表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/39

第1章-3話「迫る影」

毎日更新するからぜひ見てね!


一人でニヤニヤするだけなのをやめました…


皆さんにもご覧いただける機会に巡り合えたら幸せです!

 

 静寂が、しんしんと降り積もる雪のように、洋館の埃っぽい客間を満たしていた。


 蝋燭の頼りない灯りが、壁際の椅子で眠る小さな女神――ロリの姿を、柔らかな陰影の中に浮かび上がらせている。

 規則正しい寝息だけが、この部屋に存在する唯一の音だった。


 燐は、壁に背を預けたまま、その寝顔を静かに見つめていた。


 先ほどの彼女の言葉が、重い響きを伴って彼の心の中で繰り返されていた。


『リンとの出会いを必然と思いたい。貴方と生きた事実と永遠を共にしたいのです』


 幼い見た目からは想像もつかない、永い孤独と絶望を経て紡がれたであろう、悲痛なまでの覚悟。


 その言葉は、帝国を追われ、仲間を失い、ただ死に場所を求めてこの森に迷い込んだはずの燐の心に、深く、深く突き刺さった。


 自分は、この存在を守るために生き残ったのかもしれない。いや、生き残らなければならないのだ、と。


 追放者としての絶望的な日々の中で、忘れかけていた温かい感情が、彼の胸の奥底で静かに蘇ってくるのを感じていた。守るべきものがある。それだけで、人はこれほど強く立てるものなのか。


 だが、感傷に浸っている時間は、彼らには残されていなかった。


 燐の研ぎ澄まされた感覚と、腕に装着された軍用魔導結晶が、無慈悲な現実を告げ続けている。


 魔導結晶からふわりと立ち上る淡い魔力の粒子が、燐の眼前に簡易的な索敵図を形成していた。その図上に表示される複数の赤い光点――敵性魔力反応は、もはや森の深部に潜む気配ではなく、明確な意図を持ってこの館へと接近しつつあった。


 その数は先ほどよりも明らかに増え、動きも速まっている。包囲網を狭め、突入の機会を窺っているのだ。


(斥候じゃない、本隊が動き出したか…! それも、予想以上に早い…夜明けを待たずに、この闇の中で決着をつけるつもりか!)


 魔導結晶の表示だけではない。燐自身の、大戦末期から妙に鋭敏になった第六感のような感覚が、肌を刺すような殺気と、複数の強力な魔力が蠢く不穏なプレッシャーを捉えていた。館を守る古代の結界も、外部からの断続的な魔術探査を受けているのか、空間が微かに歪むような感覚がある。


(この結界も、いつまで持つか分からん。ヴァルドほどの指揮官が率いる本隊だ。近代魔術による飽和攻撃を受ければ、どれほど強固な古代術式であろうと、破られるのは時間の問題だ…!)


 燐は即座に判断を下した。ここに留まることは、もはや緩やかな自殺行為に等しい。


 突入される前に、ここを出なければならない。


 彼は静かに立ち上がり、眠るロリのそばへ寄った。


 その穏やかな寝顔を見ていると、再び過酷な逃避行へと引き込むことへの躊躇いが、一瞬だけ心をよぎる。だが、その躊躇いはすぐに、彼女を守り抜くという強い決意によって打ち消された。


 燐はそっと屈み込み、彼女の小さな肩に優しく触れた。

 その華奢な感触に、改めて彼女の存在の儚さを思い知らされる。


「起きてくれ」


 できるだけ穏やかに、しかし切迫感を込めて声をかける。


「ん……」


 ロリは小さく身じろぎし、長い睫毛を震わせながら、ゆっくりと瞼を開けた。


 深い眠りの湖から引き上げられたばかりのような、少しだけ潤んだ青藍の瞳が、ぼんやりと燐を捉える。


「…リン…?」


 まだ状況を把握しきれていない、幼い声。


 燐は、その瞳を真っ直ぐに見つめ返し、低い声で、しかしはっきりと告げた。


「行くぞ。追手がすぐそこまで来ている」


 その言葉に含まれた切迫した響きに、ロリの瞳から眠気が一瞬で消え去った。


 驚き、そしてすぐに状況を理解したことによる不安の色が浮かぶ。しかし、彼女は取り乱すことなく、ただこくりと、しかし力強く頷いた。


「はい…!」


 その短い返事には、燐への絶対的な信頼と、これから訪れるであろう困難に立ち向かう覚悟が込められているように感じられた。


 燐はロリに向き直り、「急いで支度を」と促した。


 ロリは再びこくりと頷き、椅子から飛び降りると、自分が着ている純白のネグリジェの裾を気にし始めた。皺を伸ばそうとしたり、埃がついているのではないかと小さな手で何度も払ったり。そして、眠っている間についてしまったのだろう、月光を閉じ込めたような銀色の髪の癖を、指で梳いて一生懸命に直そうとする。


