2 ラキの店
太った奴隷商人はもともといた商店には戻らず、人気のない路地を縫うように進んで行った。道の中にはすれ違う事すらままならない道もあり、後ろをついていくのは危険と考え、ハヤテは建物の上を渡っていった。
黙々と足を進めていた商人がふと足を止めた。ややあってからハヤテのいる方向を振り返った。
慌ててハヤテは身を隠した。
(見つかったか……!)
尾行に夢中になって周りの気配を読むのを怠っていたこともあり、ハヤテの頭に不安がよぎる。
しかし商人は何もなかったかのように向き直り、『bar lilac』と書かれた看板の店に入っていった。
ハヤテは一つ大きなため息を吐いた。そしてすぐに辺りの様子を伺った。
市場の開かれている東大通りから少し離れた西大通り近くに『bar lilac』は位置していた。西大通りは商人などの宿泊施設が軒を連ねていて、歓楽街となっている。
通りに降りて通りすがりに店の中を伺ったが、あまり怪しい店ではなく、一般的な飲み屋なのだろうと思われた。
意を決して入ると中にはあの太った商人はおらず、人当たりの良さそうなマスターに、売り子の少女が2人、まだ正午にもなっていないのに酒を酌み交わす商人らしき者たちが2、3組いた。
マスターと目が合い、笑みを浮かべていたので、目で礼をしてカウンターに座った。
「失礼ですがあまりお見かけしない方ですな。見たところエグゼルの方とお見受けする」
白く伸びた口髭が動く様はどこか可愛らしく見えた。
「ええ、よくお気づきで。エグゼルで宝石店を営んでおりまして、実は今回が初めての参加なのです。エグゼルはクリシュナほどではありませんが宝石も採れますし、海があるのでそこで真珠やサンゴなどを加工して売ってきまして。」
ハヤテはエグゼル訛りをやや強めにしたクリシュナ語を話した。
「いやはや、クリシュナ語がお上手で。良い商売はできましたかな」
マスターは驚いたかと思ったらまた和やかな表情に戻った。
「そうですね。鉱石ではやはりクリシュナ産には敵いませんので、海産の物を売って、こちらで原石を買って帰るという感じですね」
マスターはにこやかにうんうんと頷いた。
「あ、注文前に申し訳ないのですが、お手洗いを貸していただけますか?」
マスターは快く、カウンターの奥を指差した。
ハヤテは軽く会釈をしてもう一度店の中を見渡してからトイレに向かった。
トイレは男性用女性用とドアが分かれていて、その奥に扉があった。何やら奥で話し声が聞こえた。
ドアノブに手を伸ばそうとした。
「お客様!」
マスターが制し、
「お手洗いはこちらです」と促した。にこやかな表情は消えていた。
「すみません。何やら話し声が聞こえたので気になってしまった」
ハヤテはそそくさとトイレの中へと入った。
元々用を足そうと思って席を立ったのではなかったため、やり過ごしてから席に戻った。
席に戻った時にはマスターの顔に笑みが戻っていた。
ジントニックを頼むとマスターはまた一段階笑みを増やし、売り子に注文を伝えた。
コースターが敷かれその上にロンググラスに入ったジントニックが差し出された。飲むとなかなか良い味だ。
「美味しいでしょう?うちのジンはクリシュナの蒸留所で作られていますし、氷は銀羽の天然氷、ライムも銀羽から。そしてそれをかわいい娘が作るのですから」
マスターは自慢気に言った。
売り子の顔をよく見ると確かにどこか似ている、のかもしれない。
いくつか言葉を交わして気になっていたことを聞いてみることにした。
「ラキさん、話したくなければいいんだけど、あの部屋はVIPルームかなんかなのかい?」
会話を交わすで、「ラキ」と名乗ったマスターは、先程まで浮かべていた笑顔また曇らせた。ややあってから口を開いた。
「こういう商売ですからねぇ」
ラキはそう言ってからまた口を噤んでしまった。グラスを拭きながら軽い沈黙が流れた後、意を決したように口を開いた。
「こういう商売ですから、色々な方がいらっしゃいます。そしてあまり口に出せないような商売をしていらっしゃる方もいます。その方達があまり大きな声で話せないことを話せるよう、地下室を解放しているのです。もちろん闇商売を認めているわけではないのですが、うちの娘が奴隷商人に目をつけられた時、売らない代わりにこの店を使うことを求められました。それ以来、よくないとわかってはおりますが貸し出しているというわけです」
ラキが話し終えると、2人の間にはまた沈黙が続いた。ハヤテが何か言葉をかけようか考えていると、ラキが口を開いた。
「市場の『風』の噂を知っておりますかな?」
「風?」
ラキは少し顔を綻ばせた。
「ええ、『風』。毎年市場に現れては闇商人だけを狙って金品を奪う盗賊たちのようです。被害にあった商人の話だといつどのタイミングで盗まれたのかわからない、気づいても逃げ足が早すぎて捕まえられないそうですよ」
ラキは嬉しそうに話しを続けた。
「時には奪った金品を貧しい者たちの元へ撒いていくこともあるそうです。私たち一般商人からしたら盗賊と言うよりは義賊ですな。近年闇商人の出入りも減ったと聞きますし嬉しい限りです」
話しに熱を帯びていたからか、ラキは額の汗を拭った。そして自らガラスのジョッキにビールを注いで一息に飲んでしまった。
「久しぶりにこんな話をしてしまいました。ですがしかし、警察隊が頼りにならない今、『風の盗賊団』、私にとっては義賊団ですが、感謝しておりますよ」
ハヤテはいつのまにか4杯目になったジントニックを一気に飲み干して、一息ついた後、口を開いた。
「ラキさん。確かにその人は見た人からしたら偉いのかもしんないけど、結局は盗賊なんだ。盗みを正当化しちゃダメだ。そいつはそんな大した人間じゃないんだ。自分が盗みを犯したことを人様に惠むことで正当化しようとしてんだ。それに俺は……」
「俺は?」
ラキが真剣な眼差しで見つめる。
「す、すまねえ。つい酔っ払って熱くなっちまった。俺帰るわ!」
ハヤテは逃げるように店を後にした。酔っていたこともあり余計なことを話してしまった。そのせいでエグゼルの訛りを作っていたクリシュナ語が、南国のイシュタルの訛りに変わっていたことにハヤテは気づかなかった。
一方ラキは、ハヤテの置いたグラスを見つめたまま立ち尽くしていた。グラスの周りに付いた雫を眺める。小さな雫は大きな雫に吸収され落ちていく。
人もそんなものだとラキは思った。
長いものに巻かれるではないが、弱き者は強き者に守られなくては生きていけない。それが悪い人間であってもだ。
ふっと風が吹いたような心地がした。
どのくらい立ち尽くしていたのだろうか。自慢の娘が心配そうに見つめていた。
ラキは元気づけるかのように口元に笑みを浮かべた。
グラスを下げ、テーブルを拭いていると、呼び出しのベルが鳴った。地下室からだった。