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第2章-34話「軍曹への進言、開かれる道」

 グリフォンズ・ネスト砦の夜は、相変わらず重苦しい空気に満ちていた。

 先の模擬戦でリン・アッシュが示した圧倒的な実力は、確かに一部の兵士たちの認識を変えたかもしれない。だが、根強く残る帝国への憎しみ、異質な存在への恐怖、そして保守派による執拗な扇動と「二重スパイ」の噂は、依然として砦全体を不穏な影で覆っていた。

 バルカス軍曹の執務室の灯りは、その夜も遅くまで消えることはなかった。彼は一人、山積みの報告書と格闘し、そして何よりも、自身の内に渦巻く葛藤と向き合っていた。

(このままでは駄目だ…確実に、何かが壊れ始めている…)

 部下たちの報告は、日を追うごとに深刻さを増していた。兵士間のいさかいは絶えず、規律は緩み、保守派のボルジア司祭の影響力は無視できないレベルに達している。上層部は相変わらずのらりくらりとした指示しかよこさない。そして、あの二人……リン・アッシュとロリ。彼らを中心に、この砦は今、いつ爆発してもおかしくない火薬庫と化していた。

 バルカスは机の上の冷めきった茶を口に含んだ。渋みだけが舌に残る。この味は、今の自分の立場そのものだと思った。


 コンコン、と控えめなノックの音が響いた。

 時刻は既に深夜に近い。こんな時間に誰だと、バルカスは訝しげに顔を上げた。

「入れ」

「失礼します、軍曹殿」

 入ってきたのは、彼の最も信頼する部下である、斥候のカイと衛生兵のセレスだった。二人とも、どこか改まった、真剣な表情をしている。

「どうした、貴様ら。こんな時間に」

 バルカスは、椅子に深くもたれたまま、疲れた声で尋ねた。

「夜分に申し訳ありません」カイが代表するように一歩前に出た。「ですが、どうしても軍曹殿にお伝えしたいことがあり、参りました」

 彼の声には、普段の若々しい響きとは違う、固い決意のようなものが感じられた。

「話してみろ」

 バルカスは、無言で先を促した。

「はい!」カイは姿勢を正し、真っ直ぐにバルカスを見据えた。「単刀直入に申し上げます。リン・アッシュと、ロリちゃんを……このまま砦に置いておくのは、危険すぎます!」

 彼の言葉は、直情的だが、強い確信に満ちていた。

「保守派の連中の敵意は、もはや隠しようもありません。いつ、また奴らが暴走するか分かりません。街での襲撃や、訓練場での騒ぎ…あれは、もうただの嫌がらせじゃない。本気で彼らを消そうとしています!」

 彼は拳を握りしめ、続けた。

「それに、リンさんは…確かに元帝国兵かもしれない。でも、あの人は、ただの敵じゃない! あの模擬戦で見せた強さも、ロリちゃんを守ろうとする必死の姿も…俺は、この目で見ました! あの人が『スパイ』だなんて、俺には到底信じられません!」


 熱っぽく語るカイの隣で、セレスが静かに、しかし力強く言葉を継いだ。

「軍曹殿のご苦労は、私たち部下も理解しております。上層部からの命令、保守派と改革派の対立、そして砦全体の規律維持……。ですが、現状維持が最善策とは思えません」

 彼女の冷静な瞳が、バルカスを捉える。

「対象X、ロリは、依然として不安定な、しかし計り知れない力を持っています。保守派の過激な行動は、かえってその力を危険な形で暴走させる引き金になりかねません。それは、この砦、いえ、連合全体にとっても脅威となりえます」

 彼女は一度言葉を切り、そしてはっきりと言った。

「彼らを安全な場所へ移すか、あるいは……彼らが求める真実を探す手助けをすることが、結果的に最もリスクを低減させ、かつ連合にとっても有益となる可能性が高いのではないでしょうか。私たちが彼らを監視し、そして……守るのです」


 信頼する部下二人からの、予想を超えた、しかしあまりにも真摯な進言。

 バルカスは、声が出なかった。喉の奥が詰まったように熱くなり、両手を組んだまま、その指先だけが微かに震えていた。

 彼らは、単なる命令に従うだけの兵士ではない。自らの目で状況を判断し、自身の信じる正義のために、危険を顧みず行動しようとしている。その姿は、かつて自分が失った、あの若い分隊長の姿と重なって見えた。

(こいつらまで……そこまで言うか……)

 バルカスは、深く息をついた。

 部下たちの成長は誇らしい。彼らが抱く正義感も理解できる。そして、彼らの状況認識は、恐らく正しいのだろう。

 このままでは、何もかもが破綻する。保守派の暴走、改革派の利用、帝国の介入、そして何よりも、あの二人の命……。そして、それに巻き込まれるであろう、自分の部下たちの命。

(俺は……今度こそ、守らなければならない……)

 過去の後悔が、彼の背中を押していた。

 組織の論理や規律も重要だ。だが、それ以上に守るべきものがあるのではないか?

