魔王の娘の出立
便箋が完全に燃え尽きたのを確認し、アイリーンはフィオネルの傍に寄る。
「大丈夫? なんて、訊くまでもないと思うけど」
「面目次第も、ございません……」
手紙に仕込まれていた毒で倒れたフィオネルは、起き上がることもできないまま弱々しく答えた。
一体どんな毒なのか、身体に力は入らないし目まいはとどまることをしらない。
意識ははっきりしているし、会話もできる。これでそのうち死ぬ、と言われても正直信じがたいが、あの冥界の令嬢が言う以上それは本当のことなのだろう。
これまでだってイタズラ半分で、事件を起こしてきた彼女である。
今回に限ってドッキリでした、なんてあり得ない。そうフィオネルが言うとアイリーンはため息をついて、執事の身体を魔法で浮かせる。
「あの、アイリーン様。たとえ魔法越しといえども私の身体に触るのは危険では……」
「相変わらず中途半端な推理ね、助手執事。ユリアの目的は私を呼び出すことなのだから、今さら触ったくらいで広がるような毒を使ったりしないわよ」
そのままアイリーンはフィオネルを自分のベッドに寝かせる。ツンとした態度のわりにちゃんと布団をかけ直すあたり、彼女の心情が出ているといえた。
イラついた雰囲気は、事件を未然に防げなかった自分への怒りか、はたまた冥界の姫への怒りか。
ユリア。先ほどもアイリーンの口から出た名前を思い出し、フィオネルは主人に訊く。
「アイリーン様。その……ユリア様というのは、どういうお方なのですか? どうも、同じ学校に通っている知り合い、だけでない何かを感じるのですが」
「いうなれば遠い親戚なのよ、ユリアは。私は魔王の娘で、向こうは冥王の娘。小さい頃から式典や城の中で会うことは多かったわ」
立場上、顔を合わせることは多かったのだ。
親に隠れて、こっそりおしゃべりをする機会もあった。ただ、その頃から妙に――。
「……歪みのある子ではあったわね。死と魂の定義に触れすぎてて、価値観が根本的にズレてしまっているというか」
「冥界の姫、というお立場を考えれば仕方のないことではありましょうが……。とすると、これまでの事件からあの方が犯人であると思ったのも」
「あの子ならやりかねない、と思ったのが大きいわね。魔王城の楽譜庫にあっさり忍び込める状況と力量を持っていて、かつ蘇るドラゴンの魂に傷をつけられる――そんなの、私の周りだったらユリアしかいないもの」
なおかつ、『ライバル』なんていうあからさまな宣言を残していったのだ。もはや堂々と自己主張しているようなものであった。
もっとも、理由や状況証拠は後付けで、アイリーンとしては直感的に『あの子だ』と思ったにすぎないのだけど。
探偵としての推理などすっ飛ばして、結論にたどり着いてしまったことに未熟さを禁じ得ないのだけど――先ほど燃え尽きた手紙。そこに書かれていた一文を思いだし、アイリーンはつぶやく。
「『探偵と犯人の違いは何?』……か」
恐らくその答えをユリアは待っている。
小さい頃のように、秘密のおしゃべりをしようと誘っている。
冥界の底で――未だ探偵になりきれていない自分は答えは出せていないのだけど、それでも執事の命がかかっているのだ。行くしかない。
「あの子の考えているとおりに動かされているようで癪だけどね。ともかく、解毒剤を取りに行ってくるわ。大人しく待ってなさいフィオネル」
「止めてもどうせ行くのでしょうから、引き留めるのは諦めることにします」
リボンをプレゼントしたときと同じようなセリフを、フィオネルは吐いた。
それ以上の手段はないと、渋い顔でアイリーンの出立を認めた形だ。動けないから付いていきようもないし、そもそもユリアはひとりで来いと言っているのだが。
しかし心配はもちろん残る――アイリーンが無事で帰ってこられるのか。それだけを案じ、フィオネルは言う。
「……お気を付けください。アイリーン様」
「あなたこそ、解毒剤を持って帰る前に死なないでね」
今回は守護のリボンも相棒もいない。
身一つで、真犯人に挑むことになる。問題の手がかりはまだ掴めず、解決の糸口すらまだ遠いけれども。
執事を励ますように不敵に笑って、アイリーンは部屋を出た。
と――そこに見知った顔が通りかかる。
「あれ、アイリーン様、おひとりですか?」
「ダークエルフの兄ちゃんはどないしたん?」
出会ったのは以前の事件で関わった、ミノタウロスのムラゾウとミミックのスズエだ。
不思議そうに首を傾げる彼らに、アイリーンはひとつ頼みごとをすることにした。
「ちょうどよかった、ふたりとも。私は出かけてくるから、部屋で具合を悪くしているフィオネルを見ててあげてくれない?」
「え? フィオネル様どうしたんですか? 大丈夫ですか?」
「ほんで、アイリーン様はどこに行かれるん?」
きょとんとするムラゾウとスズエに、思いのほか和んでアイリーンはくすりと笑う。
残していく執事を任せられることで、多少心が軽くなった。
次いで彼女は、その辺りを散歩するような気楽さで臣下たちに言う。
「ちょっと冥界まで」




