大森林の夜
大森林の外では夕方くらいか。
周囲はすでに真っ暗で、夜も更けるような雰囲気である。
そんな状況の中、勇者様は肩を抱いてガタガタと震えていた。
「勇者様、寒いですか?」
そう問いかけると、白い息がでていることに気付いた。
大森林は夜になると、急激に冷え込むらしい。朝方は霜が振っている可能性がある。
雪山に行くような毛皮の装備が必要だったのかもしれない。
「魔法使い、お前は寒くないのか?」
「まあ、言われてみれば寒いと思いますが、わりと耐えられる寒さですね」
「お前の体感はどうなっているんだ!」
雪を布団代わりに眠ったこともあるので、この程度の寒さはなんてことない。
勇者様は暖炉のある部屋で、ふかふかの布団の中で眠るような環境で育ったのだ。この寒さが辛く感じるのも無理はないだろう。
気の毒なので、再度焚き火を熾す。
勇者様はぶるぶる震えながら、炙り焼きになるのではと思うような距離まで火に近付いていた。
木の枝が必要になると呟くと、イッヌやぶーちゃんが拾いに行ってくれる。
本当にいい子達だ。
「勇者様、焚き火の火は絶やさないようにしていてくださいね」
「ああ、そうだな。この小さな火は命の灯火だ」
不吉なことを言ってくれる。ひとまず、夜間は交代で火の番をしたほうがいいだろう。
「そういえば、私達だけで野営をするのは初めてですね」
「言われてみればそうだな」
回復師がいた頃は、モンスターを絶対に寄せ付けない頑丈な結界の中、テントの中でぬくぬく眠っていた。
彼女が持ち歩いていた寝具はふわふわふかふか、このうえなく極上で、高級宿で眠るような心地を味わっていたのである。
当然ながら、私と勇者様の旅路にテントどころか、ぬくぬくできる寝具なんてない。
「勇者様、テントや寝具なんてありませんから、風邪を引かないように、マントに包まって眠ってくださいね」
勇者様は信じがたい、という目で私を見ていた。
「この私に、地べたで眠るように言っているのか?」
「そうですが」
「あのテントや寝具も、回復師が管理していた品だったのか」
「あんなもの、旅をしながら持ち運べるわけがないでしょう」
ショックを受けている勇者様に質問を投げかけてみる。
「勇者様、回復師様を追放したことを後悔していますか?」
「後悔? 別にしていないが?」
はっきり即答したので驚いてしまう。
「でも、彼女がいたら戦闘中に死ぬことなんてありませんし、おいしい食事は作ってもらえるし、温かい寝床を用意してもらえるのですよ?」
「それはそうだが、私は自分の発言や決定が間違っていると思ったことは一度もない。彼女との縁も、あの場で終わる運命だったのだ」
いくら酷い目に遭ったとしても、後悔という言葉は勇者様の中に存在しないらしい。
なんて強い人なのか。ある意味羨ましいと思ってしまう。
「でも、この先きっと、後悔する瞬間が訪れると思います」
「どうしてそう思う?」
勇者様の問いかけに答える代わりに、空を見上げた。
ふわり、と小さな雪の粒が降ってくる。
「勇者様、もう眠りましょう」
「お前が先に眠っておけ。朝方、火の番を頼む」
「わかりました。もしも火が消えてしまったときは、私を起こしてくださいね」
「ああ」
身を縮め、マントに包まるように横になる。
勇者様はごつごつと固い地面で熟睡できるのだろうか。心配でしかない。
目を閉じると、意識が遠退いていった。
『きゅん! きゅん!』
『ぴいいい! ぴいいいい!』
イッヌとぶーちゃんの焦ったような鳴き声で目を覚ます。
いったい何があったというのか。
瞼を開くと辺りは一面銀世界。熾した焚き火はきれいさっぱり消えていた。
私にも雪が積もっている。通りで肌寒いわけだ。
どうやら昨晩、大森林に雪が降ったらしい。一晩でここまで積もるとは。
ここでイッヌとぶーちゃんが、勇者様のすぐ近くで鳴いていることに気付いた。
「ん……? どうかしたんですか?」
声をかけると、イッヌが私のもとへ駆け寄ってくる。
『きゅうううん!! きゅん!!』
イッヌは私の袖を摘まみ、勇者様のもとへ誘おうとする。
何を言っているのか謎でしかないが、勇者様に何かあったのは確実だろう。
「はいはい、勇者様に何かあったのですね。わかりました」
全身に降り積もっていた雪を払い、勇者様のもとへと向かう。
ぶーちゃんが勇者の頬を蹄でぺちぺち叩いているところだった。
勇者様の頬には、ぶーちゃんの蹄の痕がたくさん付いている。
「勇者様、どうしたんですか?」
顔を覗き込んだ瞬間、ヒュ! と息を飲み込んでしまう。
勇者様の唇は真っ青で、顔から血の気のいっさいがなくなっていた。
「勇者様、起きてください! 勇者様!」
そういえば、以前ギルドで噂話を耳にした覚えがある。
体の熱が急激に奪われると、人は生命を維持できなくなってしまうと。
焚き火の火を絶やさないように言っていたのに、勇者様はすっかり忘れ、火の番を私に任せる前に眠ったようだ。
皆で勇者様の体を揺すっていたものの、いっこうに反応はない。
まさかと思い、首筋に指先三本を当ててみる。
通常であれば、ドクドクと脈打っているはずだ。
けれども勇者様の脈は反応がない。
鼻先に手を近付けてみても、吐息を感じなかった。
瞼をこじ開け、瞳を覗き込む。
瞳孔が開いたままだった。
つまり、これらの特徴が示す意味は――。
「し、死んでる!?」
勇者様は極寒の中で、ひっそりと命を落としていた。
死因:勇者→低体温症