 彼は、ゆっくりと顔を上げた。その目には、もう迷いの色はなかった。腹は、決まった。

「……分かった」

 彼は、静かに、しかし重々しく言った。

「貴様らの覚悟、確かに受け取った。俺も、これ以上手をこまねいているつもりはない」

 カイの肩から力が抜け、セレスの瞳が僅かに潤んだ。

「ただし、俺たちだけでどうこうできる問題ではない。上層部を動かす必要がある。それには、相応の『理由』と『計画』が必要だ……リン・アッシュを呼んでこい。カイ、セレス、貴様らも同席しろ。これから作戦会議だ」


*   *   *


 バルカスの執務室に、再び燐が呼び出された。

 部屋には、バルカスに加え、カイとセレスも真剣な表情で待機しており、ただならぬ雰囲気が漂っていた。燐は訝しげにバルカスを見る。

「リン・アッシュ」

 バルカスは椅子に座ったまま、厳しい表情で切り出した。

「単刀直入に聞く。状況は最悪だ。このままでは、お前たちも、俺の部下も、この砦自体も危うい。それはお前も分かっているはずだ」

 彼は一度言葉を切り、燐の目を真っ直ぐに見据えた。

「……何か手はないのか? この状況を打開し、お前たちが安全に……そして、我々連合にとっても『有益な』形で、この砦を出て真実とやらを探るための、具体的な方法が」

 それは、驚くべき言葉だった。

 数日前まで、組織の壁として立ちはだかっていたはずの軍曹が、今、自分に助けを求めるかのように問いかけてきている。

 燐は、バルカスの変化と、そして同席しているカイとセレスの覚悟を決めた表情に、僅かな驚きを感じつつも、これが千載一遇のチャンスであると理解した。

 彼は、数日間練り上げてきた考えを、慎重に、しかし明確に述べ始めた。

「……一つ、可能性があるとすれば」

 彼は懐から、シスター・クレアから託された古文書の写しを取り出した。ただし、リリエルの名前が記された核心的な部分は、まだ伏せておく。

「東の辺境にあるという、忘れられた古代遺跡……伝承によれば『月の神殿』と呼ばれている場所がある。クレア殿や、エルド教授の見解によれば、ここには古代の……特に始祖の力に関する重要な秘密が眠っている可能性が高い」

 彼は言葉を続ける。

「ロリの力の謎、そして、俺自身の能力……あるいはその出自に関わる謎も、ここで解けるかもしれない。俺たちは、何としてもそこへ行く必要がある。それが、この状況から抜け出し、真実を知るための唯一の道だと信じている」


 バルカスは、燐が示した古文書の記述と、彼の言葉を注意深く吟味した。

「月の神殿……聞いたこともない名だな。だが、古代遺跡の調査、か……」

 彼の頭の中で、一つの計画が急速に形になり始めていた。

「……なるほどな」

 バルカスは頷いた。その目には、新たな光が宿っている。

「古代遺跡の調査。それならば、あるいは……公式な『任務』として、上層部を動かせるかもしれん」

 彼は燐、カイ、セレスを順に見回した。

「いいだろう。その『遺跡調査』という方向で、俺が動いてみる。ただし、成功する保証は何もない。それに、もし承認されたとしても、これはあくまで『連合軍の任務』だ。貴様らは、俺の、そして連合の監視下で作戦を遂行してもらうことになる。それでもいいな?」

 燐は、バルカスの言葉の裏にある複雑な計算と、それでもなお示された僅かな信頼を感じ取り、力強く頷いた。

「感謝する、軍曹」


*   *   *


 翌朝、バルカスは早速行動に移った。

 執務室に燐とリディア技術士官を呼び出し、扉を固く閉ざす。魔術的な防諜結界が起動し、微かなマナの揺らぎが空気を震わせた。インクと羊皮紙の匂いに、結界特有の金属めいた残り香が混じる。

「昨夜話した『月の神殿』への調査。これを連合軍の正式な任務として上層部に提案する。そのためには、説得力のある『計画書』が必要だ」

 リディアは眼鏡の奥の瞳を知的な好奇心で輝かせた。

「公式な任務、ですか? 上層部の、特に保守派の反対は必至では?」

「だからこそ、連中を黙らせるだけの『大義名分』と『実利』が必要になる」

 バルカスはリディアに向き直る。

「リディア技術士官。貴官には専門家として、この計画の技術的な裏付けを頼む。古代魔導文明の失われた技術、未知のエネルギー原理の解明……改革派の連中が飛びつきそうな言葉を、学術的な体裁で可能な限り盛り込んでくれ」

