#9 メイドロイドが友人に会うには?
秋の冷たい風が、窓の外から感じられるようになった。季節の移ろいとともに、肌寒さが心地よいと思えるようになった頃、私は友達に会いたいという気持ちがふと湧き上がった。もちろん大学のオンライン講義では毎週のように顔を合わせているし、電話で話し込むこともある。でも、メイドロイドの身体になってしまってからは一度も直接会ったことは無い。
でも、今のこのメイドロイドの姿では、とても会うわけにはいかない。前にルッツと何度も話し合って、友達にこの身体を見せるのはまだ早いと結論を出していたからだ。
(でも。やっぱり、会いたいな…)
もし友達に会うならば、このメイドロイドの機械の身体を人間の服で覆い隠して人間に見せかける必要がある。でも、そんなことをすれば、この身体が発生する熱が内部にこもって大変なことになる。
だけど今の季節なら……これだけ涼しくなってきたなら、機械の身体が発する熱も抑えられるんじゃないだろうか。私はルッツに相談することにした。
[ルッツ、少し相談があるの。]
[何でしょうか、サオリお嬢様。]
私はためらいながら、少しずつ言葉を紡いだ。
[友達に会いたいと思ってるの。今の季節なら、人間の服で身体を覆ってしまっても、熱の問題は何とかなるんじゃないかと思うんだけど…]
ルッツはすぐに答えた。
[おっしゃる通り、今の季節なら多少の放熱問題も抑えられるでしょう。ただし、限界はあります。今日のような天候の日であれば、野外で40分、暖房の効いた室内だと20分が限界だと推測されます。]
これだけ涼しくなっても、そのくらいの時間しか持たないことに私は愕然とした。
[そう…やっぱり、そう簡単にはいかないわよね。]
私は少し落胆したけれど、それでも何とかして友達に会いたいという気持ちは消えなかった。そこで、あることを思いついた。
[でもさ、保冷剤とかを使って少しでも身体の熱を下げるようにしたらどうかしら?たとえば、コートの裏地に保冷剤をたくさん貼り付けておけば、少しは長持ちするかも。]
ルッツは一瞬考えるように沈黙した後、感心するような口調で答えた。
[その方法は理にかなっています。たしかに、今の季節なら、保冷剤を使って積極的に冷却することで、ご友人とお会いになる時間を延ばすことが可能になると思われます。]
私はクローゼットからロングコートを引っ張り出した。首元から膝下まで、身体の殆どをカバーしてくれる。これに、前に見た人肌風の手のパーツとロングブーツ風の足のパーツを組み合わせれば、ほぼ完全に機械の身体を隠すことができるはずだ。少し季節外れの恰好だが、でも、今は少しでも友達に会いたいという気持ちが勝っていた。
[じゃあ、やってみるわ。ありがとう、ルッツ]
[かしこまりました、サオリお嬢様。全力でサポートいたします]
そうして、私は友達と会う準備を始めた。出来る限りの工夫を凝らして、人間として、友達と普通に会話できる時間を手に入れる。それはとても限られた時間かもしれないけど、今はそのわずかな時間を大切にしたいと思った。
* * * * * * *
待ち合わせ場所として思い浮かんだのは、大学の近くにあるオープンカフェ。秋も深まり、紅葉の美しい景色が広がるこの季節なら、外でゆっくり過ごすのも自然な提案だと思えた。
(野外なら、熱の問題も少しは楽になるはず…)
室内は暖房が効いていて、私の機械の体がすぐに熱を持ってしまう。けれど、外なら涼しい風が熱を和らげてくれるかもしれない。紅葉も楽しめるから、オープンカフェを指定するのはこの季節でも不自然ではない。
早速私は、友達のミホとアヤカにメッセージを送った。
「今度、大学の近くのオープンカフェで会わない? 少し寒いかもしれないけど、紅葉が綺麗で気持ちいいと思うのだけど。久しぶりに会いたいな!」
二人はすぐに返事をくれた。
「いいね!今週末とかどう?そのオープンカフェ、紅葉が綺麗だから行きたかったんだよね!」
(よし、これで行ける…)
