1・異なる竜、来たる。
人間の女の子と、亜人との交流を書きたくて初めました。愛や恋というよりは、友情、とか。でも、そんな深く堅苦しくないつもりです。
そこは涼やかな空気に満ち、花と緑の匂いの立ち込める庭園だ。
手入れの行き届いた無数の色が並ぶ花壇からは、鼻をくすぐる爽やかな香りが途切れることはない。
緑の茂る木立ちが並ぶそこには、色取り取りの美しい花弁が、何ひとつもないシルエットを形作り、芸術品のように思えた。
ひとりの若き女性。さしずめそれは花の妖精のように神秘的で。
上質の生地で織られたドレスを身に纏い、見える素肌は白くしなやか。それでいて、曲げても折れない力強さを感じる。
年の頃は十代半ば。
幼い顔立ちに、気品を覗かせる優しさと凛々しさを併せ持つ淑女だ。
蜂蜜を流したかような金糸の髪は清廉で、その美しさに見合わぬ不遜な表情をその顔に貼り付けている。
右手には、白銀に煌めく剣を携えている。
細身のレイピアの先端が何も無い空を突き、軽やかなステップで足が地を滑り、まるで美しい舞踏を披露しているかのようだった。手にした獲物が剣ではなく男性ならば、そこは優雅な舞踏会といったところだ。
少女は、名をアスターシャと言った。
このロズタリアの若き姫で、国に愛され、民に慕われる見目麗しい女性だ。
この城の中庭での剣の修練は彼女の日課だ。
国を統べる家系に生まれた者は、例外なく剣を手に取る。邪悪なる存在、国に仇なす存在から民を護る先導に立つためだ。
アスターシャもそれは例外ではなく、その剣を持つ手の決意に綻びはない。
額には僅かに汗が滲み、金糸の髪の輝きを何倍にも増している。誰もが見惚れてしまうような、心奪われる美しき絵画のよう。
アスターシャの振るった剣が宙で静止し、引いた剣を下げ息を吐く。ふわりと揺れるドレススカートの裾すら、その動きを止めた。
「お見事です、姫様!」
メイド服の女性がアスターシャの剣舞に感動の拍手と賛辞を送っているところだった。
アスターシャは自分で剣の腕は無いと思っているし、未熟極まりないことを自覚している。何しろ実戦経験が皆無なのだ。
狩りにすら出たこともない。正確には連れて行ってもらえないというのが正確だろうか。まだ幼いから、というのが本音なのだろうが。
ただ、温室育ちの剣士の真似事でも、みんなは褒め称えてくれる。それは期待の表れかも知れないけど、周囲の期待と自分の実力の乖離が激しかった。
だから、アスターシャは早く一人前になりたいのだ。
いずれはこの国を背負って護る王となる器にならなければいけないから。
「ありがとう、マリエッタ」
だから、アスターシャは期待に応えようと自己鍛錬を欠かさないのだ。
「姫!姫様!」
アスターシャが振るった剣を、鞘に優雅な動きで収めた瞬間、血相を変えた別のメイドが中庭に飛び込んできた。
「何事です?」
その表情は青く、弾む息が緊急事態を告げている。
「謁見の間で、王が!」
その言葉を聞き、アスターシャは剣をメイドに預けると、駆け出したのだった。
それは異形だった。
何も知らない人間にとっては、魔獣にも等しい悪貌だろう。
鱗に塗れた四肢に、蜥蜴のような頭部。
乳白色の角が2本。そして宝玉のような瞳が挿げられている。閉じた口からは角と同じ色の牙が並ぶ。
人の姿を形作っていながら、それは明らかに人の容姿をしていない。
竜人族と呼ばれる、人里を離れた秘境に居を構える種族だ。
他種族との関わりを好まず、戦闘能力に長け、知識もあり人語も介する。人間を超える身体能力を持ち、寿命もそれを遥かに上回る。
百年は軽く生き、噂では千年を生きる個体も存在するらしいが、それを確かめる術はない。なぜなら、それを確かめるには人間の寿命では足りないからだ。
問題なのは。
この平和で、人のひしめくロズタリア王国の、ましてや城内。それも王の謁見の間に竜人族の一団が足を踏み入れることは驚嘆たる出来事で。
恐らく、この場にいる誰もが、見えない威圧感に気圧されているに違いない。
竜人族の様々な逸話がそうさせているのだろう。
曰く、人を喰い、その血肉を生きる糧とする。鉱石や石を砕き、それを食事とするという話もある。
衛兵の剣や、槍を持つ手に力が入るのが誰の目から見ても分かる。だが、その切っ先を向けることはしてはならない。
敵意を悟られたら、相手は一騎当千の竜人族だ。この場にいる兵士の数十倍の数でも相手にならない力を持つ。
対する竜人族。その数、3人。
全てが同じような容姿をしている。見分ける術は、身に纏う鎧の形だけ。
