虹の彼方に
「結局、あの暗号を仕掛けた人物は何がしたかったのかしらね」
魔王城の楽譜庫暗号化事件が解決して、少し経ち。
アイリーンはため息をついてそう言った。暗号は解いたものの、結局犯人の狙いは分からずじまいだ。
そもそも誰が仕組んだイタズラなのかも分かっていない。
案内板に仕込まれた魔法と共に、痕跡もまた消えてしまった。真犯人が分からず不満げなアイリーンに、しかし楽譜庫の管理人は言う。
「まあ、アタシは楽譜庫が元に戻って万々歳ですよ。ありがとうございました」
「……そうね。まずはそれが一番。ありがとうイアンナ。あなたのおかげよ」
隣に座る楽譜庫の管理人・イアンナにアイリーンは微笑む。
今回の事件は彼女がいたからこそ、暗号を早期に解くことができたのだ。
むしろ一番の功労者である。だからこの場に招かれているのだ――魔王城の小さなホールで、イアンナは居心地悪そうに身じろぎした。
「けど、いいのでしょうか。アタシがこんなところにいて……」
「いいんだ。アイリーン様が招いた客なのだからな、おまえは」
豪奢な装飾、ふかふかの椅子。それらに気後れするイアンナに、舞台の準備をしつつ言ったのはフィオネルだ。
アイリーンの執事たる彼は、ごそごそと手を動かしつつ楽譜庫の管理人に言う。
「本来ならば私とアイリーン様だけのはずだったが、事件解決に手を貸してくれた礼だ。おまえも呼んだ方がよかろうという話になったんだよ。我が主人の優しさに感謝するといい」
「楽器はなんだい、チェロかい。まったく、相変わらずスカしたの弾くねえフィオネル」
「この弓で斬りかからない、俺の優しさにも感謝しろよイアンナ⁉」
軽口を叩くイアンナに、すぐ頭に血がのぼるジェノサイド執事。
舞台と客席のやり取りに、アイリーンはくすくすと笑う。
今日は、三人だけの演奏会だ。
「何か弾いてちょうだい、フィオネル」――結局のところ今回の事件は、アイリーンのそのひとことから始まったのだから。
「ようやく楽譜がちゃんと見られるようになって、この場もセッティングしたんだ。堪能していけよ」
楽譜庫の案内板が正常化して、自由に楽譜の閲覧ができるようになった。
アイリーンのワガママを叶えるプラス、今日は祝勝会も兼ねている。楽譜を譜面台に置くフィオネルに、アイリーンが小首を傾げて訊いた。
「曲は何を弾くの? フィオネル」
「はい。『宝石砕き人形』に『星々の踊り』。『白鳥の詩』、『みつばちの行進』もございます」
経緯が経緯なだけに、フィオネルは事件に関わりのある曲を挙げる。事件を解決しなければこの場で弾くことのできなかった曲たちだ。
元々アイリーンに聞かせる曲を選ぶために、楽譜庫に行ったフィオネルである。期せずして事件の最中に曲選びは済んでしまった。
だがあとひとつ、最初から選んでいた曲はまだ名前を出していないのだが――
執事の返答に「まあ素敵」と手を合わせ、アイリーンは無邪気な笑顔で言う。
「これで今回の事件、私の勝ちだと示せるわね。どこの誰だか知らないけれど、この私に挑戦したことを後悔するがいいわ」
「結構根に持ってますね、アイリーン様……」
「当然よ。犯人に逃げられてしまったんですもの。これでは探偵と名乗れないわ」
唇を尖らせるお嬢様は可愛らしいが、言っていることはなかなか物騒である。
探偵になる――それはアイリーンの夢であり、憧れなのだ。
物語の登場人物のようになれなくて、お嬢様はむくれているらしい。まあ、本に出てくるような探偵も、わりと犯人を逃してしまっていることはあるものだが――それでも。
椅子から足をぶらぶらさせるお嬢様にやれやれと息をつき、フィオネルは言う。
「それではとっておきを。今回の事件解決に相応しい、暗号を解き明かした先にある曲です」
最初に楽譜庫を訪れたときに選んだ曲をセットし、執事は客席に向かって一礼した。
その曲は『赤―1―1』――すなわち、『黒―3―3』にあったものだ。
楽譜棚の、始まりと終わりの場所を示されたもの。
七色の暗号の先にある曲。
「『虹の彼方に』」
楽譜庫の管理人がまたスカした真似を、と苦笑したが、口を出さないということは了承した証なのだろう。
事件の解決をささやかに祝い、そして主人の機嫌を直すため――フィオネルは軽やかに、目的の曲を演奏し始めた。
虹の暗号事件〜完