」
それは昨夜の戦闘を見てもわかる。
素早くも早い、的確に急所を狙う軽やかな剣捌き。あれはただの人間の持つそれではない。鍛え上げられた戦士か。
「俺達は、人間への付き合い方を改める時間、帰路に立っているんじゃねえのか?」
言いながら、グエルはアスターシャへと細めた、鋭い目を向ける。
ざわめく会議の間。
恐らく人間と同様、竜人族全員が人間に好意的なわけでもないだろう。どこかに人間を憎む竜人族がいるのかもしれない。
だけど。こんなことで。
人間に興味を持つ竜人族の気持ち、その逆の気持が途絶えていいはずがない。
実際何者かが、恐らく人間の刃がドリューを襲った。それは疑いようのない事実で。
「とりあえず」
ぱん、と手を打ちながら、ヴァンデラが険悪になりかける空気を打ち破る。
「アスターシャ姫への警護を強化させよう。彼女は、大切な我々のお客さんだ」
その言葉にも、ドリュー以外の不穏な空気が完全に晴れることはなかった。
「アンタは、今回の件。何か知っているんじゃないのか?」
ふたりの影のみが残る会議の間。
目を伏せ、無言のヴァンデラにグエルが問いかける。
「・・・どうかな」
その短くも望む答えではないそれに、グエルは納得出来ない表情をその顔に浮かべる。
「そもそもの発端となった、人間の女をこのノルダッドに招いたこと」
ロズタリアとかいう人間の国の、人間の娘。そんな人間が、長い歴史から見ても、国の敷地を跨がせるという異常とも言える状況はなかった。どこまでの価値があの女にはある?
「それは前にも言ったろう?我らに対する恩を、ロズタリアから返してもらうための担保だと」
その人間への恩も、グエルどころかヴァンデラ、ドモロが生まれる前の話だ。
そもそも、我ら竜人族は人間などの他種族と関係を持たずとも、生きて行ける。
「それほど大切な、重要視しなきゃならねえ人間なのか。あの小娘は」
そんな、かつてに結んだ約束など律儀に守る必要もない。竜人族サイドも、そんな人間の力など必要としない。
「私は感謝しているよ?人間に。でなければ、我々はまだ同胞に手をかける野蛮な種族に成り下がったままだろう」
この世界に規格外という、その領域にまでたどり着けなかった仲間が残っていることを含めて。それを思うと、彼らが可哀想とすら思える。
竜人族の進化は、その獣の域にいる規格外へ手向の剣を手に入れた。
「とにかく私は信じるよ。当時の我々の仲間が人間と交わした約束を。繋がりを。そして、人間自体を」
ヴァンデラの目は、どこまでも真っ直ぐで、澄んでいた。
「・・・傷の具合は、いかがですか?」
「問題ない」
アスターシャの問いに、ドリューは胸元に指先を這わせながら、何の抑揚も無く答える。
月夜の中、白刃が切り裂いたドリューの緑鱗には包帯が巻かれている。生活には支障がないようで、安心した。
アスターシャの脳裏に浮かぶ、全身を黒で包んだ侵入者。
「・・・何者、なのでしょう」
殺意を纏った刃を軽々しく振るえる。相手に刃を向けることに躊躇いを見せなかった。
闇世の中、黒尽くめから僅かに見える目はどこまでも深く、冷たく命を見ていなかった。
「奴が何者かは知らんが、少なくともその刃から伝わる殺意は本物で、確実に俺の急所を狙ってきた」
それはすなわち、ドリューを亡き者にしていたという目的以外はなく。
「竜人族に恨みを持つ人間の仕業、でしょうか」
だとすれば、悲しい。
例え自分の意にそぐわぬ存在だったとしても、力により排除する思考に行き着く理由がわからない。
「いや」
アスターシャの考えを、ドリューは短く否定。
「これは俺の勘だが、昨日の逆賊は、君を狙っていたように思う」
言われている意味に思考が追いつかず、アスターシャは言葉を紡げない。
「俺に刃を向けたのはただ障害を払うためでしかなく、その先には君への意識が働いているように感じた。確証もないがな」
じゃあ、あの黒尽くめの本当の目的は?