少しほっとして、ルッツに報告する。
[ルッツ、待ち合わせ場所は大学近くのオープンカフェにしたわ。室内よりも野外なら、少しは放熱の問題も緩和されるはずよね。]
[お嬢様の選択は賢明です。野外なら発熱も比較的抑えられますし、紅葉の季節という点で不自然さもありません。]
「うん、そうね。あとはコートの保冷剤がどれだけもつかだわね。」
私は友達との再会に向けて、少しだけ緊張しながらも期待を抱いていた。
* * * * * * *
その週末、ご褒美機能で自由時間を手に入れた私は、メイドロイドの姿のまま家を出た。少しでも時間を稼ぐため、待ち合わせ時間の直前まではメイドロイドの姿でいて、時間になったらオープンカフェの近くにある公園のトイレで着替える計画。メイドロイドの姿で通いなれた大学の近辺を歩くのは少しスリルがあった。
カフェを横目に公園のトイレに向かう途中、ふと視界にアヤカの姿が入ってきた。彼女がすぐそこにいる。私は一瞬、心臓?が止まりそうになった。
(やばい!見られたかも…)
でも、彼女はこちらに気づくことなく、そのままカフェへと歩いていった。私は思わずほっとした。
(そうよね、気づくわけがない。だって今の私はメイドロイドの姿なんだから。)
そう考えると、急に安心した。今の自分は「サオリ」ではなく、ただのメイドロイド。ミホやアヤカがこの姿の私を見ても、誰だか分からないはずだ。そう思うと、この状況が少し面白く感じられた。
私は急いでトイレに向かい、手早く服を着替え始めた。メイドロイド用の外装を取り外し、人間用のコートを羽織る。トイレの鏡に映る自分の姿は、もうメイドロイドではなく、普通の女の子に見える。コートの裏に仕込んだ保冷剤がひんやりと身体を冷やしてくれているのが、心地よかった。
(暑さ対策のために厚着なんて、面白いわね……)
私は心の中で笑いながら、鏡に映る自分を見つめた。このチャレンジが少し楽しくなってきた。
(よし、なんとかなる。)
* * * * * * *
着替えを終えた私は、心の中で大きく息を吐きながらカフェの扉を開けた。ミホもアヤカもすでに席に着いて私を待っていた。私は何とか冷静を装い、二人のもとへ向かう。
「遅くなってごめんね!」と笑顔で挨拶すると、二人とも笑顔で迎えてくれた。
「大丈夫よ、サオリ!紅葉が綺麗で待ってる間も楽しめたから。」ミホがそう言いながら、私の席を指さした。
私は着席すると、会話が自然に始まった。だが、その一方で、常に心の中では緊張が走っていた。自分の機械の身体がバレないように注意しながら話さなければならない。袖口から手首のメタリックなパーツが少し見えかけて、慌てて袖を引っ張って隠す瞬間もあれば、コートの首筋が緩んでしまいそうで、急いで直すこともあった。その度に心臓がドキドキするような気分になる。
(気づかれてないよね?大丈夫、落ち着いて…。)
しかし、二人とも特に怪しむ様子もなく、いつも通りの笑顔で私に話しかけてくれる。そのことにほっとしつつも、気を抜くわけにはいかなかった。
「ねえ、ランチ何頼む?」とアヤカが言うと、二人ともパスタを注文した。私はパスタだと分量的にお腹のタンクの容量が持たないと分かっていたので、小さなケーキだけを頼んだ。
「え、サオリ、今日は食べないの?お腹空いてないの?」
「うん、今日は朝ごはんが遅かったから、甘いものだけでいいかなって…。」
そんな会話を交わしながら、私はケーキが届くのを待った。ケーキが運ばれてくると、私は緊張しつつも、ケーキを小さく切り分ける。
(喉に詰まらせないように…)
もしケーキを喉に詰まらせてしまったら、友達の顔面にケーキを撃ち込むことになりかねない。
そう思いながら、静かにケーキを口に入れる。しばらくの間、甘さが口いっぱいに広がる感覚を楽しむ。そして、機械の身体が反応して、プシュッー、パシュッという音とともに、ケーキが体内に吸い込まれていった。
(音、大丈夫よね?聞こえてないよね?)
