7:私は白虎の王子様
朝、いつもと同じ時間に目が覚める。直ぐに洗面台へ向かい、寝ている間に少しぼさついた深紅の髪を梳かし、少し長い右側の横の髪を編み込む。すっかり慣れたものだ。その後肩の少し下まで伸びた後ろの髪を一纏めに結び、邪魔にならないよう左肩にかけた。
「おはよう、王子としての……私」
そうして私はレーゼズ王国第一王子として目を覚ます。今日もまた王子として振る舞えと強制されるような日々なのだろう。きっと現王の父上が亡くなって、私自身が王となったあとも……。これから一生私は貴族しての振る舞いを強いられる。
「孤児と……どちらがマシか……」
ふぅ、と深いため息をこぼして、部屋に戻り着替えを済ませた。忘れないように右手には黒い革手袋を着ける。
そうして今日も一日王子として過ごすこととなる。とは言ってもこの大陸に王国はここひとつだ、やることは特に無く、城内で一日を潰していくことになる。気付けば空が赤らみ始めていた。
「王子、謁見のご依頼がありました」
「……謁見?」
「はい、エシュリア様という少女からのものですが……?」
「通しても良い。部屋に連れて来るように」
エシュリア、私が孤児院にいた時七年間だけ共に過ごした友。王国に引き取られてからも度々手紙が届けられていたが直接会いに来るのは初めてかもしれない。一体何の用事なのだろうか。
自室に戻るとほぼ同時に従者が見覚えのある少女がいた。薄茶色の髪、それと灰色の目。身長も伸びていたがエシュリアだとすぐに分かった。隣には見知らぬ少年を連れてやって来た。まさかそういう話なのだろうか?
「久しいなエシュリア」
「そっちこそ、すっかり大人になっちゃったね。『レイ』!」
「……この人が件の?」
頷くエシュリアに対して少年は私をジロジロとそれでいて真剣に見つめていた。何か変なものでもついていただろうか。左肩にかけてある髪を少しだけ撫でてみたが特に相手の様子は変わらなかった。
とりあえず、とソファに座るように促しても少年は一心不乱に私を見つめていた。
「どうかしたのか?」
「エシュリア、ひとつ聞きたい。この人は女性なのか男性なのか」
「あ〜……分かる……。レイってば名前も中性的だし、見た目も綺麗でちょっと疑っちゃうわよね。レイウェル・レーゼズ、ちゃんと男の人よ?というか王子なのに女の人なわけないでしょっ」
「それはそうだけど……。う〜ん……男の人だったのか、ジロジロ見てしまって済まない」
「別に構わないが……それで一体何の用事だ、エシュリア」
少年が言うことについては私自身も自覚はあった。髪も伸ばしてしまっている上にあまり男性的では無い顔立ちをしている自覚はある。だが、まさか性別で悩まれていたとは。少しばかり複雑に思いながらエシュリアに改めて何故ここにやって来たのかを問いかける。
ソファに座った二人は顔を見合せたあとで少年は左、エシュリアは右のそれぞれの服の袖を捲る。
「その紋様は……まさか」
「そう。レイだって四神の話は知ってるでしょ?あたしと彼、エリオはセイリュウの魔力を宿したの。その不自然に革手袋をしてる右手、隠してるんでしょ?やっぱり」
「そういうことか、ここまで来た用事は」
ふぅ、と長く息を吐く。右手に着けていた黒い革手袋を外す。右手の甲、そこに隠していたのは虎の紋様。二人の腕に刻まれている龍の紋様と同じように。
その紋様をエシュリアは立ち上がり、じっくりと見つめていた。
「やっぱり……レイがビャッコの持ち主……!」
「それなら話が早い。僕達に協力をしてもらいたい」
「別に構わない」
「うんうんそうだよね……国の事もあるしそんな簡単に答えは……って、良いの!?」
驚いてテーブルを両手で叩いて顔を近付けるエシュリアに対して私は至って冷静に頷いて見せた。
「国の事とか大丈夫なの……?」
「問題は無いだろう。それに帝国は私の魔力についても把握済み、今のところはレーゼズ王国、特にレーゼズ城の警備体制が整っているからまだ攻めては来ないがいつ攻めてくるか。そうなれば私自身の命にも関わる。ならばというわけだ」
「それなら良いけど……確かにここよりはソルセルリーの方が安全かもしれないし……」
