表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/21

凡人、驚く


男がクロエの腕を掴んだ瞬間、乾いた破裂音が響いた。


「ぎゃああああああ!」


男の右手首から先が文字通り弾け飛んでいた。血しぶきが飛び散り、アスファルトに赤い染みを作る。男は膝をついて、残った手首の断面を押さえながら絶叫を続けた。


「な、何だよこれ!」


「おい、手が!手がないぞ!」


残りの二人は血の気を失い、慌てて後ずさりした。一人は腰を抜かして尻もちをつき、もう一人は恐怖で震えながらクロエを見つめていた。


クロエの表情が一変していた。先ほどまでの困惑した顔は消え失せ、氷のように冷たい瞳が男たちを見下ろしている。その視線には人間を虫けらのように扱う残忍さがあった。唇の端がわずかに上がり、薄い笑みを浮かべている。


「触れてはならないものに、よくも手を伸ばしたものね」


クロエの声は低く、威圧的だった。空気が重苦しくなり、周囲の温度が下がったかのような感覚が漂う。


「化け物だ!化け物だ!」


一人の男が叫びながら立ち上がろうとしたが、足がもつれて再び転倒した。


「クロエ!」


仁成が走ってきた。息を切らしながらクロエの前に立ち、彼女の肩に手を置く。


「大丈夫か?怪我は」


クロエはハッと我に返った。冷酷だった表情が嘘のように消え、いつもの穏やかで人懐っこい顔に戻る。


「仁成...」


「何があったんだ?」仁成は血まみれの男を見て、状況を把握しようとした。


「この人たちが私に絡んできて、それで」クロエは困ったような表情を見せた。「つい、反射的に」


地面で泣き叫んでいる男の声が周囲に響き続けている。このままでは通報されてしまう。


「ちょっと待ってて」


クロエは男の前にしゃがみ込んだ。そして、まるで子供を叱るかのように軽くコツンと男の頭を叩いた。


瞬間、切断されていた手首が元通りになった。まるで最初から何も起きていなかったかのように、男の右手は完璧に復元されていた。血痕すらも消えている。


「え?」男は自分の手を見つめて混乱した。「俺の手...あれ?」


クロエは立ち上がり、今度は指をパチンと鳴らした。


すると三人の男たちの表情がぼんやりとした。まるで夢から覚めたかのような顔をして、辺りを見回している。


「えーっと、俺たち何してたっけ?」


「さあ?なんかここに立ってた気がするけど」


「もう帰ろうぜ、なんか疲れた」


三人は首をかしげながら、その場を立ち去っていった。まるで過去数分間の記憶が完全に消去されたかのように、何の関心も示さずに歩いて行く。


仁成は唖然として一部始終を見ていた。男の手首が爆発し、復元され、記憶が消去される。これが魔族の力なのか。


「すごい力だな」仁成はつぶやいた。


「ごめんなさい」クロエは申し訳なさそうに言った。「つい魔力を使ってしまって。でも、あの人たちが私に触ろうとしたから、反射的に」


「いや、君は悪くない。でも...」仁成は振り返って男たちが去っていく方向を見た。「あんなに簡単に記憶を操作できるのか?」


「基本的な魔術よ。人間の記憶は魔族にとってはとても脆いの」クロエは買い物袋を拾い上げた。「でも普段は使わないようにしてる。倫理的に問題があるから」


「倫理的に、か」仁成は複雑な表情を見せた。


「人間の自由意志を尊重したいの。記憶操作や洗脳は、やろうと思えば簡単だけど、それは相手の人格を否定することになる」


仁成は改めてクロエを見つめた。彼女は魔族の王族であり、人間にとって理解の及ばない力を持っている。先ほど見せた冷酷な表情は、おそらく彼女の本来の一面なのだろう。だが、同時に人間的な倫理観も持ち合わせている。


