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黄泉平坂物語  作者: 川崎 春
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サクヤとカカビコ その2

 集落の暮らしに慣れてくるにつれて、カカビコが、ただの怪物では無い事を、サクヤは知る事になった。

 黄泉の国で最も強い怪物である事。この世界そのものと化したイザナミに認められて、この国を守る怪物の頂点に立っている事。

 夜になると、黄泉平坂を下って来る、灼熱の落涙と呼ばれる火の玉から、黄泉の国の魂を守る為に苦心している事。

 サクヤの元を毎日訪れ、見舞いをしてくれた穏やかな怪物とは、全く違う姿だった。

 多忙な中、最も最前線である黄泉平坂から、最深部のサクヤの眠る場所まで、わざわざ通っていたのだと知ると、訪れなくなった事にも納得した。

 サクヤは、既に癒えている。だから、カカビコは安心して、通うのを止めたのだ。

 本当はカカビコに会いたいけれど、サクヤには、カカビコの元に向かう方法が無い。

 癒えたばかりの魂では、一つ先の集落まで行くのがやっとだ。

 魂は、癒えて再度生きようと言う意思が強くなるにつれて、黄泉平坂に近い場所へ移動できる様になる。そして、黄泉平坂から洩れる光に惹かれて、どんどん明るい方へと移動する。弱い魂は、どんなに光に惹かれていても、力を蓄えるまで、遠くには行けない。

 そうやって魂は、最終的に黄泉平坂を越えて、現世に転生するのだ。

 サクヤは自分も同じ様に流れに乗って、転生していく事を、内心拒絶していた。

 転生をすると言う事は、この世界の怪物であるカカビコと会う事が出来なくなると言う事だ。そして、現世へ旅立てば、黄泉の記憶は失ってしまう。

 ずっと一緒に居られなくとも構わない。何処かで繋がっていると思える縁が欲しい。怪物の姿をしているけれど、カカビコは本当に優しい男なのだ。

 サクヤは、そんな苦しい胸の内を、歌に込めて歌う様になった。

 毎日、小さな泉のほとりで歌う。

 癒しの足りない魂達にとって、サクヤの歌は、癒しの助けとなった。集落では、サクヤが歌い始めると、自然と人が集まる。

 サクヤは、自分にも出来る事があるのだと、自らを励まし歌い続けた。この歌をカカビコが聞きに来てくれるかも知れない。そんな期待も抱いていた。

 繁栄の異能を持つ魂が、心を震わせて歌い続けた泉では、変化が起こり始める。

 集落の者達が驚く中、それは起こった。

 現世での月の周期に合わせて、サクヤが歌を歌い続けた泉では、満月と新月の日に、魂が生れる様になったのだ。

 生まれた魂は、人の形を取らないまま、黄泉平坂へとまっすぐに飛んでいく。前世の無い、新しい魂だった。

 黄泉の国の大地には、様々な想いがしみ込んでいる。この想いが固まって、黄泉の怪物は生まれるとされている。

 怪物が産まれ、しみ込んだ想いが地面から消え去った瞬間にのみ、この土地と同化しているイザナミの力が顕現し、魂が稀に生れる。

 皮肉な事に、千人を殺すと言ったイザナミにこそ、魂を産む女神の力があったのだ。

 千五百人を産むと言い放ったものの、イザナギは男神だ。穢れや邪悪な相手を打ち滅ぼす力は持っているが、魂を生み出す力は持っていなかった。

 現世に人を増やす為に、イザナギは夜毎、ツクヨミを斬って血を流させている。

 ツクヨミは痛みに耐えかねて落涙し、それが黄泉平坂を下って来て、黄泉の国で静養している魂に、火傷を負わせるのだ。

 カカビコはこれを食い止めるべく、黄泉平坂の側に幾つも砦を築いていると言う。

 集落へ、魂の泉の噂を聞いて、見に来た魂や怪物達の話から、サクヤはそれを知る事になった。

 遥か太古から、カカビコは黄泉の国の物だったのだ。サクヤの様な、一人の女の魂にだけ関わっていた以前の方がおかしかったのだ。

 サクヤは、自分の歌と黄泉における意味を考える。

 サクヤには、繁栄と言う異能がある。サクヤの異能は産み増やす力ではあるが、同時に儚く脆い。姉のイワナガの様な永続強化の異能は備わっていないのだ。

 その為、強靭な神や怪物を産み出す様な力は持ち合わせていない。

 それが、偶然にも魂の泉を産んだのだ。儚く脆い、人の魂と成りうる物だけを、大地たるイザナミの内部から引き出し、増やす力。

 魂の泉が、どの程度の期間、枯れずに持ちこたえるのかは、サクヤにも分からない。神の力と呼ぶには、ささやか過ぎる異能で生れた泉だから、ずっとと言う訳にはいかないだろう。

