第20話 冒険者9
トロスとマーティンは長い間睨み合っていた。
それはマーティンが一歩も動かなかったからだ。
当然、剣士であるマーティンは前衛であり、トロスは弩を持っている。
普通であれば、近距離戦に持ち込む事が最善策である。
しかし、
(動けば――一歩でも動けば殺られる!!)
全身にじっとりと汗を掻き、乾いた喉がゴクリと鳴る。
マーティンが推察するに、先程ヒュードリクとバルべを撃ち抜いた腕前から、相手はBランク冒険者――いや、Aランクの冒険者相当と言っても良いだろう。
ただでさえ、同等かそれ以上の相手だ。
その上、人より遥かに高い身体能力を持つ【人狼】である。
外見は他の人狼と変わらず……寧ろより筋肉質に見える所を考えると、接近戦でも勝てるかどうか……。
「――クソモンスターが」
誰にも聞こえない声で、そう悪態を吐く。
(武器を使う人狼なんて、ふざけるにも程があるぜ)
マーティンの知る【人狼】という種族からはかけ離れている眼の前の光景を、夢や幻だと言ってしまえたらどれだけ楽だろうか。
チラリと後ろで倒れているバルべとヒュードリクを見る。
バルべ……いつも冷静で気の利く奴で、傷付いた仲間達を助ける【神官】という職業に誇りを持っていた。
ヒュードリク……ギルドの同期で、ライバルの様な関係で、悪態を吐き合う仲だったが、その剣の腕と指揮能力をマーティンは認めてもいた。
この二人が最初に死ななければ、自分達は生き残れただろうか。
もっと良い作戦が思いついただろうか。
いや、最早考えても仕方の無い事だ。
「――後はお前だけだな」
トロスがフッと笑い、マーティンに告げる。
「……」
いつの間にか、立っているのは自分一人となっていた。
ベネデットも、バイトも、ヴォールも、既に地面に横たわっていた。
考えるまでもなく、状況は最悪だ。
残るは自分一人――テルとユーマが生きているかもしれないが――だ。
マーティンは大きく息を吸い、吐く。
汗で滑りそうになる剣を手袋ごしにぐっ、と強く握り直す。
そして――
「――オオオオオオオオォォォォォォッ!!」
気勢を上げ、マーティンは人狼に斬り掛かろうとして動き出し、
ヒュン!!
一歩踏み込んだ瞬間、トロスの放った矢が頭に突き刺さる。
声も出せず、マーティンが前のめりに倒れる。
(テル……ユーマ……生き残れよ)
マーティンは今ここにいない仲間に向けてそんなエールを送り――そして死んだ。
「さて、手前等、死体は持って帰るぞ! 今夜は馳走だ!!」
「「「「ウオオオオオオォォォォォォン!!」」」」
人狼の、勝利の遠吠えが森中に聞こえる程に、響いた。
一方、パーティーに遅れたテルとユーマも、未だ逃げていた。
「――テル、後ろはどうですか?!」
「ま、まだ追い駆けて来てる!!」
人狼達はまるで二人の姿が視認出来ているかの様に、追い駆けてくる。
「な、何故!! 《透明化》と《沈黙》を併用してる筈!!」
ユーマの言う通り、《透明化》に《沈黙》の術を使えば、凡その敵から逃げる事が出来る。
だが、二人は完全に失念している事があった。
人狼は視覚も優れているが、同時に嗅覚も優れている、という事だ。
人狼達は姿の見えない二人の臭いを辿り、追いかけてきているのである。
勿論、姿を視認出来ず、嗅覚に頼る事で追う速度は落ちているが、疲れが溜まっているテルとユーマも同様に、その速度は落ちている。
ユーマは、いつの間にか《沈黙》の効果が無くなっていたのを感じ、
「――くっ! こうなれば――」
突如、逃げるのを止め、足を止めて振り返った。
「ユ、ユーマ君?!」
テルも突然の事に困惑しながら同じ様に足を止める――が、
「走りなさい! テル!!」
ユーマは強い口調でテルに「走れ」と指示を出す。
「――え?」
「僕が時間を稼ぎます! 君は逃げなさい! ――速く!!」
「そ、そんな!!」
「時間はありません! 僕が姿を現せば、人狼は僕の方に向かってくる筈! 君は《身体強化》をして逃げるのです!! そして、ギルドマスターに伝えなさい! この状況を!!」
「で、でも――」
「行きなさい! 一人でも生き残り、報告するのが、今我々がやるべき事です!」
ユーマの剣幕に押され、テルは後退りし始める。
「行きなさい! ――行け!!」
ユーマが更に語気を強めて叫ぶと同時に、テルが走り始める。
それを見送ったユーマは、自分に掛けられた魔術を解除する。
「……《スペルブレイク》」
姿を現したユーマに、追手の人狼達の視線が移る。
ユーマはそれを見て、笑みを浮かべる。
「さぁ、時間を稼ぐ為、全力で抗って見せますか。僕にかかれば、人狼など一撃です」
自分を叱咤する様にわざと自信過剰な言葉を声に出す。
魔術師の武器である杖を構え、ローブをたなびかせ、
「――いきます!!」
ユーマは魔術を展開した。