悪魔たちの作為
悠介は朱里を置いて行くような勢いで疾走する。
完全に置いて行くつもりはなかったが、できるだけ離れておきたかった。
と、いうのも彼には特異な体質がある。
人間として過ごしている間には何もないし封印を解いても、とある感情と絡まなければ普通に過ごせる。
だけど、今は違う。
己の中で膨れ上がる魔力を抑えつけながら、悠介は自分を変えていく感情の出所を目指す。
その感情は敵意、怨嗟、憎悪といった負の感情だ。
悠介はこの手の感情を受けると魔力が身体の中に溜まっていく。
感情を受けねばそのうちに溜まった魔力も抜けていくのだが、今はそれを追っているのだ。
抜ける前に魔力が溜まってしまう。
「だから平穏な生活を送りたかったのに!」
何でも屋の暮らしはいい。
人間の姿でいれて、穏やかにひびが過ぎ去っていく。
同居人は騒がしいが、賑やかなぐらいがちょうどいい。
「おい、カタギリ! 速度落とせ!」
ランドルの声を振り切って、悠介は走る。
まだ、もう少し。
せめてこの体内の魔力が勢い余って外に漏れだしても平気なところまで朱里を引き離しておきたかった。
「おい! 待てって! スティス・ベルゼビュート!」
呼ばれた。
この地では決して呼ばれるはずのない名で。
「ランドル! ここではその名を出すなって!」
思わず立ち止まり、振り返るとランドルがすでに追いついていた。
くたびれたようにうなだれながらもランドルは言う。
「速度落とせよ。俺、加速して走るの苦手なんだ。あのお嬢ちゃんもこれ以上は俺たちを見失う」
「……」
ランドルの言うことも一理ある。
巻き込まないために引き離したが、自分たちを見失って道に迷われても困るのだ。
朱里がある程度追いつくまで立ち止まることにする。
「お前ったら相変わらず、暴走するなぁ。こらえろって言っただろ」
「こらえてるだろ。今だって」
魔力が膨れ上がる苦痛にだって耐えている。
爆発しそうな力を宥めるように抑えている。
疾走するのに力を使った気もするが、それだって誤差の範疇のはずだ。
「いいや、暴走してる。さっきだって周りが見えていなかっただろ?」
ランドルの言葉に悠介は黙り込む。
確かにそうだ。
ランドルの言葉を聞けず、疾走していた。
魔力で加速して、逃げるように。
でも、何から?
「……早く原因を突き止めたいんだけど」
「それは俺だって同じさ。でもさ、今はこらえる時だ」
これ以上、何に堪えたらいいのだろうか。
悠介にはわからない。
「さて、そろそろ行くか、スティス。お嬢ちゃんもこちらに追いついてきた」
「だからその名で呼ぶなって。この地にいる限り、俺は片桐悠介。だいたい、ベルゼビュートの名は家を飛び出した時に捨てて来たんだ」
「そうだな。お前はそうかもしれんが、向こうはお前を手放す気はないだろ」
言われてしまえばそうだ。
また走り出しながら悠介は考える。
悠介の悪魔としての名は先ほどランドルが呼んだように『スティス・ベルゼビュート』だ。
だが親との血縁関係はない。
孤児であったところを拾われて家を与えられた。
ベルゼビュートの当主はいつだってそういった境遇の子どもである。
というのも、彼の家に男児が育たず、女性だけが成人する事が出来た。
拾われた子どもは、家の娘と婚姻を結び家を継ぐ。
そうやって続いて来たのだ。
だが――。
「俺は家を継ぎたくない。あんな悪意の的になるような役割なんて無理」
「いや逃げる方が無理だろ。あんたの親父さんの口利きでこの暮らししてるんだし」
元々悠介は悪魔の中でも逃亡犯を捕まえる役割を負って、辺境を転々としていた。
そちらの方が彼の体質にとっても都合がよく、ランドルと共に様々な場所を回ったものである。
しかし何の因果か栄転で辺境から王都勤めになり、父親と鉢合わせしてしまい魔王に引き合わされた。
しばらく魔王の護衛を務めた後、この魔王の直轄地での人間の開拓の手伝いという任務を受けてしまった。
つまりはまだ父親の掌の上ということだ。
「この暮らし自体は気に入ってるんだけどね。お前が来るまでは平和だったなぁ」
「平和な暮らしを取り戻すためだ。開拓が進んで不穏分子が消えればお前も静かに暮らせるだろ」
どこまで行けば自分は父親の手から逃げられるのだろう。
ランドルの言葉を聞き流しながら、悠介はため息を吐いたのだった。
辿る悪意の源はすぐそこまで近づいている。
