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黄泉平坂物語  作者: 川崎 春
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オヅヌとイワナガ その1

エンノオヅヌ……役行者とも呼ばれる、修験者の祖。天皇家にも影響を及ぼす加茂氏の出身で、仏教における孔雀明王の術を修業で習得している。

イワナガヒメ……天皇の始祖であるニニギノミコトの花嫁となるべく誕生したが、醜いが故にニニギに拒まれ、美しい妹のコノハナサクヤヒメに嫉妬して、サクヤの子が短命になる様に呪った。

 背の高い男が、山の中を歩いている。

 一本下駄に頭巾を被っている。手には錫杖と呼ばれるシャラシャラと音の鳴る輪が沢山付いた杖を持っている。

 山の中である為、熊や毒蛇を近づけない為、この錫杖を持って歩くのだ。この音で近づいて来ないのだ。

 錫杖が理に適っている事は分かるが、この男の履物は理に適っていない。一本歯の下駄なのだ。

 平坦な道ですら、歩くのに適していないのに、男はそれで山の中を歩きまわり、川も岩山も越えて行く。

 後に修験者と呼ばれ、彼の修行方法に共感して術を学ぶ者が現れるのだが、今はまだ三十代で、得体の知れない術を使う者として恐れられているだけだ。

 故に天狗の始祖とも、後に伝えられている。

 エンノオヅヌ。それが男の名前だ。

 小鬼を使役する術者で、大陸から伝わって来た仏教の信者とされている。

 天津国の神の一人、天孫ニニギの子孫である天皇でさえ、仏教と言う新しい宗教に傾倒しつつあり、国生みの神々の存在は祭られているだけの存在になりつつある。

 ニニギの子孫は、天津国の神の力を持っている訳では無い。中津国で生きている他の人々と同じ魂を抱えている。

 アマテラスの望んだ天津国の支配を中津国に行きわたらせると言う使命のみを全うしているだけとなっている。中津国の者達の信仰心は、姿を見せない天津国の神々に対してではなく、姿ある仏への信仰へと傾き始めていた。

 オヅヌが山歩きをしているのには、修行以外の意味があった。

 彼は、産まれる前から一つの使命を負っている。その使命を果たす為、術を行使し、捜しているのだ。一人の女神を。

 彼女の力を彼の主が必要としている為だ。

 彼の主は二人存在する。

 一人は、形代として黄泉の怪物に生れ落ちた彼に魂を与えた名付けの女神、コノハナサクヤヒメだ。

 オヅヌは彼女を敬愛し、永遠に自らの主と定めている。もう一人が、魂の無い怪物であった頃から仕えているかつての黄泉の主神グツチノミコトだ。

 黄泉の国は、二神によって支配されていた。イザナミと言う黄泉そのものの神とその息子であるカグツチである。

 カグツチは、国生みの際に母親であるイザナミを焼き、父親であるイザナギの逆鱗に触れて斬り殺され、黄泉に落ちた火の神だ。魂は神でありながら、親を殺し、親に殺されたと言う大罪を背負っていた為、怪物の姿に変わり果てていた。

 しかし、その魂は高潔な神そのもので、黄泉と言う死者の国を安らかに維持する事に従事していた。オヅヌが仕えるに相応しい黄泉の王だ。

 サクヤとカグツチこそ、オヅヌの主だ。

 サクヤはオヅヌに魂を与える際に、カグツチの側に居る事を強く望んだ。

 そして転生し、その後黄泉の国へ幾度も戻ってきたが、その都度その美しい魂は、切り刻まれる様な苦難に晒されていた。

 カグツチは、サクヤの魂を黄泉で手厚く癒し、再び現世に送り返していた。どんなに想っていても、カグツチは、人の理からサクヤを外す事が出来なかった。

 サクヤはカグツチの事情に十分巻き込まれている。だから、黄泉に縛り付け、これ以上の不幸を与えたくないと考えたのだ。

 サクヤは黄泉の女神、イザナミの眷属としての刻印を魂に宿しており、何度現世に生れ落ち、大きな不幸や穢れを背負っても、イザナミの刻印が魂を強く守ってしまう為、苦しむだけで壊れる事が無い。それだけに大きな不幸を背負い、酷く穢れた一生を終えて、黄泉に戻って来る。

