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凡人、初任務


深夜零時を回った頃、都心の高層ビル群の中でもひときわ目立つ政府管理施設の地下三階にある部屋。表向きは「特殊調査研究機関」として機能しているこの建物の最深部では、外部からは決して知られることのない秘密の会議が行われていた。


部室は薄暗く、冷たいコンクリートの壁面には何の装飾もない。中央に設置された長いテーブルの向こう側、最上座にその男は座っていた。


背中に漆黒の翼を持つ天使族の男は、三十代半ばと思われる端正な顔立ちをしているが、その瞳には冷酷な光が宿っている。白いスーツを着こなし、胸元には天使族の紋章が刻まれたピンバッジが光っていた。


テーブルの手前側では、三人の人間がひざまづいている。


「報告を聞こう」男の声は静かだが、威圧感に満ちていた。


最初に口を開いたのは日向陽菜だった。昼間の人懐っこい笑顔は消え失せ、冷静で事務的な表情に変わっている。


「ガブリエル様、並野仁成の監視任務について報告いたします」日向は頭を下げたまま話し始めた。「昨日、魔族評議会最高顧問リディア・ヴァレンタインとの面談を確認しました」


「ほう」ガブリエルと呼ばれた天使族の男は興味深そうに反応した。「評議会がじきじきに出てきたか」


「はい。面談の結果、並野仁成は正式に魔族評議会の職員として雇用され、前魔王の娘クロエ・ルシファーがサポート役として配属されました」


「クロエ・ルシファー」ガブリエルはその名前を繰り返した。「三界平和協定の要となる娘か」


日向の隣にひざまづいている黒いスーツの男、黒井が口を開いた。


「さらに重要な情報があります」黒井は慎重に言葉を選んでいる。「前魔王の元侍女、シルヴィー・アルテミスも人間界に現れ、同じく評議会で働いていることが判明しました」


「シルヴィー・アルテミス」ガブリエルは記憶を辿るような表情を見せた。「前魔王の侍女が人間界へ、、興味深い」


三人目の男、裏部が顔を上げた。日焼けした顔に刻まれた傷跡が、彼の粗暴な性格を物語っている。


「ガブリエル様」裏部は苛立ちを隠さずに言った。「いい加減にあの小僧を片付けるべきじゃないですか」


「裏部」黒井が警告するような口調で名前を呼んだ。


しかし裏部は止まらない。


「紋章保持者だか何だか知りませんが、所詮は人間の小僧です」裏部は拳を握りしめた。「力の使い方もわからない今のうちに始末すれば、後々面倒なことにならずに済みます」


ガブリエルの目が鋭くなった。


「続けろ」


「はい」裏部は勢いづいた。「奴の紋章が覚醒したのは確かですが、まだ力をコントロールできていません。魔族の娘に頼りきりの状態です」


「実際に紋章の発現を確認したのか?」


「はい」日向が答えた。「左手甲に刻まれた使い魔契約の印を直接目撃しました。間違いありません」


ガブリエルは立ち上がり、黒い翼を軽く羽ばたかせた。部屋の空気が重くなる。


「S級適性者か何年振りだろうな」


「だからこそです」裏部は食い下がった。「今のうちに危険を排除すべきです。奴が力を身につける前に」


その時、黒井が立ち上がった。


「裏部、軽率すぎる」黒井の声は低く、威厳があった。「我々の任務は監視と情報収集だ。独断での行動は許可されていない」


「しかし」


「しかし、何だ?」黒井は裏部を睨んだ。「計画を台無しにするつもりか?」


裏部は不満そうに口を閉じた。


ガブリエルが振り返る。


「黒井の言う通りだ」ガブリエルは冷たく言い放った。「今は情報を集める段階だ。魔族評議会の動向、クロエ・ルシファーの意図、そして並野仁成の能力の詳細を把握するのが先決だ」


