葛売りおりく
昔。
「くず」
と呼ばれたおなごがおりました。
昔。
山の村に川面に落ちるサクラの花を見つめている一人のおなごがおりました。
葛粉を売り歩く、そのおなごの名前は『おりく』と言います。
葛という草は長く太い根で、田畑の作物の栄養まで奪い取って自分の力にしてしまうので、くすね草などと呼ばれ、村の人々に嫌われていました。
しかし手間さえかけてやればモチにも、お湯に溶かして飲む白い粉にもなり、人の体を温めたりして、とても役にも立つのでした。
葛粉を作ることしか知らない一人ぼっちのおりくは村中の葛を刈り、手間をかけては葛粉を作っていました。
サクラの花が散った川を見つめながらおりくは歌います。
サクラの花落ち 日が暮れる
葉も枯れ落ちて 流される
それとてなにもかわりゃせん
天は命をくれたもう
花を咲かせてくれたもう
おりくは歌を歌うのが大好きだったのです。
葛粉を作ることの他に、たった一つだけおりくが出来る事でした。
小さい頃、父親と見た、お芝居の一座で歌を歌う、あの役者さんのようになれたらいいなぁ、なんて思っていた事もありました。
でもそれは毎日の辛い生活に空遠くに吹き飛んでいってしまっていたのです。
村人はおりくの事を『くず』と呼びました。
くすね草をくすねて暮す『くず』と。
葛粉の『くず』ですもの、おりくは気にしてはいませんでしたよ。
夏のある日、庄屋の家の前を通りかかった時の事でした。
「くずよ、くず」
おりくを呼び止める声が聞こえます。
おりくの事を呼び止めたのは庄屋の娘のおみつです。たいそう美人で病弱な娘でした。
家で伏せていることの多いおみつは、家の前を通りかかるおりくを見かけると、たびたび声をかけてくれていたのです。
「おりくはいいねえ、空の下を歩いて。いいねえ」と。
その日、おみつはおりくに一つ願いを言ったのです。
「くず、その葛の根を抜いておくれ。オシロイバナが咲かん。葛を引き抜いておくれ」
おみつはおりくにそう頼みました。
夏の葛の根はまだ細いので、葛粉にもならず、ためらうおりくでしたが、おみつの頼みをおりくは聞いてあげようと思いました。
村でただ一人、自分に声をかけてくれるおみつに、おりくが出来る事は葛の根を抜くことだけだと、そう信じていたものですから。
オシロイバナが枯れる頃、おみつの具合が悪くなりました。見舞いをしようと、おりくは庄屋の家をたずねます。
「お前は汚い、家の中には入れられん」
庄屋にそういわれても、おりく引き下がりませんでした。
「おらの作った葛粉だ。おみつさんにのませてやってくだされ」
それからおりくは毎日葛粉を庄屋の家に一生懸命、一生懸命、届けたのです。
ですが、そんなある日、庄屋の家の戸口で庄屋とおみつが話をしているのを聞いてしまいました。
「くすね草がお前の命をくすねるのだ。あのきたならしい女が病の元だ」
「この葛粉を飲んだから私は死んでしまうの?こんなものもう捨てしまって」
おみつはおりくの葛粉をまるで汚らしいものを扱うように土間に放り捨てたのです。
おりくは涙も出ませんでした。
しかし、肩を落としたおりくはその貧しい身なりをはじめて恨んだのです。
作った葛粉を売ることもせず、みんなおみつのために、庄屋の家のために、ただそれだけのために葛を置いてきたのに。
「おらぁ、馬鹿だのう。むくわれないのう」
やせ細ったおりくのつぶやきは誰にも届きませんでした。
秋になり、サクラの木が茶色なってしまった葉を川の水面に落とすころ、庄屋の家から葬式が出ました。
庄屋が葬儀に来た村人を前に話しました。
「くずが作った葛粉を飲んだために、おみつは早死にしてしまった。あの女は何の役にも立たん、人に迷惑をかけるだけの女じゃ」
その時です。
外から、かぼそく切ない歌声が聞こえてきました。
サクラの花落ち 日が暮れる
葉も枯れ落ちて 流される
それとてなにもかわりゃせん
天は命をくれたもう
花を咲かせてくれたもう
葬式に来ていた村人は口々に言いました。
「何て清らかな歌声じゃ」
「おみつもうかばれよう」
声の主は誰かと、村人は庄屋の家から出ると、軒先にそっと置かれた葛粉がありました。
その先に。
流れる川にサクラの枯葉が舞い落ちるのが見えたのです。誰にも。
大きな枯葉だ、と村人が思ったのは、おりくの姿でありました。
その姿は枯葉と同じ様に静かな風に吹き流され、遠く、遠く、川面に揺れて、流れ、消えてゆくのでした。
村人の誰かが、おみつの墓におりくの葛粉を供えました。
「おらぁ、少しは人の役に立ったかのう」
おりくから、そんな言葉が聞こえたようでした。
おわり
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