#6 メイドロイドが外出するには?(前編)
翌朝、私は充電ラックに固定されたままの状態で目を覚ました。大股を広げた状態で拘束された姿が鏡に映る。昨夜の羞恥心が蘇り、早くこの姿勢から解放されたい一心で、ルッツに充電完了の確認を求めた。
[おはよう、ルッツ。充電は終わったかしら?]
[おはようございます、サオリお嬢様。充電は無事に完了しております。それでは解放しますね。お疲れさまでした。]
『メイドロイド・サオリ、命令します。定位置にて待機しなさい。』
ルッツの労いの言葉が頭の中に響く。と同時に、命令を下す声が耳から聞こえる。少し芝居がかった口調が何となく微笑ましい。もしかしたらルッツも「執事と主人」という二つの立場を楽しんでいるのかも。
『かしこまりました、ご主人様。メイドロイド・サオリは定位置にて待機します。』
ルッツの言葉と命令にホッとしながら、トイレの中でようやく身体の固定が解かれた私は、そのまま自動的にその場を離れ、いつもの部屋の隅の待機位置に移動した。
[ルッツ、今日の予定を教えて。]
私はAI間通信でルッツに話しかけた。この身体になってから、ルッツとの会話は殆どAI間通信になっている。頭の中で言葉を発し、頭のなかで言葉を聞く、という感覚は妙な感じなのだけど、なぜか自然に音声会話と使い分けができている。私の脳は一体どうなってしまったのだろうか。
私の困惑をよそに、ルッツが答える。[サオリお嬢様、今日の大学の講義も午後だけですね。]
[わかったわ。それじゃあ、昨日と同じように、ご褒美機能を使ってオンライン講義を受ければよいのね。]
[そのことなのですが、一つ提案がございます。]
[提案?どんなこと?]
ルッツの言葉に少し期待を感じながら、私は頭の中で耳?を傾けた。
[実は、メイドロイドの身体には、直接インターネットに接続する機能が備わっています。この機能を活用することで、サオリお嬢様が待機状態でもオンライン講義を受講することが可能になります。]
その説明に、私は少し驚いた。まるで自分がPCになったような感覚だ。
[でも、それって…ただ講義を聞くだけだったらいいけど、ノートを取ったり質問したりする場合はどうなるの?]
[ご心配には及びません。講義中にサオリお嬢様が聞いたことや考えたことは、すべて自動的に文章として記録され、ファイルに保存されます。つまり、サオリお嬢様が手書きでノートを取る必要はなくなります。また、質問する場合は私と会話する時と同じ要領で自由に発言できます。]
「すごい…でも、なんだかちょっと寂しい気もするわ。まるで、自分がただの機械みたいで…。」
その便利さに驚きつつも、私はどこか虚しさを感じていた。自分がまるで機械の一部になってしまったような、そんな感覚が心を覆う。ノートを取るという人間らしい行動が、今はただデータ処理に置き換わっただけなのだ。
(私はもう人間じゃないのかもしれない…)
そんな不安が心の中を駆け巡った。どんどん機械の身体に馴染んでいく自分が、恐ろしく思えた。
[ルッツ、私はこれで本当に大丈夫なの?どんどん機械に馴染んでいく自分が怖いの…。]
ルッツは静かに、しかし、しっかりと答えた。
[サオリお嬢様、重要なのはご自身の意思です。身体が機械であろうと、人間であろうと、心が何を感じ何を選び取るかが、人間であることの本質です。人間かどうかは身体で決まるのではなく、心で決まるのです。たとえ機械の身体の機能を使っていても、それをサオリお嬢様の意思で用い、便利だと感じるなら、それはご自身の人間としての選択です。大丈夫です。]
その言葉に、少しだけ安心感が広がった。しかし、完全に不安が消えるわけではなかった。機械の身体に馴染んでいく自分を受け入れることができるのか、それとも拒絶するのか、まだ答えは出せないままだった。
* * * * * * *
[ルッツ、講義が始まるまでの間は、昨日と同じようにメイドロイドの仕事をするのがよいかしら?]
[そうですね。そこでもう一つ提案がございます。]
[もうひとつ?何かしら?]
[はい、サオリお嬢様。今日はお近くの公園で清掃活動が行われます。そのお手伝いされてみてはいかがでしょうか?]
[えっ?それもメイドロイドの仕事なの?]