「承知いたしました」日向が代表して答えた。


「日向」ガブリエルが彼女の名前を呼んだ。「お前は引き続き並野仁成に接触しろ。自然な形で距離を縮め、信頼を得るのだ」


「はい」


「黒井、裏部」ガブリエルは二人を見た。「お前たちは魔族評議会の動向を探れ。バルザック派との関係も調べろ」


「了解しました」二人は同時に答えた。


「ただし」ガブリエルの声が一段と低くなった。「絶対に感づかれるな。我々の存在が露見すれば、すべてが水の泡だ」


三人は再び頭を下げた。


「任務は継続する」ガブリエルは最後に宣言した。「三界の均衡を保つために、我々は行動する」


会議が終わると、三人は地下室から出て行った。エレベーターの中で、裏部は依然として不満そうだった。


「あの小僧、本当にそんなに危険なのか?会社にいた頃だって特に目立った奴じゃなかったろ?」裏部がつぶやいた。


「S級適性者を甘く見るな」黒井が答えた。「歴史上、S級の紋章保持者は世界を変える力を持っていた」


「でも今はただの素人だ」


「だからこそ慎重にならなければならない」日向が口を挟んだ。「彼を敵に回すか、味方にするか、それによって状況は大きく変わる」


「味方?」裏部は馬鹿にしたような表情を見せた。「魔族の娘と契約した人間が、我々の味方になるはずがないだろう」


「それはわからない」日向は静かに答えた。「人間は複雑だ。適切にアプローチすれば、必ず隙は見つかる」


エレベーターが地上階に着いた。三人は別々の出口から建物を出て、夜の闇に消えていった。


翌朝九時、仁成とクロエは魔族評議会事務所の前に立っていた。初めての正式な任務に向けて、二人とも緊張している。


「大丈夫?」クロエが仁成の腕を軽く叩いた。


「まあ、なんとか」仁成は深呼吸をした。「君がいてくれるから」


事務所に入ると、リディアが待っていた。今日は昨日よりもカジュアルな服装で、ベージュのジャケットに茶色のパンツを合わせている。


「おはようございます」リディアは微笑んで迎えた。「準備はいかがですか?」


「はい、できています」仁成が答えた。


「今日の任務について説明しますね」リディアは資料を広げた。「新宿区の公園で迷子になっている 若い魔族がいます」


資料には公園の地図と、対象となる魔族の写真が貼られていた。写真を見て、仁成は驚いた。


「これ、犬ですか?」


「厳密には犬型の下級魔族ですね」リディアが説明した。「二足歩行で、人間の言葉も理解します」


写真には、確かに二本足で立っている子犬が写っていた。茶色の毛色で、人間の子供ほどの大きさがある。


「可愛い」クロエが写真を見て微笑んだ。


「名前はロロといいます」リディアは続けた。「三日前に魔界から出てきて、帰り方がわからなくなってしまったようです」


「危険はないのですか?」仁成が心配そうに尋ねた。


「ロロ自体は無害です」リディアが安心させた。「ただ、人間に目撃されるとトラブルになる可能性があります」


「どうやって保護すればいいのですか?」


「まずは接触して、信頼を得ることです」リディアは実践的なアドバイスをした。「下級魔族は警戒心が強いので、無理に近づこうとすると逃げてしまいます」


「私が話しかけてみます」クロエが提案した。「同じ魔族なら、警戒されにくいはずです」


「それがベストですね」リディアは頷いた。「では、時間です。頑張ってください」


新宿区の公園は午前中ということもあり、人通りは少なかった。犬の散歩をしている老人や、ジョギングをしている会社員が数人いる程度だ。


「どこにいるのかな」仁成は辺りを見回した。


「あそこ」クロエが木陰を指差した。


確かに、大きな樫の木の陰に茶色の何かが隠れている。近づいてみると、写真で見たとおりの犬型魔族がうずくまっていた。


ロロは二人の接近に気づいて顔を上げた。犬の顔だが、瞳には明らかに知性の光が宿っている。


「人間?」ロロは警戒するような声で言った。確かに人間の言葉を話している。


「大丈夫よ」クロエが優しい声で答えた。「私たちは敵じゃない」


その瞬間、クロエが薄く光に包まれた。光が消えると、そこには黒い子猫がいた。


「魔族?」ロロの表情が明るくなった。


