冥界からの脱出
「黙りなさい、あなた……!」
『探偵と犯人の違い』を述べたフィオネルに、ユリアは髪を逆立てて言い放った。
「殺してやる、いえただ殺しただけじゃ飽き足らないわ。何度も生き返らせてその度に殺してやるから覚悟しなさい! ずっと、ずっとよ、永遠に!」
「……冥王様のご息女らしい刑罰でいらっしゃいます。私程度の身分の者が口を挟んでいいものかどうか分かりませんが」
ほとばしる殺気を身に受けた執事は、滝のような汗をかいて自らの主の方を向く。
すなわち、探偵――魔王の娘、アイリーンへと。
「……どうしましょうか、アイリーン様。怒らせてしまいました」
「今ので怒らせないとでも思っていたの、フィオネル⁉」
「いやあ、なんとなく出会った頃のアイリーン様を思い出してしまいまして。根気強く言い聞かせるつもりでお話していたのですが……」
どうも裏目に出てしまったようです、とフィオネルは頬を引きつらせた。
その間にも、ユリアは尋常でない威圧感と共に迫ってきている。アイリーンとしては昔の自分に似ていた、という部分に突っ込みたい気持ちだったが、それどころではない。
「というか毒は抜けたんでしょうフィオネル⁉ なら解毒剤なんて気にせず、とっとと脱出――」
「それが違うんです。アイリーン様」
仲間たちの力を借りてユリアの毒を打ち破り、この場に駆け付けた執事は。
大量の冷や汗をかいた引きつり笑顔で、アイリーンへと真実を述べる。
「月華の魔術師に作ってもらったのはあくまで『中和剤』であって、解毒剤ではありません。一時的に動けるようにはなりましたが、ありていに言うとその解毒剤を飲まなければ私、死にます」
「もうしゃべらないでフィオネル!」
さっきちょっとかっこいいなあ、なんて思った私が馬鹿だったわ! と頭を抱えてアイリーンは叫ぶ。
この場で解毒剤を飲んでしまおうにも、ユリアが許してくれそうにない。
瓶をあおった瞬間に、喉笛を切り裂かれそうである。毒を解くために殺されるなどという本末転倒にならないためにも、今は――。
「逃げるわよ!」
この場を脱出することが先決だ。
やっぱりポンコツだった助手執事の手を引いて、アイリーンは再び走り出した。
先ほどはユリアの言動に足が鈍ってしまったが、今はそうではない。
フィオネルがいる限り、止まることはない。すると背後からユリアが叫んでくる。
「そうか、アイリーンが昔と変わったのは、あなたが原因なのね……! 許さない許さない許さない、そこにいるのは私のはずなのに、アイリーンの傍にいるのはわたしのはずなのに!」
「いい加減今回は諦めたら⁉ ユリア!」
「諦めるものですか! 冥界は私の庭なのよ、逃げられると思わないことね……!」
ユリアの声と共に、洞窟の地面が隆起した。
青黒い岩が錐のように巻き上がり、アイリーンたちの行く手を塞ぐ。
とっさに魔法で破壊しようとしたアイリーンの前で、しかし壁は打ち砕かれた。
「こっちです、アイリーン様!」
「イアンナ!」
壁の向こうから手を振ってきたのは、魔王城楽譜庫の管理人・赤鬼のイアンナだ。
フィオネルを軽々と殴って気絶させられる怪力の持ち主である。手にしたハンマーを持ち直し、イアンナはユリアに向かって叫ぶ。
「庭っていうなら、アタシの庭を荒らしたのもアンタだからね! まさか冥王様の娘だと思わなかったけど、これで借りは帳消しだ!」
「この、赤鬼風情が……!」
かつて暗号事件で翻弄したはずのイアンナが、思わぬ反撃をしてきたことにユリアは歯噛みした。
怒りに任せて地面や天井から次々と杭や錐が出てくるが、イアンナが全て蹴散らしていく。
砕ける土塊の隙間を縫って、アイリーンたちは外へと走った。
「入口で『あのお方』が待ってます! 冥王城の鏡まで突破する必要はありません!」
「あのお方って、まさか……!」
魔界と精霊界を行き来できる翼。
イアンナを乗せて羽ばたいたという、かの黒き――と『彼の本当の姿』をアイリーンが思い出しかけたところで、今度はフィオネルが叫んでくる。
「アイリーン様、このまま出口まで駆け抜けてください! 勢い余って滝つぼに落ちても、あのお方拾ってくれますので!」
「探偵と犯人の最後の対決は滝つぼで、ってこと⁉ それっぽくていいわね!」
助手執事の言葉にアイリーンは笑って叫び返す。なんて力づくで、強引な突破方法だろうか。
だが不思議と、それほど悪い気分ではなかった。
下ってきた洞窟を、今度は駆け上がる。ユリアが入ってきたときと同様、入り口の岩を動かして突破を阻もうとするものの、こちらの方が早い。
もうすぐ外にたどり着ける――そんなとき。
背後から、悲痛な声が聞こえた。
「行かないで、アイリーン……!」
冥界の姫の声は、表情を見ずともはっきり分かるほど震えていた。
「わたしにはあなただけなの、あなたしかいないの、だから置いていかないで……!」
「……ユリア」
細く儚く、すがりついてくる声。
彼女の言葉には真実が含まれているかもしれない。理解されず孤独のままという境遇に、同情の余地はあるかもしれない。
けれども――アイリーンは、並走する執事をちらりと見て、ゆるゆると首を振り解毒剤の瓶を握りしめた。
「……ごめんなさい、ユリア。私にはまだやることがある。今のあなたと一緒にいることはできないの」
「たすけて」
「あなたの前に、その言葉を言えるような誰かが現れたら。また一緒に遊びましょう――」
ほんの瞬間の、些細な会話だった。
それがユリアの心にどんな波紋を呼び起こしたのか。
彼女がどんな反応を示したのか。
確認できないまま――洞窟を走り抜けた一行は、そのまま滝つぼに飛び込んだ。
「――!」
身体に叩きつけられる大量の水。
真っ逆さまに落ちる浮遊感。
それらを全て振り切って。
『ご無事ですか、お嬢――!』
暗黒竜ダクラネル。
かのドラゴンの黒き翼が、空中でアイリーンたちをすくい上げていた。
次回、最終話です。




