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第2章-37話「遺跡調査という名の任務」


 翌日、バルカスは早速行動を開始した。彼はまず、自身の執務室に燐とリディア技術士官を呼び出した。部屋の扉は固く閉ざされ、魔術的な防諜結界が起動していることを示す微かなマナの揺らぎが感じられる。


「さて」


 バルカスは机の上に広げた白紙の羊皮紙を示した。


「昨日、貴様が話した『月の神殿』への調査。これを連合軍の正式な任務として上層部に提案する。そのためには、説得力のある『計画書』が必要だ」


 その言葉に、燐は僅かに目を見張り、リディアは眼鏡の奥の瞳を知的な好奇心で輝かせた。


「公式な任務、ですか?」


 リディアが問い返す。


「それは……可能なのでしょうか? 上層部の、特に保守派の反対は必至では?」


「だからこそ、連中を黙らせるだけの『大義名分』と『実利』が必要になる」


 バルカスは腕を組んだ。彼はリディアに向き直る。


「リディア技術士官。貴官には専門家として、この計画の技術的な裏付けを頼む。例の古代遺跡、月詠みの神殿が、いかに連合にとって価値のある場所か。古代魔導文明の失われた技術、未知のエネルギー原理の解明の可能性……改革派の連中が飛びつきそうな言葉を、学術的な体裁で可能な限り盛り込んでくれ。エルド教授の知恵も借りるといい」


「了解しました、軍曹殿」


 リディアは即座に頷いた。その頭脳は既に高速で回転を始めている。


「幸い、エルド教授から提供された資料には、その『月詠みの神殿』が、古代において高度なマナ制御、あるいは情報記録に関わる施設であった可能性を示唆する記述がいくつかあります。それを基に、連合の技術力向上に繋がる『期待される成果』を強調しましょう。もちろん、学術的な根拠は曖昧にせざるを得ませんが」


 彼女は悪戯っぽく片目をつぶった。

 次にバルカスは燐を見た。その視線は厳しい。


「リン・アッシュ。貴様には、任務の実行計画を担当してもらう。目的地までの具体的なルート案、想定される危険、魔獣、自然環境、そして追手、必要な装備、人員構成、日数……。元『時雨』としての経験を活かし、可能な限り現実的で、かつ成功の可能性がある計画を立案しろ。ただし」


 彼は付け加えた。


「あまりにも危険すぎる記述は避けろ。あくまで『管理可能なリスク下での調査任務』として見せかける必要がある。保守派への配慮も忘れるな。任務の主目的はあくまで『調査』と『対象者の安全確保』であり、戦闘は副次的なものだと強調しろ」


「……承知した」


 燐は短く答えた。バルカスの意図は理解できた。これは、上層部の派閥力学を利用した、一種の政治的な賭けなのだ。


 こうして、三人は極秘裏に「遺跡調査任務計画書」の作成に取り掛かった。それは奇妙な共同作業だった。


 元帝国兵の燐が、自身の経験と知識、そして東部辺境に関する情報を基に、緻密な行動計画とリスク評価を提示する。


 連合の技術士官リディアが、その計画に古代技術や未知のエネルギーといった学術的な錦の御旗を飾り付け、改革派の興味を引くような魅力的な期待される成果を記述していく。


 そして、現場の叩き上げ軍曹バルカスが、それらの要素をまとめ上げ、連合軍の公式文書としての体裁を整え、保守派への配慮、任務の危険性と管理責任の強調や、予算獲得のための現実的なロジックを巧みに織り交ぜていく。


 三者三様の知識、経験、そして思惑がぶつかり合い、磨き上げられ、一つの計画書が形作られていった。それは、表向きは連合の未来に貢献するための輝かしい調査計画であり、裏では多くの危険と欺瞞を孕んだ、危うい舟出の設計図でもあった。


 数日後、練り上げられた計画書は、砦司令官の承認、彼もまたこの厄介事を早く片付けたいという思いがあったのだろう、を経て、連合上層部、改革派が影響力を持つこの件に関する特別委員会へと正式に提出された。


 *   *   *


 連合本国の地下深く、厳重な警備下に置かれた会議室。

 魔力通信によって転送された「古代遺跡調査任務計画書」は、改革派の有力者たちの間で、熱狂的とも言える歓迎を受けた。


「見ろ! やはりグリフォンズ・ネストの報告は正しかった! 古代魔導文明の遺産! それも『神殿』だと!」


 軍強硬派の老将軍が、興奮気味に声を上げる。


「対象Xの能力……『原初の魔法』の秘密がそこに!? これを解析できれば、我が連合の魔術技術は飛躍的に進歩するぞ!」


 技術開発部門の責任者が、目を輝かせて付け加える。


「帝国に先んじる絶好の機会だ! あの元『時雨』の男が持つ情報と技術も利用できると……。リスクはあるようだが、得られる見返りは計り知れない。これは、まさに千載一遇の好機だ!」


