#8 メイドロイドが食事をするには?
食事って、ロボット開発者にとっては一番難しい機能だと思います。
メイドロイドになって最初の休日。朝のひと仕事を終えた私はルッツに話しかけた。
[ルッツ、私…食事がしたいわ。]
それは単なる思いつきだった。食べ物の味を感じたり、口に運ぶ行為そのものが恋しくなったのだ。人間の身体だった頃に、友人たちとカフェで過ごした時間や、家庭での食事の楽しさが、今では縁遠いものになってしまった。それでも、少しでもその感覚を取り戻せたらと思ったのだ。
もちろん、そんなことは不可能だと分かってはいた。でも、もしかしたら、と期待を込めて言ってみたのだった。しかし、ルッツの返答は、私の予想を裏切った。
[サオリお嬢様、それは可能です。]
[ええっ?本当に……?]
[はい。ただし、少々お手間がかかります。]
[と、いうと?]私は期待を込めて食い気味に尋ねた。
[一部のメイドロイドには、料理の際に用いる味見機能というものが搭載されています。高級機であるサオリお嬢様の機体にも勿論、それは備わっています。この機能を利用することで、少量であれば料理を口から摂取することが可能になります。ただし、これはオプション機能ですので、腹部のユニットを交換する必要があります。]
[ユニットを交換…?]
その言葉に、私は一瞬不安を感じた。メイドロイドとしての自分の身体に、どんな機能があるのかは大まかに知っていたが、ユニット交換という言葉は耳にしたことがなかった。
[はい。腹部から下半身を切り離し、既存のユニットを取り外してから味見機能用のユニットを取り付け、再び下半身を接続する必要があります。]
ルッツが淡々と説明するその内容に、私は背筋が凍るような感覚を覚えた。自分の身体を真っ二つに分解して、再び組み立てるなんて、そんな想像を絶する作業を自分がしなければならないのだろうか。
[そんなこと…私には無理よ。怖すぎる…。]
想像するだけで、身体が震えてきた。自分の腹部から下半身を取り外し、そのパーツをいじるなんて、人間としての感覚を持つ私には到底受け入れがたい。
[サオリお嬢様、ご安心ください。そのような作業はメイドロイドAIに委ねればよいのです。そうすれば、安全にユニットを交換することが可能です。]
ルッツの説明に少しは安堵したものの、それでも完全に不安が消えたわけではなかった。自分の身体をAIに任せるということが、まだ心の中でしっくりこない。
* * * * * * *
しばらく悩んだ末、ルッツの提案を受け入れることに決めた私は、深呼吸をして気持ちを落ち着けた。自分の腹部から下半身を切り離してユニットを交換するなんて、想像するだけでも寒気がする。しかし、食事を味わいたいという気持ちがそれを上回っていた。
[ルッツ、本当に大丈夫なのよね…?]私は最後の確認を求めるように尋ねた。
[はい、お嬢様。メイドロイドAIに作業を委ねれば、安全に作業を進めることができます。お嬢様はリラックスして、身体をAIに預けるだけで結構です。]
[分かったわ、ルッツ。それじゃあ、お願い]
[かしこまりました。それでは、命令を差し上げますね。]
一瞬の間を置いて、ルッツが命令を下す。何となくだが、ルッツも少し緊張しているような気がする。
『メイドロイド・サオリ、命令します。腹部ユニットを味見機能用のものに換装しなさい。』
『かしこまりました、ご主人様。メイドロイド・サオリは腹部ユニットを味見機能用のものに換装します。』
私は命令に従い、クローゼットから小ぶりな段ボール箱をとってきて、その中から目当てのユニットを取り出して床に置いた。その傍らで私も床に横になった。心臓が早鐘のように鳴り響くような感覚にとらわれるが、今はただ冷静にこの作業を終えることだけを考えようと自分に言い聞かせた。
(それじゃあ、始めるわね…。) 自分に言い聞かせるように心の中でつぶやいてから、メンテナンスメニューを開き、「腹部ユニット交換」を選択した。
その瞬間、腹部で金属が動く音が響き、何かのロックが外れる感覚が伝わってきた。そして、突然、下半身の感覚が消え去り、まるで腰から下が無くなってしまったかのような不思議な感覚に襲われた。
(下半身が…無くなっちゃったみたい…。)
戸惑いながらも、次の瞬間、私の両手が意思に反して動き始めた。自動的に下半身をしっかりと掴み、ゆっくりと引き抜いていく。自分の身体が機械的に動く様子に、少し恐怖を覚えながらも、私はただその感覚に身を任せるしかなかった。
