ドクター・セルジュとの面会
昼間なのに薄暗く、肌寒い廊下を進んで行く。
時折、耳をつんざくような悲鳴が聞こえていた。何が行われているか見てきたばかりなので、全身に鳥肌が立ってしまう。
勇者様はしれっとした表情で、老人に問いかけた。
「おい、先ほどから聞こえる叫びはなんだ?」
「ああ、あれはモンスターの鳴き声でございます。ここの主は魔物使いですので」
ここにいるのはれっきとした人間である。モンスター扱いするなんて、酷いとしか言いようがない。
やはり彼らは、空っぽの者達を人間扱いしていなかったようだ。
イッヌは悲鳴に驚き、体をぶるぶる震わせていた。勇者様はそれに気付いたのか、イッヌを優しく抱き上げて歩く。
ぶーちゃんはさすが聖猪グリンブルスティと言えばいいのか。小さい体ながら、堂々とした足取りで進んでいた。
施設は見た目以上に広い。
階段を上がり、まっすぐ歩いた先にドクター・セルジュの執務室があった。
老人が扉をコンコンと二回叩く。すかさず、勇者様が「それは厠ですることだ」と言いそうになったので、慌てて口を塞いだ。
すぐに扉が開き、中から四十代後半から五十代前半くらいの、白衣に眼鏡をかけた中年男性が顔を覗かせた。
にっこりと柔和に微笑みながら、老人に声をかける。
「扉を二回叩くのは、厠だけですよ」
いや、あんたが言うんかい!
なんてツッコミそうになったものの、ぐっと堪える。
勇者様はそうだそうだ、と言わんばかりにコクコク頷いていた。
ドクター・セルジュは私達にも笑みを向け、話しかけてきた。
「勇者様がまさかこんな辺鄙なところにいらっしゃるなんて、とても光栄です。ささ、立ち話もなんですので、どうぞ部屋の中へ」
「邪魔する」
ドクター・セルジュの執務室には本がずらりと並んでいる。天井にまで本棚があり、ぎっしり隙間なく書籍が詰まっていた。恐らく、魔法で管理しているのだろう。本を取りだすところを見てみたいと思ってしまった。
「何もないところですが、寛いでくださいね!」
ドクター・セルジュは愛想よく言いながら、瓶に入っていた赤黒い液体をカップに注いでいく。なんだかドロドロしていて、酸っぱい臭いが漂っていた。
怪しさしかないので、千里眼で調べてみる。
アイテム名:毒草ジュース
概要:飲んだら体がしびれて動かなくなり、しだいに意識を失う。目が覚めても喋ったり、動き回ったりすることはできない。
見た目通りの、とんでもない飲み物だったようだ。
「どうぞ召し上がってください」
「ふむ、いただこう」
他人を疑えと言った私のアドバイスを、勇者様はすっかりぽんと忘れているらしい。
ドクター・セルジュが用意したおもてなしの毒草ジュースを勇者様はごくごく飲んでいた。
「どうぞ、あなたも」
「いえ、私は……」
「うっ!!」
勇者様は口を押さえ、苦しげな表情を浮かべる。そしてすぐに意識を失い、その場に倒れてしまったようだ。
ドクター・セルジュもここまで毒草ジュースの効果が早いとは思わなかったのだろう。眼鏡の奥にある瞳は驚きに染まっていた。
いや、その毒草ジュースはあなたが勇者様に飲ませたものなんですけれど。
白目を剥き、泡を吹いて倒れる勇者様を前にした私達は、少し気まずくなる。
たぶん、部屋を案内したあとに倒れるのが理想的なタイミングだったのだろう。
仕方がない、とここは芝居を打っておく。
「ああ、勇者様! 三日三晩寝ていないので、眠たくなってしまったのですね!」
寝ているようには見えないものの、ここを私ひとりで切り抜けられるとは思えなかった。
勇者様については眠っているだけ、ということにしておいた。
「すみません、すぐにでもお部屋を貸していただけますか?」
「あー、はい。構いませんよ。彼はどうしますか? 職員に運ばせることもできますが」
「いいえ、大丈夫です」
イッヌに勇者様を運べるか聞いたら、問題ないと頷いてくれた。
「では、部屋に案内しますね」
「お願いします」
勇者様を床の上に転がすと、イッヌが足首に噛みつき、ずるずる引きずり始める。
「あの、彼、大丈夫なんですか?」
毒草ジュースを飲ませておいて、引きずられる勇者様を心配するとは、どういう神経の持ち主なのか。
まあ、私から見ても、イッヌに引きずられる勇者様は大丈夫そうには見えないのだが。
「勇者様が変なところで死ん――じゃなくて眠ったら、イッヌに運んでもらっているんです。慣れているので平気ですよ」
「そ、そうなのですね」
別々の部屋を案内されそうになったが、私は勇者様の妹ということにしておいた。
すると、寝台が二台ある部屋を提供してくれると言う。
勇者様が死んでいるのは明らかなので、別々の部屋にしたら死体を回収されてしまうのは目に見えていた。
ひとまず、私が見張っておくしかない。
「しばしお世話になります」
「ええ。夕食は一緒に食べましょう」
「はい、ありがとうございます」
私は毒草ジュースではなく、食事に毒を混入させて仕留めるつもりなのか。
狡猾にも程があるだろう。
「では、のちほど」
ドクター・セルジュはそんな言葉を残し、去っていった。
まずは、うつ伏せに寝せていた勇者様の死体をひっくり返し、レイズ点薬を打ってみる。
すると、勇者様の体がビクンと新鮮な魚のように跳ねた。
「ヘゴッ!!」
奇妙な声を上げ、勢いよく起き上がる。
先ほどまでドクター・セルジュの部屋にいたのに、寝かされていたため、勇者様の頭上には疑問符が浮かんでいるように幻視した。
「ここは?」
「ドクター・セルジュから借りた部屋です」
「私はどうしてここに?」
「毒草ジュースを飲んで死んだからですよ」
「ど、毒草ジュースだって!? クソ不味いと思っていたが、まさか毒だったとは!!」
やはり、疑いもせずに飲んだようだ。
「あの男め! 絶対に許さん!」
部屋からでていこうとしたので、腕を掴んで引き留める。
「勇者様、しばらく大人しくしていてください!」
とりあえず、勇者様は死んでいると相手に思わせておくほうが得策だろう。
「このあと、夕食に誘われたのですが、勇者様は食堂の天井裏に忍び込んで、話を聞いていてください」
彼はなぜ、ここの施設を開いたのか。
空っぽの者達に才能を付与させ、最終的には何をしたかったのか。聞いてみたい。
「勇者様は頃合いを見て、ドクター・セルジュを捕らえてください」
「わかった」
夕食の時間まで、しばし英気を養うことにした。




