第9話 「一生敵わない人」
掌に馴染む薄い機械をあたしは手にした事が全く無い。
それどころか、家の電話さえ無かった。だって電話代なんて払う余裕が無かったんです。
≪携帯電話≫という代物を使うことに緊張しているのか、徹二さんと話す事に緊張しているのか判別出来ないまま、恐る恐る機械越しの徹二さんに話しかける。
「徹二さん?久方ぶりです、有園咲禾です・・・」
「・・・咲禾・・・連絡待ちくたびれたぞ――?」
電話越しでも、クッと口端を上げて愉快そうに微笑している徹二さんの姿がありありと浮かんで、あたしは少し微笑んだ。
「連絡遅れてすみませんでした。それはそうと徹二さん今回の件、一体どういうことですか」
そりゃ、迷惑とかではないけれど、やっぱりああいうことは心臓に悪いと思うのですよ。
「どういうことって・・・もう説明は聞いただろう」
「・・・全部徹二さんが仕組んだってことですか?」
「まーな。下らない仕事だったからなー即刻断ろうと思ったら・・・咲禾、お前が標的だったという訳だ」
「・・・どんな訳でしょーか。お陰でコッチは大変なんですが?」
あぁ、相変わらず徹二さんは自分の道を突っ走っていらっしゃる。
呆れを通り越して何だか笑えて来ちゃいましたよ。
「あー・・・ワリぃ、ワリぃ」
「謝っているつもりですかー」
「そうカリカリすんなよ。禿げるぞ?」
「カリカリ?何の歯応えですかー?剥げるって徹二さんの厚い面の皮が?大歓迎ですけど」
「ククッ。言うようになったじゃねーか」
「徹二さんほどでは御座いませんがねー」
こういう会話も久しぶりで、あたしはついつい声に出して笑ってしまった。
「よし、まぁまぁ元気そうだな」
「・・・・・」
――あぁ、やっぱり徹二さんにしてやられた。
そうやって優しい声で、あたしのことを気遣ってくれる。そういうことをされると、何だか体中がむず痒くなるんだ・・・。コレって一体、何アレルギーですか?
はぁ、だから徹二さんは少し苦手なんだ・・・。
本当に・・・どうしてこういう事を自然にできるんだろう。
こんなことを聞いたらニンマリ笑って「俺様だからな!」って胸張って言いそうだ・・・つか絶対言うだろうから一生聞かない。
「今、お前が何を考えているのか手に取るように分かるな」
「・・・・・」
「咲禾、照れているのか。可愛いな」
「・・・徹二さん、性格悪いです」
「ハッ、今更」
うぁーだからこの人苦手なんだぁー。
こうやって人をからかう事が生き甲斐なんだ・・・悪趣味。
黙りこんだあたしに、元来気の長くない徹二さんは、拗ねたような口調で喋り始めた。
「んで?あの件以来、本当に連絡してこねーし。優しい俺は心配で胸がはちきれそうだったんだぜ?」
「あーはいはい。それはご心労お掛けしてすみませんねー」
あたしのテキトーな返事に、徹二さんの雰囲気が変わったのが電話越しでも分かった。
「言っとくけどな、咲禾のことを考えない日はなかった・・・本当に心配してたんだからな」
「・・・・・」
――息を、呑む。
あぁ、まただ。
また真剣な口調でそんなことを言う。
電話越しでよかった・・・あたしはこんな時どうしていいか分からなくなる・・・きっと情けない顔をしているに違いない。自分が自分じゃなくなるような感覚が怖くてたまらない。
「まっ、俺が勝手に心配していただけだから」
「・・・えーと・・・」
何を言って良いのか分からないあたしは言葉を詰まらせる。
ふと徹二さんが少し笑ったのを気配で感じた。
「はいはい、お前は心配されるのなんて慣れてないから、ちっとくすぐったくて鬱陶しいかも知れないが、気持ちは素直に受け取っておくものだぞ?覚えとけ」
「――はい」
あーあ。
また助けられた。
「それで?実のところ何でそんな趣味の悪い金持ち学園にいるんだよ」
「あー、それは言えません」
いくら徹二さんといえど、これは極秘。
天宮とあたしの問題だ・・・巻き込むわけにはいかない。
「ふん、そう言うと思って調査済みだ」
「・・・・・」
じゃあ訊かないで下さい・・・はぁ、プライバシーってなんですか?
