黒幕の正体
使ってしまった。
髪が解けていく感覚に、アイリーンは呆然とそう思っていた。
とある事件の際に、執事からもらったリボン。
それが、崩れていく。守りの魔法を付与されたリボンは、元々はどこにでもあるようなただの布だ。
強力な魔法に耐えられるような代物ではない。月華の魔術師に刻まれた術式は確かなものであり、今もアイリーンの周りには黄金の花びらが舞うような結界が形作られている。
けれど、本当は使う予定ではなかったのだ。
執事には散々心配され、このリボンがあるから大丈夫と言ってきたものの本気で使うつもりはなかった。
むしろ使わないように注意してきたつもりだったのだ。だって中に込められた魔法ではなくて、気持ちの方がアイリーンにとっては大事だったのだから――使えば一発で消滅してしまうと分かっているアイテムを、わざわざ無駄にするつもりなどない。
なのに、守護魔法は発動してしまった。
学校でただひとり、自分につっかかってくる精霊姫を守るために――そう思ってアイリーンが、結界越しに見えるミラベルを見ると。
彼女は、怒りとも悲しみとも悔しさともつかない顔で、こちらに向かって叫んでくる。
「アイリーン! 大きな精霊術を使いますわよ! サポートしてくださいまし!」
「な……あなた、さっきまで震えてたくせに、なに言って……!」
恐怖で動けなくなっていたミラベルをゾンビの群れから守るために、アイリーンは戦っていたのだ。
なのに今度は、ミラベルがこの状況をなんとかすると言う。精霊姫にどんな心境の変化があったのか――境界に花びらの舞う結界を親の仇のように見ていることからして、どうも守護魔法の発動がきっかけだったようだが。
彼女に関連しそうな理由など何ひとつなかったというのに、一体どこにミラベルが奮い立つ要素があったのか。
けれども精霊姫が動けるようになったのなら、この状況を動かせるチャンスでもある。黄金の光に触れては焼かれていく死体たちは未だ一向に尽きる気配はなく、今も地中から這い出てきている。
生き埋めになる前に、なんとか脱出する――それがアイリーンの目的だったわけだが。
「地面から出てくるのでしたら、出てこないように蓋をすればいいだけの話ですわ! アイリーン、今から洞窟の天井を地面まで落とします、潰されないように注意するとよろしくてよ!」
「なっ、あ、あなたねえ……!」
真正面から敵に向かっていくミラベルに、呆れながらもアイリーンは笑ってしまう。
なんという力押しの選択だろう。
まるで、あの執事のようではないか――。
「――そういうことなら、任せておきなさいっての!」
喪失感を埋めていく呆れ交じりの衝動に、アイリーンは笑いながら叫び返した。
リボンの消失に伴い薄れていく結界から出て、ミラベルの下へ向かう。炎でゾンビをなぎ倒し、魔王の娘は精霊姫の隣へとたどり着いた。
「大きな術がゆえに精霊との連携、調整に時間がかかります! そのあいだ私を守ってくださいまし!」
「偉そうなこと言って、結局あなたのお守りなの⁉ まあいいわ、とっととやっちゃいなさい!」
文句を言いつつ二人は、それぞれの行動を開始した。
押し寄せるゾンビを焼き払うのをアイリーンが。洞窟の形を変えるための術の詠唱を、ミラベルが。
ときたま通常のゾンビたちに交じって、目当てだった強化ゾンビが攻撃を仕掛けてくる。炎の魔法と同時に脇腹に障壁を展開して、アイリーンは鋭い爪を防いでいた。
「まだなの⁉ ミラベル!」
「ええい今やってますわよ! ただでさえこの洞窟、精霊たちの力が妙に弱いのですから! あ、大地の精霊、へばってないで言うことききなさい!」
宙に手をかざしつつ、ミラベルが言う。冥界に通じているとの噂もあるこの洞窟は、精霊の加護が弱い。
だからこそ屍たちは無限に沸き上がり、当初聞いていたよりはるかに強いゾンビが襲ってきているのだから。
それはつまり、この場は真犯人のホームだということ――と、アイリーンは黒幕の存在を脳裏に浮かべる。
ゾンビを強化できる力の持ち主。
蘇るドラゴンの記憶を欠落させることのできる者。
冥界の『彼女』。
黒百合の姫。ある意味ではアイリーンと等しく、そして対を成す冥王の娘の存在を意識したとき。
ミラベルが、カッと目を見開き叫んでくる。
「調整は終わりましたわ! あとはタイミングを!」
「なに言ってるの⁉ 今すぐ全部叩き潰せば――」
「縄を!」
精霊姫の意図を悟り、アイリーンは炎ではなく別の魔法を編み上げる。
馬鹿正直に真面目な精霊王の娘は、最初から真っすぐに目的を目指していたのだ。
震えながらも。怯えながらも。
頼まれた依頼だけは、果たさねばなるまい、と――。
「今!」
その資質だけは見習いたい、と思いつつ。
アイリーンは声をあげていた。
狙いたがわず、ミラベルの精霊術は洞窟いっぱいのゾンビたちを押し潰す。
そしてアイリーンは――突出してきた捕獲予定の強化ゾンビを、魔力で編んだ縄で捕らえていた。