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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魅する首

落花を捧ぐ

作者: 葉霜雁景

従者の遺書

 これは遺書であり、告白文であります。この山奥の別荘にて、私が仕えております若き主が過ごされた日々と、私が懐くおぞましき慕情の告白文であります。


 私がこの遺書を書いているのは、雪に閉ざされた二月の夜、真夜中です。都のお屋敷では、庭の梅がほころんだ頃合いでしょうか。こちらでも梅が、可憐なつぼみを今にも開きそうにしていて、主が今か今かとかんばせを輝かせながら見守っております。


 これをお読みになられている方々は承知のことかと存じますが、主は花を愛でられるお方であります。周知のことでも繰り返し言わずにはいられないほど、花を愛していらっしゃるのです。あの方の傍に十年近く仕えているこの身に、今なおひしひしと感じられるほどの愛を懐いておられるのです。

 主は様々な花を、等しく愛でていらっしゃいました。野に咲く自由な花も、温室で丁寧に育てられた花も、汚れ一つない御手で大切に触れていらっしゃいました。花の管理を請け負っていた身としては、あの御手が汚れず宝物を愛でていることに、誇らしさを感じておりました。


 今年の四月から主は病を患い、学校を休学なさって、この別荘で療養の生活を始められました。最初は未知の領域たる山奥に臆していたようですが、洋館である別荘の周囲には点々と花畑があって、すぐに笑顔を取り戻しておられました。

 春から夏にかけて、主はたいへん嬉しそうに、楽しそうに過ごしていらっしゃいました。定期的に訪問なさるお医者様をはじめ、近隣の村の方々とも積極的に交流なさり、その姿は皆様から「病にかかっているとは思えない」と言われるほどでした。実際、主も病のことなど忘れていらしたのでしょう。病は気からという言葉を、この時ほど実感したことはありません。

 主は、晴天であれば元気に出かけて人々と交流し、雨天であれば自室の窓辺で、人々が何をしているのかと物思いにふけっておいででした。


 季節は秋に進み、九月の末。主は久しぶりに花を愛でられました。春と夏は交流に時間を費やしていらしたので、私もあまり仕事らしい仕事をしていなかったのですが、この頃から忙しくなりました。同時に、忘れられていた主の病が、じわじわと存在を大きくしていき、日常に緊張を紛れさせていたのです。

 別荘にもお庭がありましたので、私は他の従者仲間と、春から夏の間に土台作りを済ませておりました。ここで花を育て、主に献上するのです。もっとも、主はいかなる花も等しく愛でられるお方ですから、この庭以外から摘み取った花や、雑草ですら献上することもありました。馴染みの業者や、この山奥で新たに得た同僚から送ってもらった花を、捧げることもありました。


 主は、人々との交流を有意義なものとして受け止め、満たされておいででしたが、花を愛でるとなりますと話が別です。前述の通り、そしてこれを読んでいらっしゃる貴方様もご存知の通り、あの方は花を愛しているのですから。山々が錦繍きんしゅうの装いに衣替えをしても、高く澄んだ空に絹雲けんうんが現れても、月が美しく輝いても、人々が豊穣を祝い感謝の祭祀を行っても、あの方の心を奪い取ることはできないのです。あの方は花を愛しているのです。


 さらに季節は進み、冬が来て山も村もいっそう寂しさを増す頃、主の病もまた重くなり、毎日まいにち花を求めておいででした。

 外の景色は、おもむきを感じ取ろうとすれば感じられるのかもしれませんが、やはり虚しいことに変わりありませんでした。人々もいわゆる冬籠りに入って外出が少なくなり、主の日々に閑寂の陰が忍び寄っていたのです。私のような、風情に疎い凡人ですらそう思ったのですから、主が癒やしとして花を求めたのも、仕方のないことでございましょう。

 いつしか、別荘は至る所を花で飾られ、埋め尽くされておりました。主は花を見るたび、憂いを忘れて微笑んでいらっしゃいました。


 先ほど、私は風情に疎い凡人と申しましたが、別荘を彩る花々の中で微笑む主の姿に、極楽浄土を散策する天上の住人を重ねて感激しておりました。元より類稀たぐいまれな容姿と気品を持ち合わせ、所作もなめらかで優雅なお方が、色とりどりの花に囲まれて笑みを咲かせているのです。その美しさは、私の貧弱で乏しい言葉で飾るなどとんでもない、絶対的な美でありました。

 けれど、ああ、けれど。私は己の凡庸ぼんようと貧しさを熟知していながら、あの方を想い慕う心を殺せずにいたのです。数多の花と同じように、あの純粋な御手で触れていただけたら、と。浅ましい夢を見ては陶酔していたのです。


 私はこの慕情を、主の目に触れさせまいと固く決意しておりました。しかし、この文をしたためている今より少し前、奇跡が起きたのです。なんと主自ら、私を求めてくださったのです。これは夢かと疑いましたが、主は繰り返し、勿体ないほどの言葉を並べて、私に下賜してくださったのです。

 あの時、私の全身を満たした狂喜、恍惚は、いくら言葉という枠組みを与えても溢れ、収まりきらないほどでした。今この時も、私の心臓は握り潰されるかと思うほどの幸福に震え、歓喜の声を上げているのです。


 私はみっともなく、涙をにじませ声を震わせ、主に私の花を――《《私の首を》》、献上しますと申し上げました。私がいかにいやしく、浅ましく、おぞましい存在でも、主が私の首を抱いた瞬間、すべてが浄化されるでしょう。今まで捧げてきた花々、《《数多の首とともに》》、あの方をうるわしき天上人たらしめる一部となれることの、なんと幸せなことか!

 それだけではないのです。信じられないことに、それだけではなく、主自ら私の首をねてくださるというのです。馴染みの者が困難の末に入手したギロチン、その刃をあの方が自ら、我が首に落としてくださるというのです。こうして書いている今も信じられないことですが、確かにそう仰せになられたのです。

 お前の首は、ずっと大事にすると。ありがたい言葉を何度もかけていただきました。本当に、私は幸せ者です。


 しかしながら、私は、ここまで幸福を味わわせていただきながら、おぞましい願いを懐いたのです。私の首ただ一つを愛でてほしい、私が捧げた数多の首を捨てて、私の首だけを抱いてほしいという、どす黒くて醜い欲望が無尽蔵に湧いてくるのです。

 我が主。もしも貴方様がこれを読んでいらっしゃるのなら、申し訳ありません。愚かな従者の醜い願いを赦してください。私の唯一の恋をお赦しください。貴方の膝に載せられ、神聖すら帯びたその御手で触れられることを、本当はずっと夢見ていたのです。貴方に焦がれていたのです。畏れ多くも、貴方の首を抱くことすら夢想したのです。貴方が、私の首をいつまでも離さずにいてくれるのなら、私は地獄の責め苦さえも耐えられます。


 醜く、卑しく、けがれた我が身体を書き残し、記したことは、多くの人々から非難され、忌避され、糾弾されることでしょう。けれども、書かずにいられなかったのです。知ってほしかったのです。私のくらよろこびを。多くには理解されないだろう、我が主の美しさを。

 懐いていたものは、全て書きました。それでは、さようなら。私の首は、どうか主と共に埋めてくださいませ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] さながらサロメを想わせる物語……ゆがみながらも確かな熱をもって燃えあがる愛はおぞましくも美しく、読み終えたあと、しばらく余韻に捕らわれました。素晴らしいです。
[一言] 首に触れ 新雪に落ちる 椿かな 人の愛情のようにも見え 愛でられた花の欲情にも見え。
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