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第1章-2話「館での一夜」

毎日更新するからぜひ見てね!


一人でニヤニヤするだけなのをやめました…


皆さんにもご覧いただける機会に巡り合えたら幸せです!

 

 少しずつ夜の闇が、半壊した洋館を支配しようとしていた。


 崩れた壁の向こうからは、魔の深林特有の、湿った夜気が流れ込んでくる。


 風が木々を揺らす音に混じり、遠くで獣が咆哮する声や、名も知れぬ虫の声が、不協和音のように響いていた。


 比較的状態の良い客間で、燐は床に座り込み、黙々と自分の傷の手当てを続けていた。弱い蝋燭の火が照らす薄暗い空間でも傷が窺えるほどに重症だった。


 携帯医療キットの消毒液を左脚の深い傷にかける。傷口にアルコールが染みて、思わず顔をしかめる。歯を食いしばり、痛みに耐えながら、手慣れた様子で洗浄し、軟膏を塗り込み、新しい包帯を素早く、しかし丁寧に巻き付けていく。大戦を経験した兵士にとって、これくらいの自己治療は日常茶飯事だ。


 ふと視線を感じて顔を上げると、すぐ隣にある豪奢だが埃っぽい椅子に、ロリがちょこんと腰掛けていた。


 小さな足を床につかないまま、ぱたぱたと前後に軽く揺らしている。その大きな青藍の瞳は、燐の手当ての様子を心配そうに、じーっと覗き込むように見つめていた。その真剣な眼差しは、まるで怪我をした小鳥を見守るかのようだ。


(…近い近い。いや、心配してくれるのはありがたいが…)


 燐は内心で苦笑しつつ、手当てを終えた。


 この幼女は、やはりどこか普通ではない。見た目の幼さとは裏腹に落ち着いた口調、そして今見せているような、子供らしい無垢な仕草。そのアンバランスさが、彼女の存在をより一層神秘的に見せていた。


 永い間眠っていた? 人に厭われる存在? 彼女の言葉だけでは、何も分からない。


 だが、一つだけ確かなことは、このか弱そうな存在を、自分が放っておかないということだ。


「よし…」


 燐は立ち上がり、軽く脚の具合を確かめる。痛みはまだ深いが、動けないほどではない。


 彼は腕に装着された軍用魔導結晶に意識を向けた。帝国が誇る最新鋭の複合センサーと演算装置。索敵魔術に意識を集中させて魔力を流す。索敵モードを起動させた。


 簡単な術式が刻まれた魔導体は小型化され、膨大な量が、この小さな結晶体の中に内包されている。魔導体1つに魔力を流したところで、魔術1つ発動できない。しかし、それが複数組み合わさり、正しい経路で魔力が流れることで、魔術が発動される。


 魔導結晶は、複雑な魔術理論を、兵士個人の資質に関わらず安定して実行させるための超小型演算補助装置だ。これにより、再現性の低い『魔法』と異なり、訓練された兵士であれば誰でも均一な効果を発揮する『魔術』の運用が可能となった。近代の集団戦術は、この魔導結晶なくしては成り立たない。


 結晶体が淡い光を放ち周囲の魔力パターンや音波、熱源などを探り始める。


(…遠くに複数の反応。斥候か。まだこの洋館に気がついてないようだが、やつらがここを見逃すわけがない。)


 魔導結晶の探知結果と、それとは別に、まるで第六感のように働く自身の鋭敏な感覚が、館の外、森の中に潜む複数の人間の気配を捉えていた。微弱だが、間違いなく敵意を帯びた魔力の残滓。


 追手は夜通し、捜索を続けているらしい。


(この感覚…大戦末期から妙に鋭くなった気がする)


 燐は僅かな違和感を覚えつつも、思考を切り替える。


 音を立てないように窓際へ歩み寄り、カーテンの隙間から外の闇に目を凝らした。


 月はなく、星も見えない。完全な闇が、この禁忌の森を覆っている。


「…眠れないのですか?」


 背後からかけられた、凛とした、しかしどこか透き通るような声に、燐は振り返った。


 いつの間にか、ロリが椅子のそばに立って、こちらを見ていた。その瞳には、先ほどの心配の色に加えて、ほんの少しの好奇心が浮かんでいる。


「ああ。少し、目が冴えてしまってな」


 燐は正直に答えた。この状況で熟睡できるほど、神経は図太くない。


「そうですか…」


 ロリは少し残念そうな顔をしたように見えた。あるいは、彼女自身も眠れないのかもしれない。


「俺はリンだ。改めて名乗る」燐は言った。


「君は…名前、思い出せそうか?」


「私は…」


ロリは僅かに眉を寄せ、小さな手を顎に当てて、うーんと唸るように記憶を探る仕草をした。


「…目覚めたばかりで。靄がかかったようで…」


「そうか…」


無理に思い出させようとするのは酷だろう。


「じゃあ、俺が勝手に呼んでもいいか? 君のこと」


 幼女はぱちくりと瞬きをして、こくりと頷く。


「…ロリ、でいいか?」


 昼間の頭突きを思い出し、少し照れくささを感じながら尋ねると、幼女は再び静かに頷いた。


「はい。リンがそう呼びたいのなら」


 その瞬間、彼女の瞳に、ほんの僅かだが、嬉しそうな光が宿ったように見えた。


(…こんなんで呼ばれるのが、嬉しいのか?)