 しかし、何もしないでいるよりも、ずっと良いとサクヤは考えた。

 サクヤは、魂の泉を生み出すと、次の集落へと移動した。そうして、泉を増やしながら、色々な集落を巡った。

 サクヤにとって、魂の泉を作ると言う行為は、朽ち果てて消える筈だった自分を支えてくれた、カカビコへの置き土産だった。

 現世へと惹かれて移動する魂の性には逆らえない。どうあがいても、ぼんやりと明るい黄泉平坂が近づいて来る。だったら、現世に旅立つ間際まで、多くの魂の泉を作り、泉が枯れるまでは、カカビコの心に自分は残れると思いたかったのだ。

 本当にカカビコがそれでサクヤを思い出してくれるかは、分からない。

 魂の泉をどれだけ増やしても、か弱い魂がほんの少し現世で増えるだけだ。そんな行為は、黄泉の国で怪物の王であるカカビコにとっては、どうでも良い事かも知れない。

 それでも、サクヤは歌い続ける。それしか出来なかったから。

 そんな風にサクヤが各地を巡っている間も、 カカビコは、サクヤの前に現れなかった。

 サクヤは旅を続け、黄泉平坂に近づけば近づく程に、怪物達の警備が厳しくなり、酷い火傷を負っている事実を目にする様になった。

 サクヤは、黄泉平坂を下って来ると言う灼熱の落涙に出会った事が無い。魂の泉を作ると言う異能を、誰もが敬い、サクヤを守ってくれているからだ。

 黄泉の愛し子。

 サクヤはそう呼ばれた。

 現世で与えられた神力や異能は、黄泉で消え去るのが定め。魂の浄化の途中で、腐敗して大地に消えて行く。神も逆らえない定めだと言う。

 それなのに、サクヤの異能は失われていない。

 サクヤは、黄泉の愛し子として、怪物や魂達に厳重に守られている。異質な存在が近づくと、真っ先に逃がされていた。

 サクヤがそれに抵抗して残った所で、火の玉を食い止める筈だった怪物が、護衛にまわされて減ってしまう。サクヤは言われたままに逃げる事しか出来ない。

 そうは言っても、黄泉平坂と反対の方向へと、無我夢中で走るだけなのだ。

 それすら満足に出来ない。女の足で、遅いからだ。背後から凄まじい速度で落ちてくる灼熱の落涙を避けきれずに傷つく事を、周囲は心配し始めた。

 黄泉平坂が近くなり、ただ逃げるだけでは危険だと考えた怪物達が、サクヤの為に壕を作った。黄泉の土に人が一人、入れる程度の穴を幾つか掘り、近い穴の中に隠れる様に言ったのだ。

 大地はイザナミそのものだ。そこに穴を掘るなど恐れ多いと人の魂達は考えていたが、怪物達は相談がまとまると、各々の武器や手で迷わず穴を掘り始めた。

 昼でも薄暗い黄泉で穴を掘るのは、人の魂が落ちてはいけないからしなかっただけだと怪物達は言った。

「イザナミ様はこの程度の壕でお怒りにはなりません。人の魂が傷つく事の方を悲しまれます。迷わず使ってください」

 空いている穴は、他の魂達も使える。

 人が落ちないように木の板を置いて、蓋をされているだけの穴だが、サクヤだけでなく、多くの集落の魂をも守る事になった。

 壕が増えて、灼熱の落涙がやって来る夜になると、皆一斉に壕に隠れる様になった。

 怪物達が焼かれながら落涙に立ち向かっている音は恐ろしい。傷ついている怪物達の叫び声が辛い。サクヤは耳を塞いで壕にうずくまって夜を過ごすようになった。

 怪物達が地面から生まれて来る事以外、サクヤは怪物達の事は知らない。ただひたすらに、黄泉の国を守る為に、イザナミに忠誠を誓い、自分の体などお構いなしに、魂を守っている。