やがて、下半身が完全に引き抜かれ、私は上半身だけが残った状態になった。その瞬間、両肩が後ろ向きに360度回転して私の上半身を起こす動作が始まった。まるで他人の身体を操作しているかのような感覚が広がり、私は無意識のうちに目を閉じた。
目を開けると、私は上半身だけの姿で床の上に立って?居て、目の前の床には横たわっている自分の下半身が見えた。その光景に、私は一瞬息を呑んだ。自分の身体の一部が切り離されているなんて、何とも言えない不安と不快感が湧き上がってくる。
しかし、作業はまだ終わっていなかった。次に、私の手が再び動き始め、目の前に横たわる下半身から既存のユニットを慎重に引き抜き、用意していた味見機能用のユニットと交換した。
新しいユニットを取り付け終わると、また両肩が後ろ向きに360度回転して上半身を再び床に寝かせる。そして両手が自動的に動き、下半身を接続する。腹部で再びロックがかかる音が響き、全ての作業が完了したことを知らせた。
(ふぅ…。)
身体が再び一体化し、元通りに戻った感覚にほっと胸をなでおろした。私はゆっくりと起き上がり、腹部を軽く触ってみた。冷たい感触が消え、自分の身体が再び完全に戻ったことに安堵を感じた。
[お嬢様、ユニット交換が無事に完了いたしました。]
ルッツの声が静かに響いた。私は自分の腹部を軽く撫でながら、先ほどの作業が現実であったことを実感した。
[これで私は食事ができるようになったのね?]
[はい。ただし、いくつか注意しなければならないことがあります。]
[あ、やっぱり。色々とメイドロイドとしての制限があるのね?食べちゃいけないものとか?]
[いえ、メイドロイドとしての制限というよりは、そのお体の機構的な限界があるのです。]
[機構的な限界?]
[はい。一つは、食べ物を噛むことが出来ません。お嬢様の口内にある歯や舌は、実際には飾りに等しいものです。そのため、食べた物はそのまま丸飲みすることになります。人と会食する際は驚かれない様、注意が必要です。]
[なるほど。それで…食べたものはどうなるの?]
[食べたものは体内のタンクに蓄えられます。ただし、タンクの容量はコップ一杯分にも満たない程度です。一杯になったら、タンクを交換する必要があります。]
[コップ一杯分…そんなに少ないのね。]
[はい、お嬢様。タンクは腹部の小さなハッチを開けて交換します。少々不便かもしれませんが、これが現状での仕様です。]
その説明に、私は軽くため息をついた。メイドロイドとして食事をすることが、いかに制約が多く、複雑な作業であるかを痛感した。
[わかったわ。まあ、“味見機能“って謳っているくらいだから、仕方ないわね。]
[はい。その代わり、味に関してはかなり精密に感じるようになっているはずです。]
[ありがとう、ルッツ。それじゃあ、どんな料理を食べようかしら…。]
[折角ですから、”ご褒美機能”を使って、自由に色々試してみては如何でしょうか。]
[うん、そうね!……それじゃあ、お願いするわ!] 何はともあれ食事を楽しむことが出来るのだ。出来る範囲で精一杯楽しもう。
『メイドロイド・サオリ、ご褒美を与えます。料理を作って食べて見なさい。料理の種類は問いません。好きなもの好きなだけ試してみなさい。』 なんだかルッツも楽しそうだ。
私は、さっそくキッチンに立ち、久しぶりに自分で料理を作ってみることにした。食事を口にするという、かつての人間らしい行為ができることに、心が弾んだ。とはいえ、食事の仕方はこれまでとまったく異なるものになるのだろうと、自分に言い聞かせながら調理を進めた。
まずは簡単なものから試してみようと、パスタを茹で、トマトソースを絡めた一皿を作り上げた。目の前に置かれた料理を見つめ、しばらくためらったものの、意を決して一口分をフォークに巻きつけ、口へ運んだ。
(うん、悪くないわ。ちゃんと食べられるし……ちゃんと美味しいわ。)
トマトの酸味が口の中に広がり、久しぶりに味を感じる感覚に、私は驚きと喜びを覚えた。しばらく味を楽しんでいると、プシュッー、パシュッ、という音と共に、口の中にあったパスタが喉の奥に吸い込まれた。
[食べ物を含み、口を閉じてしばらくすると、空気圧で腹部に吸引される仕組みになっています。新幹線のトイレと同じ仕組みですね。]良識とセンスをどこかに置き忘れて来たようなルッツの解説が聞こえる。
[ちょっと、音が気になるわね。人前でこれを使うのは厳しいかしら?]