「了解しました」リディアは即座に頷いた。「幸い、エルド教授の資料に手がかりは十分あります。連合の技術力向上に繋がる『期待される成果』を盛大に飾り付けてみせますわ」

 彼女は悪戯っぽく片目をつぶった。

 バルカスは燐を見た。

「リン・アッシュ。貴様には任務の実行計画だ。目的地までのルート、想定される危険、必要な装備と人員。元『時雨』としての経験を活かせ。ただし、あくまで『管理可能なリスク下での調査任務』として見せかけろ」

「……承知した」

 こうして、三人は極秘裏に計画書の作成に取り掛かった。

 元帝国兵が緻密な行動計画を練り、連合の技術士官が学術的な錦の御旗を飾り付け、叩き上げの軍曹が公式文書の体裁と政治的な駆け引きを織り交ぜていく。それは奇妙な共同作業だった――立場も経歴も異なる三人が、一つの計画書に知恵を結集させている。リディアが嬉々として「期待される成果」を盛りすぎるのを、バルカスが「やりすぎだ、怪しまれる」と赤ペンで削り、燐が「この峠道は春先に雪崩が出る。迂回路を入れておくべきだ」と現実的な修正を加える。

 数日後、練り上げられた計画書は砦司令官の承認を経て、連合上層部の特別委員会へと正式に提出された。


*   *   *


 連合本国の地下深く、厳重な警備下に置かれた会議室。

 計画書は改革派の有力者たちの間で、熱狂的な歓迎を受けた。

「古代魔導文明の遺産! それも『神殿』だと!」軍強硬派の老将軍が興奮気味に声を上げる。

「対象Xの能力……『原初の魔法』の秘密がそこに!?」技術開発部門の責任者が身を乗り出した。「帝国に先んじる絶好の機会だ!」

 計画書に散りばめられた「期待される成果」は、彼らの野心と功名心を十分すぎるほど刺激した。任務の危険性や、対象者の人権といった些事は、彼らの視界には入っていなかった。

 一方、保守派は猛烈に反発した。

「言語道断! 穢れた器と帝国の裏切り者を、異端の知識が眠る遺跡に送り込むなど!」ボルジア司祭の声が会議室に響く。

「古代の伝承を忘れたか! 『始祖の涙』も『星詠みの唄』も、我々が触れてはならぬ禁忌の力だ!」

 だが、改革派の勢いは強く、「国益」「技術発展」という現代的な大義名分の前に、宗教的な主張は劣勢に立たされた。

 表立っての阻止が困難と悟ると、ボルジア司祭は会議室を出た足で、副官に短い指示を飛ばした。その目は、もはや説得を諦めた者の冷たさを帯びていた。


*   *   *


 砦の地下深く、礼拝堂の奥にあるボルジア司祭の私室。蝋燭の炎が揺れ、香と湿った石の匂いが混じり合う。

「……任務が承認されるのは、もはや時間の問題だ」

 ボルジアは腹心の過激派メンバー数名と向き合い、低い声で告げた。

「だが、我々は決して諦めん。奴らが『異端の知識』を手に入れる前に、我々の手で始末する」

 テーブルの上に、黒い金属製の円盤と、特殊な魔術毒の入った小瓶が並べられた。

「出発の準備に紛れて、奴らの物資にこれを仕込む。あるいは、砦を出た直後を狙い、追手を差し向ける。我らの『正義』のためだ」

 帝国の諜報員たちも、この混乱を好機と捉えていた。「道化師」は保守派を裏で支援し、「外交官」フォン・シュタインは改革派に甘い言葉を囁く。連合の内紛に乗じ、燐、ロリ、そして遺跡の秘密を全て帝国が独占する――それが彼らの狙いだった。


*   *   *


 数日後、連合上層部からグリフォンズ・ネスト砦へ、正式な命令が下った。

「古代遺跡調査任務」の承認。リン・アッシュ、対象Xロリ、リディア技術士官、カイ斥候、セレス衛生兵を任務遂行部隊として任命する、という内容だった。

 ただし、承認には厳しい条件が付されていた。バルカスの部下によるリン・アッシュと対象Xへの厳重な監視。全ての行動と能力発現に関する詳細な報告義務。そして、遺跡で発見された全ての情報、技術、遺物は連合に帰属すること。

 信頼ではなく、管理と搾取。改革派の冷たい思惑が透けて見える条件だった。

 それでも、燐にとっては大きな前進だった。

 公式な任務という大義名分。信頼できる仲間たち。そして、砦の外へ出るための切符。

 バルカスからその決定を知らされた時、燐は静かに頷いた。自然と、拳に力が入っていた。

 ついに道が開けた。閉塞した砦の空気に、一筋の風穴が穿たれた瞬間だった。

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