厳密にはひとりだけローブを纏い、人間の老人のように杖で支え腰を折り曲げている個体がいるため、そこは見分けがつく。
「ほほ。そんなに気を張り詰めんでもいいわい。我らは何も戦に来たのではないのでな」
竜人族のひとり。腰を折り、言葉遣いからして長老格であろう。緊張を滲ませる周囲に対して、可笑しそうに言葉を漏らした。
角はすり減ったかのようになくなり、だが飄々とした話し方と相反するように、その中には長年生きてきたであろう凄みを合わせ感じる。黒い鱗の顔に刻まれたその皺が、そのまま生きてきた証かのように。
「・・・もっとも、この程度のレベルだったら、物の数じゃあないがな」
老体の背後。背の高い、青い鱗の竜人族が不敵な笑みと共に嘯いた。
左目が縦の傷で塞がった隻眼。背には剥き出しの大剣を背負っている。ロクに手入れがされていないのか、古びており、欠けくすんでいる。
「これ!そんな物騒な言動は慎まんか!」
手にした杖で老体は隻眼を突付く。鬱陶しそうに、隻眼は舌打ちと共に吐き捨てた。
「すまんな、不肖の部下が」
咎める目から、笑みになる。
一方、その隣にも緑色の鱗の竜人族もいるが、こちらはただ押しだまり、周囲の様子を鈴鹿に見守っている。
「再度聞こう。そなたたちは、何を死にこのロズタリアへ参ったのか」
謁見の間の最奥。
玉座に座するロズタリア王は、異端な訪問者に畏怖を覚えつつも、毅然な態度を崩さない。置くまで冷静さを込めた言葉で問いかけた。
この国と民を統べる王。
軽率な行動と言葉はこの国を滅びに向かわせる。それほどまでに竜人族の戦闘能力は絶大だ。
「先に寄越した書簡の通りですぞ。それ以外の目的はありはしません」
老体の竜人族の口元が、にやりと笑みを形作る。
数日前、このロズタリアに一通の封が届いた。それは竜人族からの手紙であった。内容は、期日中でのロズタリアへの来訪。それ以外の目的は記されていなかった。
「まずは、この国の人間が我々のことを心の外に弾いていなかったことに関して、礼を言いましょうぞ」
老体の言葉に、その場にいたほとんどの人間は眉をひそめるであろう。
ロズタリア王、そしてその近しい側近だけは思い当たる節はあるようで、表情を固くさせた。
「お父様・・・?」
その様子を少し離れた場所から、衛兵に守られ視線を向けているアスターシャ。駆けて来たからか、息を肩で弾ませている。
「姫、あまり身を乗り出さぬよう」
衛兵に鎧の腕がアスターシャを庇いつつも、視線は前方の竜人族から離さない。
老体の竜人族は、皺がれた瞼の先が、王の後方の壁に掲げられているロズタリアの紋章へ向けられた。
地に剣を突き立てたモチーフに、穢れから護るように蔦が覆っている。そして、その剣からは天高く羽ばたくように翼が象られている紋章だ。
ロズタリアは創建時、紋章は剣と蔦のみだった。だが、ある時代からそこに翼が加えられた。
竜の、そして竜人族の象徴である翼が。
「今日、ロズタリアに参ったのはほかでもない」
老体の杖がこつん、と一度床を叩き。
「500年に渡る借りを返して貰いに来た」
その場にいる誰もが未知の言葉を聞くように呆気に取られていたが、ロズタリア王だけは渋面を作りつつも諦めにも似た得心をため息に変えた。
「お父様!」
アスターシャが衛兵の足止めを振り払い、父親の下へと駆け出した。
「どういうことですか?500年前の借りとは?」
父親の膝に乗せる手は、彼女の戸惑いを体現するかのように弱々しく、緊張を孕んで震えている。
「アスターシャ・・・」
王は娘の顔を愛おしそうに見つめ、やがて目を伏せる。娘に向き直った時には、そこには一国の王である力強い瞳に代わっていた。
「お前は、この国にかつて起きたことを知っているか?」
その問いの意味は、この国に住まう人間なら、伝い知っていることだ。
500年ほど前の話だ。
今ここに生きている人間は、もれなく生まれていない。
ロズタリアに突如暗雲が立ち込めた。異界より魔族の軍勢が現れ、街を襲った。
目的も何もかもわからない化け物に、何人もの人間が、街が犠牲になった。
平和が壊された。
当時の王は陣頭指揮を取り、魔界の軍勢を追い払うために腐心した。だが、当時の騎士の能力は今ほど洗練されているとは言い難く、徐々に押され始める。
ロズタリアの賢人は王に提言する。
遥か北の霊峰に住まう武人の力を借りましょう、と。
竜人族なる、竜の化身。だが、当時竜人族の存在は今よりも人目に触れることが皆無な稀有な存在だった。
王直筆の所管を伝令兵に持たせ、伝説という幻に終わるかも知れない希望にすがって。その間も兵隊は戦い続ける。何人もの仲間、民が血を流した。
