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凡人、求職活動する


手首事件が有った日から三日後の朝、仁成は重い足取りでハローワークの入り口に向かった。自動ドアが開くと、平日の朝にも関わらず既に多くの人で賑わっている。受付の女性職員が事務的な笑顔で対応している様子が見える。


「失業認定日まであと二週間か」仁成は失業保険受給者証を見ながらつぶやいた。


クロエが隣を歩いている。今日は地味な黒のブラウスにグレーのスカートという人間らしい服装で、髪も後ろでまとめている。


「緊張してる?」クロエが小声で尋ねた。


「まあな。真面目に求職活動してないと給付が止められるからさ」


二人は受付に向かった。職員が仁成の受給者証を確認すると、求人検索用のパソコンがある一角を案内してくれた。


「こちらでお調べください。印刷も可能です」


仁成は指定された席に座り、古いデスクトップパソコンを起動した。隣の席では中年男性が真剣な顔でキーボードを叩いている。


「えーっと」仁成は求人検索の画面を開いた。


職種、勤務地、給与などの条件を入力する欄が並んでいる。とりあえず地元の求人を検索してみる。


営業職、製造業、サービス業。様々な求人が表示されるが、ほとんどが「要普通免許」「要経験者」「要資格」といった条件付きだった。


「うーん」仁成は頭を抱えた。


大学を卒業してから今まで、特にこれといった資格を取得していない。前職の経験もアピールできるほどのものではなかった。


「どうかしら?」クロエが後ろから覗き込んだ。


「散々だよ。これといって売りになるものがない」


「でも、人柄は立派じゃない」


「人柄だけじゃ採用されないよ」仁成は苦笑いを浮かべた。


その時、左手の甲がじんわりと温かくなった。まるで血管の中を温かい液体が流れているような感覚だ。


「あれ?」


手の甲を見ると、例の紋章がうっすらと光っている。周囲に人がいるため、仁成は慌てて手をポケットに隠した。


「どうしたの?」クロエが気づいた。


「紋章が...」仁成は小声で言った。


しかし、次の瞬間、パソコンの画面が突然変わった。求人検索のページが消え、見たことのない文字で埋め尽くされたページが表示されている。


文字は金色で、まるで古代の象形文字のように複雑で美しい。しかし不思議なことに、その意味が頭の中に直接流れ込んでくる。


【超越者求人情報】

【異界対応職務】

【魔界・天界・人界橋渡し業務】

【応募資格:紋章保持者】


「何だこれ」仁成は画面を見詰めた。


「仁成」クロエが息を呑んだ。「それ、古代魔族語よ」


「古代魔族語?」


「魔族と天使族が共通で使っていた言語。今はもうほとんど使われていないけど」クロエは画面を見て驚いている。「あなた読めるの?」


「わからない。でも確かに意味が理解できる」


仁成は周りを見回した。隣の中年男性は相変わらず自分のパソコンに集中している。他の利用者たちも特に変わった様子はない。


「周りの人には見えてないのかな?」


クロエは立ち上がって、他の利用者の様子を確認した。そして戻ってきて小声で言った。


「誰も気づいていないわ。あなたにだけ見えているみたい」


画面の内容をよく読んでみると、さらに詳細な情報が表示されていた。


【職務内容】

・異界間の問題解決

・魔族・天使族・人間の仲裁業務

・超常現象の調査および対処

・紋章の力を活用した特殊業務


【待遇】

・月給:応相談(魔石・人間界通貨双方可)

・住居:提供

・保険:完備(生命・魔法・魔術・呪詛すべて対応)


【応募方法】

・紋章を画面にかざし、意思表示を行うこと


「これって...まさか本物の求人?」仁成は困惑した。


「多分そうね」クロエは真剣な顔をしている。「紋章保持者というのは、あなたのことを指している」


「でも俺は普通の人間だぞ」


「紋章があるということは、もう普通じゃないの」クロエは画面を指差した。「この求人、魔族界の正式な機関が出しているものみたい」


「どうしてそんなことがわかる?」


「文章の最後にある印。これは魔族評議会の公式な印よ」


仁成は画面の下部を見た。確かに複雑な模様の印が押されている。


「魔族評議会って?」


「魔族界の統治機関。私の父も議員の一人よ」クロエは声を落とした。「つまり、これは魔族界からの正式な仕事の依頼ということになる」


周囲には相変わらず就職活動中の人たちがいる。彼らは普通の求人を見て、普通の仕事に応募しようとしている。その中で、仁成だけが異世界からの求人を見ているという状況が、なんとも現実離れしていた。