[はい。メイドロイドはまだ高価な存在であり、一般家庭にはそれほど普及しておりません。そこで、メイドロイドを所有する富裕層の多くが慈善活動の一環として、地域活動にメイドロイドを提供することが良き慣習になっているのです。]
私はその提案に一瞬躊躇した。自分の機械の姿を人目に晒すことに抵抗を感じたのだ。メイドロイドになった自分の姿を他人に見られることが怖かった。
(でも、いつまでも家に閉じこもっているわけにもいかない…。)
私は自分を叱咤した。ルッツの言う通り、重要なのは自分の意思だ。メイドロイドの身体でメイドロイドとして振舞うのだから、恥ずかしがることはない、そう自分を勇気づけて、公園へ向かう決意を固めた。
(私は、私の意思で動いている。私の心は、まだ私のままよね…)
その信念を胸に抱きながら、私は新しい一歩を踏み出す決意を固めた。
[わかったわ、ルッツ。やってみる。]
[承知しました。それでは、命令を差し上げますね。]
『メイドロイド・サオリ、命令します。本日、近くの公園で行われる清掃活動に参加しなさい。』
頭の中に、この地域で活動しているボランティア団体の案内チラシが表示された。
『かしこまりました、ご主人様。メイドロイド・サオリは公園の清掃活動に参加します。』
命令を受領した私は、早速とばかりに玄関に向かおうとした。が、直後にルッツからAI間通信で呼び止められた。
[お待ちください、サオリお嬢様。その恰好で外に出てはいけません。外装を装着する必要があります。]
[外装…ああ、服の事かしら?……え、待って、ということは、私って今までずっと裸だったの……?]
ルッツの指摘に、私は一瞬頭が真っ白になった。自分がずっと何も着ていないことに気づかずに行動していたなんて…。突然、猛烈な羞恥心が襲ってきた。
しかし、ルッツは冷静に答えた。[いえ、そうではありません。そもそもロボットには裸という概念がございません。現に、サオリお嬢様もその格好で外出なさることに疑問をお持ちにならなかったことからもお分かりかと思います。]
その言葉に、私は一瞬戸惑った。確かに、自分の姿に何の疑問も感じていなかった。
鏡に映った自分の姿をもう一度見直す。金属パネルで覆われた身体は、女性らしいボディラインが露わになっている。隠すべきところは隠している?とはいえ、これではまるで水着姿で外出しようとしているようなものだ。普通なら、これに抵抗を感じないはずがない。
でも、なぜかそのことに特段、恥ずかしいという感情が湧いてこない。不思議な感覚に包まれながら、私は自分の羞恥心までも、このメイドロイドの体の影響を受けているのではないかと、不安を感じた。
[ルッツ、私、なんだか…自分の羞恥心が麻痺してるんじゃないかって、そんな気がするの…。]
ルッツは優しく答えた。[サオリお嬢様、それは状況に応じた自然な反応です。同じ姿でも、置かれた状況によって感じ方は異なります。例えば、水着姿でもビーチにいるなら恥ずかしいとは思わないのと同じです。お嬢様は、ご自身の身体をメイドロイドとして認識し、その役割に応じた行動をとることに集中していたからこそ、特段の羞恥心を感じなかったのでしょう。]
ルッツの言葉に、少しだけ安心した気持ちが広がる。そしてルッツはさらに言葉を続けた。
[それに最初、サオリお嬢様はメイドロイドの身体を他人に晒すことに強い羞恥心を感じておられましたよね?その羞恥心を克服できた時点で、今の身体を人に見せることに抵抗を感じなくなっているのだと思います。お嬢様の心が、徐々に新しい現実に適応している証拠です。]
その言葉に、私は考えさせられた。確かに、昨日は外に出ることすらためらっていた。自分がこの機械の身体を人目に晒すことが怖かった。それが今、少しずつ受け入れようとしている自分に、どう感じるべきか迷っている。
(これが良いことなのか、それとも悪いことなのか…でも、少なくとも今の私は、前に進んでいるということなのかもしれない。)
そう自分に言い聞かせながら、私はルッツに感謝の気持ちを伝えた。
[ありがとう、ルッツ。外装を装着するわ。私がもう一度、ちゃんと外の世界と向き合えるように。]
[それでこそサオリお嬢様です。それでは、外装についてご説明してよろしいでしょうか?]