 その一つ一つの動きは、やはりどこかぎこちなく、覚束ない。まるで、身支度という行為そのものに、永い間、縁がなかったかのように。その不慣れさが、彼女が過ごしてきたであろう計り知れない孤独な時間を物語っているようで、燐の胸は締め付けられた。


(服は…これしかないのか? さすがにこの格好で森の中を逃げ続けるのは…いや、今は考えるな。まずはここを出ることだ)


 燐は内心の葛藤を押し殺し、自身の僅かな装備の状態を最終確認した。


 背嚢の中身は、最低限の医療キット、そして非常食と水筒。腰には、相棒ともいえる刀が鞘に納まっている。そして、腕の魔導結晶。そのエネルギー残量を示す表示は、依然として危険水域を示したままだった。


(戦闘になれば、魔術は使えないと思った方がいい。頼れるのは、この刀と、体術、そして…あるいは、この僅かな封印の力だけか…)


 彼は頭の中で、昨日探索した館の見取り図を精密に思い描いた。


 各部屋の配置、廊下の構造、そして崩落した左翼部分の状況。


 脱出ルートを瞬時に計算する。


(正面は不可。敵が待ち構えている可能性が高い)


(無事な右翼側も、同様に警戒されているだろう。それに、窓から飛び降りるわけにもいかない)


(残るは、裏手…崩落している左翼との境目にある、あの壁の亀裂だ。瓦礫が多くて足場は最悪だが、死角になりやすく、敵の警戒も比較的薄いはずだ。あそこから森へ抜けるのが、唯一の活路…!)


 ルートを確定し、燐は身支度――というよりは、落ち着かない様子で髪や服を気にしているだけだが――を終えたらしいロリに向き直った。


 彼女の顔には隠しきれない不安の色が浮かんでいるが、その瞳は燐を真っ直ぐに見つめ、揺るぎない信頼を示していた。


「よし。行くぞ」


 燐は最終確認を終え、ロリに手を差し出した。


「ロリ、俺から離れるな。そして、何があっても絶対に声を出すなよ。いいね?」


 ロリは黙って、しかし強く頷いた。


 そして、燐の大きな手を、彼女の小さな両手で、祈るように、あるいは自身の覚悟を確かめるように、しっかりと握り返した。


 ひんやりとしているが、柔らかい感触。そして、微かに伝わる、抑えきれない震え。


 燐はその手を強く握り返し、「大丈夫だ」と短く、しかし力を込めて囁いた。


 二人は、息を潜め、足音を極限まで忍ばせながら、薄暗い館の中を移動し始めた。


 埃っぽい客間を出て、静まり返った大理石の廊下を進む。


 月明かりはなく、窓から差し込むのは、森の木々の隙間から漏れる、頼りない星明かりだけだ。


 ホールを横切り、半壊した大階段を、瓦礫を避けながら、一歩一歩、慎重に降りていく。床板が軋む音、自身の荒い呼吸、そしてロリの小さな息遣いだけが、やけに大きく響く。壁の隙間からは、湿った夜風が吹き込み、古いカーテンを不気味に揺らしていた。


 そして、外から断続的に聞こえてくる、鈍い衝撃音。


 ドゥン…… ドゥン……!


 それは、館を守る古代の結界が、外部からの魔術攻撃を受けている音だった。その音は徐々に大きくなり、間隔も短くなってきている。攻撃が激化しているのだ。結界の限界は近い。


 張り詰めた空気の中、二人の、覚悟を決めた逃避行が、静かに始まった。


 目指すは、館の裏手、崩れた壁の向こうにある、深い森の闇。


 夜明けは、まだ遠い。そして、追手の影は、すぐそこまで迫っていた。

もし気に入ったら評価やレビュー、コメントなどお願いします!


反応頂けるとすごい嬉しいです。



よろしくお願い致します!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