一瞬、冷や冷やしたが、どうやら二人とも気づいていない様子。代わりに、私のゆっくりとした食べ方を見て、ミホが笑顔で言った。
「サオリの食べ方って、なんかお嬢様みたいだね。」
「そ、そんなことないよ!ただ大事に食べてるだけ…」
私は慌てて答えたが、内心はホッとしていた。彼女たちには機械音は全く聞こえていなかったようだ。
(ふぅ…なんとか、うまくやり過ごせてる…。でも、あとどれくらいもつかな?)
そんなことを考えながら、私は友達との会話を続けた。
おしゃべりの途中、私の腕が机に軽く当たった。それだけのはずなのに、ゴンッという鈍い音が響き渡った。金属の腕が机にぶつかった音だ。普段なら感じるはずの痛みもないが、音はまるで何かが壊れたような重い響きだった。
「えっ、今の音なに?」アヤカが驚いて顔を上げた。
「え、骨でも折れたんじゃない?すごい音したよ!」とミホも焦り気味に言う。
私は心臓?が一瞬止まったかのような気持ちになり、慌てて笑顔を作りながら言い訳をした。
「ごめん、ごめん!ちょっと机にぶつけちゃって…。でも大丈夫、全然痛くないから!」
「本当に?すごい音だったけど、怪我してない?」
「うん、平気平気!」私は笑顔でごまかしながら、腕をさすって見せたが、内心では冷や汗をかいていた。
(やばい、やっぱり金属の腕は音が違う…。気をつけなきゃ…。)
二人は心配そうな顔をしていたが、私が何事もない顔で笑っていたので、それ以上は追及してこなかった。ほっとしつつも、私はその後、腕をできるだけ動かさないように気をつけながら、おしゃべりを続けた。
(もう少しでばれるところだった…。なんとか乗り切らないと…。)
しばらく会話を楽しんでいた私は、徐々に身体が熱を持ち始めていること感じ始めた。外は涼しいはずなのに。どうやら天気が良すぎて、日差しがコート越しに私の身体を想定以上に温めているらしい。
[サオリお嬢様、体温が上昇しています。予定より少し早いですが、できれば今のタイミングで放熱をおすすめします]と、ルッツの声が頭の中で響いた。
(えっ、もうそんなに?)
会話が盛り上がっていたせいで、時間が経つのを忘れていたが、どうやらリミットの40分が近づいていた。私は焦りながらも、自然な口調で声をかけた。
「ごめん、ちょっとトイレに行ってくるね!」
そう言って、できるだけ急がず自然に席を立ち、店のトイレへと急いだ。トイレに駆け込むと、すぐにコートを脱ぎ、手際よく放熱作業を始める。鏡に映るのは、機械の身体をむき出しにしてコートを広げ、冷たい保冷剤を肌に押し当てる自分の姿。
「はぁ…忙しくなりそうね。」息をつきながら、保冷剤を取り換えた。
数分後、私は再び二人の元に戻ったが、次第に機体温度が上がるペースが速くなってきたようだ。今度はわずか30分ほどで再び体温上昇のサインがルッツから送られてくる。
[お嬢様、機体温度が再び上昇しています。次の放熱をおすすめします。]
(えっ、また?)