いよいよ王の眼前にまで異形の魔の手が迫ったその時。荒ぶる烈風と共に、黒い塊が跡形もなく吹き飛んだ。
全身を鱗に包んだ竜の戦士たちが、雄々しい咆哮と共に魔族を斬り伏せてゆく。
口から吐き出される紅蓮の炎が悪しき闇を焦がし、鉄をも貫く爪はいとも容易く魔族の皮膚を叩き割る。
劣勢だったロズタリア騎士団は失いかけた戦意と共に、灯る希望に息を吹き返し、竜人族と共闘し、魔族の軍勢を退けた。
それが、かつてこの国で起きた出来事だ。
「あの時、貴公の祖が言ったことは、『この国は復興のため鐘も人手もいる。失った命は戻らないが、この国を蘇らせなければならない。手を貸して、助けてくれたことに感謝する。礼は今は出来ないが、いずれ必ずする』と」
文献で伝わっている、かつてのロズタリアの惨状は、文字に認めるのも悲惨な出来事だ。もし、当時の状態を知る者が仮にいたとすれば、別の国だと思うだろう。それぐらいこの国は豊かになり、平和になった。
「儂らも慈善事業ではないのでな。そろそろ取り立ててもいい頃合いかと馳せ参じた」
老体の竜人族は、丸めた羊皮紙を手近な衛兵に差し向ける。衛兵はそれを恐る恐る受取り、それを王へと手渡すべく駆け出した。
紙の筒を受け取った王は、それを広げ、上から下へと視線を動かす。視線でなぞった王の表情が見せたのは戸惑いだ。
「・・・かつての貴方たちの助力には大変感謝している。でなければ、私はこの世に生まれていなかったかも知れないのだからな。引いてはこの国、そして我が愛娘に出会うことは無かっただろう」
魔族にこの国が滅ぼされていたのなら、王はこの玉座に腰を据えていることは無かっただろう。
「だが、この要求はあまりにも理不尽だ。貴方たちは儀に厚い武人ではなかったのか」
「ほほ。悠久の時の中、時代も動く中で、我らの価値観も変わっているのだよ」
紙に書かれていたのは、ロズタリアへの手助けをした見返りとしての法外な金銭の要求。それは一国の財政が傾くほどの金額が記されていた。
「せめて、分けて払うことは出来ないだろうか。この国は豊かになったが、一気にこれだけ取られたら、国が傾く」
「言っただろう。慈善事業ではない、と」
王の懇願に、老体はある意味冷徹な言葉を朗らかな表情に乗せて放った。
王は思案するように目を伏せ、額に滲む汗を拭う。
これは自分が生まれる前の王が交わした約束だ。だが、自分がこの玉座に座っている以上、それを無視することは出来ない。数千万の民の命と、城の人間の未来が自分の発する言葉で決まる。
「では、ひとつ条件を出そうか。これを飲むのなら期限の延長でも、分割でも好きな条件を受け入れよう」
その思いがけない言葉に、王は救いの光のように表情を緩ませ、安堵の息を吐く。
老体の竜人族は、杖の先を宙に泳がせ、ある一点で止める。
その先端の指し示す人物に、周囲がざわめく。
「アスターシャ姫。彼女に我が国に来てもらう」
その言葉に、ざわめきが大きくなる。
「なあに。何も嫁に取ろうとか、喰って取ろうとかそんな魂胆ではないわい。あくまで担保じゃ」
アスターシャは父である王を見る。王は苦い顔で娘を見た後、重い肩と共に玉座に背を預け、思案する。
「捕虜でも人質などでもない。客人だ。王、貴方も人の親ならば、身を切ることも出来ましょうぞ」
何が捕虜ではない、だ。これは立派な人質ではないのか。衛兵の表情がそんな感情で強張る。
「姫!代わりにわたくしが!」
アスターシャのお付きであるメイドが身代わりになると提言するも、彼女はその言葉と決意を手で制した。
「わかりました」
その場にいた全ての人間の視線が、アスターシャへと注がれる。
「あなたたちの要求を飲みましょう。その代わり手心を加えてくれることを約束していただけますか?」
「アスターシャ!」
玉座から腰を浮かす王に、娘は優しい笑みで返す。
「大丈夫です。いずれ私もこの国を背負う身。それが早まっただけと思えば苦ではありませんわ」
ロズタリアに生まれた王家の人間は、ある時期から外の世界に旅立たせられる。国を治める王としての自覚を磨き、見識を広げるための旅だ。かつての王も、アスターシャの父である王も世界に旅に出た。このロズタリアに長く続くしきたりだ。それが早まっただけ。
「結構」
満足そうに老体は頷く。
「では、また明日迎えに来ましょう。それまでこの国に足を跨ぐことを許されよ」
3人の竜人族が、踵を返し、謁見の間を後にする。
その場に残されたのは、決して威圧感から開放された喜びではない、重苦しい空気だった。