魔力は少々弾けそうだが、自然を必要以上に壊す事はなさそうだ。
そのことに少しだけ安堵する。
そうして、飛び出して行った先で見たものは、ひとりの悪魔。
多分こいつが元凶だろうと悠介は捕縛しようと気を引き締めるが、その悪魔は悠介の顔を見た瞬間、その場に跪いた。
「は? え?」
「なんだこりゃ?」
混乱したようにランドルと悠介は声を上げる。
そして、悪魔の次の一言に更なる混乱へと陥った。
「このような場所にいらっしゃいましたか、殿下!」
「はい?」
目の前の放った言葉が理解不能で、ついうっかり魔力を抑える事を忘れてしまった。
それだけ悠介の魔力の一部が漏れて、弾ける。
ぼんっと大きな音と共に、地面に穴が空く。
「おお、この強大な魔力! まさしくあなた様は魔王と血を分けた弟君でいらっしゃる!」
平伏した悪魔の言葉の意味が分からない。
言葉は通じているはずなのだが、何故こんなことを言ってるのか。
心当たりは顔が魔王と似ている事。ただ、それだけしかない。
いや、冗談で魔王が悠介の事を双子の弟だとか嘯くこともあるのでそれも関係しているか。
だが、そんな事実はない。少なくとも悠介の知る範囲においては。
ただ噂として、魔王には双子の弟がいたとかいう話は聞いたことがあった。
だけどそれは過去の話で、実在していたとしてもとっくに死んでいるはずだ。
「何か勘違いをしていないか? というか不法侵入だよな? 拘束させてもらう」
ランドルがずいっと前に進み出て、悪魔を捕まえようとする。
しかしひらりとその悪魔は避けて、申し訳なさそうに悠介に言う。
「我ら未だ力及ばず、御身を救出することは叶いません。ですがお待ちください。何れあなた様をお救い致します!」
そう叫んだ悪魔は転移したようでその場から消えた。
残された悠介とランドルはお互いに顔を見合わせた。
「思い込みの激しい奴だな、また来るそうだぞ」
「えー? 来られると困る」
一体何を勘違いしているのだか。
だが確かめる術もない。
そして、追いかけるべき悪意はここで途切れている。
つまり、魔獣を操っていたのはあの悪魔なのだ。
目的もわからないし、行先もわからない。
「これからどうする? ランドル」
「どうするって、そりゃお前の魔力が抜けるまで野宿だろ。危なっかしくて村に帰れやしないぜ」
「アカリさんがもうすぐ追いついて来るのに」
「そこは諦めようぜ。お嬢ちゃんには一旦何でも屋に戻ってもらって、留守番組にしばらく戻らないって伝言と野宿セットを取って来てもらってだな。あの悪魔がまた来るっつーなら、その時にまた捕まえればいいだろうが」
ランドルの言葉は正しい。
けれど、悠介は一つだけ思う。
「アカリさんは、悪魔の事情に巻き込みたくないなぁ」
朱里には戦う力がある。
普通の魔法使いとは普通に渡り合えるだろう実力がある。
と言っても元々の機体が戦闘用に作られたアンドロイドだからなのだが。
魔獣と戦っても問題ないぐらいに。
だが、悪魔と戦うのは絶望的だ。
「まあ、野宿セット持ってきてもらったらそのまま帰ってもらうしかないよなぁ。あぶねぇし」
ランドルが朱里を連れて帰り、野宿セットを持ってきたら解決する話だと思うが、どうも悠介の傍を離れるつもりはないらしい。
居心地が悪いなぁと思いつつ、悠介は朱里が追いついて来るのを待った。
そこには魔獣であった残骸がいくつも散らばっていた。
翻る黒髪に、革でできたベストも共にくるりとはためく。
「派手に動いたわね。一体何が狙いかしら?」
森の木々を押し倒す勢いで突進してくる魔獣たち。
それを手にした魔砲で撃ち抜きながら、椎名ルキは考えた。
そうするうちに遠くで一つの気配を感じる。
「あら、封印を解いたのね。相変わらず強大な力ね。このままだと悪魔の何人かは彼の正体に勘付くかしら」
感じるのは間違いなく、悠介の本来の魔力だ。
しかも条件を満たして魔力の質が変わっている。
本人は知るまいが、その魔力はある人に酷似しているのだ。
「そうね。私ももう一つ餌を撒こうかしら? きっと大物が引っ掛かるわね」
魔獣の最後の一体を撃ち抜くと、周囲は静かになる。
これ以上の森の破壊は避けられそうだ。
「ここは終わりっと。じゃあそろそろアカリちゃんに会いに行こうかしら」
魔砲をホルスターに収め、パンパンと膝の辺りを払いルキは歩き出す。
明確に、ある一点を目指して。




