凡人、凡人だった
六畳一間のアパートの片隅で、KUMICHOUは髪をかき乱しながらノートパソコンの画面を睨んでいた。机の上には空になったコーヒーカップが三つと、書きかけの設定資料が散乱している。
「くそっ、また矛盾してる」
彼は頭を抱えた。田中麗子の設定を見直していたのだが、途中から「外務大臣」なのか「魔族評議会の幹部」なのか、自分でもわからなくなってきた。
「魔族なのに人間界で大臣?それとも人間と魔族のハーフ?いや、そんな設定書いたっけ?」
KUMICHOUは過去のメモを必死に探したが、どこにも明確な記述が見つからない。日向陽菜についても同様だった。天使族なのに人間界で働いている理由が曖昧すぎる。
「三界平和協定って何だよ、それ。いつ考えたんだ、俺」
壁の時計は午前三時を指していた。締切まであと二日。編集者からは催促のメールが届いているが、もはや収拾がつかない状態だった。
「クロエ・デュボアとクロエ・ルシファー、同一人物なのか別人なのか...」KUMICHOUは自分の筆跡を恨めしく見つめた。「なんで途中で名前変えたんだ、バカ」
彼はキーボードに頭をぶつけた。画面には意味不明な文字列が表示される。
「王位継承権の条件も滅茶苦茶だし、魔族評議会の組織図も破綻してる。並野の会社名すら統一されてない」
KUMICHOUは立ち上がって部屋の中を歩き回った。六畳では三歩で壁にぶつかる。
「いっそ夢オチにするか?」
彼は振り返ってパソコンを見た。夢オチは作家として最も避けたい手法のひとつだったが、もはや他に選択肢が見当たらない。
「それとも打ち切りの定番、唐突な終了?『続きはWebで』みたいな?」
でも、それでは読者に申し訳ない。少なくとも何らかの決着はつけるべきだろう。
「そうだ!」
KUMICHOUは手を叩いた。
「全部、並野の妄想だったってことにすればいい。会社で居眠りしてて、部長に起こされる。よくあるパターンだけど、一応完結する」
彼は勢いよくキーボードに向かった。もうプライドなんてどうでもいい。とにかくこの混乱を収束させることが最優先だった。
「並野仁成、平凡なサラリーマン。魔王の娘と契約?全部夢。S級紋章?寝ぼけた妄想。三界平和協定?会議中に見た資料の記憶が混ざっただけ」
KUMICHOUの指が踊るようにキーボードを叩く。設定の矛盾なんてもうどうでもいい。とにかく終わらせることだけを考えた。
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「並野!また居眠りか!」
低い声が響いて、並野仁成は机に突っ伏していた顔を上げた。目の前には怒った表情の田村部長が立っている。
「す、すみません」
仁成は慌てて体を起こした。デスクには未処理の書類が山積みになっており、パソコンの画面には途中まで入力された売上報告書が表示されている。
「魔王の娘だの使い魔契約だの、寝言で何を言ってるんだ」田村部長は呆れた顔をした。「昼休みはとっくに終わってるぞ」
仁成は混乱した頭で辺りを見回した。いつものオフィスフロア。同僚たちが黙々と仕事をしている。受付には人間の日向さんが座っていて、魔力なんて欠片もない。
「あれ、クロエは?」
「クロエって誰だ?新しい取引先か?」部長が眉をひそめた。「とにかく、その売上報告書を今日中に仕上げろ。明日の会議で使うんだから」
「は、はい」
仁成は左手を見下ろした。そこにあるのは普通の手。紋章なんてどこにもない。
「夢だったのか...」
彼は小さくため息をついて、キーボードに向かった。