それは、虹の暗号
暗号、と魔王の娘・探偵志望のアイリーンは言い切った。
魔王城の楽譜庫。そこに施された案内魔法が何者かの手によって改竄されたのだ。
案内板に目的の曲名を入力しても、表示されるのは嘘の棚番号ばかり。
しかし、その番号には一定の秘された意図がある――暗号である、とアイリーンは言う。
「さしずめ虹の暗号、といったところかしら。七つの本棚が、七色に分かれているのだから」
「解読を間違ったときに表示されるのは、こっちを馬鹿にしまくった金文字ですけどね……」
暗号で興奮した様子のアイリーンに、げんなりと応じたのは彼女の執事であるフィオネルだ。
先ほど不正解を引き当てたフィオネルは、イタズラの施された案内魔法に手ひどくからかわれている。その際に出てきた金文字に逆上して楽譜庫そのものを破壊しかけた彼だが、楽譜庫管理人に物理で制止され、今では少し冷静さを取り戻していた。
アイリーンの言ったとおり、魔王城の楽譜庫の棚は七色に分かれている。
赤、橙、黄、緑、青、紫、黒。魔界の虹の定義に対応した、七つのカテゴリ。
人間界では七つの色は、ドレミファソラシと対応していると定義されているが――今のところは、そこまで考えなくてもいいだろう。純粋に、棚を表す色として機能しているとみていい。
七つの棚はそれぞれ三段に分かれており、上段、中段、下段。
そこからさらに、それぞれの段が三つに区切られている。左、真ん中、右の三つに。上段も中段も下段も同じだ。
つまりひとつの棚に、九つのブロックがあるということである。
赤の棚の上段、左の位置にあるのが『赤―1―1』。
自らが引っかかった番号の棚を、フィオネルは見つめる。いささか渋い顔になるのは見逃してほしかった。
「赤の棚の上段、真ん中の位置が『赤―1―2』。赤の棚の中段、右にあるのが『赤―2―3』。この棚振りに間違いはないようですな」
「そこから変わっていたら、かなり大変だったと思うけれど。今回はそこまで複雑ではないみたいね」
棚に書かれた数字を確認するフィオネルに、アイリーンもうなずいた。棚番号、案内板。双方に暗号が組まれていれば、二つの法則が組み合わさることでかなり難解な暗号となっていたはずだ。
ただ今回は、イタズラされたのは案内板のみであるらしい。棚の位置、番号は動いていないと考えてよいだろう。
「となると、注目すべきは案内板の方ね。曲名を入れて棚番号がメモ用紙に記入されたとき、何か変わったことはなかった? フィオネル」
「ううん……特に変わったことは、なかったと思うのですが」
「歯切れの悪い返事ね。何かあったの? なかったの?」
「いや、さすがに私も何も注意していない段階で、些細な違いを見分けることはできないので」
楽譜を検索したときに出てきた数字には注目したものの、それ以外は特に気にかけていない。
犯人は黒髪でしたか、と目撃者に訊いても「そうだったかな……黒髪だったかな……?」と首を傾げるのと同じである。しっかり現場に居合わせているはずなのに、いざ細かく訊かれると途端に自信がなくなる。
ひどい場合は言われるがままに「そうです黒髪でした!」と答えてしまう者もいるので注意が必要である。とかく記憶というのは曖昧なのだ。そういった意味ではフィオネルの返答は普通であり、まだ良心的な方であった。
「案内板が壊れた、とは聞いていましたが、具体的にどうとは聞いていなかったので……何かあったかもしれませんが、記憶に残るような違和感はありませんでした。申し訳ございません、アイリーン様」
「じゃあ、もう一度やってみることにしましょうか」
「かくなる上はこのフィオネル、楽譜庫を総ざらいしてでもお嬢様のお役に……今、なんと?」
「だから、もう一回やってみるの」
事も無げに言ってくるアイリーンに、フィオネルは訊き返した。
だが、お嬢様もお嬢様でこゆるぎもしない。腰に手を当て、執事を見上げ言う。
「今のままじゃ、サンプルケースが少なすぎるわ。手がかりを集めるためにも、フィオネル。もう一回楽譜を探してみて」