 オヅヌは見ていられなかった。現世に行かなければ背負わなくて良い不幸と穢れに、サクヤは傷ついて戻って来る。

 幾度、現世に戻さず、黄泉に留めて置くようにカグツチに進言したか分からない。しかしカグツチはそれを拒み、サクヤを現世へと送り出し続けた。

 母であり、自らが産まれた事で死に、夫であるイザナギと離縁したイザナミの掟に逆らえなかったのだ。

 しかし、それは変わった。

 黄泉の国と言う黄泉平坂で現世と区切られていた死者の国は、既に以前の姿を残していない。

 穢れた魂の多くは黄泉平坂を見つける事が出来ず、現世を彷徨い、穢れたまま転生する。魂の安寧の地へ辿り着き、癒しを得られる魂は大きく減ってしまった。

 中津国は濃い瘴気に覆われている。黄泉の地に長年蓄積されていた穢れが流れ出たのだ。

 この瘴気が、魂に黄泉平坂へと至る道を見失わせる事になった。

 しかし悪い事ばかりでは無かった。この瘴気により、穢れた魂が現世でも生存できる様になった為、怪物であるオヅヌも、中津国に肉体を持つ事が可能になったのだ。

 サクヤの望みは、オヅヌがカグツチの側に仕える事であったが、それを曲げても成さねばならない事が出来た。

 オヅヌは、だからカグツチの命じるままに現世を彷徨う。

 十九歳で山歩きの探索を始めて以来、十年以上、各地の山を探し回り、とうとうそれらしき者の情報を得る事に成功した。

 この時をどれだけ待っただろう。

 ようやく手がかりを手に入れて、オヅヌは足を速める。

 黄泉の国と違い、飲食と睡眠を必要とする上、傷が治り辛い肉体は不便だが、魂のままでは怪物の姿になってしまう。

 本性を隠して現世に出るには、肉体と言う檻に魂を閉じ込めて隠すしかないのだ。

 かなり北までやって来た。

 黄泉平坂のあるとされる出雲の国から、飛鳥を抜けて、更に北へと進み、後に信濃の国と呼ばれる山々の列なる場所にまでやって来た。

「一言主?」

「へい、あっしらはそう呼んでおります。本当の名前は知りません」

 鈴鹿の山を越えた所で出会った商人の男はそう言った。

「あっしのトトもジジもその前のジジも、全く同じ女だったと言うております。聞きたい事は、是か非の一言でしか答えてくれないのですが、答えは必ず当たります。あっしらはそれで、一言主と呼んでいる次第でございます」

