第1章-10話「異質の光」
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ヴァルドの長剣が、浄化の光を纏い、燐の眼前に迫る。
帝国騎士団剣技・奥伝――『浄化の一閃』。
その切っ先が、燐の抵抗虚しくがら空きになった胴体へと吸い込まれるように突き進む。
もはや避けることも、防ぐこともできない。
万事休す。
(ここまでか…ロリ…すまない…守り、きれなかった…)
薄れゆく意識の中、燐は背後にいるであろう幼女の顔を思い浮かべ、自らの不甲斐なさを、深く、深く呪った。
諦めの念が、彼の心を完全に支配しかけた、まさにその瞬間――。
「―――っ!!」
岩陰で、唇を噛み締め、涙を堪えていたロリの中で、何かが弾けた。
燐を失うことへの絶対的な恐怖。
彼を守りたいという、心の底からの叫び。
何もできない自分への憤り。
それらの激しい感情が、彼女の中に眠っていた未知の力の奔流の堰を、ついに決壊させたのだ。
彼女の小さな身体から、眩いほどの、しかしどこか温かく優しい、青白い光の波動が迸った。
それは魔術的なエネルギーの放出とは明らかに異質だった。指向性を持たず、しかし森全体に染み渡るように、静かに、だが圧倒的な速度で広がっていく。
光と共に、まるで世界の時が一瞬止まったかのような、絶対的な静寂が訪れた。いや、音だけではない。風の動きも、木々の葉の揺らめきも、そしてそこにいる全ての生き物の呼吸さえもが、一瞬、停止したかのように感じられた。
「「「!?」」」
光の波動に触れたヴァルドと、彼を取り囲んでいた帝国兵たちは、例外なくその動きを完全に停止させた。
振り下ろされる寸前だったヴァルドの剣は、燐の眼前、あと数センチというところでぴたりと静止している。
突撃しようとしていた兵士たちは、その場で不自然な体勢のまま凍りついた。
魔術を発動させようとしていた者は、収束しかけたマナが霧散し、その場で硬直している。
彼らの意識は、辛うじて保たれていた。
だが、身体はまるで鉛に変わってしまったかのように、指一本動かすことができない。
魔導結晶も異常な反応を示し、強制的に機能停止状態に陥っている。
それは物理的な拘束ではない。魔法的な金縛りとも違う。
もっと根源的な、彼らの精神、あるいは生命活動そのものに直接干渉するような、未知の力。
憎悪や殺意といった激しい感情が、まるで冷水を浴びせられたかのように強制的に鎮められ、思考は鈍麻し、ただただ目の前で起こっている超常現象に対する、本能的な畏怖だけが心を支配していた。
「なっ…!? これは…なんだ…!? 体が…動かん…!」
「魔術ではない…!? 何が起こっている!?」
動けない兵士たちの中から、かろうじて絞り出すような驚愕と混乱の声が漏れる。
燐もまた、何が起こったのか理解できず、呆然としていた。
死を覚悟した瞬間に訪れた、あまりにも不可解な静寂と、停止した世界。
目の前で止まっているヴァルドの剣。動かない兵士たち。
そして、この場を満たす、清浄で、しかし有無を言わせぬ圧倒的な力の波動。
彼は、ゆっくりと視線を、光の中心へと向けた。
岩陰のそば。
小さな身体を震わせ、固く目を閉じたロリが、全身から淡い青白い光を発していた。
その光は、彼女の感情の昂ぶりに呼応するように、強く、弱く、脈打っている。
彼女の表情は苦しげで、細い肩が大きく上下していた。明らかに、この現象は彼女に多大な負担を強いている。
燐は悟った。
これが、ロリの力。
彼女の中に眠っていた、未知の力。
魔術とは全く異なる原理に基づく、「固有魔法」の発現なのだと。
(これがロリの本来の力…?!)
言葉を失うほどの衝撃。
そして同時に、彼女がこれほどの力を内に秘めていたことへの驚きと、それを今、自分のために使ってくれたことへの、言いようのない感情が込み上げてきた。
身体の自由を奪われたまま、ヴァルドもまた、驚愕と屈辱に目を見開いていた。
彼の憎悪に満ちた視線は、光を発するロリへと釘付けになっている。
「(なんだ、この力は…!? 魔術ではない…! 古代の記録にあった…まさか…これが…『始祖の力』の一端だとでもいうのか!? 馬鹿な! ありえん! このような存在が、今この時に…! 許さん、このような穢れた力が存在すること自体が…!)」
彼の脳裏に、一族に伝わる禁忌の伝承と、今回の任務の真の重要性が、改めて刻み込まれる。
ロリに対する警戒心と執着心は、憎悪と共に、もはや狂信的なレベルへと達しようとしていた。
燐は、我に返った。
この異常な現象が、いつまで続くかは分からない。
ロリの負担も限界だろう。
今は、逃げる。それが唯一にして最大の好機だ。
「ロリ!」
燐は動けない兵士たちの間をすり抜け、ロリの元へと駆け寄った。
彼女の身体から発せられていた光は、既に急速に弱まり始めており、その小さな身体はぐったりと力を失いかけていた。
「リン…」
か細い声で、ロリは燐の名を呼んだ。その瞳には、力を使い果たしたことによる疲労と、自分が何をしたのか理解できていないことによる戸惑いの色が浮かんでいた。
「よくやった、ロリ。もういい、今は休め」
燐は、力の限りを振り絞ってくれた幼女を、壊れ物を扱うように優しく、しかししっかりと抱きかかえた。彼女の身体は、驚くほど軽かった。
彼は、憎悪と屈辱に顔を歪ませながらも、まだ動けないでいるヴァルドと帝国兵たちを一瞥した。
そして、一刻も早くこの場を離れるため、向きを変え、森のさらに奥深くへと、再び駆け出した。
追手の脅威は、一時的に去ったのかもしれない。
あるいは、身体の自由を取り戻した彼らが、さらに激しい怒りと執念をもって、すぐに追ってくるだろう。
だが今は、それ以上に大きな問題が燐の心に重くのしかかっていた。
ロリの未知の力。
それは、絶体絶命の窮地を救う奇跡の光であると同時に、帝国が、そして恐らくは世界そのものが「禁忌」として恐れる、あまりにも強大で、危険な力の片鱗だった。
この力をどうするのか。
そして、この力を持つ幼女を、自分は本当に守りきれるのか。
燐は、腕の中でぐったりと意識を失いかけているロリを強く抱きしめながら、その重い問いを抱え、先の見えない森の闇の中を、ただひたすらに走り続けた。
事態は、さらに複雑な様相を呈し始めていた。