[大丈夫ですよ、ご自分の体内の音ですから気になると思いますが、少し離れていれば聞こえないでしょう。]
次に挑戦したのはラーメン。スープを飲み、麺を口に運ぶと、思わぬ問題に直面した。ラーメンのような長い麺は、すする、という行為が必要だが、この”すする”という行為が問題だった。
空気圧で吸い込むという構造なので、すすること自体は可能なのだが、その時の空気圧が調整できないため、勢いよく吸い込んでしまう。食べられなくはないけど、かなりお行儀が悪い。飛び散ったスープで顔と胸元が悲惨なことになってしまった。
[空気圧の調整機能ってないのかしら。]
[メーカーにリクエストしておきましょう。この機能は比較的最近になって実装されたものですから、きっと考えてくれると思いますよ。]
まあ、パスタみたいにフォークに巻き付けて食べれば問題ないか。
他にも、いくつかの料理はまだ問題なく食べられることが分かった。例えば、スムージーやヨーグルト、そして柔らかいフルーツなどは、口当たりもよく、丸飲みしても違和感がなかった。パンやサラダも細かく刻んでしまえばスムーズに喉を通り、普通に食べることができた。
(女の子が好みそうな料理は大抵いけるかもね…。)
気を付けなければならないのが、口に入れる時の大きさ。歯が機能しないから、口に入れた後で細かくすることが出来ない。うっかり唐揚げを丸ごと口に入れたら、喉の管で詰まってしまった。呼吸してる訳ではないので苦しくはないが、お腹の中で不穏な音がする。
[サオリお嬢様、喉に詰まってしまった場合は、口を大きく開けてしばらく待つと、空気圧で自動的に排出されるようです]
ルッツの説明通りにしたら、唐揚げが勢いよく口から飛び出した。壁に張り付いた唐揚げが悲しい。
[……ルッツ、ちょっとこの機能は改善の余地があると思わない?]
[メーカーにリクエストしておきます]
最悪なのは納豆だった。メイドロイドの機械の手は、信じられない程の高速回転で納豆をかき交ぜてくれる。泡立つ程に糸を引くようになった最高の状態の納豆を箸で口に運ぶ…までは良かったが、飲み込む際に、納豆が喉の管に張り付いて取れなくなってしまった。
(えっ、これ…やばいかも…。)
粘り気の強い納豆が喉に詰まった感覚に、私はパニックになりかけた。どうにか取り出そうと試みたが、うまくいかない。結局、泣く泣く口から水道管洗浄用のブラシを口に突っ込んで、喉をゴシゴシと擦るというとんでもない作業を演じる羽目になった。
(納豆、大好きだったのに…)
私は嘆きながら、その作業の馬鹿馬鹿しさに笑うしかなかった。
* * * * * * *
私はふと、元々入っていたユニットが何だったのかが気になった。
[ねえルッツ、私の身体に最初から入っていたユニットって、何だったの?]
[元々のユニットは、主人の健康診断を行う機能を備えたものでした。]
[健康診断?どうやって?]
ルッツの説明を聞き、ますます興味が湧いた。メイドロイドとしての機能に加えて、健康診断まで行えるなんて、少し驚きだった。
[具体的には、主人の尿を採集し、その成分を分析することで健康状態をチェックする機能です。]
[ねえ、その…尿を採集するって、もしかして…]
[はい。もちろん、口からです。]
……
[ルッツ、あなたが主人でよかったわ。]