三日目・夜
帰り道は、来たときと同じルートを逆走するかたちだった。
新鮮味がないぶん、じわじわと眠気が忍び寄ってくる。
……というか、ガソリン代、高すぎないか?
高速のスタンドでは、堂々の200円オーバー。
昔は100円を切ってるのが当たり前だったし、つい最近までだって130円くらいじゃなかったか?
誰に言うでもなく、ぼやきながらアクセルを踏む。
そんなことを考えているうちに、空がじんわりと夕暮れ色に染まりはじめていた。
そろそろ今夜の晩ごはん、それに寝る場所、明日の観光ルートあたりも考えないといけない。
ちょうどそこそこ開けた街に差し掛かったタイミングで、助手席の娘に声をかける。
「なあ、晩ごはん、何食べたい?」
反射的に返ってきた答えは――
「しおラーメン! しおラーメン!!」
……まただよ。
視線を外に向ければ、ラーメン屋はちらほら見える。
まあ、入れなくはないけど、たまには肉とかでもいいんじゃないか?
そう思っていると、遠くに見覚えのある看板が目に飛び込んできた。
イオン。
全ジャンルのごった煮とも言える、巨大な選択肢の塊。
「……ふむ」
小さくつぶやいてから、そっと娘の説得に入る。
「なあ、今日はイオンでごはん買って、車で食べないか?」
「え〜、しおラーメン食べられるの?」
「いや、フードコートじゃなくて、スーパーのほう。お惣菜とか弁当とか、そういうやつな。カップラーメンはお湯がないからムリ」
娘はしばし考える素振りを見せたが――
「じゃ、ヤダ。しおーらーめん!」
……相変わらずブレない。
なにがそこまで彼女を塩ラーメンに突き動かすのか。
味なのか、語感なのか、それとも塩分と一体化した前世でもあったのか。
ここで、“汚い大人”は切り札を取り出す。
「……イオンってさ。ゲーセンもあるんだよなぁ」
その一言で、空気が変わる。
「ゲーセンいこう!!」
目を輝かせて、即座に方向転換。
手のひら返しにもほどがあるが――我等の勝利だ。
帰りの車内で、明日の話をする。
提案したのは「明日は遊んでから、自宅へ戻る」というプラン。
嫁の実家ではなく、自分たちの“家”へ。
「遊ぶ場所は、晩ごはん食べながら一緒に決めような」
娘はといえば、頭の中はゲーセン一色らしく、
「ふんふん、いいねそれ〜」と、聞いてるんだか聞いてないんだかよくわからない返事を返してきた。
まあ、聞いてないな、あれは。
イオンに到着するやいなや、娘は“サクラのお金”――祖父母にもらった自由資金――を手に猛ダッシュ。
UFOキャッチャーの前に立ったと思ったら、3枚ほどが吸い込まれていった。
残すところは、いよいよ「お札1枚」。
いわば大将、本丸。ここを崩せば後がない。
自分はというと、端の10円キャッチャーで駄菓子を狙ってのんびり時間つぶし。
そのうち娘も戻ってきて、一緒に50円分ほどプレイした。
結果は、マシュマロ3つ。地味。
だけど、1個落ちるたびに、娘がパッと表情を明るくして跳ねるように喜ぶ。
その無邪気さがなんだか眩しくて、それを見ているだけで十分だった。
とはいえ、紙幣が“玉”に変わった瞬間、それが一瞬で消える未来が見えたので、先に忠告を入れておく。
「いいか、半分はバックに入れとけよ。マジで」
「わかったわ!」
元気な返事。だけど、しまう気配はゼロ。
案の定、走って転んで盛大にぶちまけた。
――だから言ったのに。
それでもせっせと拾い集め、「これやりたい!」と指差したのは、見たこともないカービィのゲーム。
空気入れが2本ついていて、それを押すことでボールをカービィの口に入れるという謎の構造。
「……二人用? 一人でやるには無理がないか?」
近づいて値段を確認すると、200円の表示。
即・却下。
「ぶーぶー!」
不満を炸裂させる娘だったが、すぐに別の筐体に駆けていった。
その後は太鼓の達人とマリオカートを堪能。
終わったあとは満足そうな顔で笑っていたけれど、どうやらまだ足りないらしい。
