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黄泉平坂物語  作者: 川崎 春
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オヅヌとイワナガ その2

カグツチノミコト……イザナミとイザナギの神産みで生れた火の神。イザナミに大火傷を負わせて死に至らしめた為、イザナギの怒りを買って斬り殺された。

コノハナサクヤヒメ……天から下って来るニニギノミコトに繁栄の力を与える為に産まれた花嫁。美貌の麗人で、ニニギの子を産み落とし天皇家の始祖を生み出した。

 オヅヌから聞かされた、スサノオの悲惨な結末にイワナガは絶句していた。

 黄泉の怪物が、空へ昇るなど無理だ。スサノオの罪は消えない。

 イザナミは自分を生み出した女神だが、そこまで非情な事の出来るとは思っていなかっただけに、その衝撃は大きい。

 オヅヌは、イワナガの蒼白な表情を楽しそうに見ながら言った。

「イザナミ様は、慈愛だけで出来た女神では無い。一人で、天津国を支配する神々に匹敵する力を持っておられる。その力は増える一方だ」

「力が、増える?」

「穢れとは、何だと思う?」

 かつて、イザナミがカカビコにした質問だ。

 イワナガは当然その答えを知らない。

「人の捨てた感情だ。その多くは負の感情だ」

 余りに簡潔な答えに、イワナガはただオヅヌを見る事しか出来ない。

「物実から生まれたお前でも、サクヤ様だけがニニギに選ばれた事で憎しみを持った。人の魂はもっと強い感情に支配されている。現世で多くの感情を記憶と共に抱えて戻って来た魂は、それを黄泉へ捨てて行くのだ」

 オヅヌは忌々しそうに顔を歪めて続けた。

「黄泉では誰もそれを浄化しない。イザナミ様がその全てを引き受けている。唯一、サクヤ様だけが、黄泉に戻られると浄化の泉を作る歌を歌い、イザナミ様の負担を減らしているが、焼石に水だ」

「サクヤが?」

「サクヤ様は自ら傷つき内部に穢れを貯めているにも関わらず、与えられた繁栄の力でそれを浄化しておられる」

 サクヤにそんな力は無い。イワナガは信じられないと言う様にオヅヌを見た。

「歌で多くの魂の心を満たし、黄泉の大地に魂を生み出す泉を生み出す事で、人々の魂に喜びを与えているのだ。負の感情を打ち消す感情をイザナミ様に捧げ続けている」

「サクヤにそんな強さは無い」

 イワナガは断言した。そう言った強さの部分は全て自分に与えられていた筈なのだ。

 サクヤは咲いて散る花の様に儚い。

 オヅヌは皮肉な笑みを浮かべてイワナガに告げた。

「サクヤ様は、今やお前より遥かに強い力を持っておられる。お前には理解できない方法で手に入れた力は、とても強い」

 オヅヌは、イワナガを見据えて続けた。

「イワナガヒメ、お前は今から俺のものだ」

「なっ……」

「何故、この中津国が穢れにまみれているのか、今の説明で分かった筈だ。大陸渡来の仏の力が人々の支えになる程に、天津国の神々の力は地上に届かない」

「私には関係の無い話だ。何故私が貴様の妻にならねばならない!」

「妻?」

 オヅヌは皮肉な笑顔を歪めて笑った。

「何を勘違いしているのだ。お前は俺のはした女だ」

 イワナガの顔が屈辱でみるみる赤くなっていく。はした女。つまり召使だと言うのだ。

 女神の眷属であるイワナガを召使として永遠に縛ると、怪物が言っているのだ。

 イワナガの目が翡翠色に輝く。怒りからだ。

 しかし体は動かない。現世でも修業を重ねたオヅヌ。全ては、この時に備えてのものだ。

 真名で縛り上げた魂と肉体が動く筈も無い。

「妻と言うのは夫と対となる存在だ。ニニギに捨てられたお前に対は居ない」

 オヅヌが何者で、サクヤとどの様な関係なのかイワナガは知らない。ただ、サクヤを慕うが故に強く憎まれ、この様な扱いを受けている事だけは理解出来た。

 だからオヅヌに対して、イワナガも怒りに任せて言った。

「報われぬ想いを抱えて、そなたはサクヤに尽くすのか?滑稽だな!化け物」

 オヅヌは特に堪えた様子も見せないで言った。

「それがどうした?転生するサクヤ様の現世での居場所を占う。それがお前の役目だ。お前は必ず俺と共に転生し、俺の命じるままにサクヤ様の居場所を探す。今まではイザナミ様がお前の主だったが、今からお前の主は俺だ」