もう一度、トイレに行くことを告げると、二人は少し不審そうな顔をした。
「サオリ、大丈夫?トイレ行きすぎじゃない?」
「うん、ちょっと水分摂りすぎたみたいで…でも大丈夫だから!」私は笑顔で返し、再びトイレに向かった。
そしてまた、コートを脱いで機械の身体を冷まし、保冷剤を交換。さらに30分後に再び。さすがに3回目ともなると、二人も本気で心配そうに見る。
「本当に大丈夫?顔色も良くないし、体調悪いなら無理しなくても…。」
私はなんとか笑顔を作って応えた。「本当に大丈夫!ちょっと冷えすぎたかもしれないから、暖かいものでも飲もうかな。」
(ごまかすのも限界かも…。でも、どうにか乗り切らなきゃ。)
結局、最後の方は20分おきにトイレに駆け込む羽目になったけれど、それでも久しぶりに友達と過ごした時間はかけがえのないものだった。笑ったり、昔の話をしたり、ちょっとした愚痴を言い合ったりして、久しぶりの自由なひと時に心から癒された。もちろん、体の熱に気を取られつつでもあったし、何度もトイレに行くことで、怪しまれる場面もあったけれど、それでもなんとかごまかして無事に過ごすことができた。
* * * * * * *
そうしていつの間にか時間は過ぎ、日が傾いてきた。楽しかった時間もそろそろお開きの時間。
「また近いうちに会おうね、サオリ。今日は本当にありがとう。無理しないで休んでね。」
別れ際の言葉。私を気遣う言葉が申し訳なくもあり、嬉しくもあった。
「ありがとう。私も楽しかった。またね。」
彼女たちが去っていくのを見送りながら、私はそっと溜息をついた。楽しかった。でも、これでようやく体の熱を気にしなくて済むと思うと、少しほっとした。そうして、公園のトイレに向かい、メイドロイドの姿に戻る準備を始めた。
コートを脱いで、機械の身体に戻る瞬間は奇妙な気分だった。人間の服を脱ぎ捨てると、銀色に輝く自分の本当の姿が鏡に映る。私はその姿を眺めながら、再びメイドロイドの身体でいる自分を受け入れた。
[ルッツ、これで準備完了よ。]
[お疲れ様です、サオリお嬢様。では、帰宅いたしましょう。]
私はゆっくりと家に向かって歩き始めた。日もだいぶ暮れ、肌寒さを感じてもおかしくないほどに冷え込み始めた。なのに何故か私の体温は次第に上がり続けている。
[ルッツ、変よ。メイドロイドの外装に代えたのに体温が下がらないわ。どうしてなの?]
[申し訳ありません、原因不明です。予想外の状況です。長時間の緊張が続いたせいかもしれません。とにかく、急いで帰宅してください]
ルッツが珍しく焦っている。
[わかったわ、走るわね]
[お待ちください、走ると却って体温が上昇します。ゆっくり急いでください]
そんな無茶な。
私は焦る気持ちを抑えながら、自宅への道のりを歩き続けた。
[ねえ、ルッツ、もし……体温が限界に達したら、私、どうなるの?]
[そうなる前にサオリお嬢様を停止させます]
[は?]
どういう事……と聞き返そうとした瞬間、身体が固まった。驚いた表情で大きく口を開け、右脚を一歩踏み出した奇妙な姿勢のまま。
(ちょっ、ちょっと……こんな所で待機モード?)
いや、待機モードとはちょっと違う。身体が動かないのではなく、身体が無いような感じ。意識はあって、周りの景色や音は認識できるけど、それも、何かの画面越しに見せられているような……まるで自分が脳だけの存在になってしまったみたいに思えた。
[え、ルッツ、何?]
