3話 精霊の愛し子
「ディルー!パック詰めあとどのくらいかかりそう?私も手伝えることある?」
「もうすぐ終わるから大丈夫だ。ケーキなら先に食べててもいいぞ」
自宅の倉庫でとある作業をしているディルクに向かい、少し離れたところからエリゼが声をかける。
「もう!ケーキじゃないわ、ディルを待ってるの!ディルと一緒に食べなきゃ意味ないんだから」
「はは、悪い悪い。じゃあもう少し待っててくれ。あともうこの小さいやつだけだから」
ディルクが倉庫で何かしらの作業をする時、エリゼはいつも『真剣な横顔が格好良いから見ていたい』と側にいたがるのだが、今回の作業は少々危険が伴うので離れてもらっていた。単なるパック詰め作業だが、パックするものがちょっと特殊で。
『ぐぁあああっ、馬鹿な、我の力がぁぁああっ』
神秘的な翡翠の瞳。神秘的な銀色の髪。神秘的にはためくローブ。一目で只者じゃないとわかる、とにかく神秘的な雰囲気を纏っていた男。
『ぐおおぉおっ……覚えていろ……人間ごときがぁっ……!』
ただしその神秘の姿は既にローブごと拳程に小さくなり、翡翠の目は血走り、髪もただの白髪になって憤怒の形相でのたうち回っている。
「お前こそ覚えてろ。何度来たって同じ目に遭わせてやる」
もう届かない断末魔の声をあげ、ついに男の姿が完全に見えなくなった。
「今終わったぞ、エリゼ」
「はーい!お帰りなさい!」
「いや出かけてはないが」
「私の側から離れて今帰ってきたんだから“お帰りなさい”なの!」
そうして風の精霊王の真空パック詰めを終え、ディルクは倉庫の外で待つエリゼのもとへと帰ったのだった。
◆◆◆
「まあ風の精霊王はローブ燃やしただけだったからな。再来してもおかしくなかったか」
自室にてエリゼの持ってきたケーキを食べ終わり、ディルクは少し伸びをして椅子の背にもたれかかった。
「逆にどうして十年間も来なかったのかしら?服があれしかなくて出るに出られなかったとか?」
「十年間全裸で代わりのローブ織ってたんだとしたら笑うわ」
話題はついさっき真空パックで封印したばかりの風の精霊王のこと。
「あのまま消滅……はしてないわよね」
「そりゃあな……さすがに神的存在を消滅させたとなったら寝覚めも悪いし」
本体を潰した火の精霊王や使いの者を通してしっかり脅した土の精霊王と違い、服を燃やして全裸にしただけの風の精霊王は確かに一番ダメージが少なかった。火の回りはとても早かったけども。
「まあ、しばらくあのまま大人しくしてはもらうけど」
ほんの何十年くらいか封じたところで、千も二千もの時を生きるアレらにとっては僅かな時間だろう。
テーブルの下に投げ出していた片足を上げ、もう片方の足の上に乗せてディルクが言う。
「んふふふふ」
「?何だよ」
定期的にパックし直すかと呟いたところで、ふとエリゼがこちらを見てニコニコ笑っていることに気づく。
「ディルの、自分の部屋ではちょっとお行儀悪いところ、好き」
「なっ……」
背もたれにもたれかかったまま、無造作に足を組み直していたところだった。エリゼの実家、ハルフォード子爵家でお茶会をする時は絶対にやらない姿勢である。
「ああ〜やめなくてもいいのに!」
「どんな顔で続けろってんだよ!」
そんなことを言われて行儀の悪い姿勢を続けようったって、絶対に意識し過ぎて固くなってとても間抜けなことになる。
「あーあ、言わなければ良かったわ」
「わ、忘れた頃にしてやるから……」
落ち込んだエリゼがパッと顔を上げ、拳を握って「約束よ!」と意気込む。
いや行儀を悪くすることを約束するというのも変な話だが。
「あとはね、考え事をして腕を組んでる時人差し指で腕トントンしてるのとか、書き物の時たまにペンをくるくる回し出すのとか、銃の整備をしていて何か不調があると眉間にシワが寄るところとか……」
「いやエリゼ、そういうのはやれと言われれば逆にやりにくくなるだけだから……」
「ええ〜!」
全部無意識の癖である。格好良いからやってなんて言われてはもう無意識になんてやれない。
というかそもそもそんなことが格好良いのは世の選ばれしイケメンだけである。そしてそんなイケメン選手権においてディルクは自他共に認める選考漏れ。予選敗退。試合始まる前から終了。
「審査員特別賞が特別過ぎるんだよな」
「え?急に何の話?」
月の如く輝くプラチナブロンドをくるくると指で弄び、大きな目をパチパチと瞬かせる可愛い婚約者。
イケメン選手権予選敗退者に与えられるにしてはあまりに勿体ない特別賞である。審査員のえこ贔屓が激しい。
「選手からブーイングが出ても仕方ないって話だ」
「?」
並み居る見目麗しい求婚者達を退けながら、どうして彼女が自分を選んでくれたのかいつもわからなくなる。
竜族、神獣、精霊王、魔王、闇と光のなんとやら。人外の有力者だけあってその誰もが他に類を見ないようなイケメンだった。だからこそ皆自信満々だったわけだろうし。
「ハァ……」
「……」
勿論顔だけではない。どの男達もまるで物語のヒーローのような強大な力を持っていたし、全員は見ていないがその住居も豪華だし、つがいだとか運命だとか言って現れた時からもうエリゼを溺愛していた。