「イザナミ様がそんな事を認める訳が無い!私はイザナミ様の眷属だぞ」

「では、何故今、俺に縛られているのだ。イザナミ様に救いを求めてみるが良い」

 イワナガは言葉を返す事が出来ない。

「イザナミ様はお前をどうでも良いと思っている。救いを求めても、救われまいよ。……与えられた使命も果たさなかったと言うのに、黄泉に戻って詫びの一つも入れないお前が、眷属気取りか」

「それは……」

「ニニギが悪いと言うのか?サクヤ様は、女に興味の薄いニニギをその気にさせて子を産んだ。魂の伴侶たる者は別に居たと言うのに、使命を果たした」

 サクヤには、夫がニニギとは別にいるとオヅヌは言っている。しかも、転生する都度、黄泉に戻り、イザナミを慰め続けているとも言っていた。

 双子として生まれたのに、自分はサクヤにただ呪いをかけ、サクヤに恨まれている事が恐ろしくて、黄泉に下る事を避けた。

 己の能力である延命の力を利用して、何百年も生き永らえた。使命を果たす為に与えられた力を、己の為だけに使ったのだ。

 イワナガは、ようやく自分が大きな過ちを犯していた事に気付いた。

「さあ始めようか。俺が何者かは、後々語ってやろう」

「嫌……」

 イワナガの拒絶の声は、孔雀明王の呪言の声にかき消される。大陸渡来の仏教の呪言の内容は、イワナガには理解できない。

 中津国を産み落とした国生みの神々の祝詞とは全く違う響きで、何を言っているのか分からない。

 ただ、無防備な魂に何かが深く食い込んできて、根を張る様に広がって行くのを感じる。硬くて冷たい翡翠の勾玉の魂に、何かが食い込み、蔓延って行く。

 激痛に、イワナガは悲鳴を上げた。

 引き抜けば魂が砕ける程に蔓延っているのは、オヅヌの魂から生まれた楔だ。

 傷一つなかった翡翠の魂が、穿たれ、ひび割れていく。

「助けて!お許しください!イザナミ様!イザナミ様ぁあああああ!」

 イザナミの返事は無い。

 やがて、砕けない様に内からも外からも、根の様な楔でイワナガの魂を縛ったオヅヌは、呪言を唱えるのを止めた。

 それと同時に、イワナガは金縛りも解けてその場に倒れ伏した。

 髪の色はみるみると翡翠色を失い、闇を染め上げた様な黒髪になり、輝いていた翡翠の瞳は光を失い、黒く染まった。

 本来の産まれた肉体の色に戻ったのではない。オヅヌの楔で魂を蹂躙され、染まったのだ。黄泉の怪物であるオヅヌの穢れにより、その魂は完全に穢されたのだ。

 言葉も無く、暗い瞳から涙を流すイワナガに、オヅヌは近づいてしゃがみこむと、顔を覗き込んだ。

 倒れ伏した女を助け起こす素振りも見せない。本当にオヅヌにとって、イワナガは、はした女なのだ。

「お前には消えてもらっては困るのだ。さあ、今サクヤ様がどこに居るか感じ取れ。そして何処に居るのか教えるがいい」

 イワナガは抵抗出来ない。魂を支配されてしまった今、その意思さえも無い。

「土佐」

 ぽつりとイワナガは倒れたまま呟く。

「ここからだと遠いな。しかし、見つけねばならない。立て」

 オヅヌの言葉に、イワナガは体を起こす。

「その衣は目立つ。これを着ろ」

 ばさりと地面に落とされた衣は、世間の女が普通に着る服で、長年イワナガが着て来た古い時代からの衣服とは見た目が違った。

「着方が分からない」

 イワナガの言葉に、オヅヌは薄く笑った。

 すると、イワナガの服を引き千切って裸にしてしまった。

 魂が壊れる寸前であるイワナガの魂には、感情が殆ど残っていない。既に魂そのものを凌辱されているので、肉体を気にする事も出来ないのだ。

「お前の腹から生まれた者の血筋を次からの転生に使う。俺の種をくれてやる」

 本来のイワナガであれば泣いて嫌がってであろうが、今のイワナガにはその感情すら遠い。もう肉体も魂もこの怪物から逃れられないからだ。

 ニニギに捨てられても感じなかった絶望と言うものを、今イワナガは感じていた。

「お前は子を産むだけで妻ではないがな。肉欲も知らないのだったな。それも教え込んでやろう。肉体の快楽の好きな者は囚われると言うから」

 オヅヌは、イワナガを痛めつける事を止めない。痛みを感じない程に魂を縛り上げたと言うのに。

「サクヤ様が数百年苦しんで得た分の穢れを俺がお前に与える」

 この怪物の言う穢れとは負の感情だ。感情全てでは無い。嫌な気持ちばかりを教えると言っている事は、イワナガにも理解出来る。

「どれだけ望もうと、愛情だけは与えない」

 最後のオヅヌの言葉に、イワナガは愛情とは何だろうと考えながら、近づいて来たオヅヌの動きをただ黙って受け入れる事しか出来なかった。