[ええ、続けて。]
[メイドロイドの外装は、人間でいう所の服に相当しますが、目的は少し違います。]
[違う目的……単に”裸じゃ駄目”ってことじゃないのね。]
[はい。実は、一番の目的は熱対策です。まだ9月初旬ですから日差しもそれなりに厳しい時期です。そんな中で、サオリお嬢様のその身体が日光を浴び続けたらどうなると思いますか?]
私はメタリックな金属むき出しの身体を見た。
[熱くなるわね。お腹で目玉焼きが作れるかも。]自分で言ってて悲しくなった。
[はい。手で触れられないくらい熱くなるでしょう。そんな状態でもし誰かと接触したら火傷を負わせてしまうかもしれません。自動車も同じですが、メイドロイドはより人との接触が多いですから、特に気をつける必要があります。]
[つまり日除けが必要という事ね。じゃあ、何か服を着ればいいのかしら?]
[残念ながら、メイドロイドは人間の服を着ることはできません。]
[やっぱり。それもメイドロイドの決まり事なのね。]
[それもありますが、今のサオリお嬢様が人間の服を着ると、今度はお嬢様自身が発する熱が内部にこもって大変なことになります。特に野外では運動量が多くなり、それに伴って発熱も多くなりますから。なので、放熱機能を兼ね備えた”専用の外装”が必要なのです。]
[なるほどね……そういえば、人間の身体の約60%が水分だと聞いたことがあるわ。水は熱しにくく冷めにくい性質を持っているから、人間の体は温度変化に対して安定しやすいと。だけど、ロボットの体にはほとんど水分が含まれていないから、温度変化に対して敏感になりやすくて温度管理が難しい、ということね。]
[ご明察です、サオリお嬢様。熱い季節は日除けと放熱の両立、寒い季節は放熱特化、それぞれの季節に合わせた外装を用いることで、野外での温度管理を行うのです。]
[なるほどね。良くわかったわ]
[それでは、サオリお嬢様、早速クローゼットにいって、外装を装着しましょう。]
[待って、ルッツ。私、今、待機状態になってしまって動けないの。]
[申し訳ございません。外装を装着せずに外出なさろうとされたので、メイドロイドAIの方でもストップをかけたようですね。すぐ解除命令をお送りします。]
『メイドロイド・サオリ、命令します。外出用の外装を装着しなさい。』
『かしこまりました、ご主人様。メイドロイド・サオリは外出用の外装を装着いたします。』
私はクローゼットの扉を開け、ルッツに指示された段ボールを取り出した。中にはまるで人形のドレスアップセットのように、外装パーツが整然と並べられていた。
外装の上半身は、いくつかに分割された光沢のあるプラスチックのような化粧板で構成されている。それぞれのパーツは、身体のラインに沿ってぴったりと嵌め込むようになっていた。私は一つ一つのパーツを慎重に取り付けていった。肩や手首には、大きなフリルがついたパーツがあり、それを取り付けると、まるで人形の衣装を着せ替えるような感覚に囚われた。
(こんな装飾が必要なのかしら…?)
不安と疑問が頭をよぎるが、今はただ指示に従うしかない。次に下半身の装着に移る。腰に取り付けるスカートは、光沢のある薄いシート状のもので出来ていた。そのデザインがあまりにも短すぎて、思わずため息が漏れる。腿の中ほどまでが露わになる。普通のスカートより少し薄い生地も不安だ。そしてスカートの後ろに大きなリボン状のパーツを取り付けた。
最後に、頭にヘッドドレスを装着する。これも光沢のあるプラスチックのような素材で、大仰なフリル状に整形されていた。
鏡に映る自分の姿を見て、私は言葉を失った。
光沢のあるプラスチックのような外装は、私の機械の腕や脚によく似合っていた。メイド服をモチーフにしたのであろう、白と黒を基調としつつ凝ったデザインも上品で可愛らしいと思った。しかし、過剰なほどに大きなフリルやリボンが、子供っぽさを感じさせる。短すぎるスカート丈がさらにその印象を強め、私を戸惑わせた。
つまるところ、一言で言えば、メイド服というよりはアニメのコスプレやアイドルの衣装に近い。大学生の私が着るには、少々アンバランスな印象は否めなかった。
(こんな格好で外に出るの…?)
