第1章-8話「死闘への序曲」
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ヴァルドが静かに振り下ろした右手が、冷酷なオーケストラの指揮棒のように、死の演奏開始を告げた。
「攻撃開始!」
その短い号令に、訓練され尽くした帝国兵たちは機械のように反応した。
まず動いたのは、包囲網の後方に陣取る魔術師タイプの兵士たちだ。
彼らが腕や胸部に装着した軍用魔導結晶が一斉に駆動を開始する。強い光や派手な音を発することはない。ただ、周囲の空気がビリビリと震え、マナが急速に収束していく濃密な気配だけが、その異常な活動を物語っていた。
思考や微細なジェスチャーによって魔術コードが入力され、最適化された術式が瞬時に組み上がる。
次の瞬間、色とりどりの死の光点が、夜明け前の薄闇を引き裂いて燐へと殺到した。
灼熱を撒き散らす火球、触れるもの全てを凍てつかせる氷の礫、紫電を迸らせる雷の矢、不可視だが骨まで響く衝撃波――様々な属性を持つ小型の魔術弾が、文字通り雨霰のように降り注ぐ。
それは、個々の威力は低くとも、その数と密度によって対象を確実に削り殺すための、帝国軍の基本的な制圧戦術だった。
「ロリ、伏せろ!」
燐は叫びながら、ロリの小さな身体を背後の大木の、盛り上がった太い根元へと押し込んだ。彼女が完全に隠れたのを確認する暇もなく、自身は魔術弾の豪雨の中へと身を晒す。
抜き放った刀が、闇の中で銀色の軌跡を描く。
高速で回転させ、時には剣技で、時には最小限の魔力を纏わせた刀身で、飛来する魔術弾を可能な限り叩き落とし、斬り捨て、受け流す。
キィン! バチッ! ジュッ! ボンッ!
金属音、放電音、蒸発音、小規模な爆発音。様々な音が燐の周囲で絶え間なく鳴り響く。
全方位からの飽和攻撃だ。全てを防ぎきることなど不可能に近い。
いくつかの魔術弾が燐の身体を掠め、分厚い軍服を焦がし、皮膚を裂き、新たな傷を刻んでいく。鋭い痛みが走るが、構わず動き続ける。致命傷さえ避けられれば、まだ戦える。
だが、それはほんの序章、あるいは露払いに過ぎなかった。
魔術弾の弾幕が僅かに薄れた瞬間を狙い、前衛の兵士たちが雄叫びと共に突撃してきた。
特殊合金製の剣がきらめき、鋭利な穂先を持つ魔力槍が、燐の心臓、喉元、眼球といった急所を狙い、異なる角度、異なるタイミングで、波状的に突き出される。
彼らの動きには一切の迷いがなく、個々の技量もさることながら、複数で一つの敵を確実に仕留めるための連携が、完璧なまでに叩き込まれていた。
「くっ…!」
燐は歯を食いしばり、迫りくる白刃と穂先の嵐に応戦する。
もはや攻撃に転じる余裕など微塵もない。全神経を防御と回避に集中させる。
右から迫る剣を刀で受け止め、火花を散らしながら押し返す。
左から突き出される槍を、最小限の身のこなしで紙一重でかわす。
同時に足元を薙ごうとする別の剣を、跳躍して避ける。
着地と同時に、背後から迫る槍の穂先を、刀の腹で叩いて軌道を逸らす。
木の幹を蹴って三角飛びのように軌道を変え、敵の包囲の僅かな隙間を縫うように位置を変える。
かつて帝国最強と謳われた特殊部隊「時雨」で叩き込まれた体術、剣術、そして戦場の状況判断能力。その全てを総動員し、彼はまるで荒れ狂う波濤の中で必死に舵を取る小舟のように、猛攻の中を舞い続けた。
だが、相手は多勢。そして燐は満身創痍。
魔力はほぼ枯渇し、頼みの綱である軍用魔導結晶は、もはや何の反応も示さない沈黙の鉄塊と化している。
頼れるのは己の技量と、僅かに残った体力、そして燃え尽きかけの精神力だけ。
(連携を崩さなければ…じり貧だ…!)
