10・時が交錯するこの地で。
「勇気と無謀を履き違えているようだな」
開口一番、アスターシャに向けられた言葉は厳しいものだった。ドリューの目は、どこか責めるような。
それは深く反省しなければいけない部分だ。ドリューたち竜人族と一緒にいて、強くなった幻想を抱いて、約束を破り先走り。
アスターシャの錯覚は、バルボアに通用するどころか、剣を持つ手は震え、ままならなかった。今考えれば、よくそんなのでジュレルを助けに行こうと思ったものだ。無謀以外の何者でもない。
ドリューはこちらも見ずに、地面に横たわるバルボアを解体している。それですら、ノルダッドにもたらす恵みだからだ。
流石に手際が良い。躊躇いもなく刃を走らせるその姿は竜人族の戦士のそれだ。
濃密な緑の中で聞こえる、肉を引き裂く音。それを掻き消すようにジュレルが立ち上がる。
「おっちゃん!俺が悪いんだ!俺が勝手に飛び出したのを追いかけてくれただけで!」
そのジュレルの抗議をドリューは目で制する。
「ここに来るまでに聞いた。『約束の地』が目的だともな」
「・・・『約束の地』?」
聞き慣れない言葉に、アスターシャはその単語を繰り返す。
「君たちが行こうとしていた場所の名だ」
「一度行ったことあるけど、そこは壁一面に文字が刻んであって、全部は読めなかったんだ。大人が言うにはそこに書いてある文字に関係しているって」
ドリューとジュレルがそれぞれ言う。
バルボアを解体し終え、ドリューは切り出した肉を葉で包み、残った亡骸を土に埋める。
「なあおっちゃん!俺達を約束の地へ連れて行ってくれよ!」
ジュレルは力を込め、ドリューに詰め寄る。
「あそこに刻んである文字は、今の時代に住む者には読み取れない古い字体だ」
その遺跡がかつてから存在するのものなら、字体も当然当時のものだろう。
でも、そこに人間の文字が残っているのなら、興味がわかないはずがない。
それが竜人族とロズタリアを繋ぐ何かがあるかもしれないのだ。
「・・・私も、行ってみたいです」
幸い今はドリューがいる。彼には負担を掛けてしまうだろうが、これはある意味好機に思えてならない。
ドリューは引き絞るジュレルの顔を、期待と不安に満ちたアスターシャの顔を交互に眺め、やがて嘆息する。
「・・・疲れが落ち着いたら行くぞ。敵意の気配がない今がチャンスだ」
アスターシャとジュレルは顔を見合わせ、思わず手のひらを打ち合わせたのだった。
先頭をジュレル、真ん中にアスターシャ。殿をドリューという隊列で森を征く。
後方からの道案内に従って、ジュレルは小さい腕に短刀を手に、前方の茂みを刈り取りながら、アスターシャを導く。
「凄いですね、ジュレルさん」
その小さな背中はまだまだ幼く未熟だが、枝葉を刃で落とす姿は立派な竜人族の戦士のそれに重なる。
すると、ジュレルは翡翠色の鱗に僅かな赤みを刺しながら、
「べ、別にすごくないし!こんなの当たり前だし!」
煌めく短刀が空を切る。その姿が可愛らしくて、アスターシャは思わず笑みを零したのだった。
その遺跡は、長い年月を越えてきたのだと思わせる趣が窺えて。
岩肌にポッカリと開いた穴の先に、明らかに何者かの手の加わった石壁が連なる。
「入口自体は岩で塞がっていたのだが、豪雨と地震で崩落したことによりこの遺跡の存在が露わになったと当時の記録にある」
ドリューが遥か頭上すら越える洞穴の入口を見上げながら言う。3人はゆっくりと遺跡に足を踏み入れる。
入口はあんなに大きかったというのに、そこに踏み込んだ瞬間に世界が変わったかのように陽の光が届かない世界になる。岩肌が上手い具合に陽の光を遮っている。
「おっちゃん。明かり灯してくれよ」
遺跡には当時の、発掘作業の跡がある。壁に燭台が無数に取り付けられていたり、焚き火の跡。ドリューは懐から取り出した黒い石に短刀を擦り付け、産んだ火花で僅かに残る背の縮んだ蝋燭に炎を灯して行く。