アスターシャの心に、不可解な暗雲が立ち込めたような気がした。
ノルダッドでアスターシャの立場が危ういものになってきたのはそれからだ。
長いノルダッドの歴史の中でも、その領地に来賓扱いであるアスターシャ以外の人間が現れる、それも深夜。
人間への不信感を抱く者が現れても不思議ではなく。正確には、仲間ではなく命を賭して人間を守ることに対して、だろう。一般兵にとってはアスターシャどころかロズタリアには恩義のひとつもない。王の命令にただ従っていただけ。
ドリューという手練れですら、その身体に傷を負った。歴戦の戦士が撮り逃した相手を、一般兵が追いつける相手だろうか。しかも、再び現れないとも限らない。
アスターシャがこのノルダッドに来てから、今までにないくらいに活気が失われていて。
アスターシャは街に行くことを許されす、自室に半軟禁状態となる。
ジュレルをはじめ、自分を慕ってくれた子供たちの顔が思い浮かぶ。
王宮には面会を求める子供が詰めかけたという。
原因、そしてその脅威が根本からなくならない限り、アスターシャの立場が復権することはない。
部屋のベッドに腰掛けたまま、鞘に収まった剣を手に見つめていた。
「逸ったな」
責めるような、咎めるようなロッドランドの言葉。
現れた黒い影に放たれる言葉は、蝋燭のゆらめきと共に空虚に溶けた。
「不可思議な力により、剣が破壊されました」
「・・・魔導の心得もない、力だけの低俗な種族と舐めてかかったな」
人間を越える竜人族の力は、その馬鹿力だけではない。
様々な魔導式を利用し、自然の元素を操りそれを魔導という形で放出できるのは人間の持つ細やかさな技術があってのことだ。
そんな繊細な術式を、竜人族は操れない。
ただ、奴らは体内の器官を利用して、核熱爆破を起こせる。
灼甲とかいう、熱を伴った爆発だ。それにさえ気をつければ、鉄の塊を振り回すだけの巨大なトカゲだ。
それを軽んじ、功を焦った奴らの早計。無論、奴らにそのような感情があるかは覆った黒い頭巾の上からは伺い知れないが。
目の前で傅くこの者も、それを知らないはずはなかっただろう。もしくは、この者も竜人族を低俗な所属として軽んじていたのか。
「高い金を払って雇っているんだ。これ以上の失策は許さんぞ」
怒気を孕んだロッドランドの声。
それにも黒い影は微塵も感情を動かすことはなく、膝を立てている。
「・・・予定は狂ったが、計画に滞りはない。ならば早めるのみ。・・・行きなさい」
やがて薄暗い室内には、ロッドランドのみの気配が残る。
「・・・『黒套、か。職務に忠実な、暗殺集団』」
ロッドランドの悲願を叶えるには、竜人族と同等の、それを越える戦闘能力が必要で。
裏の世界に名を馳せる、暗殺集団。その行動原理は、金だけだ。
もうすぐだ。
竜人族という穢れた手から解き放たれ、エルナ姫の写し鏡を手に入れる日は、近い。
アスターシャが心に烟るもやもやを振り払うように、中庭で剣を振るう。
もしまた何か危機が襲ったら、自分も力になれるとは思わないが、自分の身を守れるくらいには。それすらも甘い考えのように思う。
「はあ、はあ」
アスターシャは肩で息を吐く。
毎日の日課も、楽しくない。
何のために剣を振るうのか。誰のために剣を手にするのか。わからなくなる。
「精が出ますね。お姫様」
そんな声がアスターシャの背後から聞こえた。
振り向くと、そこにはヴァンデラがいた。珍しいその来客に、アスターシャは少し戸惑い、驚く。
「剣の稽古を絶やさない。立派だ」
でも、その剣が相手を傷つける。そして、ドリューも傷ついた。
「ところで、私とデートしないか?ドリューばかり、不公平だ」
昨夜の夜のことを言っているのだろうが、当然そんな事実はないし、そんな意識もない。それを否定する気力もない。
「私に付いてきてくれないか?」
そう言って、ヴァンデラは背を向ける。
「私たちがこの世界にいる理由。ノルダッドとロズタリア。両国の関係。そして」
ヴァンデラは不敵な笑みを浮かべる。
「貴方が、このノルダッドに来た本当の理由だ」