「そう、私も魔族よ」子猫の姿のクロエが答えた。「お家に帰りたいの?」


「うん」ロロは頷いた。「でも、帰り方がわからないの」


「大丈夫」クロエは安心させるように言った。「私たちがお家に送ってあげる」


「本当?」ロロの尻尾が嬉しそうに揺れた。


「本当よ」クロエは子猫の姿のまま、ロロの近くに歩いていった。「怖くないから、一緒に来て」


「わかった。お姉ちゃん、優しいね」


「ありがとう」クロエは微笑んだ。

「あと、人間界の犬は二足歩行じゃ歩かないの、私に合わせて着いてきて」ロロは頷きクロエについて行く


魔族評議会事務所に着くと、リディアが出迎えてくれた。


「お疲れさまでした」リディアはロロを見て微笑んだ。「ロロちゃん、心配したのよ」


「リディアおばちゃん!」ロロは嬉しそうに飛び跳ねた。「会いたかった」

「おば、、ちゃん?」リディアの目が冷酷になりロロを見つめる

「リ、リディア、、お姉、、さん」焦って言い直すロロ

「もう迷子にならないように」リディアは優しく注意した。「魔界への帰り方、ちゃんと覚えた?」


「うん」ロロは素直に頷いた。「今度は気をつける」


「よい子ね」リディアはロロの頭を撫でた。


クロエが元の姿に戻ると、ロロは改めてお礼を言った。


「ありがとう、お姉ちゃん」ロロはクロエに抱きついた。「とても優しかった」


「どういたしまして」クロエは嬉しそうに答えた。


「仁成お兄ちゃんも、ありがとう」ロロは仁成にもお辞儀をした。


「こちらこそ」仁成は少し照れながら答えた。


ロロを魔界に送り返した後、リディアは二人の働きを評価した。


「素晴らしい仕事でした」リディアは満足そうに言った。「特にクロエの判断が的確でしたね」


「ありがとうございます」クロエは照れている。


「次の任務も楽しみです」リディアは続けた。「今日はお疲れさまでした。ゆっくりお休みください」


午後になって、仁成とクロエは天音の服屋を訪れた。今日はシルヴィーも一緒だった。


「いらっしゃい」天音がカウンターから顔を上げた瞬間、その表情が固まった。「あら」


天音の視線は仁成とクロエの間を行ったり来たりしている。そして、隣にいるシルヴィーに気づくと、さらに困惑した表情になった。


「こんにちは、天音さん」仁成は普通に挨拶した。


「こ、こんにちは」天音は動揺していた。


「天音さん、こちら僕の友人のシルヴィーです」仁成がシルヴィーを紹介した。「シルヴィー、こちらが天音さん」


「初めまして、シルヴィー・アルテミスです」シルヴィーは丁寧にお辞儀をした。「よろしくお願いします」


天音は一瞬、シルヴィーの美しさに圧倒された。金色の髪に青い瞳、人形のような整った顔立ちは、まさに理想的な美少女だった。


「は、はじめまして」天音は慌てて答えた。「天音です」


その後、天音は仁成をカウンターの奥に呼んだ。


「ちょっと、こっちに来て」天音は小声で言った。


仁成が近づくと、天音は耳元でささやいた。


「ねえ、本命はどっち?」


「え?」仁成は困惑した。


「クロエちゃんなの?それとも今日の子?」天音は詰め寄った。「はっきりしなさいよ」


「いや、そんなんじゃ」仁成は慌てた。


「そんなんじゃって何よ」天音は目を細めた。「二股かけてるの?」


「違います」仁成は否定した。「シルヴィーはクロエの幼馴染みで、僕は仕事仲間です」


「仕事仲間?」天音は首をかしげた。「随分仲良しな仕事仲間ね」


「それより、実は報告があって」仁成は話題を変えようとした。「仕事が決まったんです」


「仕事?」天音は興味を示した。「どんな?」


「調査会社の嘱託職員です」仁成は説明した。「給料もけっこうよくて」


「へえ」天音は感心した。「よかったじゃない」


「それで、クロエがシルヴィーの隣に引っ越すことになって」仁成は続けた。


「引っ越し?」天音は驚いた。「なんで?」


「女性同士の方が安全だからって」


「ふーん」天音は納得したような、そうでないような表情を見せた。「で、今日は何しに来たの?」


「シルヴィーの服を見立ててもらおうと思って」仁成は説明した。