「ほら!すごいだろ!」
自分で見つけたわけでもないだろうが、ジュレルは嬉しそうに遺跡の中を駆け出す。
遺跡は大きなホールのように広く、雨風をしのげるのはもちろん、ヘタをすればここにひとつの集落が作れるくらいに、広い。
明かりによって灯り始めた炎により、壁に刻まれた奇妙な紋様が際立ち始める。それは溜息が出るくらいに壮観で。
壁だけではなく乱立する石碑にも同様に文字が刻まれ、苔生す緑の化粧が遥か長い時、この空間に座していたのだと伺える。
「・・・読める?」
期待に満ちたジュレルが、アスターシャの横顔を見る。
「・・・確かに、これは人間の文字です」
手近な石碑に刻まれた文字。だが、それはアスターシャが知る限り文法が古く、今の知識では完全には読み取れない。
その隣の石碑には、人間のものではない文字が並ぶ。
「こちらは?」
「こっちは竜人族の文字。だが、これも昔の竜人族が使う古代文字で、俺には読めない」
乱立する石碑は、物によって人間、竜人族の物と別れているようだ。
つまり、ここには少なくとも、かつての人間と、竜人族がいたということになる。
ジュレルは、この人間と竜人族の繋がりを見せたかったのかも知れない。
粗暴と思われ、疎まれている。そんな人間は少なくない。そんな考えを持つ身近な人間も知っている。
どんな思いで、どんな言葉が刻まれてるかはまだわからないが、敵対以外の理由で、同じ場所に両種族の文字があることは、人間の感情を知らない子供には一筋の希望に思えるのかも知れない。
傍らの古びた石碑の埃を手で払いつつ、アスターシャは目で文字を追う。
「・・・我、・・・彼の者と。・・・うん。約束の地とする」
「読めるの!?先生!?」
アスターシャは軽く首を振り、
「これが限界ですわ。読み解くには時間が必要でしょう」
アスターシャの見識では、人間の文字だけでこれで限界だ。それでなくても、文字はここだけではなく、壁一面に刻まれている。これを完全に解読するには、それこそ一年では済まないだろう。
アスターシャは改めて遺跡を眺める。
ここにはドリューたちの先祖、かつての人間が交流していた場所なのだろうか。
そう考えると、壮大な時の流れと共に、今に限ったことじゃない竜人族との繋がりが見えて、嬉しかった。
しばしの間、そのに流れる時にアスターシャは身を委ねた。
街を勝手に飛び出したジュレルとアスターシャの行動は、その理由を鑑みて不問にされた。
竜人族の子供たちは、軒並みその目に涙を浮かべて無事な姿の友人へと駆け寄った。
「・・・君も早々に休むといい」
子供たちのじゃれ合う方へと視線を向けるドリューが言う。
ノルダッドに帰ってくるまで、そのつもりだった。だが、再会を喜ぶジュレルたちを見ていると、何故かそんな気が消え失せ、活力がみなぎってくる感覚を覚えるから不思議だ。だから。
「私が休んだら、彼らが心配するでしょう?」
そして、その原因をジュレルは自分のせいだと責めるかも知れない。アスターシャは一歩前に出しながら、言う。それに呆れたように、ドリューはアスターシャの背中を見送る。
子供たちの輪の中に迎え入れられるアスターシャを見て、ドリューは優しい笑みを浮かべるのであった。
白い、温かい湯気が烟る。
「・・・ふう」
透き通る湯はアスターシャのきめ細かな肌の上を滑り、滴り流れ落ちてゆく。
その熱はアスターシャの身体の奥から温めて、昼間の疲れを取ってくれる。
元々は竜人族の傷を癒やすための薬湯で、それを新しいものに設え直し人間用、すなわちアスターシャ用の浴槽にしてくれたのは本当にありがたくて。
湯浴みの度にドリューを護衛に付け、裏手の温水が湧き出る川に向かうのは大変以外の理由の部分が大きくて、負担だった。
その護衛であるドリューも、そんな子守りのような仕事に嫌気が刺したのか、専用の浴室の建設を進言したのも彼だった。