 オヅヌに出会い、イワナガは数百年知らなかった事を一気に知る事になった。サクヤがどういう目に遭ったのか、結果何が起こり、どうなったのか。

 ニニギと結ばれ妊娠した後、出産で産屋が焼けて潰れ、サクヤが死んだ時に、密かにほくそ笑んだ自分が如何に醜い感情を抱いていたのか理解する事になった。

 そんなサクヤには、ニニギと出会う前から、カグツチと言う黄泉の王と呼ぶべき神の夫が存在し、サクヤを想い続け、サクヤを見守り続けていると言う現実。

 それを忘れても、サクヤは自然にカグツチに惹かれ、何度でも恋をすると言う受難を繰り返している現実。

 サクヤがただの形代の怪物であるオヅヌに名を与えたのは、カグツチの元に自分の想いを残す為で、オヅヌはその願いに応えていたが、黄泉の穢れが黄泉から中津国に溢れ出し、サクヤの居場所が分からくなってしまった事から、カグツチにサクヤの居場所を教えるべくイワナガの魂を縛り、支配したと言う現実。

 オヅヌが縛り上げた魂は、今まで硬く傷一つ無かった魂と違い、受け入れなかった感情を多く受け入れる柔軟性があったから、イワナガは様々な感情を抱く事になった。

 子を宿すと言う事、それを産むと言う事、育てると言う事。

 イワナガはオヅヌの子を産んで、その過程で慈しむと言う感情を始めて理解した。愛すると言う感情を理解したのだ。

 同時に、オヅヌが言った言葉にも絶望する事になった。

 愛情だけは与えない。

 その言葉の意味は、重くイワナガに圧し掛かる事になった。

 オヅヌのはした女として、幾度死のうともオヅヌと共に転生し、サクヤの居場所を特定しなくてはならない。

 イザナミの眷属として対になる力を与えられたイワナガは正しくサクヤの居場所を特定できる。

 オヅヌの気持ちはいつもサクヤに向いていて、決してイワナガに向く事は無い。それなのに共に生きて行かなくてはならないのだ。

 確実に転生する為、依り代とする加茂の血脈が減っている場合、子を残す事を強要される事もあると言うのにそこに愛は無いのだ。

 向けられる感情はいつも冷たかった。悲しくてやるせない。サクヤに向けられる気持ちのほんの一部で良いから自分に向けて欲しいと願うけれど、それは与えられない。

 全てを忘れ、穢れも沢山背負っているのに、見つけ出したサクヤは美しい笑顔で嫉妬を募らせるイワナガに言うのだ。

「あなたには初めて会った気がしないわ。私達、友達になれるかしら?」

 そう言うサクヤを見るオヅヌの目は限りなく優しく、慈しみに溢れている。それを切り刻まれる様な気持ちで幾度も見る事になった。

 イワナガは既にオヅヌに支配され、その心の全てをオヅヌに奪われている。だから愛されたいのだ。しかしその願いは叶わない。

 サクヤを見出すと、オヅヌが彼女を大切に守り、程なくして美しい男が姿を現し、サクヤと恋に落ちる。いつもそうだ。

 オヅヌはそれを見届ける。満足そうに、それでいて少し寂しそうに。

 オヅヌに魂を縛られ、幾度転生しても記憶を失わないイワナガはそれを見る。見続ける。

 サクヤはあの美しい姿で無くとも、怪物の姿をしていても、あの男を愛すのだろう。イワナガは美しい男を見て思う。

 男の真名はカグツチと言う。カカビコとかつて呼ばれた黄泉の怪物であり、大罪を背負って黄泉に堕ちた炎の神だ。

 大罪を背負った彼の魂が、何故黄泉から出られる様になったのか、イワナガは教えられていない。

 ただ、黄泉の穢れが溢れ出る様になった頃に何かがあったのだ。それだけは分かる。

 オヅヌはその当時の事を決して口にしない。そして支配されているイワナガも、それを聞く事は出来ない。質問と言う行為を許されていないのだ。

 オヅヌは、サクヤが転生する時に付き添って黄泉平坂を上って行く。

 そんなオヅヌとイワナガは、同じ時代を生きて死ぬ事を繰り返す。

 サクヤの魂は、黄泉平坂を出ると何処に転生したのか分からなくなってしまう。

 多くの穢れを内部に貯めている為、地上に溢れた穢れに紛れて、魂の輝きを見極めるのが難しいのだ。

 だからイワナガがサクヤを探すのだ。気付くと共に居るオヅヌの言うままに。

 オヅヌと転生を繰り返し、イワナガはこれが転生を拒んで中津国に留まって己の罪に向き合わなかった罰なのだと理解する様になった。

 だから愛情を与えてくれない主に付き従い、今日も探す。かつて双子の片割れであった魂を。

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