「ソルセルリー?」
ソルセルリーという聞き覚えの無い言葉に対して疑問を感じると今度は少年、エリオとやらが立ち上がり、私に近付く。右手を急に握られ、何事かと警戒すると頭の中に見たことの無い町の風景が流れ込む。
「記憶共有、この方が説明よりも手っ取り早いからね。僕の魔力はゼロ属性の記憶。言い忘れてて済まない」
「なるほど。ソルセルリーについて、そしてお前についても分かった。とりあえず今日はもう陽が沈む。城下町の宿屋に案内しよう、明日私も準備を整え国を出ることとする。それで良いか?」
「そんなに早く出ちゃって大丈夫なの?」
「そこまで父上達も厳しくは無いだろう。それにソルセルリーとやらの方がどうやら安全ではありそうだからな」
国を出る口実が出来た、そんなことは口には出せなかった。
「……だが、私が役に立てるかどうかは正直分からない。私の魔力はきちんと覚醒しているか、自分でも分からない……」
「でも神の魔力には変わりはない。それに純正となれば尚更だよ」
エシュリアを先に部屋から出したあと、エリオにだけそう伝える。純正の神の魔力、そう言われても私はいまいち自信をもてずにいた。
その後二人を城下町のソルシエールでも融通が効く宿屋に案内し、城に戻った私は父上の部屋を訪ねた。一応国を出ることにした、ということは私自身の口から伝えておかねばならない。正直あまり顔も合わせたくないが仕方が無い。
ノックを三回。父上からの返答は無かったがそっと扉を開けると難しそうな顔して書類に目を通していた。部屋に入った私の事など見もせずに。
「用件だけを伝えます。私は国を出て暫く旅に出ます。この大陸の為に、その時が来ました」
「……そうか。用件はそれだけか?」
「はい。お邪魔して申し訳ありません、父上。失礼します」
たった一言。それだけだった。そんなものだろうと思ってはいたがいざ本当にその通りになると何となく胸の奥がちくりと痛む。
自室に戻り、旅立つ為にある程度の支度を始めているとソファの上に見覚えの無い手紙のようなものが置かれている事に気付く。いつの間にこんなものが?
「『城下町外れの空き地に来い、さもなくば女の命は無い……』女……エシュリアのことか……!?」
私の身内で思い当たる女といえば母上か先程出会ったエシュリアのみ。流石に母上には手出しはしないだろう、そうなれば残るのはエシュリアのみ。
エシュリアの身に何かが起きるというのか……手紙を握り潰し、空き地に向かうべく城を飛び出す。まさか王国内に帝国が侵入、しかも城にまで入って来たというのか。
「来たか、レイウェル・レーゼズ……」
空き地に辿り着いた私を待っていたのは黒い仮面を付けた男とその男に抱えられ意識を失ったエシュリアの姿だった。どこかで見た覚えがある気がする男で聞いた覚えがある声だったがどうにも思い出せない。
暗がりの中うっすらと見えた男の服には帝国の腕章。やはり帝国が王国内に侵入し始めているということか。
「エシュリアを解放しろ」
「解放しろと言われてすぐに解放する奴がいるわけないだろう??行け、我が下僕達よ」
男が指示するように私に向かって指を指す。するとどこからともなく複数の魔獣が姿を現す。魔獣まで王国内に持ち込まれていたとは……帝国の力もより強くなっているということだということをよく理解した。
うっすらと見える魔獣達の目付きで数を判断する。それでもよく見えず仕方なく我が目に魔力を込める。それにより、赤い私の瞳は白色へと色を変えた。
「大型の魔獣が二体に小型が一体……大型一体は獅子、もう一体は大鷲かなにかか?小型一体は四足歩行の……犬といったところか」
「この暗がりで見えたというのか!?」
「白炎の瞳、私自身の目に魔力を込め、視力を一時的に大幅にあげている……何せ、私の魔力武具はこれだからな」
首にかけてきたチェーンの先に付けていた小さくして持ち歩いていた魔力武具に魔力を込め、本来のサイズに戻す。この左手に収まったのは刃で作られた弓。
本来のサイズに戻して直ぐに構え、慣れないながらに魔力を解放する。魔力で作られた弦を引き、大型の狙いやすい獅子の魔獣に照準を合わせる。
「白炎爆射……ッ」