思わず自棄になってしまうあたしを誰が止められますか?コンニャロー。
「面白いことになってんじゃねーか」
「・・・ちっとも面白くないです」
「――ふむ。俺も参戦するか」
「心の底からやめて下さい」
思いのほか冷たい声色が無意識に。
やると言ったらこの人はやる人だ。しかも今回の様な奇襲あり。
厄介極まりないよ本当に。あの温厚な宏樹さんでさえ、徹二さんのことノシ付けて誰かにクール宅急便で送りたいって言ってたし・・・。あれはマジな目だったなぁ。
「ククッ、そー言われるとますますヤル気が出てくるってもんだよな〜」
「相変わらずたちの悪い・・・」
ボソリと呟けば、幾分呆れたような声が間髪入れずに返ってきた。
「そりゃお前だろ?全く、冗談抜きに相当恨み買っているみたいだぞ・・・今回お前を潰す依頼をしてきたのは中流階級の連中だ。これが上流階級なんてことになれば・・・分かるか?」
「――はい」
真面目に返事したあたしに、徹二さんがそれはもう大きな溜息を吐いて下さった。なんですか?何か文句があるんですかー。
「否、お前はいつも危機感が足りない。なんでそう、必要以上にトラブルに巻き込まれるのに無防備なんだ、この阿呆」
「くっ・・・徹二さんに・・・あの徹二さんに阿呆って言われた」
「問題はソコじゃねー」
「いや、大問題」
「ったく。咲禾、良く聞け。お前の状況は最悪だ。味方が誰一人いない敵だらけのフィールド、加えて敵は、暇も金も鬱憤も余り有るほど持っている連中だ。そこへ好都合な事に、大して地位も金も後ろ盾も無い貧乏人+嫌われ者のお前・・・絶好の玩具、イイ獲物だろうよ」
「んーまぁ・・・なんとかなるでしょう」
というかそう思ってないと、やっていられないって。
「どこから来るんだよ、その自信は」
「強いて言うなら日本産」
本当は自信なんてコレっぽっちもないけれど、ちょっと虚勢を張って、ふざけてみた。
「・・・・・咲禾・・・」
うぉー怒っている。
うん。普通に怖い・・・もうふざけないぞぉー。
「分かってますよ、徹二さん。無茶はしません」
「――約束か?」
「約束です」
「血判押せ・・・と言いたい所だが、勘弁してやる」
本気で残念そうな徹二さん。
血判って・・・あたしを新世界に引き込むつもりですかー。
「兎に角、これ以上悪目立ちするようなことはするな」
「はい」
「ったく・・・困った時ぐらいは連絡して来いよ?」
「――はい」
徹二さんの優しい声に、少し詰まりそうになりながら、なんとか返事を返せた。
「・・・また、連絡する。それまで約束、守れよ」
「はい――えーと、あの、その・・・」
あたし日本人なのに日本語喋れていない。
「ん?」
「あ、有難う御座います」
ようやく言えた言葉。
言い終わった途端に恥ずかしくなってきたぞー。なんでだろう、親しい人に言うのはとても照れるんだよねぇ。電話越しの見えない相手に縮こまっていると、微かに響いたクスクスという笑い声を聞いて更に居た堪れなくなる。
「――どういたしまして」
不意に返された返事はあまりにも温かい。
さっきまであんなに可笑しそうに笑っていたのに・・・。
うーむず痒い。
心がほわほわと落ち着かない。
やっぱり徹二さんは苦手だ。
そして痛感する――あたしはこの人に敵わない。
恐らく・・・一生、ね。
読んで下さってありがとう御座います!!