4話 清らかな乙女
「王が入れ替わるパターンもあったか……」
「入れ替わる?」
新・風の精霊王パックを倉庫の棚にぶち込み、ディルクが顎に手を当てて考え込む。
「精霊王は属性ごとに一個体しかいないからそいつを倒せば終わりだと思ってただろ。でも他の精霊が新しく王になる場合もあったんだなと」
「そういえば、あの5分パックの人『ようやくアイツの力が僕より小さくなった』って言ってたわね」
「美容パックみたいに言うなよ」
エリゼの人外求婚者達の呼び方が酷いのはいつものことである。まあ登場5分でパック詰めになったのは今までのパターンから見てもかなり格好悪い方ではあるが。
「王の力が一定以上弱まると成り変わろうとする輩が出てくるのか……としたら、あまり弱らせ過ぎるのも得策じゃない……」
火の精霊王は拳サイズまで小さくした。土の精霊王は使いの者の多分生命力の源であろう花を半分枯らした。今のところそれで代替わりした者の襲来は無い。
風の精霊王は肉眼で確認できないくらい圧縮してしまったのでそれが悪かったのだろう。教訓を活かして5分パック君の方は小指の爪くらいの大きさは残した。
「とはいえ加減して復活されても本末転倒だからな。倉庫じゃなくて地下冷蔵室にしまってくるか」
「ディルの冷静に容赦無いところ私とっても好き」
棚にぶち込んだばかりであるが新王5分パックをまた取り出して、ついでに旧王のパックの方も取り出す。
「冷蔵室より冷凍室の方がいいんじゃないかしら」
「いや、冷凍室は水の精霊王がいるだろ。何かできるとは思わないが同じ部屋にはしないでおこう」
エリゼの提案にディルクが少し考えて首を振る。
ドレッセル家の地下冷凍室にはもう先客がいるのだ。4年程前から水の精霊王が冷凍保存されている。バッティングは避けたい。
「ああ、あの潔癖症水」
当時のことを思い出したようで、エリゼが嫌そうに顔を顰めた。潔癖症水。まあ一言で言うとそうだった。あれは4年前の春、ドレッセル家の庭の池の鯉に二人で餌をやっていた時のこと。
『——清らかなる水の乙女よ、迎えに参った』
池の水が突然天高く舞い上がったと思いきや、優雅にその水面に降り立った美貌の男。その髪も目も肌も一点の曇りもなく透き通り、人間離れした美しさを誇っていた。
『我は水の精霊の王——そしてそなたは我が運命の乙女。これ以上この穢れた地にそなたをいさせるわけにはいかない。さあ、我と共に。身も心も清らかな我が花嫁』
銃は効かない。火も効かない。直感でわかった。
『そこの汚らわしい童よ。それ以上我が清き花嫁に触れるな!』
咄嗟にエリゼの手を取り走れば、背後からビリビリと怒髪天の声が響いた。
『清らかな乙女……!待ちわびた私の清純……!不浄の者が触れて良いものではない!ああ!我が城に戻ったら、全身くまなく洗い清めてやろうぞ、我が花嫁!』
随分とその清らかさだというものに執着しているようで、ディルクでもぞっとするようなことを口走り追いかけてきた精霊王。
『ふっ、清らかなる純白の花嫁を血で汚すようなことはせぬ……じわじわ苦しめてやろう、我が花嫁に仇を成す穢れた者よ!』
直接攻撃をしてこない点は助かった。
おかげで逃げ回りながら地下の冷凍室へ誘導し、中に閉じ込めることができたのである。水の精なら氷になれば身動きが取れないのではと思った苦肉の策であったが、運良く上手くいった。
そしてその神経質過ぎる程の清らか発言と、その透き通り過ぎなくらいの全身に「めっちゃいい化粧水使ってそう」という感想を抱いたエリゼにより潔癖症水と名付けられたのである。
「でも新しい精霊王は来ないってことは、アレはまだ代替わりが起こる程には力は失ってないってことか」
「まあ冬眠中なだけだものね」
「冬眠というか凍眠というか……」
冷蔵室は冷凍室の近くになる。そんな潔癖症水が眠る冷凍室にエリゼを近づかせるわけにもいかないので、少し離れたところでエリゼには待っていてもらい、ディルクは新旧風パックを冷蔵室へ放り込んだ。
◆◆◆
一体どうしてこうも人ならざる者達に次々と狙われてしまうのか。そりゃあエリゼは天使のように可愛らしく、種族なんて関係なく惹かれてしまっても無理もないものであるが。それにしたって頻度が高い。
