お目覚め勇者様
勇者様の部屋は白に統一されており、案外落ち着いていた。金ぴかだったらどうしようかと思っていたが、私室はまともだった。
キョロキョロ見渡す中で、メルヴが高級そうな花瓶の中に収まっているのに気付く。
目が合うと、片手を挙げて挨拶してくれた。
『魔法使イサン、オハヨー』
「おはようございます」
花瓶の水には蜂蜜が垂らされており、メルヴにとって心地よい状態のようだ。
イッヌは今日も勇者様の足元を忙しなく動き回っている。私だったら確実に踏んでいるだろう。
「勇者様、お加減はいかがですか?」
「いいも悪いもあるものか! 世界のどこに、実の息子に催眠薬を嗅がせる親がいるのだ!」
「まあまあ、落ち着いて」
手がつけられないほどカッカしているので、迅速に大人しくさせるために必要な処置なのだろう。
「お前も、父上の味方をしやがって」
「それは仕方がない話です。私はこれまで、公爵様の支援のおかげで旅を続けてこられたので」
「私のおかげだろうが!」
「いいえ、公爵様の財産あっての旅路でした」
世の中は思いやりの心や情けだけで動いているわけではない。どうしてもお金が必要なのだ。
「もちろん、旅の道中で死んでいた私を助けてくださった勇者様には、格別の感謝をしておりますが」
「怪しいな」
まあ、勇者様が助けずとも、私には反回復魔法がある。
勇者様への感謝の気持ちは、ミジンコウキクサの種ほどの大きさしかなかった。
「感謝なんてしていないだろうが!」
「いいえ、一応、感謝しております」
「あってないようなものに違いない!」
私を疑うことに関しては勘が鋭い勇者様である。
その感覚は私以外の他人に向けてほしいのだが。
「魔法使い。あのあと、父と何を話していた?」
「勇者様の幼少期の肖像画を見せられました」
嘘ではない。会話が途切れたタイミングで、勇者様の幼少期が猛烈にかわいいという自慢が始まったのだ。
「父上は何をしているんだ……!」
「ちなみに、今の勇者様も負けず劣らず、かわいいと思っているらしいですよ」
「ゾッとする話だ」
勇者様はこんなにクソ生意気なのに、父親から愛してもらえるなんて奇跡のようなものだろう。
「なんだか意外でした。公爵様は威厳があって、勇者様に厳しく接していると思っていましたから」
厳しく躾けていたら、今の勇者様みたいに育っていなかっただろう。
あの親にしてこの子あり、というわけなのだ。
そんなことはさておき、これから勇者様はどうするつもりなのか。
疑問を投げかけてみる。
「勇者様、公爵様は勇者様を助けることはできないそうです」
「だろうな」
「イーゼンブルク猊下を糾弾しても、絶対に勝てないだろうと言っていました」
勇者様は拳をぎゅっと握り、眉間に皺を寄せて険しい表情になる。
「イーゼンブルク猊下が諦めるまで、耐えろと言うのか?」
「いいえ。公爵様は私に教えてくださいました」
勇者様に見せるために書いたメモを差しだす。
そこには王族が恐れる者がいる、と書いてあるのだ。
「これは、なんなのだ?」
「私にもよくわかりません。けれども、勝てる手段というものがあるようです」
魔王の討伐はひとまず勇者様(本物)に任せ、私達は私達の敵と対峙しなければならない。
もちろん、どうするかの決定権は勇者様にある。
解決せずに、魔王討伐に集中するのであれば、私もそれに従うだろう。
「いかがなさいますか?」
珍しく、本当に珍しく、勇者様は迷っているようだ。
勇者としての責任を果たすか、それとも自らの命を守るか、考えているのだろう。
「魔法使い、お前はどうしたい?」
初めて勇者様が私に意見を求めた。
またとない機会なので、率直に答える。
「正直、イーゼンブルク猊下をボコボコにしたいです」
「わかった。ならば、そちらを優先しよう」
「いいのですか?」
「ああ。偶然なのだが、私もイーゼンブルク猊下をボコボコにしたいと考えていたのだ」
どうやら私は、勇者様に物騒なお言葉を教えてしまったらしい。
公爵ならば、笑って許してくれそうな気もするが。
これから調査をする上で、ひとつだけ物申したいことがあった。
「あの、勇者様の金ぴかの鎧は目立ち過ぎると思うのです」
暗殺対象にされまくったのも、あの金ぴかの鎧が目印になっていたのだろう。
「今後、暗殺者達に見つからずに調査するには、変装が必要だと思います」
ただ問題は勇者様である。
彼がいくら使用人や商人の恰好をしていても、美貌や育ちは隠せない。
ただ佇んでいるだけで、育ちのいい男だとバレてしまうだろう。
「勇者様がどのような変装をするのかが鍵ですね」
「別に、恰好を変えればなんとでもなるのではないのか?」
「なりませんよ」
女装も考えたものの、勇者様は背が高いし筋肉質だ。女性物の服を着せても、女性には見えないだろう。
ガタン、と物音がする。振り返ると、ぶーちゃんが一冊の本を咥えていた。
本棚からチョイスした本らしい。いったい何を持ってきたのか。
手に取って、題名を読んでみる。
「これは――〝わかりやすい、夫婦の在り方〟?」
『ぴい!』
ぶーちゃんが主張していることに気付いてしまう。
おそらくだが、夫婦に変装すればいいのだ、と言いたいのだろう。
「勇者様、ぶーちゃんがいいアイデアを提供してくれました」
「なんだ?」
「私達は夫婦となって、調査をすればいいようです」
夫婦設定ならば、勇者様がいくら美しく、育ちがよくても目立たない。
周囲の視線はすべて勇者様にいくだろうから、私の粗も隠せる。
これ以上ない、変装だと思った。
「いかがでしょうか?」
「お前と夫婦の振りをするなんて、ゾッとするな」
「奇遇ですね。私もです」
ただ、変装をするだけで暗殺から逃れるのであれば、積極的にやるしかない。
偶然にも、勇者様も同じ気持ちだったようだ。
「それしかないと言うのであれば、仕方がないな」
「ええ」
ただ、夫婦の在り方というのは謎に包まれている。
ちょうど、手元に技術情報が書かれた本があるのだ。
一ページ目を開いてみる。
「――夫婦というのは、相手に期待しないことが重要」
なんだか為になりそうなことが書いてある。
「周囲へ夫婦仲が良好だとアピールするのも、大事なことです。具体的にどうやって示すのか。もっとも簡単なのは、お互いの呼び方です」
勇者様などと呼びかけたら目立ってしまうだろう。
夫婦の呼び方があるというのはありがたい。
妻へは〝ハニー〟や〝キティ〟。
夫へは〝ダーリン〟や〝スイートハート〟などなど。
「勇者様、読んでいて吐きそうになりました」
「同じく」
私達に夫婦の振りをするなんて、無理なのではないか、と絶望してしまった。