 彼は再び魔導結晶に意識を向け、索敵の感度を微調整した。腕の結晶体が操作に応じて、内部で微細な光のパターンを明滅させる。


「それは…なあに?」


 ロリが、興味津々といった様子で燐の手元を覗き込んできた。大きな瞳が、魔導結晶の微かな光を映してキラキラしている。


「ああ、これか? 魔導結晶だ。俺たちが魔術を使うための、まあ、道具みたいなものだよ」


「まじゅつ…」


ロリは不思議そうに繰り返した。そして、少し首を傾げながら続ける。


「…なんだか、聞いたことがあるような響きです。でも、リンがそれを使う時の…その…気配? は、私が知っているものとは、少し違うような…?」


「違う感じか?」


燐は聞き返した。


「俺の魔術の気配が、何かに似ていると?」


「似ているような…でも、もっと温かくて、複雑なような…むぅ」


 ロリはうまく説明できないことに、少しむくれたように唇を尖らせた。


(むぅ顔……!魔法と魔術を比べているのか……?)


 燐は内心で様々な可能性を巡らせたが、答えは出なかった。ただ、この幼女が持つ謎が、また一つ深まったことだけは確かだった。


「腹は…空かないのか?」


 思考を中断し、燐は話題を変えるように、背嚢から携帯食料の栄養バーを取り出した。半分に割り、ロリに差し出す。


「…あまり、感じません。でも…」


ロリは差し出されたバーを、小さな両手で大事そうに受け取った。


「…いただきます」


 そして、小さな口で、もぐもぐと、まるで巣穴に木の実を運ぶ前のリスのように頬張り始めた。その無心な姿は、殺伐とした状況の中にあって、一種の清涼剤のようだった。燐は思わず頬を緩め、自分も残りの半分を口にした。味気ない栄養補助食品だが、今はこれでもありがたい。


(…いかん、完全に絆されているな、俺は)


 気を引き締め、警戒を再開しようとした、その時。


 ブルッ…


 腕の魔導結晶が、微かな、しかし明確な警告の振動を発した。


 燐は即座に意識を集中させる。


 ふわふわと魔導結晶から漂う魔力が図を成し、索敵情報は、館を取り囲む複数の魔力反応が、ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めてきていることを示していた。


(…ここに気がついたか!)


 燐の表情が一気に険しくなる。


 窓の外の闇は、依然として何も見えない。だが、その闇の向こう側で、確実に脅威が迫ってきている。


「…!」


 燐の様子の変化に気づいたのだろう。


 ロリが不安げな顔になり、そっと燐のそばに寄ってきて、彼の着ている軍服の裾を、小さな指でぎゅっと掴んだ。


「リン…? どうかしたの…?」


 上目遣いで問いかけてくる瞳には、怯えの色が浮かんでいる。


 その小さな手が、微かに震えているのが分かった。


 燐はロリの頭にそっと手を置き、できるだけ優しく、安心させるように言った。


「俺を追ってた奴らがここに気がついたみたいだ…」


 掴まれた裾を優しく解きながら、


「大丈夫だ、俺が1人で出ていけば奴らは君に手を出さない。」


 その瞳の奥には、迫りくる脅威に対する、冷たい覚悟の光が宿っていた。


「あいつらを何とかしたらすぐに戻ってくるよ。」


 燐は優しく小さな頭に手を乗っけて、少しでも安心させようと試みる。


 けれどロリは直感的にそれは難しい事を理解していた。


「リン、私が一緒では迷惑ですか?」


「俺が連れてきてしまったんだ…ロリを巻き込むことは出来ない。」


 引け目を感じている燐はキッパリと断る。


「やっと目覚められたのです。永い眠りの中で私は自我を失いかけ、今は記憶すらままならない…けれどリンが私の前に現れたのはきっと必然に思えます。」


 静かな夜。幼女のか細い声は、薄暗い部屋に自信なさそうに響いた。


 俯いてた幼女は、きゅっと自分の服の袖を掴むと顔を上げた。


 燐の黒い瞳に映る彼女は壊れそうなほど不安を孕んだ佇まいで、しかしその淡い双眸には覚悟の色が伺えた。


「きっと…危ない事が待ってる、それこそ命の保証すら出来ない。」


「1人なら生き延びる事ができるのですか?」


 間髪いれずにロリが言う。その言葉は確信をつくようで燐は次の言葉を言い淀んだ。


「そんなこと私にもわかります。優しい嘘は時に残酷です。時の流れに逆らって生きてきた私には、その嘘がいつまでも残るのです。」


「例え出会いは偶然で貴方を失う事が必然だとしたら、私の中に永遠と残り続ける嘘と事実は、きっとどんなことよりも辛い…。」


「だから私は、リンとの出会いを必然と思いたい。貴方と生きた事実と永遠を共にしたいのです。」


 幼い見た目からは想像もできないような時間の積み重ねを感じた。どれくらい1人でここに居たのだろうか、燐は仮に自分が孤独に後悔と永遠を過ごす事を想像してみた。目の前にいる幼女がこの言い表せない孤独と絶望に苛まされて過ごした事を思うと、1人残す事の方がどんな危険よりも苦しいのだとさえ思えた気がした。


「分かった…。今は少し休め。酷い顔をしてるぞ。」


 そういわれた彼女は、不安と緊張で強張った表情を弛緩させて、優しい女神のような微笑みをみせた。


「わかりました。リンを信じますね。」


 そう言って椅子に座った小さな女神は燐の服の裾を掴んで、そのまま瞳を閉じた。


(そんな事しなくても、もう置いて行ったりしないが)


「おやすみ。」


 2人の間に静寂が再び訪れる。

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