「どうしよう」仁成は迷った。


「あなたが決めることよ」クロエは言った。「でも、一つ言えるのは、紋章があなたを選んだということ。偶然じゃない」


「選んだって?」


「紋章は意志を持つの。持ち主を選んで、必要な時に力を発揮する。今回も、あなたが新しい道を必要としている時に、この情報を示した」


仁成は自分の左手を見た。紋章は相変わらずほのかに光っている。


隣の席の中年男性が立ち上がり、印刷した求人票を持って受付に向かった。その後ろを、疲れた顔をした若い女性が通り過ぎていく。


普通の世界がすぐそこにある。でも、自分にはもう一つの選択肢が提示されている。


「この仕事、危険なのか?」仁成が尋ねた。


「危険じゃない仕事なんてないわ」クロエは率直に答えた。「でも、あなたには私がついている。それに、この仕事は社会貢献になる」


「社会貢献?」


「異界間の問題を解決するということは、人間界の平和も守ることになる。魔族や天使族と人間の対立を防ぐことができる」


仁成は画面を見詰め続けた。文字が微かに脈打っているように見える。まるで生きているかのようだ。


「面接とかはあるのか?」


「紋章を画面にかざすだけで、あなたの適性は自動的に判定される」クロエは説明した。「魔法的な審査よ」


「じゃあ、やってみるか」


仁成は左手を画面に近づけた。紋章の光が強くなり、画面の文字と共鳴するように輝いた。


突然、画面に新しい文字が現れた。


【適性判定中...】

【判定完了】

【適性:S級】

【採用決定】

【担当者より連絡いたします】


「S級?」仁成は驚いた。


「最高ランクよ」クロエは興奮している。「めったに出ない評価」


その時、画面がまた変わった。今度は地図のような画像が表示され、ある住所が示されている。


【初回面談場所】

【明日午後2時】

【場所:〇〇区△△3-15 喫茶店「エルフィン」】


「喫茶店で面談?」


「昔、父に聞いた事が有るのだけれど、魔族は人間界での行動について目立たない場所を選ぶそうなの」クロエは納得したように頷いた。「エルフィンという名前も、恐らく魔族関連を示す暗示ね」


画面はゆっくりと元の求人検索ページへ戻った。まるで何事もなかったかのように、普通の求人情報が並んでいる。


「夢みたいだな」仁成はつぶやいた。


「でも現実よ」クロエは微笑んだ。「おめでとう、仁成。新しい人生の始まりね」


仁成は複雑な気持ちだった。確かに就職先は見つかったが、それは想像もしていなかった異世界との仕事だった。


「クロエは一緒に来てくれるよな?」


「もちろん」クロエは即答した。「私があなたの専属アドバイザーよ」


「専属アドバイザー?」


「魔族の文化や魔法、魔術について教える役割。新任者には必ずつけられるの」


二人はハローワークを後にした。外では普通の日常が続いている。通勤する人々、買い物をする主婦、遊んでいる子供たち。


誰も、仁成が異界の仕事に就いたことを知らない。


「明日が楽しみだな」仁成は空を見上げた。


「不安じゃないの?」


「不安だよ。でも、なんだか新しいことが始まる予感がする」


二人が歩いていると、後ろから声をかけられた。


「あら、並野さん」


振り返ると、日向陽菜が立っていた。今日はスーツ姿で、どこか外出していたのだろうか。


「日向さん、お疲れさまです。ふだんは受付でしか見かけなかったから外に出られるなんて珍しいですね」仁成は挨拶した。


「営業の裏部さんに男だけだと花がないからって無理に頼まれちゃって、並野さんはお仕事探しですか?」日向は人懐っこい笑顔を浮かべた。


「ええ、まあ」


「大変ですよね、就職活動って」日向はクロエにも微笑みかけた。「クロエちゃんも一緒なんですね」


「仁成の付き添いよ」クロエは答えたが、やや警戒している様子だった。


「お二人、とても仲がいいですね」日向の目が一瞬鋭くなったが、すぐにいつもの表情に戻った。「裏部さんが帰るまでまだ時間も有りますから、お茶でもしませんか?三人で」


「それは...」仁成が答えようとした時、クロエが割り込んだ。


「今日は用事があるの。また今度」


「そうですか、残念」日向は諦めたように言った。「それでは、また」


日向が去った後、クロエは安堵の表情を見せた。


「やっぱり彼女、何か変よ」


「変って?」


「わからない。でも普通の人間じゃない」クロエは振り返って、日向の姿を確認した。「気をつけた方がいいわ」


仁成は困惑した。新しい仕事、謎の元同僚、そして魔族の世界。自分の人生が急激に複雑になっている。


「一度に色々なことが起きすぎだな」


「でも、これがあなたの運命よ」クロエは仁成の手を握った。「私が一緒にいるから、大丈夫」


二人は手を繋いで家に向かった。明日の面談のことを考えながら、新しい生活への不安と期待を胸に抱いて。


少し離れた物陰から、日向陽菜が二人の後ろ姿を見詰めていた。彼女の表情は先ほどとは全く違う、冷たく計算的なものだった。


「異界求人システムが作動したか」日向は携帯電話を取り出した。「はい、日向です。予想通りの展開になりました」


電話の向こうから男の声が聞こえる。


「ええ、明日の面談に偶然を装って接触する予定です。エルフィン、承知しています」


彼女は電話を切ると、再び仁成とクロエの方向を見た。


「並野さん。明日の面接、上手くやってくださいよ?」

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