そのお陰で、大自然の中で裸になるような恥辱と、ドリューに負担を掛けること無く身体を気持ちよく伸ばせる。
森で打ち付けた背中がヒリヒリする。その僅かな痛みも変かもしれないが、なんだか嬉しい。
夕食はその時出くわしたバルボアの肉を頂いた。これも昼間の恐怖が吹き飛ぶくらいの美味しさで、まだまだ新たな驚きをくれる。・・・また、あんな状況になるのは遠慮したいけど。
その日の就寝は、ここに来て一番と言っていいほど深く、心地よい微睡みに誘われたのだった。
翌朝、アスターシャはヴァンデラの元で対峙していた。
ノルダッドの王宮、王の間。
アスターシャの表情は、硬い。当然、昨日のことを咎められると思ったからだ。
事情があるとは言え、ノルダッドから出てしまったこと。
「貴方の行動には肝が冷えたよ。強い意思は結構だが、もう少し自愛をして欲しいものだな」
そのヴァンデラの態度に、ドリューのような厳しさは見えない。むしろ、どこか楽しむような、目だ。
「・・・申し訳ございません」
だからといって、アスターシャが言い付けを破ったのは変わりない。
「いやいや。我が国の宝を命を賭して救ってくれたことには感謝しているよ」
・・・自分は何もしていない。むしろ、彼らの手間を増やしただけだ。大人しくしていれば、どの道ドリューたちが助けてくれていただろう。
自分のしたことは、実力の伴っていない空っぽの正義感に突き動かされた、ただのお節介以下の行動だ。ヘタをすればジュレルとすら再会できず、自分の身も危なかったのだから。
それを今、思い知らされた。昨夜、気持ちの良い眠りに付けた勘違いを恥じたい。
ヴァンデラは責めるどころか、両手を広げ、肩をすくめる。
「その姿さえエルナ姫と重なるよ。向こう見ずで気が強く、それだけなら我ら竜人族をも凌駕していただろうね」
愉しそうに、懐かしむように、ヴァンデラは目を細める。
アスターシャが物心付く頃に、祖母の存在を知った。彼女が既にこの世を去っているのも含めて。
それを、彼は知っている。
「・・・どんな方だったんですか?私の祖母は」
実に奇妙なものだ。
自分の祖母の姿を、自分の国の人間ではない者に聞くのは。
「今言った通りさ。気だけではなく、全てが強かった。私たちのような人間から見れば醜悪な容姿にも怯まず、それでいて対等に接してくれた」
ちょうど今の貴方のようにね。と、皮肉交じりにヴァンデラは言う。
アスターシャは、ロズタリアで初めて竜人族を見た時、確かに驚かなかったとは言わない。
接してみて、ノルダッドに来て初めて彼らの人となりを知った。
全世界の人間が、それを経験することは難しいだろう。だから、今でも竜人族に対する間違った考えがあるのだと知る。
「我々の美的感覚は人間とは程遠い」
ドリューも言っていたことで前置きをし。
「それでも敢えて言葉で表すのなら、心根だけでなく、その御姿も美しいものだったと言っておこう」
色褪せた写真の中でしか見たことのない、優しい笑顔で額に収まる祖母の姿が、ヴァンデラの言葉で確信めいたものになる。
「・・・『約束の地』へ赴いたようだね」
「も、申し訳ありません!」
その言葉にアスターシャは謝罪の言葉と共に頭を下げるが、それをヴァンデラは笑い飛ばした。
「このノルダッドを黙って出たことは関心しないが、約束の地へ足を踏み入れた件に関しては、特にお咎めもしないよ。あそこは別に禁足地と言うわけでもないからね」
確かに街を出るなとは言われていたが、例の遺跡への侵入を禁じられてはいなかった。現に難色を示したものの、ドリューはそこへ案内してくれたからだ。
「・・・あの遺跡は、一体何なのですか?」
それはアスターシャが最も知りたかったことだ。
「いずれ、わかるさ」
その問いにヴァンデラは答えることはなかく、ただ笑みを浮かべるのみだった。