 年を取らない女。名乗らず、巫女として崇められ、一言主と呼ばれている女。

 オヅヌの探している女でほぼ間違いない。

 居場所を転々としているが、葛城山、熊野の山々、他にも様々な山の中を転々としていると言われている。

 その話を聞いたのが十年前。以来、オヅヌは集落を訪ねながら、虱潰しに一言主を探し続けている。

 ようやく、近くの集落で一言主を見かけたと言う狩人に出会い、居場所を突き止めた。

 オヅヌは、山道を急ぐ。

 一言主が、各地の山奥に庵と言うには粗末すぎる小屋(竪穴式住居)を建てて転々としている事は知っている。

 いつも、見つける小屋は人が使わなくなって朽ちている状態だった。定期的に見に行くようになった頃から、警戒しているのか近づいて来ない。

 オヅヌは追いかけ、一言主は逃げる。そうして、どんどんと追い続ける事になった。

 ようやく追いついたのだ。

 オヅヌは速足で山の中を移動する。逃がす訳にはいかない。

 オヅヌは初めて地上へ生を受けた際に、肉体が成熟する前に命を落とした為、現世へ来るのは二度目だ。

 病にかかると子供の体はみるみる弱って朽ちた。あんな失態はもうしない。

 何と不便な場所であろうか。そんな場所でサクヤは辛い思いをして生きている……。オヅヌがそんな事を考えていると、視界を白い物が横切る。

 見つけた。

 オヅヌはその容姿では無く、内面を見据える。

 サクヤに呪いをかけ、歪んで醜くなったと聞いていたが、魂に関してはサクヤと瓜二つで全く歪んだ所が見当たらない。

 サクヤと同じ、整った魂が透けて見える。ただ、穢れが一切見当たらない。

 物実から生まれた、サクヤと対を成す魂。

 一度として黄泉の国へと死に戻る事無く、現世で姿を変えないままに生き続ける女神。

「イワナガヒメ、動くな」

 真名は、修行を積んだ怪物であるオヅヌが口にするだけで、イワナガを縛する呪と成る。

 一言主、もといイワナガの体はその場でぴたりと動きを止めた。

 始めて朽ち果てて黄泉へやって来た時のサクヤと酷似した姿に、一瞬オヅヌは懐かしさと悲しみを覚える。

 驚愕に目を見開き、動けないままのイワナガに近づくと、オヅヌは頭巾を取った。

 角の生えた額を見て、イワナガは驚愕から恐怖の表情になった。

「サクヤ様を呪った事で、その様な姿に成り人と暮らせなくなったか」

 髪の毛の色は、翡翠色に変わり果て、瞳の色も同じく翡翠の色になっている。

 魂を生み出す為に使われた翡翠の勾玉。サクヤを呪う気持ちの余り、その魂の色がそのまま髪や瞳に移ってしまったのだ。

 中津国の住人は、皆差異こそあれ、黒や茶色の髪と瞳をしている。

 この色では醜いと言われても仕方の無い事だ。もう体を捨てない限り、この色は失われない。

 それならば、この肉体を朽ち果てさせ、黄泉に戻って生まれ直せば良かったと言うのに、この女神はそれをしなかった。

 理由は単純だ。恐れたのだ。自分が死に追いやった妹の魂と出くわす事を。

 生まれる前の記憶は失っている。だから、カグツチとサクヤが特別な関係であった事は忘れている。

 だからニニギの事で、サクヤの魂に復讐される事だけを恐れていたのだ。

 魂の色に髪や瞳が染まる程の強い呪詛をかけたのだから、同じ事を返されるだけの自覚はあるのだろう。双子なのだから、持つ力は違えども威力は同等だ。

「この数百年で何が起こっていたのか、お前は知りたいと思わないか?」

 実際、オヅヌはサクヤによって名づけを受けた復讐の使者の様なものだ。

「時間はある。じっくりと聞かせてやろう」

 女神でありながら、黄泉の怪物にお前呼ばわりされるのは不本意であろうが、イワナガは何も出来ない。本当に呪によって体が動かないのだ。

「呪を解け」

 イワナガはオヅヌの真名を知らない。だから対抗する事が出来ない。

「口を利けるのは凄い。流石、女神だな」

 大げさに驚いて見せるオヅヌを、イワナガは口惜しそうに睨み付ける。女神であるイワナガの力を持ってしても、顔の表情を動かし口を利く事は出来るが、それ以上は無理だった。

「貴様、何者だ」

「生憎、女神に真名を教える程、親切では無いのだ」

 肩を竦めると、オヅヌは近くの岩に腰かけ、動けないイワナガの対面に来る様にして視線を合わせた。

「お前がサクヤ様と同時に生れた事は聞き及んでいる」

「サクヤは様を付けるのに、私はお前呼ばわりか」

「双子とは言え、お前の魂とサクヤ様の魂では、価値が違い過ぎる」

 平然とオヅヌは言い返した。

「誰にも必要とされないまま、止まった様な時を生きるお前と、苦しみながら転生を繰り返しているサクヤ様、どちらが魂に蓄積された物が多いと思う?」

「黄泉はそれを落とす所だろう。洗い流して綺麗にし、また穢れて戻る。それに何の意味があると言うのだ」

「布は洗えば新しい布と同じ物に戻るか?」

 戻りはしない。イワナガは押し黙る。

「決して黄泉では落とせない穢れを抱えてサクヤ様は今も何処かで生きている。人の魂は、その穢れを貯め込み過ぎれば、魂から朽ちて消えるが、イザナミ様の眷属で女神であるサクヤ様は朽ちる事が出来ない。これからも穢れは徐々に増えていく。それを抱えたまま、転生を続けられるのだ」

「黄泉で穢れを落としきれずに、魂が朽ちるとはどういう事だ!」

 聞き捨てならない事を聞いたと、イワナガは食らいつく様に問う。

 イワナガが産まれた時代、魂は黄泉で穢れを落とし、新しい生を受けて生まれる循環が信じられていた。魂は不死。その考えが当たり前だったのだ。

 しかし、あれから時が流れ、全てが変わった。それを説明して、イワナガを絶望の淵に叩き落す事こそ、オヅヌの中の目的の一部である。勿論、壊れない程度にじわじわと現実を教え込んでいくつもりだ。

 苦しめなくては気が済まない。オヅヌはそう決めていた。

「その話をしてやろうと思っているのだ。一言主として生き続けたお前は、何も知らないのだろう?」

 嬉しそうに顔を歪めて笑うオヅヌに、イワナガは言い放つ。

「この化け物め」

「ああそうだ。俺は化け物だ。でもお前とて変わらないではないか。何百年も朽ちない体に翡翠色の髪と瞳。人にとっては、異質でしかない。役に立てば神と崇められ、害となれば化け物扱い。違いはそれだけだ」

 イワナガだって長く生きているから、それは熟知している。だから人とは、殆ど口を利かない様にしているのだ。

「さあ、どこから話してやろうか」

 聞きたくない。この男は危険だ。

 イワナガは逃げたいと願ったが、体は全く動かなかった。

 オヅヌは、イワナガのそんな表情を楽しむ様に眺めてから口を開いた。

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