放たれた矢は真っ直ぐに獅子の魔獣を射抜き、炎を纏いそのまま爆発。それでもその爆発から逃れようとする魔獣に更に白い炎の矢を正確に狙った場所へ打ち込んでいく。
四肢、頭、胴体、狙いをつけて何発も打ち込んでいき、獅子の魔獣は遂に動けなくなったのか白い炎に包まれ消えていった。
その様子を見ていた男は私の魔力の白い炎に興味を示していた。
「白い炎……見た事がないな?」
「当然だろう。この白い炎は神の炎……ビャッコとしての特徴でもある炎だ……他のどこにも無い私だけの炎……!!」
暗がりの中いつの間にか犬の魔獣が接近していたらしい。近くに鳴き声が聞こえ、弓を右手に持ち変えた。
飛びかかってきた魔獣を構えた弓で受け止め、そのまま弓に魔力を込め、一思いに切り捨てる。それでも向かってくる犬の魔獣。
「しつこいやつだ……消えろ……白炎斬……ッ」
今度は更に強く魔力を込め、飛びかかる犬の魔獣を力強く真っ二つに切り裂くと裂かれた魔獣は白い炎の中へと消えていく。
残りは夜の闇の中を飛び回る大鷲の魔獣のみ。いくら白炎の瞳があるとはいえ捉えるのは少しばかり困難。かと言って近接戦に持ち込むとしてもこちらには羽が無く飛べない。それでも戦うしかない。
「ふぅ……白炎五月雨……ッ!!」
大きく息を吐いた後、弓を左手に持ち変えて右手に魔力を込め、拡散する矢を空に向かって放つ。大きく飛んで行った矢は白い炎を纏い、分裂し拡散。雨のように降り注ぎ、逃げ惑う大鷲の魔獣の羽を射抜いていく。
羽を射抜かれた大鷲の魔獣はバランスを崩し、飛ぶことが困難になってきたらしく少しずつ地上に向かって落ちてくる。それでもなお逃げようと空を飛び続けようとする。
「逃がさん……っ!!」
解放した魔力を両足に纏わせ、炎の勢いにより飛び上がり、右手に弓を持ち変える。その勢いのまま弓は白い炎を纏い、大鷲の魔獣の片羽を切り捨てた。
悲鳴のような鳴き声を上げ、地上に落下した大鷲の魔獣を見下ろし、弓を左手に持ち変え、飛び上がった状態で矢を放つ。
「終わりだ……」
放たれた矢は魔獣に近づいて行くごとに巨大化し、大鷲の魔獣を飲み込んで行き、貫く。白い炎に包まれた大鷲の魔獣は消滅。
魔獣三体を倒し切り、それを見ているだけだった男に弓を右手に持ち変えて近付く。そしてその刃で一思いに仮面を切り裂いた。
「な……お前は……っ」
「やはり神の魔力は強い、ということだね?記憶も戻したし、僕の事はわかるだろう?」
「……エリオ、お前何のつもりだ……!!」
仮面の下、それは先程エシュリアと共に居たエリオという少年だった。直前まで声を聞いても思い出せなかったのは恐らく最後に顔を合わせた際に記憶を操作されていたのだろう。
あまりの意味のわからない行動に掴みかかろうとするとエリオはその手を制する。そういえば抱えられていたエシュリアは何処へ行った……。
「さっきのエシュリアは僕の記憶の中から創造したものだよ。本人は宿屋でぐっすり眠ってるから安心して」
「それは良いが……さっきの魔獣といい何のつもりだと聞いている!!」
「君の実力を測らせてもらった。さっきの魔獣も帝国の腕章も僕の記憶の中から創造したものだよ。君の魔力はちゃんと覚醒している、殆ど抜け殻みたいな魔獣相手とはいえしっかり戦えていたじゃないか」
私の実力、確かに殆ど戦闘で使っていなかった魔力をすんなりと解放、使いこなせてはいた。相手が帝国と分かり、直ぐに戦闘態勢へ移れた。……私は戦えていたのか。
「僕はまだ帝国を倒そうなんてちゃんと考えてはいない。いつかは姉さんと共にエシュリアの前から姿を消すこともあるかもしれない。だからエシュリアを守ってくれる男の人にいて欲しかった。君にならそれを任せられそうだ」
「……お前、その為に私に話をつけに来たのか……?」
「その通り……っ!?うわっ!?」
その返答に思わず手が出ていた。服に掴みかかると焦ったエリオは手を振り払おうとしていたが年齢的にも体系的にも力は私の方が上、そのまま抑え込むことに成功した。
「だったら何故、お前はなんでセイリュウの魔力を宿した……!!捨てるつもりなら拾うな……エシュリアを弄ぶな!!」