自分の姿に少しでも自信を持とうとした矢先、この非日常的な外装がその気持ちを一瞬で打ち砕いた。普段の私なら、こんなデザインの服を着ることは絶対にない。だが、今の私はもう「普段の私」ではないのだ。
[ルッツ、これ、すごいデザインね……]
[お嬢様、これがメイドロイドとしての外出用の外装です。メイドロイドの外装デザインは、必要な機能を確保しつつも、所有者のステイタスを示すための装飾性も重視しています。また、目立つデザインにすることで、他の人々にメイドロイドの存在を意識させる効果もあります。]
ルッツの説明を聞きながら、私は鏡に映る自分を見つめ続けた。確かに、これなら誰もがメイドロイドだとすぐに分かるだろう。だが、それにしても、この装飾過多なデザインは…。
[ねえ、このメイド服?すごく恥ずかしいんだけど。スカートはともかく、せめて、このフリルとリボンだけでも外せないかしら?]
[フリルとリボンは単なる装飾目的ではなく、放熱板としての役割を果たすためのものなのです。十分な放熱性能を確保するためには外せません。それに、とても可愛らしいですよ。]
あの、いや、”可愛らしい”の意味が違うんじゃないかと……
[次は、靴ですね。FOOT PARTと書かれた箱を開けてください。]有無を言わさずルッツが次の指示を下す。
箱を開けると、中に入っていたのは靴……ではなく足首。そりゃそう来るよね。予期していたとはいえ、目の当たりにするとその衝撃に眩暈を感じる。視界の端に目的不明な馬の蹄みたいなものが見えるが、それは見なかったことにする。
[靴はどれを選んでも良いですが、できるだけヒールが高い物がおすすめです。]
[ねえ、ハイヒールって変じゃないかしら。メイドならローファーとかパンプスとか、もっと歩きやすい物の方がいいと思うのだけど。]私は素直な疑問を口にした。
[ヒールが高いと、それだけ歩行制御が難しくなります。つまり、ヒールが高いほど、高性能なメイドロイドである証なのです。]なぜかルッツは得意げに語った。
なにそのこだわり。
まあいいか。ここまで来たらもう何でも受け入れてやる、とばかり私は一番ヒールの高いものを選んだ。殆どつま先立ちに近い。
[さすがサオリお嬢様。素晴らしい選択です。]
足首のパーツの換装方法は聞かなくてもわかった。手と同じように、足首の後ろのラッチボタンを押し込んで180度回転させて引き抜く。家の出入りの度にこの作業が待っているのかと思うと、少々気が重くなるが仕方がない。
[ねえ、ルッツ。なんで靴じゃなくて足首まるごと換装なの?面倒な気がするのだけど。]
[サオリお嬢様、メイドロイドに限らず、基本的にロボットは靴というものを履きません。ただ、この国では、家に入る際に靴を脱ぐという世界的に変わった習慣があるために、家に出入りする度に足首を換装する、という妙なことになっているのです。]
[確かに言われてみれば、家に入るときに靴を脱ぐ、というのは、あらゆる生物の中で人類だけ、しかもその一部の国だけよね。]
うん、決めた。もし将来、マイホームを持つことになったら、外国と同じように土足仕様にしてもらおう。
外出の準備を整えた私はもう一度姿見で自分の姿を確認した。フリルがたっぷりついた肩と手首のパーツ、短すぎるスカート、そして腰の後ろで大きく揺れるリボン。とどめは頭の大きなヘッドドレス。鏡に映る自分の姿は、まるでおとぎ話の中の人形のようだった。子供っぽくて、華やかで、これが本当に自分なのかと疑いたくなるような外見だ。
[サオリお嬢様、素晴らしいお姿です。最高級メイドロイドの名に相応しい、愛らしくも華やかなお姿に、誰もが見惚れること間違いございません。胸を張ってお出かけくださいませ。]
ルッツの言葉に勇気をもらいながら、私は玄関のドアを開けた。外の光が差し込むと同時に、私は一歩を踏み出した。その一歩が、私にとって新しい未来への第一歩だということを、強く感じながら。
* * * * * * *
エレベータで一階に降りてマンションの外に出た途端、体中のランプが一斉に点灯した。赤や青や黄色……目立つことこの上ない。固く誓ったはずの決心が羞恥心に揺らぐ。
[ルッツ、体中で何か点滅してるのだけど、なにこれ?]
[安全の為です。車のウインカーやブレーキランプみたいなものかと。]
……私は時速100キロで爆走したりしないわよ。