そして、その殆どが『運命のつがい』という言葉を口にするのもどうにも引っかかった。一目惚れしたとか、気に入ったとかではない。人智を超えた力を持ち、未来さえも見透かすと言われるような存在がエリゼを『運命』だと、『つがい』だと呼ぶのだ。天に定められた魂の片割れだと。
まあそれが被りすぎて大渋滞を起こしているわけだが。しかし人間を超えた存在である者達が、何の根拠もなくそう言うとも思えなかった。
「あら?ディル、あの本どうしたの?もしかして旧時代の本?」
「ああ、まあ」
新旧風パックを始末してディルクがエリゼと共に部屋に戻ると、エリゼがふと本棚に目を留めた。
一番上のスペースに、栞を挟んだまま横にして突っ込んでいた本。前にエリゼが来た時にはなかったものである。
「もしかして読みかけだった?私、横で待ってるから続き読んでていいわよ」
「そうか?じゃあ、すぐ読み終えるから」
「うん!あ、並んで座りたいから椅子じゃなくてそっちに座ってね」
ドレッセル商会が発掘する旧文明の遺宝には、旧時代の言語で書かれた本もある。旧時代語を読める者はそういないためあまり売り物にはならないが、ドレッセル家の男児には必修項目。ディルクは問題なく読める。
「私も前より少し読めるようになったわ。ええと、この本のタイトルは『竜の花嫁になった少女』ね!」
「当たりだ。凄いじゃないかエリゼ」
「うふふ。やっぱり未知の言語を読むディルも格好良いけど、ちゃんと勉強してその言語がいかに難しいかわかればそれをスラスラ読むディルの格好良さがもっと際立つと思って頑張ったのよ!」
「そ、そうか……」
前からディルクは、父に旧文明のとあることに関する本が発掘された時は優先的に回してくれるよう頼んでいた。今エリゼが読み上げたタイトルのように、竜や精霊の花嫁にまつわる話が書かれた本を。
「退屈じゃないか?エリゼも何か他の本……」
「大丈夫よ、本を読んでるディルを見るのに忙しいから」
「忙しい要素あるのかそれは?」
現代のそれに関する本は読み尽くした。あとは旧時代のもので何か手がかりがあれば。難点は伝記だけでなく夢物語も混じっているところであるが、それはそれで参考になるところもある。
「それに、私のためでしょ?ディルがその本を読むのは」
「……まあ」
「うふふふふ」
ニコニコと嬉しそうに微笑んで、ベッドの端に座ったエリゼがディルクの肩に頭を乗せる。
そう、ベッドの端である。ディルクも同じくベッドに腰掛けている。本を読み終えるのを待つ間隣に座っていたいからと、先程エリゼが指をさしたのはディルクの部屋のベッドだった。
「竜とか精霊とか神獣とか、そういうのの花嫁に選ばれちゃう女の子の共通点を探してるのよね」
まあこの部屋ソファは無かったし?昼間なんだから全然ベッドがソファ代わりだし?となんてことない顔をして座ったが、さっきから本のページは殆ど進んでいない。
「ああ、その共通点でなんとか変えられるものがあればいいと思って……せめて原因がわかれば対策もしやすい。トカゲや小動物を無闇に助けないこともだけど、そもそもそんな奴らがエリゼの前にばかり現れることもおかしいんだ」
「一時期は私の進路に入ると動物は怪我をするんじゃないかとも思ったわね……」
もっと本に集中しなければ。エリゼの頭が乗ってる右肩にばかり気をやってないで、もっと手元の本に。
千二千、悠久の時を生きるあの者達が、こんなにも一斉にエリゼに目をつけてくる理由は何なのか、それを探るためにも。
「どう?何かわかりそう?」
「……いや、この本ももう知ってることしか書いてなさそうだ」
駄目だった。これで集中できる男がいたらそれこそ神である。
これ以上の情報収集を諦め、ディルクはパタンと本を閉じた。
「どんなお話だったの?」
「旧時代の、この本が書かれた時代よりずっと昔の話だ。日照りで苦しむ村に、山奥に住まう竜に村の娘を花嫁として捧げるように言って、村人達が身寄りの無い娘を差し出すっていう」
最後まで読んではいないが、だいたいそんな話だった。
「わかったわ、そこでその子の愛する人が助けに来てくれるのね!」