「……意外と激情とかするんだね、王子様は。僕はエシュリアの傍にはいてはいけない、いちゃ、ダメなんだよ。僕には姉さんしかいない、それ以外を求めたらいけない。でもエシュリアはセイリュウの魔力を手放さないだろう。だから、君に守ってもらわないと困るんだよ」
「私に押し付けるな……っ、私の方こそ……エシュリアの傍にはいられない、私は……っ」
あの日のことを思い出そうとしたせいで手の力が抜けエリオは解放され、今度はその右手が私の額に当てられる。その瞬間、魔力解放を感じ取り、頭の中を覗き込まれるような感覚に襲われる。
あまりにも不意の感覚に脚の力が抜け、その場に片膝をつくがそれでもエリオは私の額から手を離さなかった。
「なるほどね。振られたのか、君は」
「……っ、やかましい……っ……。お前まさか……!?」
「気になってしまったからね?ちょっと記憶を覗かせてもらったよ。別れるその前にエシュリアに告白したが振られたその記憶をね。そんな過去があるとは知らなかった、そりゃエシュリアの傍にはいられないね」
この男にデリカシーというものは無いのか。声にならない声だけが漏れてしまう。八年前に別れるその日にまだ七歳のエシュリアに告白をした私は『まだそんなことを考えられるわけがない』とハッキリと振られている。冷静になれば十五歳でそんなことを考えている私の方がおかしいとは思う。だがそれを勝手に覗き込むのはもっとおかしいだろう。
まだ片膝をついたまま脚に力が入らない私を見下ろしたエリオはまた額に手を当て、魔力を解放。今度は頭の中に知らない記憶が雪崩込み、遂に両膝をついてしまった。
「まあ君の理由だけを知っているというのも不平等だ。僕がエシュリアの傍にいられない理由も教えておくよ」
「……っ、急にやるな……っ、頭が……っ」
「そんなに量は流し込んでないけどね。その記憶を見れば、僕がエシュリアの傍にいられない理由は分かるよ」
流し込まれた記憶、それを強制的に見せられ、私はエリオがエシュリアの傍には居られないと語った理由を知った。確かにこの記憶の通りならエシュリアの傍にいるのはリスクが高いかもしれない。だが。
「エシュリアの気持ちはどうなる……エリオ……」
「エシュリアの……気持ち……?」
体に力が入らないもののふらふらと立ち上がる。記憶を覗かれたり、流し込まれたり、まだ頭がズキズキと痛む。
「この記憶が本当なら、お前の精神世界を見たエシュリアも少しは気付いているだろ?きっとエシュリアの事だ、お前を救いたいと考えるはずだ」
「そんなの知らない、僕は……っ、僕には姉さんしか居ない……エシュリアは……っ」
「そう思い込んで、エシュリアを傷付けるのが怖いだけなんじゃないか、お前。エシュリアは神の魔力を持ち、孤児院でも浮いていた私にさえ手を差し伸べてくれた。きっとお前にも」
言いかけたところでエリオの拳が飛んできた。咄嗟にそれを右手で受け止め、発動させたままの白炎の瞳で暗がりでよく見えなかったその顔を見れば泣き出しそうな表情で私を睨み付けていた。
「図星か」
「……っ、あの子を巻き込むわけには行かない……僕がこのままでいられるかなんて分からない、そうしたら僕は彼女を傷付けてしまう……僕は生きていた世界が違ったんだ。なのにエシュリアをこちらの世界に引きずり込んでしまった……世界を救わなければならないなんてそんな使命まで押し付けてしまった」
「優しいやつだな、お前」
デリカシーは足りないがエシュリアを巻き込みたくなくて、傷付けたくなくて離れようとしているその不器用な優しさは感じ取った。
それでも。どんなに拒絶しようとエシュリアは離れないだろう。彼女はそういう性格というのを私自身もよく理解している。
拳を下ろしたエリオは何かに気が付いたのか慌てて私の横を横切っていく。その背中に思わず声をかけていた。
「エシュリアの気持ちもちょっとは理解してやれよ」
少しずつ空が明るくなっていく。また新しい朝が始まる。走り去ったエリオとその先で待っているであろうエシュリア、二人のことを考えながら私は国を出る準備を進めるため城へと帰って行った。
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