市場へ行こう!
聖都の大通りには、さまざまな食材が売られている露店が並んでいる。
店の数は多く、品数も豊富だ。
多くの人々が行き交っているものの、聖都だからか皆、品よくお買い物をしているように見えた。
この人混みだと、イッヌははぐれてしまいそうだ。抱き上げて運んであげる。
抱っこされるのは初めてだろうに、イッヌは大人しくしてくれた。
「さて、買い物を始めるか!」
まずは食品から買うらしい。
「クリームシチューを作りたい!」
「はあ」
勇者様はキョロキョロと店を見る中、乳製品を売る店の前でぴたりと止まった。
店には、チーズとミルク、バター、ヨーグルトなどが販売されている。
しばし悩んでいたようだが、自分で考えることを諦めたのか、くるりと振り返って質問を投げかけてくる。
「魔法使いよ、回復師が作っていたクリームシチューには、何が入っていたか覚えているか?」
「おそらくミルクでしょうね」
「おお、なるほど!」
ミルクを注文しようとした勇者様に、待ったをかける。
「勇者様、ミルクを常温で持ち歩いたら、腐ってお腹を壊しますよ」
「なんだと!?」
勇者様は眉間に皺を寄せ、理解しがたいという目で私を見る。
「半日から一日持って歩いたら、確実にダメになるかと」
さらに移動中激しく振ったら、ミルクはバターになっているかもしれない。
「回復師はどうやって、ミルクを持ち歩いていたというのか!?」
「おそらくですが、食品保存の魔法を使っていたのでしょう」
回復師が調理の途中にミルクを飲ませてくれたのだが、とても冷たかった。
食品が腐らないように、魔法を施していたのだろう。
「勇者様、クリームシチューは諦めましょう」
「ぐぬぬぬぬぬ!!」
本当にミルクが腐るか試してみる、と言い出さないか心配だったものの、わかってくれたようでホッと胸をなで下ろした。
フォレスト・ボアの肉を食べてお腹を壊したことが、彼にとっていい経験になっているのだろう。
続いて勇者様が立ち止まったのは、新鮮な魚を売るお店である。
「魔法使い! 魚のスープは作れるだろうが!」
「魚もわりとすぐに腐ります。それに魚は生臭いです。冒険向きの食材ではありません」
「このおおおおお!!」
さらに、勇者様は卵を売る店の前で立ち止まった。
「おい、魔法使い、フワフワのオムレツならば作れるだろうが!」
「ダメです。卵はすぐ割れるので、冒険向きの食材ではありません」
「卵の殻というのは、そんなに脆い物なのか?」
「ええ。落としただけで、割れてしまうのですよ」
勇者様は驚愕の表情を浮かべ、信じがたいという視線を卵に向けている。
これまで卵を割ることすら無縁の人生だったのだろう。
「それだけでなく、あのフワフワのオムレツは調理がとても難しく、初心者が作れるような料理ではないのですよ」
「くそがあああああああ!!!!」
皆、静かに品よく買い物をしている中で、汚い言葉遣いをしないでほしい。
お坊ちゃんのくせに、「くそが」だなんてどこで覚えてきたというのか。親が悲しむに違いない
勇者様はズンズンと大股で市場を進み、今度は精肉店の前で立ち止まった。
干したエイのような表情で私を振り返り、叫んだ。
「おい!! どうせ肉も腐るんだろうが!!」
「そのとおりです」
やはり、旅する中で街で食べるような料理を作ること自体に無理があるのだ。
料理の心得や食材の運搬方法がない者達は、大人しく干し肉を食べるしかないのだろう。
ふと、精肉店の店先に吊してあるソーセージやハムを発見する。
あれくらいならば、塩や薬草を混ぜて腐りにくくしているので、一日か二日くらいであれば持ち運べるかもしれない。
ハムと干し野菜を煮込んだスープくらいであれば、私達にも作れるだろう。
提案してみようとした瞬間、勇者様は邪悪な微笑みを浮かべながら私を振り返った。
「おい、いいことを思いついたぞ!!」
まるでこの世界を滅ぼしてくれる! と宣言する魔王のような形相で、勇者様はとんでもないことをおっしゃった。
「魔法使いよ! ここにいる黒い子豚を一頭買いして、旅の途中で食べるのはどうだろうか!?」
精肉店の前には、檻の中に入れられた子豚の姿があった。
値札がぶら下がっており、銀貨三枚と書かれてある。
「大きくなるまで育てて、一番脂が乗っているときに食べるんだ」
「あの、もしかしてそれまでこの豚を連れ歩くつもりですか?」
「そうだが?」
料理人を連れて行くより、子豚を連れていくほうが百万倍マシである。
もしもはぐれたとしても、仕方がないの一言で片付けられるし。
「いいな? 買うぞ?」
「勇者様がお世話してくださいね」
「もちろんだ! 任せてくれ!」
勇者様は元気よく、店主に「この豚を言い値で買おう!」などと尊大な態度で言っている。慌てて値段は銀貨三枚だと教えてあげた。
「イッヌ、私達に新しい仲間ができるそうですよ」
『きゅん!!』
イッヌは嬉しそうな声で鳴く。ライバル出現とは思わないようだ。
「それにしても、黒豚なんて初めて見ました」
この辺りで飼育されている、固有種なのだろうか。
千里眼で黒い子豚を調べてみる。
真名:聖猪グリンブルスティ
年齢:五千七百歳
体長:三十
状態:呪い(※力のほとんどが封じられている)
「――え?」
聖猪グリンブルスティというのは、神話に登場する神が騎乗する聖なる猪ではないのか。なぜ、グリンブルスティが精肉店で銀貨三枚の値段が付いているのか。
「ゆ、勇者様、なりませ」
「この豚畜生の名前は、非常食のぶーちゃんに決めたぞ!!」
『ぴい!』
勇者様が命名した瞬間、グリンブルスティは応じるように鳴き、頭上に魔法陣が浮かび上がった。
命名:非常食のぶーちゃん(※真名:聖猪グリンブルスティ)と古代文字でしっかり刻まれていた。
「う、嘘でしょう!?」
聖猪グリンブルスティ改め、非常食のぶーちゃんが仲間になってしまった瞬間であった。