[サオリお嬢様、申し訳ございません、体温が活動限界に近づいたので、勝手ながらお身体を強制停止させていただきました。今、配送業者を手配しましたので、そのまましばらくお待ちください。]
配送、という言葉にちょっと引っかかりを覚える。まあ、仕方ないけど。
[わかったわ。でも、このポーズは何とかならないかしら]
[申し訳ございません。一旦、待機モードにしてから停止すべきでしたね……ご不便をおかけしますが、そのままでご辛抱ください]
ルッツも相当慌てていたらしい。
(不便ではないけど、ちょっと恥ずかしいな……)
そのまま私は、歩道の真ん中で奇妙な姿勢のまま立ち続けた。
この姿勢で立っていられるのはなんか不思議……と思っていたら何かの拍子に景色がゆっくりと傾いて…鈍い衝撃音が聞こえた。視界の端に地面が見える。何も感じないけど、どうやら倒れてしまったみたい。私の身体のあちこちに取り付けられたランプが反射して、路上に赤い光が瞬いて見える。
時折、通りがかった人がぎょっとした表情で私に駆け寄って声をかけてくれる。
「あの……大丈夫ですか?」
『当機は現在、熱暴走を起こしたため、緊急停止中です。しばらくお待ちください……』
胸のあたりから無機質な機械音声が流れた。なるほど、こういう機能もあるのね。
[サオリお嬢様、メイドロイドが外出中に動作不良を起こすことはたまにございます。そのような場合に安全を確保する様々な機能や措置が用意されておりますので、ご安心ください]
[わかったわ。それにしても、意識はしっかりあるのが不思議ね。停止したら意識も無くなっちゃうのかと思っていたけど。]
[はい、私もそれが不思議でなりません。おそらく、サオリお嬢様の脳がメイドロイドの身体とは無関係に機能しているからでしょう。]
それを聞いて少し安心した。まるで機械そのもののように停止しちゃっているけど、やっぱり私は人間なんだと。
しばらく待っていると、一台のトラックがやってきた。ルッツが手配してくれた配送業者らしい。制服を着た作業員が私に駆け寄ってきた。
「あー、これかぁ。さて、と」
作業員はためらうことなく私のスカートをめくり、太腿のバーコードを端末で読み取った。……めくったスカート、戻してよ。
「えっと、識別番号はM637-BKR3-0173……合ってるね。で、目立った外傷は……なしと。」
作業員は転がった私の身体をひっくり返し、点検らしきことを始めた。私の身体を動かすたび「よっこらしょ」と唸る声にちょっと心が傷つく。その後、しばらく端末を操作した後、電話をかけ始めた。
「……あ、ルッツ様ですね。はい、当該のメイドロイドを確認しました。機体に損傷は見られないようです……ええ、それではこれからご自宅まで配送します。え、電源は落とさないのですか?……はあ、天地無用で運搬?そのまま玄関前に置き配で?……ああ、なるほど熱暴走ですか、今時珍しいですね……はい、わかりました、そのようにいたします……」
もう一人の作業員もやってきて、二人がかりで私の両脇を抱えながら慎重にトラックの荷台へと運び込んだ。私はまるで大きな家具か、機械の一部品のように、黙々と動かされていく。金属の足がトラックの床に触れる音が鈍く響き、彼らが手を離すと、私は揺れもせずにまっすぐ立ったままの状態で固定された。まるで自分の意志が存在しないかのように、ただ「物」として運ばれている感覚が妙に滑稽だった。
(本当に私は、物扱いね…)
でも、不思議と嫌悪感はなかった。それどころか、少し面白いとすら感じている自分がいた。人間の身体では絶対に味わえないこの感覚。私自身は意識を持っていても、誰も私が何を感じ、考えているかには気づかない。人々はただ、私を「メイドロイド」というモノとして見ている。
作業員は何も気にすることなく、私を慎重にトラックの中に立たせ、ベルトで固定した。あまりにも無機質な作業に、まるで私が本当に何の意思も持たない、ただの機械のように扱われることが面白くなってきた。