「ああ、なるほど」天音は理解した。「クロエちゃんと同じく外国のお偉いさんの子?」


「そんなところです」仁成は曖昧に答えた。


天音はシルヴィーとクロエのところに戻っていった。


「シルヴィーちゃん、どんな服がお好み?」天音は商売モードに入った。


「よくわからないんです」シルヴィーは困ったような表情を見せた。「こういったカジュアルな服装は初めてで」


「そうなの?」天音は興味深そうに聞いた。「どちらのご出身?」


「とても遠いところです」シルヴィーは答えた。


天音は色々な服を持ってきて、シルヴィーに試着させ始めた。クロエも一緒になって選んでいる。


「これなんてどう?」天音がワンピースを勧めた。


「可愛いですね」シルヴィーは鏡を見ながら答えた。


「でも、もう少し動きやすいものの方がいいかも」クロエが提案した。「お仕事もあるし」


「そうね」天音は頷いて、別の服を持ってきた。


結局、シルヴィーは何着もの服を選んだ。ブラウスにスカート、カジュアルなジーンズ、コート、靴まで一式揃えることになった。


レジで会計をする時、仁成は金額を見て青ざめた。


「に、二十万円?」


「まあまあよ」天音は平然と答えた。「一式揃えれば、このくらいはするわよ」


「でも」仁成は財布を見た。給料の前借りでもらった分では、足りそうにない。


「実は私、お金を持っていません」シルヴィーが申し訳なさそうに言った。「仁成さんに出していただくつもりで」


「え」仁成は涙目になった。


「大丈夫よ」クロエが慰めるように言った。「私も半分出すから」


「それでも十万円」仁成は計算した。


「分割払いにしましょうか?」天音が提案した。「常連さんだから、特別よ」


「ありがとうございます」仁成は感謝した。


「でも、利息はつけるからね」天音はにっこり笑った。「商売だから」


結局、仁成は今月と来月の二回に分けて支払うことになった。服を袋に入れてもらいながら、シルヴィーが嬉しそうに言った。


「ありがとうございます、仁成さん」シルヴィーは頭を下げた。「必ずお返しします」


「いえいえ」仁成は苦笑いを浮かべた。「仲間ですから」


「でも、本当にありがとうございます」シルヴィーは感激している。小声で「人間界で初めて買った服です」


「きっと似合いますよ」仁成は優しく答えた。


店を出る時、天音が仁成を呼び止めた。


「仁成くん」


「はい?」


「あの子たち、普通じゃないわよ」天音は小声で言った。「気をつけなさい」


「どういう意味ですか?」


「直感よ」天音は首を振った。「でも、あんた自身も最近変わったし」


「変わった?」


「前より、なんていうか」天音は言葉を探した。「生き生きしてる」


仁成は驚いた。自分では意識していなかったが、確かに最近は充実感を感じていた。


「それって、いいことですよね?」


「まあね」天音は笑った。「でも、調査会社なんだから危ない事もあるだろうしケガだけはしないようにね」


「心配してくれてありがとうございます」


外に出ると、夕陽が街を染めていた。三人は袋を持って歩いている。


「今日は色々ありがとうございました」シルヴィーが改めて礼を言った。


「こちらこそ」仁成は答えた。「明日から一緒に頑張りましょう」


「はい」シルヴィーとクロエが同時に答えた。


「そうだ、明日は何の任務ですか?」仁成が思い出したように尋ねた。


「リディア様から資料をいただいています」クロエが鞄から資料を取り出した。「都内で発生している不可解な現象の調査だそうです」


「不可解な現象?」


「詳細は明日説明していただくことになっています」クロエは答えた。「でも、今日のロロちゃんより難しそうです」


「頑張りましょう」仁成は決意を新たにした。


三人は街の喧騒の中を歩いていく。その後ろ、離れたところから、日向陽菜が彼らを見詰めていた。携帯電話を取り出すと、短いメールを送信した。


「新たな情報あり。明日詳細報告予定」


送信を確認すると、日向は人混みに消えていった。平和な夕暮れの街に、静かに影が伸びてゆく。

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