このままでは、手数と物量に押し潰される。時間の問題だ。
燐は、枯渇寸前の魔力と、限界に近い精神力を振り絞り、思考だけで微弱な封印術式を発動させる。
それは、本来彼が得意とする、対象の魔力や法則そのものを捻じ曲げるような高度な術式とは比べ物にならない、ほんの僅かな「妨害」。
「封…!」
思考と同時に、突進してくる兵士の足元の地面が、一瞬だけぬかるみのように粘性を持ち、あるいは薄氷が張ったように滑りやすくなる。兵士は予期せぬ足元の変化にバランスを崩し、攻撃のリズムが僅かに乱れる。
「封!」
振り下ろされる剣の軌道が、燐の周囲に発生した微弱な斥力場によって、ほんの一瞬だけ、数センチだけ逸れる。燐はその致命的な隙を突き、身体を滑り込ませてカウンターの肘打ちを叩き込み、相手を怯ませる。
「封!」
突き出される槍の穂先に、瞬間的に重力のベクトルが上乗せされ、その質量が一瞬だけ増したかのように動きが鈍る。燐はその隙に体勢を立て直し、次の攻撃に備える。
これらの封印術式は、敵を倒すほどの力はない。
しかし、帝国兵たちの統率された連携に、僅かな、しかし確実な亀裂を生み出す。
その一瞬の隙が、燐に次の一手を打つための、あるいは死線を回避するための、貴重な時間を与えていた。
だが、その代償はあまりにも大きかった。
魔力だけでなく、術式を発動させるための精神力も急速に削られていく。
燐の呼吸はもはや喘ぎに近く、肩で激しく息をする。動きに、ほんの僅かだが、致命的になりかねない鈍りが現れ始めていた。
全身の傷口から再び血が滲み出し、既に赤黒く染まった戦闘服をさらに濡らしていく。鉄錆のような血の匂いが、腐葉土の匂いに混じって鼻をついた。
視界が時折白く明滅し、激しい耳鳴りが思考を妨げる。
もはや、精神力だけで辛うじて身体を支えている状態だった。
大木の根元に隠れたロリは、その一部始終を、息を殺して見守っていた。
目の前で繰り広げられる、圧倒的な暴力。
激しい戦闘の光と音。飛び散る火花と土煙。
そして、多数の敵兵に囲まれながら、傷つき、消耗していく燐の姿。
青藍の瞳は恐怖と不安に大きく見開かれ、小さな手は自身のネグリジェの裾を、爪が食い込むほど強く、白くなるまで握りしめていた。
「リン…!」
声にならない叫びが、彼女の喉の奥で震える。
何もできない。燐が「動くな」と言ったから、ただここに隠れていることしかできない。
その無力感が、幼い胸を締め付け、涙がとめどなく溢れてくるのを、必死に堪えていた。
後方で戦況を見つめるヴァルドの表情は、依然として冷徹なままだった。
燐の予想外の粘り、そして時折見せる奇妙な術式に、内心では僅かな苛立ちを覚えていたが、全体としては、消耗していく燐の姿を見て、勝利を確信している。時間の問題だ、と。
敵の攻撃は、一向に止む気配がない。
波状攻撃は途切れることなく続き、燐を確実に削り、追い詰めていく。
燐の体力も、魔力も、そして精神力も、もう本当に限界に近づいていた。
足元が大きくふらつき、刀を握る手に力が入らなくなってくる。
(くそ…ここまで、なのか…?)
朦朧とする意識の中、絶望的な考えが心をよぎる。
もう、立てないかもしれない。
もう、刀を振るえないかもしれない。
しかし、その瞬間。
背後の大木の根元から感じる、小さな存在の気配。
ロリの、必死な、祈るような視線。
彼女を守らなければならない。その想いだけが、燐の意識を繋ぎとめた。
「(いや…まだだ!)」
燐は奥歯を強く噛み締めた。
「(この子が…ロリがいる限り! 俺はまだ、倒れるわけにはいかない!)」
彼は、身体の奥底から、最後の意志力を振り絞った。
再び刀を強く握り締め、その切っ先を、迫りくる敵兵の群れへと向けた。
その瞳には、絶望の色を打ち消すほどの、激しい覚悟の光が宿っていた。