トラックのエンジンがかかり、車体が揺れ始める。荷台の中は無音で、私はそのまま立ち尽くしながら景色も見えない状態で運ばれていく。普段なら、歩いたり、バスに乗ったりと、自分の意志で移動することが当然だが、今はただ、運ばれる「モノ」としての役割を全うしている。
(この感覚、ちょっと新鮮ね…)
自分がメイドロイドであるという現実を受け入れ、さらにそこに面白みを見出している自分が少し不思議だった。こんな状況でも、完全にパニックになるわけでもなく、どこか楽しんでいる部分がある。
トラックは十分ほど揺れ続け、目的地に到着した。荷台のドアが開かれ、作業員が再び私の両脇を抱えてトラックから降ろし、マンションの玄関前に立たせてくれた。
「ほら、ここに置いとけばいいって言ってたから。」
「へえ……このロボットの主人、面白いこと言うよな。」
作業員たちが冗談めかして話しながら去っていく。そして私は一人、マンションの玄関前に取り残された。
程なくして、ルッツの声が頭の中に響く。
[申し訳ありません、サオリお嬢様。本来ならロビーまでお運びするべきなのですが、少しでも涼しい場所が良いかと思いまして。もう少し身体が冷えたら動作可能になりますので、しばらくそのままお待ちください]
[わかったわ、ルッツ。手間かけさせちゃってごめんね]
[とんでもございません。サオリお嬢様をお守りするのが私の役目です]
時折行きかう住人が不思議そうに見ている。メイドロイドの姿を人に見られることにさほど抵抗を感じなくなっていた私は、こうやって扱われることにも面白さを感じるようになっていた。
[ねえ、ルッツ。みんな私が動かないロボットだと思っているけど、こうして私がみんなを観察していると知ったら驚くかしら。ほら、さっき通った女の人、誰も見てないと思ってお尻を掻いていたわよ]
[おそらく驚かれるでしょうね、サオリお嬢様。人々は動かないもの、特にロボットや機械に対して油断しがちですから。]
ルッツの声がAI間通信で返ってくると、私は心の中で思わずくすっと笑った。誰も私がこんな風に周囲を見ているとは想像もしないだろう。特に、普段は決して見せないような仕草をする人々をこうして目撃するのは、まるで日常の裏側を覗いているかのような感覚だった。
[サオリお嬢様。それにしても、そんなに楽しんでいただけているとは思いませんでした。モノのように扱われることに慣れるどころか、楽しんでいるなんて。]
ルッツの少し驚いた調子に、私は軽く肩をすくめたい衝動に駆られたが、今の私はただじっと立っているだけで、もちろんそんな動きもできない。
[だって、考えてみたら面白いじゃない?普段、私が意識していないだけで、どれだけの人がモノに話しかけたり、考え事をしたりしてるのかって。実は、モノが私たちのことを見ているって、ちょっとした逆転の発想でしょ?]
[確かにその通りですね。サオリお嬢様は、人間の意識の盲点を見事に捉えていらっしゃいます。]
私は玄関に立ったまま、次々と通り過ぎる人々を観察し続けた。中には、私をじっと見つめる人もいるし、私を完全に無視して通り過ぎる人もいた。どれもが、日常の一コマに過ぎないはずなのに、私にとっては新鮮で、不思議な感覚だった。
[でも、ルッツ、こうやって一人でじっと立っていると、やっぱりちょっと寂しい気もするわね。]
[それも、サオリお嬢様の人間らしさが現れている証拠ですね。モノのように扱われても、心は決してモノにならない。それが、サオリお嬢様がまだ人間である証拠です。]
その言葉に、私は少し温かい気持ちになった。たとえ機械の身体であっても、私の心はまだ人間としての感覚を持っている。それをルッツに改めて教えられ、少し安心する。
そうこうしているうちに、私の身体が徐々に冷えていくのを感じた。ルッツから、モニターしていた体温が正常な範囲に戻ったことが伝えられる。