 人と同じ魂が宿っていると、サクヤは思い込んでいた。強いが、弱い者を慈しむ優しい者ばかりで、異形の姿に慣れてしまえば、とても親しみ易い。

 不死である彼らは、負った火傷もすぐに治ると言うが、痛みが無い訳では無い。

 惨たらしい火傷の跡も数刻で消えて行くが、それまでの間、酷く辛そうだ。

 黄泉平坂に近くなり、火傷が治りきらない内に夜を迎え、痛みに耐えながら、また火傷を負う者も、ちらほら見かける様になった。

 燃える様に熱い、天津神の涙。

 中津国や黄泉の国の者が、天津国へと昇る神力は、既に失われて久しい。

 ツクヨミが苦しみ続ける限り、カカビコ達に平穏は訪れない。

「イザナギ様を止める方法は無いのですか?」

「それがあれば、我々は必要ありませんね」

 小さなねじれた角が、額から一本生えていて、青黒い体をした長身の怪物にそう言われてしまう。

 この怪物が、壕を掘る事を提案したのだ。他の怪物よりも腕が立つ上に、とても頭が良い。

 黄泉平坂への旅の途中、サクヤを訪ねて来て以来、ずっとサクヤと共に行動している。

 名を問うと、お気になさらず。などと言うだけで、答えなかった。

 教えたくないのだと思っていたが、最近になって、他の怪物達と話している様子を見ていても、怪物達が互いに名を呼ばない事に気付いた。

 もしかして、怪物達には名が無いのかも知れない。

 サクヤは、その疑問を、自分を守ってくれている怪物にぶつけた。

 サクヤの予想通りで、怪物はきまり悪そうに言った。

「お気付きでしたか。その通りです」

「カカビコ様には、お名前がありました」

「特別なお方ですので」

 カカビコは、イザナミの名代として黄泉の国を治めている。だから名があるのだと、怪物は言った。

 それにしても、他の怪物に名が無いと言うのは不思議だと、サクヤは思った。

 怪物はそれに答えた。

「我らは、人が捨てた感情や記憶から生まれ、この地に満ちたイザナミ様の神気で不死を保っている形代(カタシロ、災厄を引き受ける身代わりの人形)に過ぎません」

 怪物達は、五感や喜怒哀楽を持ちながら、それを記憶する魂を持たないと言うのだ。

 怪物は続けて言った。

「痛みは感じます。痛い事は良くない事だと知識では知っています。しかし、その痛みを繰り返し与えられても、魂がありませんので、傷が無くなると、忘れてしまうのです」

 彼らは、黄泉を訪れた魂から情報を集め、時には書物も読むと言う。知恵も意思も持っているのだ。

 しかし、感情や五感を伴った記憶は消えてしまうから、どれだけ灼熱の落涙で焼かれようとも、それを怖れない。苦痛を感じない。

「我々には、名も魂も、必要無いのです。毎晩の様に負う火傷を、気に病んでいては、役目が果たせませんので」

 理に適っている。形代として在るのであれば、それが正しい在り方だろう。

 サクヤは、ふと気付いた。

 この怪物は、機転が利く上に、腕も立つ。他の怪物達を、集落ごとにいつもまとめる側に回っている。怪物達を従わせるのに、慣れているのだ。

 サクヤを守るよりも、大事な役目を担っていた筈だ。例えば、黄泉平坂の側にある砦を任される様な。

 そんな怪物が、泉を作って旅をしているサクヤの所に、わざわざやって来たのだ。サクヤが、落涙の被害が出始めた集落に辿り着いた頃に。

 そんな者に、一介の女の魂を守らせる様な命令を下す存在など、一人しか居ない。

 誰がサクヤを守らせているのか。それを理解した途端、サクヤは恐ろしい事を考えてしまった。

 目の前の怪物を自分の元へと送った者に、自分の願いを込めて返そうと考えてしまったのだ。

 大きな罪かも知れない。只人に近い自分が、黄泉の掟を曲げるのだ。

 このまま黙って転生するのが正しい事だと分かっている。しかし罪だ、愚かだと分かっていても、思いに抗う事は出来なかった。

「サクヤ様、どうかなさいましたか?」