「君は複雑な存在だな」仁成は苦笑いを浮かべた。


「私だって、自分がよくわからないの」クロエは歩きながら言った。「魔族として生まれ育ったけど、人間界で過ごすうちに、いろんなことを考えるようになった」


「例えば?」


「力を持つ者の責任について、とか。私たち魔族は人間より圧倒的に強い。でも、だからといって好き勝手にしてもいいわけじゃない」


二人は家に向かって歩いた。夕暮れの空が薄いオレンジ色に染まっている。


「でも、今回は君を守るために使ったんだろう?」仁成が尋ねた。


「そうね。でも、あの瞬間は守るというより...」クロエは言葉を選んだ。「怒りの方が強かった。私に触れようとした人間が許せなかった」


「それが君の本性なのか?」


クロエは立ち止まった。


「わからない。魔族として育てられた私の本能なのか、それとも個人的な感情なのか」彼女は自分の手のひらを見つめた。「でも、あの瞬間は確実に殺意を抱いていた」


仁成も立ち止まった。クロエの正直さに驚いている。


「正直に言ってくれてありがとう」


「隠しても意味がないでしょう?これから一緒に暮らすんだから、私のことを知ってもらわないと」


「そうだな。でも俺も、君のそういう率直なところは好きだよ」


クロエはほっとしたような表情を見せた。


「本当?怖くない?」


「怖くないと言えば嘘になる」仁成は率直に答えた。「でも、君がその力を悪用しようとしていないことはわかる。それに、俺を守ろうとしてくれているのも伝わってくる」


「ありがとう、仁成」


二人が歩き始めた時、遠くのマンションの屋上から、二人を覗く人影があった。


日向陽菜は屋上の柵にもたれかかり、仁成とクロエの姿を見守っていた。先ほどの一部始終を目撃している。男の手首が爆発し、復元され、記憶が操作される様子をすべて見ていた。


「やっぱりね。あの子、只者じゃないと思ってた」


彼女は携帯電話を取り出し、番号を選んだ。


「私、日向です。報告があります」電話の向こうから低い男の声が聞こえる。「ターゲットの能力を確認しました。予想以上です」


電話の相手が何かを言った。


「はい、記憶操作と物質再生を確認しました。レベルはSクラス以上と推定されます」日向は冷静に報告した。「並野仁成との関係も良好のようです。計画通り接区を続けます」


再び相手が話した。


「了解しました。次回の接触は三日後を予定しています。それまでに詳細な行動パターンを把握します」


日向は電話を切った。そして再び彼女の視線は、遠ざかっていく二人の姿を追った。


「ごめんね、並野さん」彼女は小さくつぶやいた。「でも、これも仕事だから」


夕日が日向の顔を照らしている。先ほどまでの人懐っこい笑顔は消え、冷徹で計算高い表情を浮かべていた。


一方、家に到着した仁成とクロエは、今日買った商品を整理していた。


「疲れたな」仁成はソファに座って伸びをした。


「お疲れさま。今日はありがとう」クロエは新しい下着や日用品をちゃんとタンスにしまっている。


「日向さんに会えて良かったな。彼女のおかげで買い物がスムーズに進んだ」


「そうね、親切な人だった」クロエは答えたが、どこか引っかかるものを感じていた。


「どうした?何か気になることでも?」


「いえ...」クロエは首を振った。「なんでもないわ」


しかし、実際のところ、クロエは日向と握手した時に違和感を感じていた。人間とは異なる何かを感じ取ったのだ。でも、それが何なのかはっきりしない。もしかすると、考えすぎかもしれない。


「夕食の準備をしましょうか」クロエは話題を変えた。


「そうだね。今日は簡単なものでいいかな」


「カレーはどうかしら?人間の代表的な料理の一つでしょう?」


「いいね、作り方知ってるのか?」


「今朝、料理本で勉強したの」クロエは誇らしげに言った。


二人はキッチンに向かった。仁成は今日の出来事を振り返りながら、これからの生活について考えていた。クロエの正体を知ってしまった以上、もう元の平凡な生活には戻れない。


でも、悪い気はしていなかった。むしろ、生活に刺激が加わって面白くなっている。問題は、彼女を狙っている他の魔族たちと、今日見せた彼女の危険な一面だ。


クロエが玉ねぎを切りながら涙を流している姿を見て、仁成は微笑んだ。魔族の王族でも、玉ねぎの刺激には勝てないらしい。


「目が痛い」クロエが涙を拭いながら言った。


「慣れるよ、大丈夫」


「人間の料理って大変ね」


「でも美味しくできた時の満足感は格別だよ」


そんな他愛もない会話をしながら、夕食の準備を進めた。外では日が完全に暮れ、街の灯りが窓から見えている。


平凡で穏やかな時間が流れているが、二人はまだ知らない。日向陽菜という存在が、これからの生活に大きな影響を与えることになるということを。


そして、クロエを狙っている魔族たちが、再び動き始めているということも。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