目を光らせて、再びゲーセン内を駆け回りはじめた。
そして、再び――
娘はカービィのゲームの前に戻ってきた。
「これがやりたい」
その一言に、思わず足を止める。
……珍しい。
一度却下されたものを、もう一度やりたいと言ってくるのは、娘にしてはかなり珍しい反応だ。
「これが最後になるぞ? 本当にそれでもいいのか?」
そう尋ねると、娘は迷いなくうなずいた。
「うん! いい! やろう、父さん!」
元気いっぱいの顔でそう言われたら、もう断れなかった。
……いや、俺もやるのか、これ。
200円を投入。
二人並んで、空気入れの前に立つ。
カウントダウン。
スタート。
予想通り、ルールは単純すぎるほど単純だった。
空気入れを押す。ただそれだけ。
力もコツもいらない。ボールが飛んでいき、カービィの口へ入っていくだけ。
「……これ、ワニワニパニックの方がまだゲーム性あるな」
そう心の中で呟きつつ、無心でポンプを押し続ける。
せめて何かコツとか、タイミングとか、欲しかった。
やがて時間切れ。
点数が表示されるが、何がどうだったのかもわからないまま――終了。
特に演出があるわけでもない。
終わった、ただそれだけ。
拍子抜けのまま、娘と並んで筐体を離れた。
まあ、こういうのもあるだろう、と割り切りながら歩き出す。
娘は少し前を歩いていたが、途中でぱっとこちらを振り返る。
「すっごく楽しかったね!」
……今日いちばんの笑顔だった。
200円する、意味がよくわからないゲーム。
それで、こんなに嬉しそうに笑えるんだ。
子ども心ってのは――ほんとうに、よめない。
移動し、スーパーの食品コーナーにたどり着く。
もうすっかり夜だ。
売り場の棚には、ちらほらと「お値引き」シールが灯のように光っている。
ちょっと得した気分。財布にも優しくて、ありがたい。
それにしても――
なぜ子どもは、自分のカゴを持ちたがるのだろう。
そして、なぜそこへ迷いなくソーセージを3本も4本も詰めるのか。
「そんなに買っても食べきれないから」
そう言って、娘のカゴからソーセージを一本ずつ救出していく。
すると、黙ってじっと見ていた娘が、ちょっとだけ唇をとがらせた。
さて、こっちも夕食の構成を考えなければ。
メインはだいたい決まったけれど、あともう1品、決め手に欠ける。
まずはアルコール。
缶ハイボールを1本カゴに放り込む。
旅先で飲むお酒というのは、なんというか、味よりも“自由さ”がうまい。
麻婆豆腐のパック。
あと、つまみになりそうな小さな何かをひとつ。
昼にもらったお土産もある。
それを開ければ、もう立派なごちそうだ。
一方、娘はまだソーセージを離さない。
「ほんとにそれだけでいいの?」と聞けば、こくりと頷く。
それじゃ足りないだろうと、麺類コーナーに連れていくと、
目を輝かせてざるそばを手に取った。
「これね、すごくおいしいやつなんだよ!」
まるでどこかの名店の紹介でもしているように、
誇らしげにカゴへ入れていた。
会計を済ませ、道の駅へと移動する。
夜のとばりがすっかり降りてきていたが、気持ちはどこか軽い。
このあとの“宴”を思えば、疲れもどこかへ引っ込んでいた。
車を停め、後部スペースへと移動する。
布団を畳んでソファーのように整え、小さなテーブルを出す。
買ってきたものを、ひとつずつ並べる。
ランタンの光が、ふんわりと車内を照らす。
橙色が炎のように揺れる、やわらかな色合い。
まるでここだけ、時間から切り取られた“秘密基地”のようだ。
――これで、いい。
どこまでも安い缶のハイボール。
レトルトの麻婆豆腐。
ころがるソーセージ。
娘が選んだざるそば。
それと、いちごジュースの紙パック。
「かんぱーい!」
娘と紙コップをコツンと合わせる。
それだけで、今日一日の疲れがふっと溶けていく。
笑って、しゃべって、黙って、噛みしめて。
一つひとつが、きらきらと胸の中に積もっていく。
これ以上のごちそうなんて、たぶんどこにもない。