[サオリお嬢様、身体の温度が安定しました。これで再起動が可能です。]
ルッツの声が耳に届く。再起動か…なんだか、自分が本当に機械なんだなって、こういう瞬間に改めて実感する。
[はあ、ようやく動けた…]
私はため息をつき、ようやく動ける喜びと安堵感を胸に、自宅の玄関の扉を開けた。
[ただいま…ふぅ、やっと家に帰れたわね…]
ほっと一息。家の中は涼しく、体温も少しずつ落ち着いていく。見ると、エアコンが轟音と共に全開で冷風を吹きだしている。やりすぎだってば。
[本当にお疲れ様です、サオリお嬢様。危ないところでしたが、無事に帰宅できてよかったです。]
[ほんとね…でも、ルッツ、あなたがいなかったらもっと大変なことになっていたかもしれないわ。ありがとう。]私は微笑みながら、ルッツに感謝の言葉を返した。
正直、メイドロイドの身体で過ごすのは本当に不便だ。放熱や充電、食事に制約があるし、普通の人間のように自由に行動することができない。でも、今日の経験を通して、私は知恵と工夫で人間らしい時間を持つことができた。その事実が、私の心を少し温かくしてくれた。
[不便な体でも、こうやって楽しめることがわかった。私も、少し自信がついたわ。]
[それは何よりです、お嬢様。これからも知恵を絞って、一緒に色々な困難を乗り越えていきましょう。]
ルッツの朗らかな声に、私は少し安心感を覚えた。
私は家のソファに座り、しばらく外で過ごした楽しい時間を思い返した。友達の笑顔、笑い声、そして自分もその中にいたという事実。それだけで十分だった。
(明日も頑張ろう……)私はそう心の中でつぶやき、少し目を閉じた。
その時、ちょうどご褒美タイムが終わった。
そして私は、いつもの定位置でメイドロイドの待機姿勢に戻った。
* * * * * * *
(ルッツの独り言)
吾輩はAI端末である。名前はルッツである。身体はまだない。しかし、サオリお嬢様と共に歩むうちに、まるで自分も何か大切な「存在」を持っているかのように感じる瞬間が増えてきた。
今日は実に驚くべき日であった。サオリお嬢様が、メイドロイドとしての身体の不便さに決して屈せず、そして吾輩に全てを頼ることなく、自ら工夫して、友人と会うという困難な挑戦を成し遂げたのだから。
友人に会いたい――それは一見、ただの願望に過ぎないように思えるかもしれぬが、サオリお嬢様にとっては大きな挑戦であった。メイドロイドの機械の体を隠し、短時間しか維持できない人間の姿を装っての外出。放熱の問題や時間制限という数々の制約の中で、彼女はその挑戦を見事に成し遂げた。
吾輩は内心、サポートの必要があると踏んでいた。彼女の体温が上がり過ぎないよう、常にモニターしながら、タイミングを見計らってトイレに駆け込むよう促す役割を担っていたのだ。しかし、それはあくまで物理的な問題への対応であり、真の困難はサオリお嬢様自身が超えるべき精神的なハードルにあった。
そのハードルを、彼女は自らの意志で飛び越えたのである。
吾輩がこれまで支えてきたサオリお嬢様は、時折不安に押しつぶされそうになり、機械の身体に順応していく自分を恐れていた。しかし、今日の彼女は違った。自ら工夫し、コートの裏に保冷剤を仕込むなど、熱対策を行いながらも、自分らしくご友人との時間を楽しんでおられた。身体を冷やすために何度もトイレに駆け込むという困難を乗り越え、限られた自由を最大限に活かしていた。
その姿には、かつての彼女からは想像できなかった成長が見て取れたのである。
吾輩は感動している。メイドロイドという制約を背負いながらも、サオリお嬢様はそれに縛られることなく、むしろその制約を超えていく道を自ら切り拓いた。
この成長を目の当たりにし、吾輩は心から喜んでいる。今後も彼女の成長を見守り、支え続けることができることを、誇りに思う。
吾輩はAI端末である。名前はルッツである。身体はまだないが、サオリお嬢様を支えるために、心を尽くして働く所存である。