 実利を重んじる政治家が、計算高い表情で頷く。


 彼らは、計画書に散りばめられた期待される成果に完全に魅了されていた。古代の失われた技術、未知のエネルギー原理、そして対帝国への軍事的優位性。それらは、彼らの野心と功名心を強く刺激するには十分すぎた。計画書に記された任務の危険性や、対象者の人権といった問題は、彼らにとっては些細なことに過ぎなかった。


 改革派は、この任務を早期に承認し、リディア技術士官を通じて確実に成果を掌握する方向で、すぐさま動き出した。


 しかし、その動きは、保守派の猛烈な反発を招いた。


 特に、ボルジア司祭や、彼と繋がるアステリア聖教の各宗派の代表、そして古い血統を重んじる貴族たちは、この計画を神への冒涜であり、世界の破滅を招きかねない愚行だと激しく非難した。


「言語道断! 異端の知識が眠るという遺跡に、あの『穢れた器』と帝国の裏切り者を送り込むなど、神への冒涜以外の何物でもない!」


「古代の伝承を忘れたか! 『始祖の涙』も『星詠みの唄』も、それは我々が触れてはならぬ禁忌の力! 下手に刺激すれば、再び『大崩壊』が訪れるぞ!」


「任務は即刻中止すべきだ! あの者たちを聖域に近づけてはならん! むしろ、厳重に封印するか、『浄化』するべきなのだ!」


 保守派は、上層部の会議で声高に反対意見を表明し、あらゆる手段で任務の承認を阻止しようとした。宗教的な権威、伝統、そして古代からの警告を持ち出し、改革派の動きを牽制しようとする。


 だが、改革派の勢いは強く、「国益」「技術発展」という現代的な大義名分の前には、彼らの宗教的な主張は劣勢に立たされた。


 それでも、保守派は諦めなかった。表立って任務を阻止できないと悟ると、彼らは水面下で、より直接的で、危険な手段を画策し始めたのだ。


 *   *   *


「……任務が承認されるのは、もはや時間の問題かもしれん」


 砦の地下深く、礼拝堂の奥にあるボルジア司祭の私室。彼は、腹心の過激派メンバー数名と向き合い、低い声で告げた。


「だが、我々は決して諦めん。奴らが『異端の知識』を手に入れる前に、そしてあの『穢れた器』が更なる災厄をもたらす前に、我々の手で始末する」


 彼の目には、狂信的な光が宿っていた。


「幸い、我々には『協力者』がいる。帝国からもたらされた、この『力』を使えば……」


 彼はテーブルの上に置かれた、あの黒い金属製の円盤、魔力攪乱装置と、そして別の小さな小瓶、中には特殊な魔術毒が入っている、を示した。


「出発の準備に紛れて、奴らの物資にこれを仕込むのだ。あるいは、砦を出た直後を狙い、追手を差し向ける。我らの『正義』のためには、多少の犠牲も厭わん」


 保守派の陰謀は、より深く、より危険な段階へと進み始めていた。


 帝国の諜報員たちもまた、この連合内部の混乱を好機と捉え、さらに暗躍を続ける。


「道化師」は保守派の過激行動を裏で支援、誘導し、「外交官」フォン・シュタインは改革派の有力者にさらなる見返りをちらつかせて帝国への協力を深めさせる。彼らは連合の混乱に乗じ、漁夫の利を得ることを狙っていた。すなわち、リン・アッシュ、ロリ、そして遺跡の秘密の全てを、帝国が独占するために。


 *   *   *


 数日後、連合上層部からグリフォンズ・ネスト砦へ、正式な命令が下った。


「古代遺跡調査任務」の承認。及び、リン・アッシュ、対象Xロリ、リディア技術士官、カイ斥候、セレス衛生兵を任務遂行部隊として任命する、という内容だった。


 ただし、その承認には、やはり厳しい条件が付されていた。


 バルカスの部下によるリン・アッシュと対象Xへの厳重な監視と、全ての行動、会話、能力発現に関する詳細な報告義務。


 そして、遺跡で発見された全ての情報、技術、遺物の所有権は、連合に帰属し、本国への即時移送を原則とすること。


 それは、燐たちを信頼しているのではなく、あくまで連合の管理下に置き、その成果だけを確実に手に入れようとする、改革派の冷たい思惑が透けて見えるものだった。


 それでも、燐にとっては大きな前進だった。


 公式な任務という大義名分。信頼できるであろう仲間たち。そして、砦の外へ出るための切符。


 彼は、バルカスからその決定を知らされた時、複雑な感情を抱きながらも、静かに頷いた。


 砦内は、任務承認の報を受けて、期待と不安、そして依然として残る対立の空気でざわついていた。


 出発の日が、刻一刻と近づいてくる。


 しかし、それと同時に保守派と帝国の見えざる脅威もまた、より具体的に、より危険な形で、彼らに忍び寄ってきていた。


 水面下での最後の攻防戦が始まろうとしていた。

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