 真剣な表情で考え込んでいるサクヤに、怪物が声をかける。

 サクヤは決意の表情で、怪物を見上げた。

「名が無いのは不便です。あなたに名を授けても、よろしいでしょうか?」

 イザナミが名を与えなかったのは、怪物達を苦しめない為だ。名付けたら、この怪物は苦しむ。不死だから、永遠に。

 それでも、サクヤはそれを申し出た。

 カカビコには名がある。魂があるのだ。彼だけが、怪物達に命令を下せる。だから特別なのだ。

 しかし孤独だ。苦しく辛い記憶を失う事も無く、たった一人で延々と黄泉を守るのは、どれ程の苦痛であろう。

 カカビコは、そんな過酷な状況に居ながら、サクヤに多くの物を与えてくれた。カカビコに報いるには、魂の泉だけでは足りない。

 孤独を埋める事は自分には出来ない。カカビコは、それを望んでいないから。だったら、代わりになる誰かに、彼の孤独を理解して欲しいと願ってしまったのだ。

 目の前の怪物は、サクヤによって巻き込まれる。これから先、大きな罪に、苦しみに。

 それでも、言わずに済ます事は、出来なかったのだ。

 怪物は、一瞬驚いてサクヤを見てから苦笑すると、片膝を折って、サクヤの前で頭を下げる。

「よろしいでしょう。私を選ばれた事を後悔させぬ働きを致しましょう。黄泉の愛し子たるサクヤ様の望まれるままに」

 この怪物は、魂を持てばどうなるのか、サクヤに説明する程に理解している。それでも、罪であろう行いに、巻き込まれてくれると言ってくれたのだ。

 黄泉の掟ですので、お受けできません。と言う言葉を予想していたのに、それを言わなかった。

 サクヤは、その言葉に力を得て、頭に浮かんだ名前を告げた。

「オズヌ。小さな角と言う意味です」

 怪物は、それを跪いて聞いた後、顔を上げた。何ら変化は見られない。名がある事で影響が出るのは、これからなのだろう。

「良い名です。与えて頂いたご恩に報います。何なりとお命じ下さい」

 名を重荷とも思わず、皮肉な笑みでそう告げて来るオズヌに、サクヤは願った。

「でしたら、私が現世に旅立った後、カカビコ様のお側に居て下さい。あの優しいお方を支えてあげて下さい」

 オズヌは、サクヤの願いを聞いた後、再び頭を下げた。

「承知しました」

 これで、カカビコの孤独や負担は、少しは減る筈だ。そして、サクヤがそれを与えたと言う事実は、黄泉がある限り、永遠に残る。

 サクヤの顔に、一瞬笑みが浮かんだ。オズヌはその顔を見ていない。

 それは、生前でも黄泉でも浮かべた事の無い、暗い笑みだった。黄泉の形代に名を授けた事で、その代償として魂に穢れを負ったのだ。

 穢れは、サクヤの異能と混じり合い絡まった。黄泉での浄化でも落とせない穢れを、サクヤは魂ある限り背負う事になった。

 サクヤは何度転生しても、穢れに振り回され、明るく幸せな生を謳歌出来なくなってしまったのだ。

 サクヤもオズヌも、その事に気付かない。

 サクヤは黄泉平坂へと目を向けた。

 もう間近だ。転生は避けられない。

 自分は、カカビコに与えられた衣や首飾りを失い、カカビコへの思いすら無くして現世に行く。

 それでもオズヌが居てくれる。彼に何かを残せたのだ。

「行かねばなりません。オズヌ、黄泉の境まで、私を連れて行って下さい」

「カカビコ様にお伝えしなくて良いのですか?」

 オズヌの心配そうな言葉に、サクヤは苦い笑みを浮かべた。

「会ってはならないのだと思います。私はカカビコ様をお慕いしているから、会ったら現世へ戻りたくなくなってしまいます。それは黄泉の掟に逆らう事。カカビコ様の望まれる事ではありません。だから、私は私の定めを守ります」

 サクヤの目から、一滴、涙が零れ落ちた。

「私が旅立ったら、カカビコ様にお伝えして。無事に現世に旅立ったと」

 オズヌは目を伏せると、黙って頭を下げた。

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