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ベルゼビュートの赤き悪魔

「片、桐さん……」


 でもそれはもう片桐さんであって片桐さんじゃない。

 のんびりした空気は鳴りを潜めて。

 ひやりとする雰囲気は抜身のナイフのようだ。


「カタギリ? ああ、身体コレの今の名か」


 ちろりと私に一瞬だけ向けられた瞳は赤いガラス玉のように見えた。

 まるきり別人だ。

 これがどこかに封じられた魔王の弟なんだ。


「殿下……まことに、貴方さまは王弟殿下であらせられる……!」


 跪かんばかりの悪魔たちを見る『片桐さん』はさっきこっちを見た時と変わらない冷たい目で見ている。


「何故ワタシを呼んだ?」


「殿下、それは貴方さまを解放するためです……!」


 先ほども繰り広げた自分たちの正義を訴えている。

 生み落された双子の弟は名を与えられず、迫害され、封じられたのだろうと。

 さぞかし王家に恨みを抱き、返り咲きたかろうと。

 その手助けを自分たちがしたい。

 などという私にはわからない理屈。

 片桐さんにはわからなかったことだけれど、今の『片桐さん』はどうなのだろう。

 様子を窺うと表情を変えずに悪魔たちの話を聞いてるように見える。


「殿下さえ、殿下さえいらっしゃれば何の憂いもございません。殿下を不当にこんなところに押しこめた兄君に復讐に参りましょう? そして全てを取り戻すのです」


 熱を込めた悪魔の話に、ようやく『片桐さん』が反応を返した。

 笑ったのだ。

 片桐さんが絶対しないようなどこか嫌な感じの笑い方。

 ニヤリと口元を歪めるなんて、片桐さんなら絶対にしない。


「おかしなことを言う。もうそれは終わった話だ」


「そんな……諦めるのは尚早かと……!」


 食い下がる悪魔たちの言葉に、面白そうに『片桐さん』は重ねて言う。

 早くここを離れた方がいいはずなのに、目が離せない。

 そしてランドルさんもここを離れたいはずなのに、動けないでいる。

 もしかしたら、『片桐さん』の動向が気になるのかもしれない。


「諦めた? いいや、違う。もう終わった話だ。全て片がついている」


「何ですと……!?」


「この身体うつわは魔王に近しい場所に一時あってな。その時にワタシと魔王は出会った。少々行き違いがあったが、もはや禍根はない」


 洋介さんが何だか含みのある言葉ばっかりだったのも何となく納得した。

 ルキさんの言葉も。

 二人ともこの『片桐さん』に会ったことがあるのだ。


「何故ですか! このような不自由な生活をしているというのに!」


「不自由? ワタシにとっては快適な夢のような暮らしだ。お前たちのような輩が現れない限りは微睡んでいられる。とてもいい環境だと思うが」


 相対する悪魔の言動に苛立ったように、『片桐さん』は言う。


「はっきり言おう。お前たちの言葉は酷く不快だ。ワタシの眠りを邪魔しようとする」


「何を……!」


 言葉に詰まった悪魔をよそに、『片桐さん』はホルスターから魔砲を抜いた。


「便利な玩具モノだよね」


 慣れた手つきでカートリッジを抜いて、ぽいっと放り投げる。

 そんなことをしたら使えなくなるのに。

 いや、でも『片桐さん』は悪魔だから、使えるのかも。

 片桐さんだって封印を解いた後はたしかそのまま使っていたような。


「はっ! 人間どもの使う玩具ごときで……!」


「うるさいなぁ」


 魔砲を一発、『片桐さん』が撃った。

 どぉんを音が響いたかと思うと『片桐さん』に色々と言っていた悪魔たちが地面に倒れている。

 魔砲を撃ちこんだ中心から『片桐さん』の魔力が悪魔たちを絡め取っている。


「便利だろう? ワタシの魔力が暴発することなく効果を発揮する。ワタシにとってはとても有益な物だ」


 倒れ伏した悪魔に『片桐さん』は近づく。


「ああ、一つお前たちに言っておかなければならないな。お前たちも知っての通り、ワタシの魔力と魔王の魔力は混じりあっている。双子だからな。だが、もうそれはどちらがどちらの魔力かわからないほどだ」


「な、なんの……はなしを……」


「魔王とワタシはある意味一蓮托生なんだよ。魔王を害することは、つまりワタシを害することだ。お前たちの企みにワタシが乗れるはずがない」


 その言葉は悪魔たちを絶句させるのに十分だった。

 つまり、どういうことなんだろう?

 頭がこんがらがって来た。


「お前たちの魔王への害意は、ワタシへの害意。どういうことかわかるな? ワタシはお前たちの誘いには乗らない。自分に剣を突き立てるのと同じだ」


 最後の言葉に悪魔たちの戦意が折れたように見えた。

 魔力がしぼんでいくのを見たからそう思ったのかもしれない。


「さて、と。この場に残るのはお前たちだけか」


「ずいぶんと、大人しいな……」


 ランドルさんの声が震えている。

 顔を見上げるとどことなくひきつっているように見える。

 流石に付き合いが長くても『片桐さん』は怖いのかな。


身体コレが全力でワタシの力を制御しているようだ。こんなのは初めてだ。いつもはワタシに引きずられて魔力を暴発させるのに」


 不可解だという風に『片桐さん』は首を傾げて私を見た。


「ワタシが怖くないのか、お前」


 何度も聞かれた『怖くないのか』との言葉。

 普通は怖いんだろう。

 でも私には怖くない。


「怖くない、ですね。それで、あの……貴方は誰ですか?」


 私は聞いた。

 今まで聞けなかったことを。

 これまでだって聞こうと思えば聞けたのだ。

 ランドルさんにも、ルキさんにも、片桐さん本人にも聞けたのに。

 今まで聞けなかったのかはわからない。

 だけど、きっとこのためだ。


「ワタシの名は元々ない。――だから今は身体コレの名を。身体コレはスティス・ベルゼビュート。ランドル(そこのやつ)とかにはベルゼビュートの赤き悪魔とか言われてたっけな」

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