ドラゴンの来訪
「退屈ね。何か事件でも起きないかしら」
魔王城の自室で、魔王の娘・アイリーンはぼんやりとつぶやいた。
くるりと弧を描く、豊かな金髪。整った面立ち、正真正銘のお嬢様。
しかしその実態は書物に憧れ探偵を目指す、おてんば姫である。物騒な発言に、アイリーンお付きの執事であるフィオネルが額を押さえて言う。
「滅多なことを言わないでください、アイリーン様……」
「だって、このところ魔王城は平和そのものよ。そろそろ何か事件が起こってもいい頃じゃないかしら」
「平穏無事でいいじゃないですか」
フィオネルとしては、アイリーンが妙な事件に巻き込まれなくて済むのは万々歳である。
このところは暗号解決や探し物など、比較的危険度が低いものが続いているとはいえ、心配なものは心配なのだ。
なにしろアイリーンが最初に取り組んだのは、殺害事件だったのだから。執事として付き人として、フィオネルは魔王の娘にため息をついて言う。
「身内のトラブルを望むのは、いくらアイリーン様とはいえ不謹慎でございます。くれぐれも言動にはお気を付けくださいませ」
「ふんだ、フィオネルのけち。こんなこと、貴方の前以外では言わないわよ」
口を尖らせ、アイリーンはそっぽを向いた。後半のセリフに「ん?」と首を傾げる者もいるかもしれない。
が、あいにくと部屋には二人しかいない。ここにいるのは探偵と助手であり、気弱なミノタウロスだったりおしゃべりなミミックではないのである。
ツッコミ不在の空気のまま、アイリーンは窓の外を見た。いつも薄暗い魔王城であったが、今夜は珍しく月が出ている。
大きな満月だ。
地平線近くの月は、優しい明かりを落としている。城の庭が照らし出され、木々の影が幻想的な雰囲気を作り出していた。
と――庭に、何かの影がよぎる。
「……? あれは――」
素早く横切った影に、アイリーンは目を細めた。急に出てきたためはっきりとは分からなかったが、今のは――。
見に行ってみようと腰を浮かしかけたとき、部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
瞬時にアイリーンはお嬢様モードに切り替え、すとんと椅子に座り直す。ベッドの上に放り投げていた本たちはフィオネルが手早く片付けた。
「失礼」と渋い声を響かせ扉から入ってきたのは、眼帯をした壮年の男だ。
ゆったりと落ち着いた雰囲気を持ちながらも、きりりと引き締まった印象がある。撫でつけた髪と鋭い眼光は、彼が相応の地位にいると感じさせるものだ。
穏やかでやり手そうな、苦み走ったいい男――というところであろうか。決して軽んじられない空気を持つ男だが、アイリーンにとっては馴染みの者でもあった。
「ダクラネルおじさま」
「夜分に恐れ入る、お嬢」
魔王の娘の声に、その人物は緩やかに笑う。
そう――彼はまさに、以前にアイリーンが関わった事件で殺害された者。
暗黒竜ダラグネル。
魔王城、宝物庫の守り手。蘇ったドラゴンが、人の形を取ったものだった。