「……ディル?」
あの誰かの求婚を受け入れるだけで、エリゼはその男の持つ豪華な城で、何をしても何をしなくても愛される、何不自由無い生活を送れることだろう。この世の女子達が憧れてやまないようなそんな一生を。
「……溜息をつく時に」
「ん?」
自分なんかが引き留めなければ、エリゼは。
「結んだ髪に触る癖も好き」
「!」
言われて初めて自分の右手が後頭部にあることに気づき、ディルクは中途半端に手を浮かせたままその行き場をなくした。
「私がどんな些細なことでも格好良いと思うのはディルだけよ。私にとっては貴方が世界で一番格好良いの」
「エリゼ……」
まるでディルクの考え事を読んだかのようなタイミングである。
いや、実際読んでいたのだろう。エリゼが話の流れに対して急にこういうことを言う時は、いつもディルクが卑屈な考え事をしてる時だ。
「もう、どうせ変なこと考えてたんでしょ?こんなに格好良い婚約者がいて私が浮気するわけないじゃない」
「悪かったよ。浮気を疑ってたわけじゃないんだ。ただ、俺の方が邪魔者なんじゃないかとちょっと思っただけで」
「同じことよ!むしろ浮気は許さないって怒ってくれた方がまだいいわ」
「わ、悪かったって……」
エリゼの怒りはもっともだ。『向こうの方がイケメンだし贅沢な暮らしができるんだから幸せだろう』なんて失礼にも程がある。勿論ディルクだって口に出すつもりはなかった。ただ、ちょっと、どうしてもたまに脳裏を過ぎってしまうだけで。
「どうしたらわかってくれるのかしら……私にとってディルが世界で一番格好良いこと……」
どうしてこんなにまっすぐ愛を伝えてくれる婚約者がいるのに不安になってしまうのか。
「悪い、エリゼがそう思ってくれてるのはわかってるつもりで」
「全人類に誇るべき格好良さであることを……」
「それをわかるような男は稀代のナルシストだけだからな!?」
原因もこれだった。油断するとすぐ上空千メートルくらい飛躍するのだ、このちょっと見る目のおかしい婚約者は。
「エリゼ、これだけは覚えておいてくれ。エリゼ以外から見たら俺は全然格好良くない。あの竜やら精霊王やらと並んだら5千人中4999人が向こうを選ぶ。俺を選ぶ5千人に1人はエリゼだけだ」
「まあ私くらいの美少女じゃないと隣に立つのに気後れしちゃって選べないことはあるでしょうね、その4999人は」
「そうじゃない!」
一周回ってこれに付き合いきれるのは自分だけではないかとちょっとした自信が湧いてくる始末。
「選ばれた5000人の女の子の中でも私が一番可愛いわよね?」
「それは勿論そうだけども!」
世界中から何千人の女子を集めようとエリゼが一番可愛いのは確定事項である。問題は己がその世界一可愛い女の子の隣に立つにはなんとも心許ない見た目であるということで。
「ふふん、そうよね。ディルに釣り合うにはたった5000人程度に負けてちゃいられないんだから!これでも毎日美容体操して努力してるのよ」
「だから勝っちゃう方が釣り合わないんだって……」
なんということだ。これ以上可愛くなられたらもはや高嶺の花を通り越して天空の花になってしまう。
と、ディルクが頭を抱えたその時。
『迎えに来たよ、花嫁さん』
室内でごうっと風が吹き、突然部屋の真ん中に背中に羽を生やした美青年が現れた。
『今まで僕達の王が牽制していたせいで、ずっと来れなかったんだ……でもようやくアイツの力が僕より小さくなった』
驚いてはいけない。脈絡なく美貌の男が宙に現れるくらい珍しくもなんともないこと。
『これからは僕が風の精霊の王だ。今まで惑わされないでいてくれてありがとう。本当の運命である僕を待っててくれたんだね?』
ベラベラと演説を続ける新・風の精霊王。エリゼ以外の木端の動きなど興味も無いようで、ディルクには目もくれようとしない。
『さあ行こう、僕達の城へ……ふぎゃあああっ!?』
そしてエリゼの手を取るため床に降り立ち、両手を広げたところで背後に回り込んだディルクがその頭から圧縮袋を被せた。
さっき封印した旧風の精霊王が万が一抜け出してきた場合に備えて、念のため圧縮機と圧縮袋も倉庫から持ってきていたのだ。
『ぐぁああああっか、風のっ風の力が抜けっ……な、何故だぁあああっ!』
火の精霊王がドライアイスで大ダメージを受けたように。土の精霊王が除草剤に恐れをなしたように。自然を司る精霊は、その自然の力を発揮できない状況だとアホ程弱い。
『こ、これが、前王を破った力だというのか……っ!こんな兵器を何故人間がっ……!』
羽布団も圧縮できる便利な兵器である。
『ぐぉおおおっ!覚えてろぉお、人間んんんっ!』
「ああ覚えとくよ、その無様な顔は」
登場5分で早くも捨て台詞を吐きながら小さくなっていく新精霊王。旧精霊王よりも他愛もない。
「きゃー!格好いいー!やっぱりディルが一番格好いいー!」
まあ確かにこんなふうに倒していたら、この男共を格好良いと思う暇もないかもしれないとディルクは少しだけ納得したのだった。