「いや、助けは来ない。でもハッピーエンドだ。彼女も竜を好きになって幸せに暮らして、ついでに彼女を身寄りが無いからと虐めていたことがバレた村人達は竜の怒りを買って滅ぼされる」
似たような話はいくつか読んだ。きっとこれも同じ結末を迎えるのだろう。
「そんな……うーん……まぁ人の好みはそれぞれだから……彼女が竜がいいって言うならそれで幸せよね……タデ食う虫も好きずきだものね……」
「まあこの話の竜は多少無理矢理でも女の子に他に想い人もいなくて村人達の方が悪者だったわけだから……」
エリゼの中ですっかり銃で撃退される変態ロリコンのイメージで固まってしまっている竜であるが、そのパターンが特殊なだけで普通の物語では竜とはちゃんと女の子達の憧れの存在なのである。ちょっと強引だったり一方的だったりするところだって、そのルックスと超人的な力のおかげで逆に魅力になるくらいに。
「でも、その竜の花嫁になった子と私とは全然共通点は無いわね。私は好きな人がいるし、家族もいるし、誰かに虐められてたりもしないもの」
「そうなんだよなぁ。似てるところと言ったら村一番の美人だったとこくらい……」
「……村一番?」
「え?あ!ああ、勿論エリゼはそんな辺境の村どころか世界で一番だとも!」
ちょっと不満そうな顔したエリゼに、すぐに察したディルクが慌てて言い直す。
「ふふ、勿論ディルも世界一格好良いからね!」
「ああ、ありがとうエリゼ」
嬉しそうに笑って腕に抱きついてくるエリゼは本当に世界一可愛い。
……あの人ならざる者達に狙われる理由がただ『可愛いから』というだけでもあり得る気がしてきた。だってそのくらい可愛い。
「あのねディル、私も竜や精霊に関する本を色々読んでみたのだけど」
それにしても昼間とはいえ部屋で二人きりで、端とはいえベッドの上で、婚約者とはいえ男女がこんな体勢でいるのは褒められたものではないような。いや婚約者だからいいのか。……どこまでならいいのか?婚約期間の男女の触れ合いとしては。
「それで竜とかそういうのの花嫁にされちゃう子達に絶対共通してる点で、私にも共通していて、でも今からでも変えられそうなことを一つだけ見つけたんだけど……」
「え?本当かエリゼ!」
と、つらつらと考えていたところで。
エリゼから思わぬ提言があり、ディルクは変なことを考えてばかりだった己を恥じた。エリゼだって自身の人外花嫁体質を治すために真面目に考えていたというのに自分は。
「何だったんだ?その共通点っていうのは」
「うん、あのね……」
花嫁になる子の共通点にして、エリゼにも共通していて、しかし今からでも変えられること。
「みんな処女なの」
「ん?」
今からでも、変えられ。
「だから、ある日突然あいつらの花嫁に指名されちゃう子って、みんな処女なの」
数秒の静寂の後。
「ディル!酷いわ!逃げることないじゃない!馬鹿!意気地無し!」
「お義父さんに!お義父さんに顔向けができない!!」
ディルクの動きは早かった。弾かれるようにしてベッドから飛び退き、部屋を飛び出して全体重をかけてドアを閉めたのである。
「どうしてよ!嫌じゃないんでしょ!」
「嫌じゃないから駄目なんだよ!」
エリゼが部屋の中からドンドンとドアを叩いて怒っている。しかし顔を合わせるわけにはいかない。今はなんとか振り切って出てきたが、エリゼからの誘いで、人外からの求婚回避なんて大義名分があって、このまま顔を合わせたら落ちない自信がない。
「私がまたあいつらに拐われちゃってもいいの!?」
「大丈夫だ何が来ようと俺が絶対守るから!」
「きゃあー!格好良いー!ディル!好き!抱いて!」
「だからそういうことを軽々しく言うんじゃない馬鹿!!」
とまあ必死だったせいで頭から抜けていたが。今現在昼間であり、両親は外出中であるが兄は在宅中であり、雇っているお手伝いさんの勤務時間でもあり。
というわけで騒ぎを聞きつけた家の者がすぐに駆けつけてきたことで、この戦いは幕を閉じたのであった。
ある意味一番の強敵…。
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